ただこれだけでは勝てない、と思う。
さっきだって別に、攻撃力が不足していたわけではない。聖瑛と三矢さんの魔道具に不足はなかった。攻撃は通っていた。
けれど見ての通り、アリスは、まだまだ元気だ。ほらこうして影の中から——違う、影を吸い上げるようにしてアリスは、現れた。
薄く肉の少ない、力を込めれば簡単に折れてしまいそうな白を超えて、青白い肢体は、芸術品のような美しさがあった。 整った顔に嵌められた二つの黒檀が見開かれて、私を見ていた。その薄い唇が動いた。
「殺す」
確かに。この高速の中でも私の動体視力が全く追いつけないこの世界の中でも読み取れるくらい確かに。
影がアリスの白を覆い隠した。爪先から指先、脳天まで。全身が影色に染まる。そうして立っていたのは、影の魔人。
顔を覆った影は、瞳以外を覆い隠した。口元には、マスクのように覆われている。
長く伸ばされた烏羽の黒髪は、アリスの背後でまるで意思がある様にうねっている。
指先は、鋭く。触れたものを何もかも裂いてしまいそう。爪先は鋭く、ハイヒールのように尖っていた。遠目に見ても元のアリスよりも背が高く、手足が長い。私よりも大きく、聖瑛より少し低いか。
戦闘フォームのように見えた。
アリスの右腕が後ろに引き絞られる。空いた左手は、照準のように前に。足も同じように右を後ろ、左を前に。手慣れた風に構える。取り込んだ人間の記憶だろう。
迎え撃つ気だ——そう思った時には、アリスの爪は、私の視界を覆っていた。聖瑛の剣が受け止め、流し、火花を散らす。
あの腕伸びるのか! クソまたこれなの?! 驚愕と歯痒さが同時に思考に浮かんだ。完全に足を引っ張っている。当たり前だ。私はこの戦闘の速度についていけない。分かっていたことだ。
「瑛! 私を落としなさい! 何とか着地するから!!」
隣に立てると証明したところ、情けなくはあるけど。
「承服しかねる! それこそ撃ち落とされることになるぞ、主!」
それはそう! けどねと、二の句を告げようとしたが。
「安心しろ!! 多分、俺は、主がいてくれた方がいい! 何故か分からないが今の方が勝ちに近い気がする!! ずっと心強い! だから!!」
聖瑛は、風切りに負けないくらいの大声で叫ぶ。
「一緒に戦ってくれ!」
絶対そんなわけないのに、そんなこと言われたら首を縦に振るしかないじゃない!!
「ああ、もう!! 分かったわよ!!」
アリスの爪が、引き戻されから改めて射出された爪が来る。剣が弾く。空中で大きく身体が動く。
連射。弾く。滞空。連射。弾く。弾き飛ばされる。このままだといい的だ。こっちは時間が全くない。そろそろ最初の1分を使い切る。無為に300万を溶かすのは、現状も含めて背筋が凍る。
「無理矢理加速して、地面に降りる! いいわね!?」
聖瑛が首肯。剣が弾く音を聞いて、一瞬体勢が安定したところでモード:掌砲。砲撃を背後に向けて撃つ。ただ撃つんじゃない。特大のやつをかます。自分でも撃ったことがないくらい大きいのを。
砲撃——直後、恐ろしい加速と肩に激痛が私を襲ってきた。三半規管がぐちゃぐちゃになって、内臓が口から飛び出そうだし、砲撃した方の肩が滅茶苦茶痛い。
ただ、それでもやった甲斐はあった。
影に埋もれていた校舎の瓦礫の中に、聖瑛は、無事着地できた。加速で靴底を削り、そのまま前のめりに駆け出した。
無論、アリスに一直線。
常夜原さん、いけるか!!——横目を向け、言外に問いかけてくる彼に、私は、苦痛を堪えて頷いた。力は入るし動く。肩は外れたわけじゃない。だったらまだやれる。痛む腕を伸ばして前に。瞬きすれば埋まりそうな彼我の距離に、私は、魔弾を流し込んだ。
けれどまるで豆鉄砲同然で、アリスは、私の魔弾なんて気にも留めず右腕に、髪が絡みつかせて、剣のような形を作った。その剣は、薄く紙切れのようだけど試し振りで、私の魔弾をまとめて切断した。空中で、弾丸と同然の速度が出ているのに。酷く気軽に。
私の戦慄なんて気にも留めないアリスは、剣の出来に満足げに頷いた直後、助走ゼロで一気に加速した。
