アリスは、何の前触れもなく、私を見た。
「っ!!」
影が何か形を作って、射出。私が隠れていた瓦礫を粉砕する。
反射で跳んだのが功を奏し、回避できた。一瞬見えたのは、円錐形のドリルみたいな捻りを加えた形。
「ふふ、上手上手」
おちょくりやがって!! 沸騰しそうな頭を抱えたまま、すぐに走る。動いていないとミンチにされる。
しかし、どうしたらいい。聖瑛の速度、腕力で殺せないあの女魔族を相手にして、何ができか。
率直に考えて、とりあえず逃げたい。さっさと撤退が丸い。
目標を定義する。聖瑛を連れて逃げる。倒せる見込みが全くないからそうするしかない。
けど──。
「逃がしてくれない! ちょっとくらい人のことを考えられないの!?」
思わず口から文句が飛び出る。とっくに殺されてもおかしくないのに、何故か死んでない。
理由なんて分かってる。あの女、人を弄んでる。いつでも殺せるから手加減してる。
「鬼が来てるよ。逃げて逃げて」
けらけらと笑いながら聖瑛に向けていたものとは、段違いに遅くて、段違いに温い影がそれでも私にとって致命的に、来る。
一瞬前に足があった鉄骨に、剣山を叩きつけたみたいな穴が空いて、崩れ落ちる。
足を払うような斬撃が視界の隅に過ぎったから跳躍すれば、それこそ足をすくうような低い斬撃が放たれていた。
「クソ!! 縄跳びじゃないのよ!!」
「くすくす。ほらほら兎ちゃん、逃げないと晩御飯になっちゃうよ」
背中を叩く声の直後、耳に過る擦過音に、嫌な予感がして、頭を下げたら頭を輪切りにする軌道で影が左右から振るわれていた。
「人を、なんだと思ってっ!!」
「兎ちゃんは、兎ちゃんよ〜〜。ぴょんぴょん跳ねて逃げなきゃ死ぬぞ♡」
脳天気な声が、私を舐め腐った声が、斜め下から突き上げてきた影から聞こえてくる。頭を逸らして
なければ頬から顎にかけて引き裂かれていた。
躱せたのは奇跡——などではない。単純に、アリスが私が気づける予兆を発生させながら攻撃してきているから生きている。
これは、アリスが飽きるまで、聖瑛が再び立つまでの余暇時間だ。その間だけ私は、生きることを許されている。
ふざけているとしか言いようがない。人をどれだけ小馬鹿にすれば気が済む。どいつもこいつも人を見下ろして、本当に腹が立つ。
この鬼ごっこを終わらせる方法がないか——私は、辺りを見回し、聖瑛の方を見、更に上を見て。
「……やってみるしかない」
私には、私の目標がある。成し遂げたい自分勝手で自分本位な目標がある。だからあまりにも分の悪い賭けに手を出すことにした。
「え〜〜。もう、鬼ごっこは終わりなのぉ?」
トコトコと歩いてきていたアリスが急に立ち止まって、自分の方へ振り向いた私を見て、怪訝に首を傾げた。
「まあ、そんなところ。走るの疲れちゃったし。大人は、子供にいつまでも付き合ってられないのよね。大人はすごく忙しいから」
「ふうん……。私は、大人って嫌い。自分に都合が良くて、嘘ばかり言うから」
アリスは、黒々とした瞳の中に、本心から来る嫌悪を浮かべる。向けられた私と言えば背筋を怖気が走るのを感じる。
「……へえ、そう。そりゃ嫌な大人ばかりだったのね」
ただ、自分から言い出しておいてなんだけれどアリスのその感情にだけは、同意してしまった。口にも顔にも出さないようにした。同意するのが癪だった。
「そうそう。だから貴方みたいなのはキラーイ」
「それはありがたいわね。私もあんたみたいにかわいこぶる女、嫌い。子供でもね」
「ふーん………。じゃあ、嫌いなものを見ないでいいようにしたげる。すごく、すごく痛く殺してあげる」
べっと舌を出したアリスの周囲で立ち上がった影は、捻れたり、二股だったり、細かく切っ先を分裂させたり、あまり口に出したくない非常に悪趣味な形へ見せつけるように変形した。まるで拷問器具のよう。
「それは、勘弁」
つい足が竦んで、後ろに下がった。舐め腐った様子のアリスは、サディスティックな色を滲ませて、私の方へ足取り軽く来る。
「ねっ!」
——のを見た私は、逆に、アリスへと走った。
魔法を一つ、同時に起動させる。足裏を支点に、
最近は、構える暇がなかったり聖瑛が居たから使う必要がなかったりと出番が全くなかった魔法。
それを足と地面の間に挟み込んで、アリスの上を飛び越える!
