本当にふざけた男だ。大きく息を吸って、吐いて。パシンと顔に気合いを入れて。
「それじゃあ、2本目を始めましょうか」
顔をヒリヒリさせながら私が言うと、聖瑛が神妙な顔で頷いた。
「さっきと同じように始めるわ。準備はいい?」
新しい煙草に火をつけた三矢さんは、憂鬱そうに言葉を作りながら煙をふっと空に吹いたのが視界の
隅で見えた。
今の私は、前しか見えていない。聖瑛、しか見えない。集中していないと崩れてしまいそう。
私には、プラン3、もうそれしかない。ぐらつく視界の中で、私は、決めた。プラン3は、かなりの博打になる。ありえないくらいの博打だ。通じるかどうかも分からない。けどそれしかない。
「ねえ。聖瑛」
「どうしたんだ、常夜原さん」
「あんたは、次、アリスにどうやって勝つつもり? かなりズタボロになって負けてた記憶があるんだけど、気のせい? 夢?」
「いや、全くもって気のせいではない。君はちゃんと起きてたよ。あの時は、できなかった。けど俺はもう覚悟を決めた。自分の全てを捧げて、彼女を止める。俺は、次こそ全身全霊を尽くす」
「そんなことを言う気がしたわ」
「ふっ、どうやら主と騎士の関係性がかなり育ってきているようだな。嬉しいよ、常夜原さん」
「勝手に言ってなさい」
「ああ、言うさ。だから俺を君の騎士らしくさせて欲しい」
「バカね」深い溜息が出た。「騎士を自称するなら私を守るために行動するのが筋でしょう。あんたがなろうとしているのは、自己犠牲心強めのヒーローよ」
「……そうかな」
「そうよ」
会話が途切れた。風で、葉擦れている。遠くから車の走る音が聞こえる。
「じゃ、始めるよ」
三矢さんは、煙草を口に預け、私と聖瑛に視線が向けた。また最初と同じように頷く。今度は、聖瑛も頷いた。
『ROUND2——』
準備は、できている。しかし、この男は、隙がない。私がやろうとしていることには、この男の虚を突く必要がある。何か、何かないかしら。何か……あっ。
天啓めいてパッと閃いた。これは、効くんじゃないかしら。いやでも流石に下らない。けど、特に他に案もない。
だってプラン3は、最終手段で、ほとんどヤケクソなんだから。もうなんとかなれって感じ。
「——ねえ、」
じっと聖瑛の顔を見た。目と目を合わせる。まるで視線だけで意思を通い合わせようとするように。真摯に、真っ直ぐ。
これに必要なのは、いつもと違う雰囲気。いつもはない真剣さ。
「? どうしたんだ?」
困惑している聖瑛を前に、私は、口を開いた。
「ね、
一瞬、風が吹いた。
「…………え? ええ!? い、今ちゃんと名前で! 常夜原さん!! も、もしかしてついに!!」
『FIGHT!』
電金魔装は、私や他者の身体を強化する魔法だ。全身まんべんなくから一部強化とか結構融通が効く。
ただし強化の代償が他の魔法と比べ物にならないほど重い。効果があると思えるラインで設定すると凄まじい金額を請求してくる。だから普段は、絶対に使わない。貯金が消し飛ぶ。よっぽどのことがないと使えない。
けど魔力ゲージが代価を代わりに担ってくれるこの場なら関係ない。
発動した直後、ありえないほどの力が全身に漲った。それだけじゃない。世界が遅くなった。思考が加速している。
加速する世界の中、聖瑛がしまったという顔を作りつつあるのがよく見えた。彼の顔がよく見えるよう前に出る。とんでもない脚力で地面を蹴ったのが分かった。握り慣れない拳に、自分の骨も肉も砕け散りそうなほどの力がこもるのに、恐怖を覚えた。終わった後、自分が立っていられるビジョンが見えない。
——知ったことか! 全部蹴っ飛ばす。今必要なのは、聖瑛に拳を叩き込むそれだけ!
この一瞬だけでいい! この1セコンドだけ聖瑛を超える。超えてみせる!!
