「一目惚れ。一目で運命だと分かったわ。将来、貴方は、私の騎士、伴侶になるってね」
絶句。愛を語るアリスとの間にある深い断絶に、彼は、完全に言葉を失っていた。
「あの日連れて行かなかったのは、失敗だったわ。ちょっと失敗しちゃったのよね。いつか運命の出会いを果たす、女王と騎士なんて素敵だと思ったの。いえ、思うようにしたかしら。でも——」
だから今度は、私が言葉を作ることにした。正直、アリスと言葉を交わしたくないし、さっさとこの女みたいな魔族を滅ぼした方がいいと思った。こんなの人の言葉を喋るだけの害悪だ。いない方がいい。
けど口を挟まないと気が済まなかった。
「——そうね。こうして会えた。ちゃんとあんたを殺したげれる」
単に、人を弄んで気持ちよくなろうとしているこの女が気に食わない。なんでもいいから不快にしてやる。ついでにこの女に感じる違和感の正体を暴ければなおよし。
「……私、彼と話してるんだけど?」
「知らないわよ。人のことを名前で呼ぶこともできない女に、ぐちゃぐちゃ言われたくないわね」
「は? ゴミに名前なんてないでしょ。意味分からないこと言わないで」
「あ? 彼のことだけど? 私がいつ呼んで欲しいって言ったのよ。気持ち悪いことを言わないで」
いつ殺されそうになってもおかしくないのに何をやってるんだ、私。いや、吹っ掛けてきたのはあっちだし。ハラハラするくらいなら止めなさいよとやや理不尽な感想を私とアリスに視線を言ったり来たりする聖瑛に抱いた。
「何意味分からないことを。私は、最初から……ああそういう————」
アリスの表情が徐々に消えていく。言葉が続かない。不気味な沈黙がその場を満たした——その、ほんの一瞬。
「っ……?!」
妙だと思っていた。この女は、頑なに瑛のことを名前で呼ばず、騎士と呼ぶ。一目惚れと言って、殺さないようにしたのに。それほど執着しているのに。何かありそうだと私の直感が囁いた。
てかもうなんでもいいから気になるところに突っ込んでやるって感じ。詳細不明のクラスAの魔族相手なんだから知れることは多い方がいい。情報が私たちを生かすのだから。そして、それには意味があった。
アリスの顔にかぶさるように鷹咲紫亜の顔が浮かんだ。表情はなく、眠ったような顔だった。ただ青白く、生気がない。
「————聖瑛。聖瑛。聖瑛ね」
どこからか掬い上げてくるような、深い所から引き上げてくるように。笑みを浮かべたアリスは、呟いた。
「なるほど。今はそういう名前なのね。余計なものが付いているけど名前は悪くない。瑛、素敵な名前
ね」
「……メロついてんじゃないわよ」
「ふふ、そうね。そうよね。そういうことをするのは、」白魚の指が私を示し、「悪い虫を潰してからね」
悪意を込められた微笑が戦闘の開始の合図だった。
左右の壁から高速で伸びた鋭い杭のような影が私の頭のあった場所で、互いの先端をぶつけた。
高速でバックステップする聖瑛の腕の中、ニードルウルフが走り出しているのを見た。彼から落ちないようにしながら空いている手の指を伸ばす。
電金魔弾、モード:二本指。連なる課金音が黄金の光が薄ら闇を駆けて、ニードルウルフたちを打ちのめす。
けれど次から次へと影の中からニードルウルフは、現れ続ける。獰猛な牙や鋭い爪は、躍動する痩躯は、諦めることも恐怖も知らず疾走する。
後ろからは来ない。ただただ、アリスを中心とした影の中からニードルウルフは、現れている。
さっきアリスの身体から浮かんできた鷹咲さんの姿。
『もしかして、アリスって、あんたのこと騎士って呼んでたのは、本から?』
『ああ。元々、俺は、名前がなくて数字で呼ばれてたからな。今では母さんのくれた名前があるけど。その頃は、彼女がくれた称号だけだった』
そして、ここに来るまでに、聖瑛と話したことを思い出す。
けれど声にはできなかった。暇がない。
厚みのない影の刃が無数の蛇のように長い体躯をしならせながらこちらに切り込んできた。全て、私の身体のどこかを輪切りにするような軌跡。聖瑛が剣で払い、盾で受け、ステップを踏み躱す。自分だけでは躱すことのできない殺意に、口の中が渇く。
隙間を、身体が削られることを厭わず迫るニードルウルフに、私は、魔弾をばらまく。恐ろしい勢いで残金が消えていく。しかし今日は、それに悲鳴を上げる必要はない。上げる暇もないというのもあるけど。