そして、ありえない身体能力とありえない身体能力が直後、激突した。アリスの剣と聖瑛の剣が真っ向から交錯する——いやしない。聖瑛が避けた。体勢が崩れたのと見間違うほどに前のめりになって、地面すれすれになる。
交錯。完全にすれ違うようになった。
「どうしたの?」
「……ダメだ。まとも打ち合えない。あれに、バルムンクが耐えられない。さっきまで使ってた影と密度も強度も鋭さも段違いだ」
冷や汗を垂らして、聖瑛が言う。彼が言うならば間違いないのだろう。私より目がいい。
「バルムンクの機能を使えば拮抗できるだろうが……母さんは、2回目以降は保証しないと言っていた」
振り返ったアリスがそのまま剣をかざし、鋭く放つ。正直放たれたことしか分からない。回避で世界が揺れる。吐きそうになるのを堪えた。
分かると言えば、防戦一方なこと。
電金魔装で圧倒できていない事実を受け止めたくない。確かにこの魔法は、ほとんど使っていないから練度が低い。だから聖瑛の本来の魔法よりも強化値は、かなり低いけど匹敵するくらいの出力は出せているはずだ。
アリスの一方的すぎる攻撃を躱す中、届かない理由を並べ考えてみる。
1、まず私が邪魔。明らかに邪魔。一緒にいてほしいと聖瑛は言うけど盾が使えてないじゃない。気を使ってるから速度も出ていない。絶対私お荷物じゃない。
2、シンプルに、アリスが強い。それもそうかもしれない。アリスは、城を捨てて、自分に影を注ぎ込んだ。昨日見たのとは違う戦闘用みたいな姿をしている。昨日ですら圧倒されたのに、結構絶望的なシチュエーションだと思う。
3、何かを見落としている。アリスの強さの理由を。アリスの不完全さを白日に引きずり出す方法を。
カウントダウンが無情に過ぎる——残り、2分を切る。
「……殺す。殺す。殺す」
アリスは、熱に浮かされたように殺意を発露する。それだけで私は、気絶しそうだ。
「語彙が急になくなったけどやっぱりもう余裕ないの? 切羽詰まってるの?」
なんでもいいから反応を引き出す。その反応が求めているものに繋がっているとは限らないけどやらないよりはいい。
「ねえ」
知っている声がアリスから聞こえてきた。私と聖瑛二人して、怪訝とした顔をしてしまう。
「その、女のどこかいいの? 聖くん。私の方が可愛いし、可愛くなる努力してるよ。その地味女みたいに胸は大きくないけどさ。スタイルいいし」
アリスの足元の影の中から鷹咲さんの声が聞こえてきた。
余計なお世話よと別に恋人にした覚えはないという思考を隅に追いやる中、アリスの足元、丸い影の中に何かを見た。 無数の人の顔がざわめきめいて影の中に蠢いていた。それが水面の波紋のように、アリスの全身を伝わっていく。アリスの輪郭がさざめきを受け、歪む。
どうにもそれが私には、アリスが不安定になっているように見えた。
「どうし——邪魔よ」
不愉快げにアリスは、さざめきを振り払った。
「乗り物にするには、五月蝿すぎたわね。男の趣味は悪くなかったけれど。それで、どう? 瑛。もういいでしょう? そんな女、邪魔なだけじゃない」
邪魔なのは合ってる。それよりと聖瑛に囁く。
「今の見たわね? 足元。多分、さっきの城の中での攻撃効いたのね。あれ、足元まで斬ってたじゃない」
「ああ。ならあれに攻撃すれば……!」
「そうね。私と離れればできるわね」
「……その必要はない。常夜原さんは全く邪魔じゃない。それに君がいないと戦えない」
微かに、聖瑛が震えてるのに今更気づいた。騎士らしくしなさいと切って捨てるのは簡単だろう。でもそれでモチベが上がるわけでもないし……。騎士らしく、騎士のように彼が振る舞える方法——ふっと一つそれらしい方法が浮かんできた。
騎士と主——というか姫ならよくあるやつ。いや、私は、彼の姫じゃないし。強いて言うなら主。
けど時間がない。時間は無情に過ぎていくだけ……しょうがない。やるだけやってみるか。
「ああ、もう……! ちょっと耳貸しなさい!」
聖瑛の整った横顔が傾けられる。グイッと身を乗り出すと本当に目の前。別に、これをしたからって何か起こるわけじゃないし、減るもんでもない。だから気にしない。気にするな、私!
