一夜明けて時刻は、朝10時。
都内に戻ってきた私たちの視線の先にあるのは、ビル街を貫くように突き経つ、まるでお伽噺に出てくるような異様の城。
アリスの城だ。
崩壊した校舎が影に取り込まれ変わり果てている。遠くから見ても巨大な存在に見下ろされているような威圧感を感じる。周囲のビルや家屋が取り込まれているのは、遠目にも伺えた。
実際、影は、校舎だけでなく区画一帯を侵食していた。家屋やビル、道すらも影の中に消化され、置き換えられつつあった。差し込む陽射しすらも影に吸収されていていて、区画全域が影色に染まりつつあるらしい。
J.M.A.S.やSNS、その手のコミュニティから入手した情報だ。間違いない。
魔窟化が進行していた。人の世界が失われつつある。
世界各地やこの日本の一部でもこういった人の住めなくなっている区画が存在する。
魔族による侵略は、直接的な人の捕食だけでなく空間そのものを人が住めないように書き換えていく。
ただアリスの魔窟は、踏み込んだだけでは、死ななない。光を吸収し、踏み込んだものを迎撃する機能はあるけどそれだけ。
それ一点で、アリスの魔窟化は、温情だ。
「まあ、それだけならさっさと攻略されてるだろうけど……」
その迎撃が問題。侵入したドローンを、装甲車を、魔法を、魔狩をあらゆる角度から貫く映像がSNSを流れていく。影には、魔道具の刃もまともに通らない。生半な魔法は、影の顎が噛み砕く。それらをいなしても影の中からクラスE、Dの見覚えがあるニードルウルフのような魔族が現れて、襲いかかる。
どうやらアリスの魔窟における影は、全てがアリスらしい。アリスが見て、聞き、触り、そして害する。
だから私に、影の中から話しかけてきてたし、ああやって魔族を生み出して、私たちを監視していた。
アリスのスペックは、クラスAに相応しい。
けれど、分からないところがある。
どうしてアリスは、今まで仕掛けてこなかったのか。どうして鷹咲さんを操っていたのか。
これを尋ねた時、聖瑛も考えもつかない。これまで接触はなかったと首を振った。三矢さんも専門外だと申し訳なさすにした。
Whyが重なる。でもここを解き明かすのは、アリスを確実に倒すことに繋がる気がする。
関係なかったら……立てた作戦通りに行くまで。
「けど、どうして……?」
しかし、考えないわけにはいかない。グルグルグルグル、バターになりそうなくらい思考が回る。手元の証拠と思い込んでいる情報を並べて睨む。スマホに書き出し、繋げてみる。
「常夜原さん。そろそろ到着するが……大丈夫か?」
「ああ、もう……!!」
考える時間がない。というよりピースが足りないのかもしれない。何が欠けているのか何を見落としているのかが分からない。シンプルにイライラする。
「常夜原さん。大丈夫だ」
「……どう大丈夫なのよ」
「俺たちには、常夜原さんの考えた作戦がある。問題ない」
つい唇を尖らせて隣を見るとそんなことを言いながらサムズアップする聖瑛がいる。
「信頼してくれるのはありがたいし、それで勝てればいいけど。今私の喉に引っかかってるそれが私の作戦を台無しにする可能性だってあるんだから」
「でも俺と常夜原さんの、主と騎士のコンビネーションがある。かなり無敵だ」
今朝から聖瑛のアホに拍車がかかってる。
「あーはいはい。あ、三矢さん。この辺りで大丈夫です」
と私が言ったのを聞いて、ゆっくりブレーキをかけられた自動車が路肩で止まった。運転席から振り返た三矢さんは、心配そうな顔をしている。
「まだ距離あるけどいいの?」
「大丈夫です。小回りが効くのがいるので」
聖瑛のことである。任せてくれと言う顔で自身の胸を拳で叩いている。ちらりと向けた三矢さんの呆れたような視線は、能天気めと語っていた。
「それに、あんまり近づくと危ないですし」
「……まあ、そうね。私、運動はからっきしだし。戦闘適性のない魔法だしね。そうだとしても、邪魔……あ、これは当てつけとかじゃないわよ?」
互いに苦笑いを向け合うことになった。
「じゃあ、深澄さん、くれぐれも気をつけてね。瑛を盾にしてでも生き残ってね」
「ありがとうございます。そうします」