踏み込みながら腰を回す。拳を振りかぶる——そのあらゆる動作で激痛が走った。再現された、擬似的な魔法であるはずなのに、身体が軋んで、痛む。
ありえない速度で、私の体力ゲージが削れていく。アプリが反動をダメージとして認識している。本当にこれっきりだ。これに失敗すれば次は——考えるな。私は、勝つんだ。この聖瑛に、勝つ。勝って、証明するのだ。
「く、ら、え!!」
多分、そんなことを叫んだはずだ。
インパクトの衝撃で肩まで消し飛んだかと思った。なのに聖瑛は、立っていた。痛そうにはしているけどそれでも不公平だなあと魔法が切れた頭で、ぼんやり思った。
でも聖瑛の体力ゲージが視界の中で、見る見るうちに消えていって、
『YOU WIN!』
と威勢のいい電子音声を聞いた瞬間、私は、疲れも痛みも全部忘れて、その場で跳ねていた。押さえきれない喜びに、身体が勝手に動く。こんなの初めて! パシャパシャ泥の上で飛び跳ねて、ジャージが汚れるのも気に留めなかった。
「1本!! これで1本よ!! 私が、あんたから取ったの! 分かる?! これで、これで、イーブンよ!」
ピシッと聖瑛に突きつけた指が、肩が上下に揺れる。馬鹿みたいに興奮して、馬鹿みたいに全身が熱い。アドレナリンの出過ぎでおかしくなりそう。
目を丸くした聖瑛は、突きつけられた指を見てから私の方を見ると変な風に片方の唇だけ上げて、歪な顔をしていた。半笑いみたいな顔で呆然とした聖瑛は、しゃっくりするみたいに身体を微かに跳ねせた。
「は、ははは……」
徐々に大きくなる震えは、乾いた笑いとなって、湿った夜を震わした。
「はははははははははははははははははははは!!!!」
堪えきれなくなったみたいに、ダムが決壊したみたいに聖瑛は、ついに大きく笑い声を上げた。涙目になるくらい。立ってられなくなるくらい。
「はーー……常夜原さん。俺の負けだ」
しばらく笑った聖瑛は、何かスッキリした顔で、そんなことを言った。
「知ってるわ」
「ああ。そうだよね。そりゃそうだ。くく……」
笑みの残滓が聖瑛の口端から零れた。笑いすぎでしょ。ドーパミンで疲れを誤魔化せなくなって、冷静になってきた。座っちゃ……座れないわね。地面、泥くちゃだし。後、立てなくなりそう。
「なあ、常夜原さん。俺、思ったんだ」
「……何よ」
「多分、常夜原さんがいないと俺は、アリスに勝てない。俺と一緒に、戦って欲しい」
吹っ切れたような顔で、聖瑛は言った。
「なんだ。分かってるじゃない」
「ああ、やっと分かったよ。主なき騎士は、無力だ。常夜原さんは、身を挺してそれを教えてくれていたのに、バカな俺は気づかなかった。自分に心底失望したよ」
相変わらず、何言ってるんだか。まあ兎も角。
「それじゃあ、常夜原さん。教えてくれ、アリスに勝つための方法を!」
キラキラと勢いづいた顔で、聖瑛がグイッとパーソナルスペースを侵略してくる。別にそんなの私あるって言ってないんだけど、この自称騎士は、私に、イケてるアイディアでもあると思っているらしい。
アリスは、絶望的に強い。聖瑛がどう見ても身体に悪い全力を出さないと勝てないと断言した相手。私なんて役不足も甚だしい。
だというのにこうして頭から突っ込んでいこうとしてるんだからそんなのでもないとただの頭のおかしいやつよね。
「…………は? 今、私が頭おかしいって言った?」
「? 言ってないぞ?」
「……ああ、ごめん。疲れすぎて幻聴が聞こえたみたい」
なにせこんなに走り回って、こんなに魔法を使ったんだから当然よね。というか今日、戦闘多すぎ。ふざけてんの? てかこの後、学校に戻って、アリスに凸するの? ありえなすぎる。作戦も無しに……。
「…………あっ」
パッと閃いた。今日一日を振り返ったその時、突然。
「作戦、ちょっと思いついた。かも」
「え、本当か!?」
興奮した様子で、聖瑛は、更に更にパーソナルスペースを詰めてくる。……まあでも、気分は、悪くない。見上げられる悦びは、何ものにも変えられない。なんだかダメな快感かもと冷静な部分が囁くから自ら距離を作る。
