——最近、困ったことがある。
良いか悪いか、そういう二元論で決めたり表したりするのは、難しい。良いと言えば良いけれど、悪いと言えば悪い。今のところ、それに関する答えを私は持っていない。
困ったことに悪意はない。敵意もない。ただただ善意の困ったこと。
私がすげなくしても関係なし。ずんずんやってくるのだから本当にどうしたものか。
「
前を開いた学ランの裾をたなびかせた彼は、教室を埋めるほどに巨大な魔族を踏みつけていた。
大穴の空いた天井から差し込む日差しをまるで、ヒーローショーのスポットライトが如く浴びた彼は、茶色のミディアムセパレートが乱れようと気にも留めずその下にある整った顔を輝かせながら私を呼んだ。
「君を救う功績、これは、君の騎士を名乗るに足る功績だろうか!!」
かなり理解したくない内容を、
「君は、俺を騎士と認めてくれるだろうか!!」
クラスで一番の美形が叫んでいる。
私を襲おうとした魔族を屋上のテラスから3階の教室まで押し込んで、私に問いかけてくる。
そんな事、聞かれても困るんだけど。困惑隠せない。表情筋がコントロールを完全に失っていた。近くに落ちている誰かの手鏡には、黒いセーラー服を校則通りに着て、黒髪をボブにした地味めの女が藍色の瞳に、意味不明の文字列を浮かべている姿が映り込んでいた。
私である。
「どうだろう!!」
その私は、問いかけに、感謝の言葉が吹き飛んだ頭のまま、ただ心に従って彼に答える。
「……私、そういうの募集してない」
てか、騎士って何よ。そういう時代は、だいぶ前に過ぎたでしょう。それともあれなの? 強火のファンネーム? 勝手に作って名乗るの正気じゃないわよ。
「だがほら常夜原さん。俺は、君に足りないものを補える。これを見てくれ」
と、私の拒絶にへこたれず、聖瑛は、足元の魔族を示す。
「これは、突然現れ君を襲った。そこにすかさず俺は助けに入った。そう。俺は俊敏で、」
次に、魔族に向けた指を、自信ありげに上へ向ける。
「コンクリートごと魔族をぶち倒すパワーもある。つまり、君に足りない前衛という職種を担うことができるんだ」
言われなくてもそんなことはとっくに存じている。
「この通り、俺は、確実に君の助けになれる」
私は、この男に、一度助けられている。しかも今回と似たようなシチュエーションで。しかも昨日。非常に遺憾な事実だ。だからこそ認めざるえない。
この男の言っていることを認めざるえない。
ただ、それだけならまだいい。野良のすごく使える前衛が現れて、私の助けになりたい。そういうのは、別に問題ない。助かると言えば助かる。
私が受け入れていない理由は、やはり、ただ1つ。
「つまり、俺は、君の騎士にふさわしい!! それ以外ありえない!!」
これに尽きる。何だその自認。
こんな自認の男が側にいて欲しくない。かなり嫌だ。学校、街中、あらゆる所で主呼びする男を連れ歩くとか想像すると寒気がする。視線に耐えられる気がしない。
「というのが俺が君の騎士にふさわしいことのセールス——いや、プレゼンテーション……? まあなんでもいいか! どうだろう! 常夜原さん!」
ビシッと、芝居めいて手を差し出してきた。私は、唖然とキラキラ光るこの男を見ることしかできなかった。
始まりは、4月。
私がこの都立
彼に足蹴にしている魔族の目のあった場所と、金色の残光が私の指先を繋ぐ。スマホの電子マネーの残金が消える効果音が耳に響いた。
——
「おお……! 流石だ、我が主!!」
主になった覚えも了承した覚えもないんだけど。などと突っ込む気力もない。
「……いつ動くかちゃんと見てただけ。魔族は、死んだら消滅する。消えてなければ、死んだふり」
言ってる側から魔族が消滅していく。最後の悪あがき、ってところかな。ゴロンと魔族の身体から魔石が転がり出た。魔石の大きさは、魔族のクラスとイコールだ。大きければ大きいほどその価値は、高まる。赤紫色をした掌サイズのそれは、クラスCくらいに見える。正確なところは、ここでは分からない。
同時に、魔族そのものの能力の強度にも繋がる。現在、FからSのクラスに、魔族は分類されている。それぞれ特徴があるがクラスCは、狡猾。明確な知恵と悪意を持つ。
「なるほど。勉強になる」
真剣な顔で頷く彼に、目眩がする。なんで天井をぶち抜けてそんな素人なのよ。能力と知識のバランスがおかしいでしょう。