空いたドアから先に出た。通りを見渡すと人影はない。武装してても目立たないのはいい。雑居ビルの並ぶ通りの間にある空を見上げるとドローンがいくつか飛んでいくのが見えた。私たちを見ているとは思えない。
正直、聖瑛を映像に載せたくない。アリスとの因縁も見せたくない。予後が全く読めないからだ。だから人目やドローンを避けていかないと。周辺のマップを開く。屋上を通るのはやめて、地上の路地を通るのが丸いわね。
「瑛」
「なんだい、母さん」
「悔いがないようにね。私がこんなことを言うのは、変だけど。今私に言えることはそれくらいしかないから」
「ありがとう。母さん。でも無事に帰ってきてとかはあるんじゃないか?」
「あんたは死んでも死なないでしょ。あんたを引き取った数年で完璧に理解したわ。そんなことよりも深澄さんを絶対に連れて帰ってきなさいよ」
「もちろんだ。主を死なす騎士などありえない!」
「……厨二病は、死んでも治らないのねえ」
気になる話だけど突っ込みを入れている場合じゃない。
「聖瑛、行くよ。三矢さん、ここまでありがとうございました」
「ああ。行ってきます!」
「……いってらっしゃい」
複雑な表情の三矢さんに会釈して、私たちは、学校の方へと足を向けた。
と言っても早々に聖瑛に抱えられていた。彼は、軽いステップを踏んだと思えばいつの間にか耳元で鋭く風切が鳴る速度域に踏み込んだ。流れるようにビルの間に踏み込むと壁の小さな隙間に爪先を一瞬引っ掛けたと思えば跳躍、壁を蹴って、壁を蹴り、非常階段やの手すりを蹴り、最短距離を飛ぶように聖瑛の身体は、前に進んでいく。
正直全く慣れないが今回は、これを多用することになる。それどころかもっと上の速度域になる。なら覚悟を決めるべきだ。
「ね、もっと早くできる?」
「もちろん! 丁度足があったまってきた!」
「じゃあお願い。目を慣らしたいの」
「了解!!」
——一瞬、後悔したけど唇の隙間から飛び出そうになった悲鳴と一緒に、噛み殺した。
そうして、あっという間に目的地の目前まで到達。
路地から出た先は、校舎裏。アリスの影が覆う領域の手前だ。こちらと影の境目は、一目で分かる。闇色の茨が境界にあるもの中から警告するように切っ先を向けて、生えている。この先に踏み込めば来るまでに見た動画のようになる。
物陰から辺りを窺うことにする。聖瑛は、狭苦しそう。
人影はある。校舎裏にあるテニスコートにキャンプを設営している。全員魔狩だ。見ればわかる。魔道具や防具で全身を固めている。八咫やスミス社、アルビオンのミドル帯から場合によればハイエンド。市販品の中では、かなり上等なものばかり。やや羨ましい。
私も三矢さんから魔道具の提供があったけど慣れないものを使う勇気はなかった。代わりに、後、もう一つ貰ったのだけどこっちがメインだったと言っても間違いない。スマホが何故か重く感じる。恐ろしい……。
後の装備は、通りすがりの大手のファストな服屋で購入した運動用の薄手のパーカーにストレッチの効いたパンツ。装備っていうのは、大仰すぎるか。
「どう? いけそう?」
周囲に視線を配る聖瑛といえば、新しい剣型と盾型の魔道具を身につけている。カイトシールドなのもブロードソードなのも変わらないし、黒いのも変わらないけど前のとは違って素材感がない。光を吸い込むような黒で、剣身から柄まで滑らかで継ぎ目が一切ない洗練された外見をしている。盾の方も同じだ。前のMH製品とか同じ剣系統の魔道具を出している八咫とかルクスアルビオンのどれとも似ていない。
名前は、剣がバルムンク。盾がクリームヒルト。命名は、もちろん聖瑛。そのチョイス、大丈夫かしら。
それ以外は、私と似たり寄ったり。動きやすそうな服装をしている。
アリスの高速で放たれる影を前にしては、生半な防具はただのデッドウェイトにしかならない。だから常時と同様か少しでも可動域を広げ、動けるようにと考慮した結果だ。
「魔狩の目を掻い潜るのは、少し工夫が要りそうだ。アリスの方は、……気づかれてそうだ。影の中から視線を感じる。踏み込んですぐ攻撃は来ないと思う。少なくともアリスは、こういうのは直接、目の前でやりたがる。プライドが高いからな」