アリスは、驚いて目を丸くしてこっちを見てる。まだ影は反応してない。
今度は、上の方、天井だった部分を触る。ここを支点に、電金壁盾を——ドンッ!!と分厚い金色の光を放つ壁が上から下に生えた。設定金額を3万円の結果生まれた長方形の壁の高さは、3メートル近く。厚みは、60センチ超えるか超えないかくらい。
これで私が何をしているか見えないはず——着地してからも真っ直ぐ走る。走りながら背後に電金壁盾を設置していく。
「小細工! 子供相手に情けないと思わないの!!」
キンキンとしたアリスの怒声に、『五月蝿い、化け物が!!』と振り返って叫びそうになるのを堪えながら私は、一直線に、聖瑛へ走った。
なんとか生きている柱に向けて、通りすがりに掌砲を撃ち込む。校舎を崩し、アリスの足止めにする。丁度よく、私の背後に上の瓦礫やらが落ちてきてくれた。これは幸運。
けど衝撃で肩が痛い。止まない課金音に涙が出そう。これは不運。死なないよりはマシな不運。
背後で、瓦礫や鉄骨、コンクリート塊がバキンガキンと凄まじい速度で切断されていくのが聞こえた。振り返りたくない。振り返ったら動けなくなる気がする。
校舎の下を抜ける。校庭に踏み込む。ついでに見かけた柱に、流れで掌砲を撃ち込んでおいた
そうしたら何か致命的な音が上の方から聞こえてきた。パラリと欠片が肩に落ちてきて、直後、激しい雷鳴の如き絶叫と末期の悲鳴を上げた校舎が崩れ始めた。
これはもう本格的に暫く通学できないわね。能天気な思考が過ぎった。
「————!!」
凄まじい怒気を纏ったアリスの声が聞こえてくるような、聞こえてこないような。聞こえない方がいい。ちゃんと足止めされてくれているということだし。
崩れ落ちる校舎の衝撃や舞い上がる灰色の砂埃から逃げるようにして、聖瑛の元に、私は辿りついた。
「あんたそれ、大丈夫なの!?」
大丈夫なわけがなさすぎる。言ってから間抜けすぎると私は、自分をぶん殴りたくなった。
聖瑛の身体は、無事なところが無いような状態だった。特に目立つ箇所と言えば……複数ある。どれもこれも私には、致命的に見えた。
右腕が捻じ切れかけていて、複雑に折れた骨が学ランから飛び出ている。左足は、ありえない角度に曲がって、大腿骨が折れて、ズタボロになったズボンから突き出、外気に姿を晒している。最も大きいのは、最初に受けた腹の傷だ。内臓がまろびているし、どうして生きてるのか分からないくらいの大量に出血している。
「ん……ぐっ……。あ、ああ……大丈夫だ。ありがとう、常夜原さん……。いや、常夜原さんこそ、大丈夫か?」
「大丈夫なわけないでしょ……!?」
呻きを上げながら私を心配そうに見上げる聖瑛に、一瞬前、頭の中で思ったことが口から飛び出た。
「ああ。もう!! あんた、立てる?!」
漫才をしている場合じゃない。学校は、すっかり瓦礫の山だが掘削する音が聞こえてくる。アリスは、元気も元気らしい。あの程度では、足止めにならないみたいだった。ふざけた化け物だ。
「いや、君1人で逃げて——「できるわけないでしょ!!」——ああ……、そうか。そうなんだ」
ポカンと目を丸くした聖瑛は、くくと笑みを零した。何この非常事態に笑ってんのよ。呆れて、次の言葉を作ろうとした時。
「少し時間をくれ」
と、聖瑛が折れた足を伸ばした。複雑に損壊した肉と骨が擦れる嫌な音がした。激痛に顔を歪めながら聖瑛は、折れた骨を皮膚を裂きながら肉に収めた。見た目だけ元の形になる。形だけで動かせるわけがない、はずなのに。
「よし。これでいける」
「嘘……」
大きな傷口から骨と骨が吸い付くように接着するのが見えた。筋肉が高速で結びつく。続けて、皮膚が癒着——ありえない再生速度だった。その上、ふらついているとはいえ立ち上がって、立っている。これも聖瑛の魔法? 困惑が思わず出た。けれどそんな場合じゃない。