「……へ」
目をぱちくりする聖晶と至近距離で視線が合う。そんな見るなバカ。気まずいだろ。
「……これでどう?」
「はは……バッチリだ。今ならなんでもやれそうだよ。ありがとう、我が主」
驚愕が笑みに変わる。何も負けないと豪語しそうなほど自信のありげな表情。震えも止まっていた。
「離れていてくれ。我が主」
「言われなくても。後——まあ、いいか」
カウントダウンが一分を切ろうとしている。出来ることをしておいてから聖瑛の腕から降り、離れる前に振り返った。
「勝ちなさいよ」
アリスに視線を向けたままの聖瑛が頷いた。
「————ねえ、何よそれ。私の騎士でしょう、貴方」
その声は、微かに震えていた。込められた感情は、怒りか悲しみか分からないけどその震えは、予兆のようだった。
「言っただろう、アリス。違う。もう違うんだ。君は、やってはいけないことをしすぎた」
「……言っても無駄ね。ちゃんと言うことを聞けるようにしてあげる」
まるで言うことを聞かない駄々っ子を相手にしているようだった。聖瑛の横顔に悲しみの色が微かに差す。
「貴方が誰の騎士か、思い出させてあげる」
アリスが剣を構える。片手そのものが剣のようになっているアリスの構えは、まるで剣を打ち出すような突きの構え。もう片手の上に刀身を乗せて、カタパルトのように扱っている。黒すぎる影の剣は、遠近感を狂わせてくる。表情一つ見えないけど聖瑛を通り越して、私に突き刺さるような殺意が向けられているのが分かった。聖瑛を斬った後、そのまま私を斬りに来るつもりだ。逃げ出したくなる。
でも逃げない。聖瑛が逃げずにそこにいるのだから。私は、逃げることを許されない。
「俺は……!!」
呼応するように聖瑛も構えた。盾を前に、剣を後ろに。受けて絶つ。そういう気持ちが見える。彼の表情は、苦しげでありながらも決意に満ちている。闘気めいたものが立ち上ってすら見えた。
異次元の仕手による対面に、私の入る隙間などない。二人が見つめ合って、数秒、沈黙。電金魔装のカウントダウンが時を刻む。かけがえのない時間が過ぎていく。
心臓がバクバクと跳ね回る。緊張でどうにかなってしまいそう。呼吸すら上手くできていない気がする。
風が吹く。夏の気配を乗せた風が二人の間を吹き抜けた——その時、カウントダウンが、30を切る。
刹那、動いた。
動いたと表現するのは、それしか知覚できなかったから。私の反射を超えた超駆動の高速戦闘。
音と衝撃が私に激しさを伝えてくる。離れているのに、髪は弄ばれる。剣の一振り鋭い踏み込みが大地を削って、振り下ろし、振り上げられ、旋回する剣が砂煙を巻き上げ、石塊や小石を弾き飛ばし、私の身体を打つ。
吹き荒ぶ突風は、まるで嵐の中に巻き込まれたように思わせる。前をまともに見るのも難しい。
ヒュンと鋭い風切り音が聞こえてきて、足元に何かが突き刺さった。盾だ。聖瑛の盾の一部が切断されて飛んできていた。
それだけじゃない。
肉が、人の一部が削ぎ落とされてへばりついている。誰のものかなんて言うまでもない。血の気が引く音すら聞こえた。
パッと血飛沫が砂煙と衝撃波に乗って飛び散ってきた。頬を汚す赤が誰のものか——考えるより早く声になった。
「瑛!!」
割り込めない歯痒さ。無力さに吐き気がする。身体を切り刻まれながらも戦い続ける彼を思えば叫ばずにはいられなかった。
「勝ちなさい!!」
さっきも言ったことを叫ぶ。それしか言えないのか。叫ぶ以外何もできないのか。できない。何もできない。悔しい。けどこの声が彼の背中を押せるなら。私がいれば戦えると言ってくれた彼の力になるなら。