プライドか。確かに高そう。じゃなきゃ私は生きてないし。
「工夫、ね。魔狩は、校舎の方に向いてるで合ってる?」
「ああ。上のドローンも影の中に踏み込んでいない。旋回しているな。ちょっとこちらも入りそうで怖いな」
「分かったわ。誘導するから抱えて飛び込んで。あ、あんまり私が撃つ方を見ないでね」
「了解」
動画の中で、茨は、魔法攻撃に反応していた。反射的に動くのだと思う。影は、アリスが意識的に動かすのと動かしていない場合がある。アリスはプライドが高いから相手は選ぶ。
だからちょっとばかり刺激させてもらう。頑張って死なないようにしてほしい。握り拳を作って、腕を伸ばす。向き先は、茨とこちらの境。魔狩たちが張ったキャンプの前方上辺り。
電金魔弾、モード:
これはいわばグレネードランチャーというやつをイメージして作った魔法だ。多様な弾丸を使えて、爆発に距離や時間設定が行える。
ぽんと射出音が鳴った。ちょっとドキッとした私の視線の先で、弧を描いた魔弾が狙った中空で——炸裂。
バンと弾けて、バッともうもうと煙が上がった。閃光弾だ。ちょっと派手めに設定したからキンキラキンに激しく輝く。
男女の驚愕の声が聞こえた。怒声も聞こえた。影の茨が怯みながらうねり、動いた。光の方へと切っ先を振りかざす。中空だから誰にも直接攻撃することにはならない。
「走って!」
視界が跳ねた。正しくは、私を抱えた聖瑛が跳ねた。強烈な加速感、押し付ける風。鋭角に飛んだ聖瑛の足裏が影の茨を踏みつける。
誰かが私たちの姿を見たらしい。指差す声が聞こえた。後ろは見ない。足を止める暇はない。一目散に、城へ向かう。道中には、様々な方法で殺された魔狩の死体が転がっていた。回収できずに、放置されているのだろう。誰も彼も苦悶の表情を浮かべている。アリスは、彼らを惨たらしく殺していた。
眉間に皺を寄せた聖瑛の足は、彼らの身体を躱して進む。
「アリスは、どこ?」
しかし、この城、どこも真っ黒な壁で入り口が見当たらない。すぐに壁にぶち当たって、立ち往生することになった。
多分、魔狩たちが攻めあぐねている理由の一つがこれだ。影の茨を突破できてもどう進めばいいか、どこにアリスがいるのかが分からない。
「遅いわ。これを登って、早く来なさい」
すると不機嫌なアリスの声がどこかの影から聞こえてきた。同時に、ほどけた壁が階段へと変わった。
「……そうらしいからさっさと登りましょう」
頷いた聖瑛が階段を駆け上る。登った傍から階段は消えていく。他の誰かが入ってこないように、というよりもシンプルに他の人間は必要がないという意志の現れに見えた。
数分。ひたすらに階段を駆け上った先、大広間に出た。
アリスの影で作られたこの城は、あらゆる面が影でできている。だから影に完全に覆われた空間は、絶対の闇に等しい——はずだがその濃淡を制御しているからか、光を影でコントロールしているからか空間として認識ができた。
どうやらここは玉座の間のようだ。豪奢に飾り付けられ非常に広い。横幅は、30m近くある。奥行きはその倍ほどくらい。しかし、一っ子一人いない。歩いていると奥には、短い階段があり、踊り場があるのに気づいた。
そこには、玉座が一つ。背の高い背もたれに身体を預けて、小さな影が腰を下ろしている。
誰かなど問う必要もなかった。
「アリス!!」
影の城の女王は、騎士の帰還に暖かい微笑みを浮かべていた。
「遅いわよ、私の騎士。また余計なものを連れてきて」
そして、私を見る視線は、寒々としている。
「余計で悪かったわね」
「ええ、余計よ。死んで」
床が刃に変わって、私の頭があった空間を貫いた。聖瑛が瞬時に躱したから串刺しにならずに済んだ。
一瞬、遅ければ死んでいた。喉がカラカラに干上がる。アリスに立ち向かう以上、私は、これを常に覚悟しなければならない。
逃げ出したいと、震える自分が後ろ髪を引く。振り払う。
私は、私として立つためにここにいる。私の前に立ち塞がるのならば倒すだけだ。
聖瑛と呼ぼうとして——口を止める。言葉を作り直す。要らないところを切って落とす。
「……瑛」