「とりあえずさっさと逃げるわよ」
「いや、アリスが……」
「そんなフラフラで何言ってんの! 今は、逃げるの。足でまといしてた私が言うのはなんだけど! 今は逃げる。いい?」
「…………分かった」
私の説得に応じ、大人しく頷いた聖瑛に肩を貸し、校庭の外を目指す。今にもアリスが出てきてもおかしくない。早く行かないと——。
「どこ行くの?」
足元で、影が私に囁いた。
崩れ落ちた校舎から脱出したアリスが歩いてきていた。砂埃に汚れてはいるけど手傷を負った様子はない。
表情に、笑みはない。瞳の黒の中で、怒りが渦巻き、アリスの背後に巨大な影が立ち上っている。ぞっとしない。私を何回殺すつもりだろう。
「逃がさないわ」
影が再び、振るわれる——その時、尾を引く高い熱量を伴った炎と瞬くような青白い強雷がアリス目掛けて叩き込まれた。いや、即座に、影がそれらを迎撃した。
魔法の射出元には、武装した様々な老若男女がそれぞれ先の魔法を射出した八咫やスミス&ウォーロック製であろう鈍い輝きを纏う銃器型の魔道具、ルクス・アルビオンのファンタジックな魔儀杖を構えている。遠目だから型式などは判別できないけど先ほどの魔法は、かなりの高火力だった。高品質で、高価な魔道具なのは間違いない。
つまり、あれは魔狩だ。あのレベルの魔道具を所有できるどこかの大手チームがこの依頼を受領したんだ。
影が魔法を容易く薙ぎ払ったのを見た彼らは、躊躇いなく追撃の魔法を魔道具から放つ。空を焼く雷と炎がアリスへと襲い掛かった。
瞬く間に、激しい戦闘の幕が切って落とされた。組織的に機能する魔狩りたちと単体で組織に匹敵するアリスの戦いは、壮絶の一言に尽きた。
「……逃げるわよ」
鬱陶しげなアリスも高出力な魔道具による魔法斉射を前には、こちらばかり構っていられないみたいだ。今がチャンス。
「あ、逃げるな!! ババア!! 私の騎士を置いていけ!!」
「やーだよ!! あんたは、そこで一生釘付けされとけ!!」
近くの雑草の影から聞こえたアリスの声に、我慢しきれなかった私は、罵倒を返して、聖瑛とともに校庭の外へと向かった。
結論から言えば脱出自体は、特に問題なかった。一帯は、キロ単位で封鎖されているみたいで、誰もいなかった。警察官に止められることもなかった。
聖瑛の腕の大怪我は、足同様に治癒していた。たださっきから聖瑛の意識がない。
「とりあえず、病院よね……。近くの病院ってどこかしら……? てかもう救急車呼んだ方がいい……ああいや来てくれないか……やっぱり病院ね」
力も抜けてて重いったらしょうがない。本当に重い。正直、かなり運び続けるにも限度がある。これもあって学校から離れるのは結構な重労働だった。
しょうがないから道端に聖瑛を置いて、スマホを開く。電子マネーアプリが残高0の通知を見せつけてくるので、ささっと削除。今は、現実を見たくない。
戦闘音は、まだ聞こえている。魔狩が善戦しているのか倒せそうなのかは分からない。早くこの場から離れないと。
焦りながらスマホを叩いていると、どこからか低いエンジン音が聞こえてきた。封鎖されてるのに? どこかの魔狩? などと思っていると私の前に、黒の乗用車が一台、止まった。ウィーンと運転席の窓ガラスが開いたと思ったら女性が1人、顔を覗かせた。
「——見つけた」
切り飛ばしたみたいにすっきりとしたミディアムの金髪、アシンメトリーな斜めがかった前髪の下には、気圧されるくらい強気な切れ長の瞳をした美人がホッとしたように息を吐いた。
「え、え? ど、どなたでしょう……?」
「聖 三矢。そこで寝ている聖瑛の母です。息子がいつもお世話になっております」
「え、えっといえ、こちらこそ?」
お母さんいかつ……。場違いすぎる感想を抱かずにはいられなかった。