「まあ、ちょっと聞きなさいよ。矢面に立つことになるあんたがどう感じるか意見を聞きたいわ」
「ああ!! 騎士として、当然のことだからな!!」
胸を張る聖瑛は、頼もしさを感じさせながらも子供みたいで可愛らしく見えた。
「いやいや……」
前者は兎も角、後者はないでしょ。
「ラウンド3は必要なさそうね。魔道具の方も問題なさそうだし、戦闘データも取れた。話もまとまった。いいんじゃない」
携帯灰皿で煙草を押し消しながら三矢さんがドローンを従えて歩いてきた。そのドローンを見て、そういえばと思い出す。
「この剣の魔道具って、三矢さんの?」
「商売道具だよ。個人で魔工やっててね。九龍に委託して売ってる。それの柄にも私の魔工名が書いてある」
どれどれと見ると思わず笑みが出た。MHとシンプルな二文字が刻まれていた。
「偶然ってことあるのねえ……」
「ああ! そうだ! 母さん!!」
と、思い出したように聖瑛が声を上げた。
「武器が、ないんだ! 剣も盾もアリスに砕かれてしまった……!! 何か、使っていいものはないだろうか……」
「あるわ」
「あるのか!?」
あるんだ……。私たちの視線に、三矢さんは頷く。
「随分前から準備してたものだけどね。ここ最近の戦闘でデータを使って、後は、細かい調整をすれば使い物になるはず。ほんと、子供って成長早い」
「ありがとう……!! 母さん!!」
「……当然のことよ。これくらい。罪滅ぼしにもならない」
感極まった聖瑛は、バッと飛び出すと三矢さんを抱きしめた。回された三矢さんの手がポンポンと聖瑛の背中を叩く。
「私は、あんたもアリスももういない子たちも魔道具開発のための情報収集対象としか思っていなかった。何もせず、遠巻きに見てきた。だからこれくらいは、当然よ。私はあんたたちの為ならなんだってできる」
「そんなの……俺はもう……」
「あんたが良くてもダメなのよ。それはそれと流石に苦しいからそろそろ離して」
「あ、ごめん」
ぷはっと聖瑛の腕から離れた三矢さんは、その様子を見守っていた私の方に歩いてきた。
「正直、私は、深澄さんを止めるべきで、止める立場にある。というか行かせたらダメだと思う。けど瑛と一緒に行ってくれるって深澄さんが言ってくれたのが嬉しい。瑛にかけがえのない友達ができたってことが嬉しい」
「……私は、そういうのじゃ」
私が戦うのは意地だ。そんなに感謝されても困る。後、友達じゃない。
「それならそれでもいいの。本当に、ありがとう」
目の前で、感激したような顔の三矢さんが私を見る。聖瑛とちょっと似ているような気がした。ぱっと見、クールとパッションで正反対なのに。
兎も角、方針は定まった。後は——。
「休憩をしましょう」
正直もう立っていたくない。でも座ったら確実に立ち上がれない。というかなんか三矢さんが遠い。何か驚いた顔をしてる。あっと視界いっぱいの曇天。ってこれ倒れてる。自由落下。反射が完全に間に合わない。
「おっと、危ないな」
ぼふんと聖瑛の腕の中に落ちた。至近距離に、見慣れつつある整い顔。焦りと安心がミックスされているのをぼんやり見上げた。
「…………ねえ、今何時?」
「えっと……20時だ。どうしたんだ、常夜原さん」
「5時間経ったら、起こして。それくらい寝れれば大丈夫、だから……」
やること山積みだし、決戦前だけど眠らないと動けない。妥協と最低限の狭間が5時間だと思った。
「いや、朝まで寝てくれて問題ない」なぜならばと繋ぐ「アリスは、俺が来るのを待っているから」
確信のこもった聖瑛の声を聞いた私は、内側で、水泡のように反論が生じるのを感じた。だって、聖瑛のそれは、何の根拠もない。強いて言えば彼の確信だけ。けどどれもこれもそれを前にしては、ただの水泡だった。弾けて、微かな雫を散らす。だから。
「……そ。じゃあお言葉に甘えるわ」
力を抜いて、瞼を落ちるままにした。