「私の騎士なんでしょう!! 勝ちなさいよ!!!!」
私は、いくらでも叫ぶ。
その時、嵐の中で青い光が瞬いた。
何の光かは、すぐに分かった。荒ぶ嵐を断ち切るようにして、私の前に、彼の姿が現れたから。
「……騎士が主に名を呼ばれ、敗北するのはありえないな」
青く、壮絶に輝く剣をアリスへ向けてかざす聖瑛は、片手の質量をほとんどなくしていた。骨や筋肉が剥き出しで力なく垂れた腕から少なくない血が流れている。全身、傷がないところはない。息も絶え絶え、激痛と出血で顔色も悪い。
それでも整った顔面に嵌った双眸の輝きは消えていない。
「なんで! どうして!! 分かってくれないのぉぉおおおおおお!!!!」
アリスがプライドをかなぐり捨てるように地団駄を踏んで、金切り声を上げた。全身の影が剥げている。それでも剣は健在だ。漆黒の刃がかざし、アリスは、前に踏み込んだ。
——ここだと思ったその時には、動いていた。
「は?」
アリスの前に、電金壁盾を生やした。当然、アリスにとってそれは壁にもならない。けど視界を遮ることになるし、怒髪天の彼女の不意を突くには十分。
私が聖瑛から離れる時、設置したものの前にアリスが居た。チャンスだと思った。偶然……違う。聖瑛だ。彼が誘導して、タイミングが噛み合ったからあの魔道具を再度起動させた。阿吽の呼吸過ぎる。気づけた私が偉すぎ。
これが私に入れられる最初で最後の横槍。
そして、アリスは、明らかに動揺した。一瞬、その体が震える。誰かの表情が、鷹咲さんの顔が現れた。憎悪と驚愕と殺意の三重螺旋をしたアリスの視線が私を穿つ。けれど今なら笑って返せる。
今だなんて、要らないでしょう? ね、私の騎士様。
「
聖瑛によるキーワードの宣言――剣を破壊しながら輝きが吹き出、顕現する。ハッとアリスが壁越しに気づいたように聖瑛の方を見た。遅い。剣は、振り下ろされている。
一閃——曇天を断つほどの斬撃が電金壁盾ごとアリスを再び両断した。
足元の影ごと再び両断されたアリスは、何も言う暇もなく、激しく迸る青の輝きに呑まれた。抵抗するように暴れる影も青い光にかなわない。抵抗虚しく掻き消されていく。
何とか吹き飛ばされないように踏ん張る私の前で、光が消え去り、影が霧散した後、アリスの影に囚われていたであろう人々が辺りに倒れていた。死んでいるか、気絶しているかはパッと見では分からない。
それよりも目を引いたのは、アリスの代わりに残ったもの。彼女のいた場所に深く深い漆黒を宿した最上級の魔石が一つ、陽射しに煌めいていた。
砂のようになって崩れ落ちる剣を手放した聖瑛は、無言で歩み寄り、優しく魔石を拾い上げた。それから彼は、魔石を抱き締めるように胸に押し当てた。そのまま力なく膝をついた聖瑛の身体は、震えていた。
「すまない、アリス。助けられなくて」
謝罪を口にする彼の目尻には、輝く一雫。頬の汚れを流して落ちる。
「さようなら、アリス」
その時、やっと私は、脱力できた。もう限界。ついへたりこんだ。気が抜けると身体の節々が痛いし、だるい。その場で大の字になりたいのを懸命に堪えながら空を仰いだ。
アリスについて、私から言えることはない。あれは、ただの魔族だった。私は、そう思うことにする。
「明日も休みね……」
全身を満たす倦怠感が一日で抜けるとは思わない。若さとかそういうラインを超えてる。学校もこの有様だし、各地の情勢が落ち着かないと学校は、再開されないでしょうね。
しかし、何かを忘れ…………。
「…………あ”」
その時、電金魔装のカウントダウンタイマーが0となった。
――貯蓄0、確定。