「常夜原さん!?」
まるで飼い主を見つけた大型犬のようだと思った。無い耳とピンと立って、同じく無い尻尾がブンブンと振るわれるのが見えた。分かっていた反応だけど。苦笑がつい出る。
「長いから、これからは短く伝える必要があるからこう呼ぶだけ。いいからそんな目でチラチラこっち見ずに、ちゃんとアリスを見てなさい。目を離したら殺されるわよ」
「だがしかし……!!」
「だがしかしも何もないでしょ……!?」
私を貫くため、床から取り囲むように円錐状の影が突き出た——前への高い跳躍。切っ先が下で交錯した。
「イチャつかないでよ。彼、私の騎士よ」
「アリス! 俺はもう君の騎士になれない! 魔族となった君の、暖かさを失った君の騎士にはなれない! すまない!!」
「……しょうがないわね」
玉座から立ち上がるアリスの周りや玉座から続く直線のカーペットに影が並び立つ。玉座を彩る飾りも姿を変える。全て茨、刃、顎。床からはニードルウルフなどの低クラスの魔族が姿を現す——全霊の殺気が私たちを打った。今まで感じたことのない異次元の殺意に、全身総毛立つ。
「殺すわ。一度、二度、三度と殺して、殺して、殺してから私のものにするわ。私の影に入ればどれだけ私が貴方を想っているか伝わるはずよ」
蕩けた愛がこもった影の刃をもたげさせる。顎が上下の牙を鳴らす。茨がずずっと蠢く。
「そこのメスイヌは、この犬たちに死ぬまで犯させる。きっとさぞかし惨めったらしく泣き喚くわ」
一直線に向けられた冷え冷えとした殺意は、最悪の未来を予感させる。低クラスの魔族たちが色めき立つように、興奮した唸りを上げる。
「ありえない」
それらを割断するのは、聖瑛の迷いがない言葉。
「君の提示する未来は、全てありえない。アリス。俺がその未来を否定するよ」
「大丈夫。心配しないで。貴方の手足がなくなっても内臓が無くなっても目がなくなっても私が補ってあげる。あ、頭は、残さないとね。頭までは作ってあげられないからね」
なにも大丈夫ではないことをなんら問題ないとばかりにアリスは、穏やかに語る。顔が引き攣った。
「……なあ、アリス。どうして君は、そんな風になってしまったんだ」
「どうしたの急に? そんな風に? そんな風にって何?」
聖瑛の静かな問いかけに、アリスは、目をぱちくりしてからきょとんと首を傾げた。
「そんな風に、残酷にだ! 昔の君は、そんなことを言わなかっただろう!! 魔族との融合実験、あの影響なのか!? 答えてくれ!!」
そうだと言ってくれ——聖瑛の叫びには、縋り付くような願いが込められていた。
「ふふ、ふふふふふははははははははははは!!」
肩を小刻みに震わせて、堪え切れなくなったように腹を抱えながらアリスは、大笑した。玉座に、女王の哄笑が響き渡る。
「私は、最初からこうよ。いつだって、こうだった。ずっとずっと変わらなかったわ。貴方と出会う前からずっと!ずーっと!!」
「そんなことは、ないだろう! 他の子供たちにも優しかった! 皆のお姉さんだった!」
「勿論! そう振る舞ったもの! その子供たちがどうして徐々にいなくなったと思う? 簡単! 私が殺したから! 実験にかこつけてね! 優しいお姉さんの私が制御できない力でやむを得ず殺すなんて、とても悲劇的でしょう? 胸が詰まるような思い、とても気持ちよかった……」
「なっ……!?」
恍惚とした表情でアリスは、当時を思い出しながら身悶えするように自分を掻き抱いた。
異常だ。理解が全くできない。嫌悪が止まらない。
「たまに研究員もいなくなってたでしょう? これも簡単! 私が殺してたから! でもあれはあっちも悪いのよ? 身の程を弁えないし、発情期の獣畜生同然だったんだから」
困ったものよね。と眉を八の字にした困り笑顔でアリスは、言い、懐かしそうに続ける。
「あそこは、私が支配していたの。私の城だったの。素敵な日々だったわ」
「だったらどうして俺は! 俺と彼らの何が違った!」
そんなの簡単じゃないと、おかしくてしょうがない様子のアリスは、差し出すようにした手で瑛を指す。
「一目惚れ。一目で運命だと分かったわ。将来、貴方は、私の騎士、伴侶になるってね」