「……瑛」
「何か分かったのか、主!!」
名前を呼んで腕を叩くと聖瑛は、すごい勢いで襲いくる影たちから距離を取った。
「……呼び方」
「いや、主の方が短く、端的に話せるのではないか?」
言ってる場合かって感じだけどつい、口をついて出た。そしたらこんな小賢しいことを返してくる。こいつ。という視線を向けると聖瑛の横顔が苦笑した。
「冗談だ。常夜原さん、教えてくれ」
おかげで、肩の力は抜けたけど。
「……推測といかこれは確定情報。あんたも察してると思うけど、アリスは、生き物や魔族を取り込んでいる。取り込んだものは取り出して使えるし、取り込んでいるものから情報を取り出せる」
鷹咲さんがアリスの身体に現れたのもそれが理由だと思う。情報を吸い上げるのは、ただ仕舞ったものを中から取り出すより繊細な作業なんだろう。あの時のアリスの表情から察するに、自分の身体の中から鷹宮さんが現れたことに気づいていない。
なぜって、気づいてたら人前でやるわけがない。
「ここからは、推測。多分アリスは、完全じゃない」
「それは——「瑛、そんな女と話してないで私を見て」——!!」
影から聞こえた声に、私も聖瑛も言葉を止めた。今の会話を聞かれた? と思うもその思考よりも目の前に立ち上がるものの濃厚な死に、私たちは、ただ目を見開かずにはいられなかった。
一言で表すのなら影の独楽。茨と刃が多重に重ねられた菱型の物体がいつの間にか生成され、空間を旋回を始めていた。その回転が急速に生み出しつつある風圧は、私たちどころかこの城すら軋ませている。振り回される茨や刃は、壁や床、天井を容赦なく切り裂き、ついには、こちらへと迫ってきていた。
「人の弱みを見つけて喜ぶなんて性格の悪い女。とても悪い女。瑛は、純粋だからきっとこういう底意地の悪いところに騙されたのね」
恥じらいと怒りがないまぜになったアリスの声が影から響く。
会話を聞かれていた。しょうがない。ここは、アリスの空間で、アリスは影を通じて見て、聞いている。内緒話には向かない。そんなことは分かっている。
てか騙してない。勝手にこの男がやってきたんだから。と反論する意味はないのは分かりきっているので、口は開かない。それよりも目の前でジリジリと確実にこちらに迫ってきている影の独楽が気になる。
影の独楽の回転速度が上がるにつれて、指数関数的に、風圧が高まる。轟々と空間を風音が埋め尽くす。
「そういう純粋なところも素敵だけれど……こうやって私が言葉を尽くしてるのに理解してもらえないってことは、痛い目を見なきゃ気づけないってことよね?」
影が嗤ったその時、影の独楽の中から何かが高速で射出されてきた。回避——床に突き刺さったものを見て、目を見開いた。
「っ! これって!!」
人だ。人が突き刺さっている。損壊が激しい。ほとんど肉がない。手足もありえない方向に曲がっていて、瞳は、白濁している。生命の気配はない。
「ええ。私は、完全じゃないの。あの日、私は、完全になりそこねた。魔族でも人でもない何かになってしまった。だから人を食べたわ。お腹が空いてどうしようもなかったし、私に食べてもらえるなら光栄でしょう? 食べて、食べて、食いつないだの。食わず嫌いはダメだから食べれるなら魔族も食べたわ。これも全部、生きて、瑛に会うため」
「……人のせいにしないでよ。気色悪い」
ポツリと出た私の悪口を聞きつけてか人の死体が、ニードルウルフが降り注ぐ。まるで嵐に巻き込まれた瓦礫のように、命があったものが床に、叩きつけられ四散する。悪趣味な質量攻撃が私たちを襲って来る。
「瑛は、頑丈だからちょっとくらい大丈夫でしょうけどそっちはどうかしら?」
迫る影の独楽に追い詰められながら射出されてくる死体やニードルウルフから逃げ惑い、ジリジリと外縁部に追い詰められていくのは、率直に言って、最悪の体験だった。
だけど、けれど。これならば。
「常夜原さん、これなら!!」
聖瑛が言外にこれをチャンスだと語る。私も正直そう思う。今、私たちの前には、チャンスが転がり込んだ。私たちは、同じ気持ちだった。
でも、けれどこれは賭けでもある。聖瑛を信じないわけではない。けれど目の前の恐怖は、私を逡巡させる。
「——大丈夫だ」
聖瑛の瞳には、私の胸の内にある逡巡なんて欠片もない。なんてやつだ。本当に、イカれてる。けどそのイカれが今一番必要なのかもしれない。