魔法に覚醒したばかりってそんなものかもしれないけど。
「とりあえず、J-M.A.S.のアラート止めて。さっきから五月蝿いんだけど」
わんわんと教室に反響して、うるさい。
「あ、すまない。……我が主。どうやって止めるんだこれ。シェルターなどに入らないと止まらない仕組みだったよな」
忘れてたけど普通は、そうだった。
「はあ……。スマホ、貸して」
「了解」
と足を止めた彼が窓の外に目をやる。なんだと訝しげに私は、首を傾げた。
「——主。どうやら通報を受けた魔狩が来ているようだが、どうする?」
げっと思わず顔を顰める。どこの魔狩か分からないがここに、私たちがいる説明ができない。魔族を倒したことを説明することになると私の立場が危うい。そうなると取るべき行動は、一つ。
「逃げるわ」
そう言うのと同時に、私は、自分の机のほうに駆け寄って、上着にしている黒パーカーをセーラーの上に羽織って、隠す。黒セーラーは、少し目立つ。それからリュックを掴んだ。どれも瓦礫に潰されてなくてよかった。
「了解した! では、失礼する」
同じく荷支度をした彼は、私の方に来ると同時に私をサッと持ち上げて、お姫様抱っこした。確かに、脇に抱えられるとかよりはマシだ。安定感がある。ただ手の力強さにドギマギしてしまう。それは兎も角、言いたいことはある。しかし、文句を言っている場合ではない。
何せ、私の耳にも階段を駆け上る足音が聞こえてきた。
「急いで」と言いかけた瞬間、視界がぼやけた。ばさばさとセーラー服のスカートがはためいたのを聞いた。
スカートと同じく視界を遮るように乱れる髪を抑えて、視界に現れたのは、半壊した屋上テラス、校舎、東京の街並み。
真昼の街並みが視界いっぱいを満たしている。
彼が跳躍は、魔法による身体強化だろうけどかなり強度が高い。訓練でも受けているのだろうか。
「主を連れての逃避行、胸が躍るな! 我が主、どちらへ?」
どこへ、ね。家に送らせるなんてありえないし、学校を抜け出した上、平日真昼間だし、あんまりうろちょろして目立っても困る。
「とりあえず、学校から離れて。目立たないようにね」
「分かった」
思いつかなかったから適当に走らせることにした。視界が霞む。ぴょんぴょんと校舎から降りて、近場の背の低い雑居ビルの屋上に飛び降りる。それから屋上を伝って駆けていく。
妙に手慣れてる。普段からこういうことしてるのかしら?
兎も角、これからのことだ。爽快な昼の風を感じながら私は、どうするか考えて——スカートのポケットの重みを思い出す。さっき拾った魔石だ。さっさと処理すべきだ。
ただその前に、この男についてだ。
「……その、主。ところでだが」
「……何?」
こちらを伺うような表情の彼は、まるで犬のようだった。
「俺は、君の騎士として採用でいいんだろうか」
なんでそんな物になりたがるか意味不明。しかし、こうやって付きまとい続けるのも面倒。そうなると……。重い溜息がこぼれ出る。
「————ならいい」
「? すまない! 風で声が聞こえなかった! もう一度頼む!!」
「仮採用ならいいって言ってるの!!」
身体を持ち上げて、彼の方に顔を近づけてから声を張った。すると驚いたように彼の目が見開かれる。
「だから私に、あんたの有用性を示して」
十分示されたと思っている自分を頭の隅の方へ追いやって、私は。彼に言う。これは、私が納得するかしないかの話だ。
「私があんたの主になってもいいとか、あんたが私の騎士でいいと思ったら本採用してあげる。それで、どう」
驚きで見開いた目が、開かれた口が徐々に、輝きと笑みを帯びていく。
「ああ!! 仰せのままに!!」
声が大きいと苦情を入れようとした瞬間、喝采を上げた彼が加速した。まだ速度が上がるのかとつい息を呑んだ。
「あっ、新宿駅近くの目立たないところで降りて。できる?」
「御意!!!!」
「声が大きい……」
ぼやきながら肩の力を抜いて、彼の腕の中に戻る。困ったことに、今の私は、ここ以外に居場所がない。
見上げると青空が似合う美男子がいる。中空の太陽よりも爛々と輝いている。癪なことに、口が裂けても不細工だとは言えない。
なんでこんなのに懐かれたんだか……。目を焼かれそうになるから瞼を下ろして、私は、自分の記憶を探ってみる。
と、言ってもこの男について、私は、大したことを知らない。以下、回想————。