「……分かった」頷いて、「やるよ!!」無理矢理、声を張り上げた。
「何を——?」
アリスの怪訝とした声を置き去りにして、加速。のち閃光。
大広間の各所で、ほとばしる金の閃光。視界を完全に焼き尽くすような輝きの発生源は、勿論私の魔法。
先程からばら撒いている魔弾に、閃光弾を混ぜておいて、今それを起動させた。光に怯むのは、さっき下で見てきた。それに閃光弾は、音もすごい。アリスは、影で私たちを見ているのだからこれだけの量を浴びせれば——。
「よし!!」
力のこもった聖瑛の声が聞こえる。サングラスとか使えればよかったけど寸前までアリスに勘づかれないようにするには、使えなかった。
薄目を開け、周囲を窺う。閃光は炸裂し続けている。今のところ生きている。聖瑛の健脚は、影の独楽の眼前まであっという間にたどり着かせる。
「ちょっと体勢を変えるぞ、常夜原さん!!」
返事をする暇もなくふっとした一瞬の浮遊感の後、私は、抱き締められていた。背中に回された聖瑛の手が私をぎゅっと身体に引き寄せて、もう片方の手が私の頭を胸に押し付ける。どうして抱きしめられているのかよく分からない私を更に浮遊感が襲う。なんとなく走高跳のそれに似た感覚だった。
何故?と思いながら聞こえる鼓動と伝わる熱に、場違いながらもドギマギしてしまう私の頭の後ろでぞんと、空を裂く音が聞こえた。耳を澄ますとそれどころじゃない。閃光弾の爆音に隠れて、ひゅんひゅんと細かい風切り音がいくつも聞こえる。私は、今自分が置かれている状況を遅まきながら理解した。
信じたのは、信じたけどこれは、ちょっとどうなのよ!
「と、すまない。苦しくなかったか!?」
着地の寸前に、元の抱え方に戻された。心臓がバクバクする。背後をチラッと見ると離れたところに影の独楽がある。
聖瑛は、無謀にもあの回転の隙間を潜り抜けたんだ。頭おかしいんじゃないの。
「いいから! 前! 前見なさい!!」
ばら撒いた閃光弾の在庫が尽きかけている。影への牽制はもう難しい。それに、そもそも。
「ふざけた、事を!!」
アリスがブチギレた顔で私を睨んでいた。原因はもう言わなくてもお分かりでしょう。
というかここ最近、視線で殺されそうになることが多すぎる。そのアリスの怒りに感応した影たちが無軌道に襲ってきた。恐ろしい。私だけなら一瞬でだるま落としにされている。ゾッとしない。
「アリス!!」
だが速度を殺さず駆ける聖瑛を捉えるのは、雑な攻撃では難しい。聖瑛の剣と速度、後、雑に放った私の魔弾が影を滅多打ちにする。これだけ数が多ければ雑でも当たる。できる限り剣の届かない距離、これから襲ってきそうなものの方に撃つ。
そして、影の独楽を越え、影を置き去りにした聖瑛は、ついに玉座の階段を駆け抜けた。
「
一足一刀の距離——キーワードの宣言と共に振りかざされた剣が変形した。刀身全体を走る細いスリットが拡張。結果、刃自体が巨大化、かつ広がったスリットからは、眩い青の輝きが吹き出た。影をかき消し、魔弾の金光すら霞む晴天の煌めき。私を抱える腕につけた盾からも同じように、スリットが開き、青の光が吹き出ている。それら全て魔力であり、剣を押す推力だ。
聖瑛の魔法、魔人転化には、大きな欠陥とも言える仕様がある。それを逆手に取ったのがこの魔道具、三矢さんの現在における最高到達点、らしい。
三矢さんが魔道具を渡した時の言葉を思い出す。
『魔法は、いつだって発想と認識。深澄ちゃんのように魔法で武器を模倣したりする事もできる。なら魔道具を瑛そのものと魔法に誤認させる事もできるのではないか。そういう発想から生まれたのがこの魔道具』
『枷を外すことで発生する膨大な魔力は、瑛の身体を魔族に変換する。この魔力を魔道具に流すことで出力増加とデメリットの改善を試みてみたの。見ての通り、テストは、上手くいったけど……完全じゃない。恐らく戦闘機動時だと——』
三矢さんの懸念通り、聖瑛の身体は、魔力の影響で魔族に変わりつつある。身体の隅や瞳端、髪の先から魔蝕の紫電が迸っている。皮膚の一部が黒く染め上げられている。
剣の輝きに負けない様に私は、止めどない加速を感じながら引き続き魔弾をバラまいた。アリスに当たらなくてもいい。影を弾き、くじき、怯ませる。剣の道を作る。
スローモーションにすら感じる視界で、私は、遮二無二に撃った。
聖瑛こそこの戦いを決めるのだから彼の邪魔をさせない。
「常夜原、深澄……!!」
破れた影の向こうからアリスが憤怒と憎悪を孕んだ壮絶な表情で、たった今、初めて私の名前を呼んだ。人の顔は、こんな表情ができるのか。
直後、そのアリスを真っ二つに割断する軌道で、剣は、青の閃光は、欠片の容赦もなく振り下ろされた。
斬撃は。アリスの背後の壁に深い残痕を刻み、叩きつけられた床から辺りの壁まで無数の亀裂が走っていた。
まともに受けたアリスは、脳天から股まで引き裂かれていた。一直線に、何の迷いもない斬撃は、アリスに完全な致命を与えていた。
それでも。
身体を二つに分かたれても。
アリスは、ただ私を睨んでいた。
「常夜原深澄」
今まで感じたことがない恐怖を想起させた。歯の根が合わない。指先が冷たい。思考が凍る。致命的な隙ができていた。
「貴方が全部、悪いのね」
人のせいにするな。ふっと返しの言葉が浮かんだ。けど口にはできない。恐怖もある。ただもっと物理的な要因だ。
影が降ってきたからだ——急加速。アリスとぐんと距離が開く。内臓が引っ張られる。後ろに、元来た道を戻っていた。
そんな私たちを影が追ってきている。影がギロチンめいて振り下ろされ、壁や床を破砕しながら追ってくる。
……違う。スケールと速度でうまく理解できていなかった。天井と床が私たちを挟み込もうとしている。余波で、壁が砕けているんだ。
つまり、城が変形して襲ってきている。
「っ!!」
聖瑛の必死の逃げの甲斐あって、ぺしゃんこにならずには済んだ。すごく助かった。ただ——。
「手を!!」
空中に放り出された。城が大広間を口のように閉じた時の衝撃は強烈で、私と聖瑛は、引き剥がされ、上空で錐揉み舞してい——訂正、しているのは私だけ。言われて私が手を伸ばすと空中を蹴りつけ、移動してきた聖瑛が掴んでそのまま自分の方に引き寄せた。ホッと一安心。流石に着地の保証のない自由落下は肝が冷えた。
「アリスは——?」
冷静に戻ったところ影の城を見るとそこにはもう、影の城はなかった。いや無くなる最中だった。
影の城がぎゅっと捻るように細まって、収束していく。辺りに展開されていた影も引き潮のように影の城の元へ、影の城が収束した場所へと流れ込んでいく。
「アリスは、本気だ。今度こそプライドを捨て、本気で殺しに来る」
私を胸に抱えた聖瑛は、疲弊した様子で言う。彼の言う通りだ。さっきのアリスの顔は、尋常じゃなかった。
「母さんの魔道具で倒せなかったなら俺の魔法を使うしかない。地上に降り次第できる限り遠くに逃げてくれ」
「けどそれは、あんたにだけ犠牲を強いる方法よ。私は、そんなの認めない」
「だが……それ以外に方法は……」
確かに、昨日までならそう。
「方法はあるわ、聖瑛。……いえ、違うわね」
今、必要な呼び方はこうじゃない。
「我が騎士に命じます」
「!! 主!!」
「……都合がいい時に騎士呼びなんてなんかずるいわね。あんたもそれくらい言っていいのに。ずるいとか卑怯とか何かあるでしょう」
こっぱずかしくなってつい軽口が出る。そんなことしている場合じゃないのは、分かってるけど。
「関係ない。俺は、君を主だと定めている。前も言ったがあの日、クラスの集まりの帰り道。俺は、君が魔族から人を助けるのを見た。あの時から俺の騎士道は、君とある」
確かにあの時、人を助けたけど。邪魔だったからだし。見捨てた時、後味が悪いからだし。過大評価だ。
「……大した事じゃないわよ、それ」
「そんなことはないさ。俺には、その瞬間の君が何よりも輝いていて、物語の主人公のようだった」
「……過大評価よ」
「何度でも言うよ。そんなことはない。だから呼んでくれ、俺を君の騎士と」
本当に、全く。苦笑がつい零れてから唇を引き締めた。こほんと咳払いして。
「我が騎士よ。私たちは、貴方だけに犠牲を強いることを認めない。だからこれから私の魔法で貴方を強くします」
——電金魔装、
魔法の発動と同時。視界に、デジタル式のカウントダウンタイマーが表示される。付与した聖瑛の視界にも表示されているはずだ。
時間は、3分。金額と機能の兼ね合いの結果。
「課金額の合計は、900万! 分給にして、300万! この3分で、アリスに勝ちなさい、我が騎士!」
アドレナリン全開で、私が叫べば聖瑛は、空中で反転——
「御意!!」
——カウントダウンスタート。