普通なら弾き飛ばされる————だがどうやらあの男は、普通じゃないらしい。
聖瑛がメガノトロールの背中に触れた瞬間、巨体がバランスを崩して、屋上の床に突っ込んだ。
落下の衝撃が屋上の床を軋ませて、加速の運動量が辺り一面に吹き散らかされた。地響が轟く。校舎が揺れる。近くにあったテラスのテーブルや椅子は、ひっくり返りながら吹き飛ぶ。
続けて、バキリバキリと破滅的な気配がする。どこからか甲高い悲鳴が聞こえてくる。下だ。見たのと同時。血の気が引いた。
メガノトロールを中心に、亀裂が走っていた。見る見るうちに広がり————崩れた。
落ちる。
私が、聖瑛が、メガノトロールが、落ちていく。この後については、いいか。食堂の床もぶち抜いて、下の教室に落ちて着地するだけだし。死ぬかと思ったけどなんとかなった。人間、死ぬ気になればなんでもなんとかなる。
————以上、ここまで。回想終わり。
思い返してみたけど結局、特に懐かれた理由は、分からなかった。ほんとなんなんだろう、この男。
「この辺でどうだ、主!!」
「…………仮採用期間は、その呼び方禁止」
「なんと……」
聖瑛の愕然とした顔がなんだかおかしくて思わず笑みが零れてしまった。
「では、なんと呼べば……?」
「苗字でいいでしょ。ついこの前までそうだったんだし」
聖瑛が降り立ったのは、人気のない路地裏だった。ビルに囲まれていて、人の目も届きにくい。大気の魔力濃度が高いのもある。J−M.A.S.が注意を促す通知を出している。魔蝕が起こるほどの濃度じゃないから気を張る必要もないけど、一般人は普通避ける。
理由は、誰かが魔狩をしたからだ。辺りに戦闘の痕がある。魔法を使った後、魔族が暴れた痕跡。そういうの散見されている。
「苗字……。それは、失礼だと思うんだが」
「なんでよ。いいから。苗字でね。受け入れないと二度と接近させないから」
「ぐっ……。背に腹、か……。分かった。それで、ぬ——常夜原さん。これからどちらに?」
「いいから。さっさと下ろして」
下ろされるより早く、聖瑛の腕から飛び降りて歩き出す。ワンテンポ遅れて、聖瑛がついてくる。ちょっと置いていくつもりだったのに……。歩幅が広い。反応が早い。何か癪。と思いながら路地から表通りに出た。
平日だが流石に新宿駅周辺は人が多い。魔狩のような人も一般人に混ざってうろついている。
東京の街並みは、10年前からあまり変わらない。高層ビルが建ち並び、電車が分刻みに地上と地下を駆け巡る。車も多く、人も馬鹿みたいに多い。変わったとすれば街灯や建物に設置された監視カメラと警報機がセットになった魔力濃度計測器とか街の各所に設置された地下シェルターとか『一家に一台、安心安全の八咫マテリアルの魔道具——』日本最大手の魔道具メーカーが街頭モニターで垂れ流されていたりするぐらい。
とりあえず、どこか入れる場所を探さないと。うろうろしてて補導なんてアホらしい。キョロキョロ、挙動不審にならないくらいよう気をつけながら辺りを見回す。
「何を探してるんだ、常夜原さん」
「カラオケ」
「ふむ、歌うのか?」
「歌わないわよ。流れがおかしいでしょ。話をするのに使うの。あった。あそこ入りましょ」
そろそろスマホで探そうかと思っていたところ、車線を挟んだ反対側にカラオケ屋を見つけた。有名チェーン店。ちょっと割高だけど今は気にしない。
「常夜原さんは、カラオケよく来るのか?」
「全然。昔一度行ったっきり」
「ふむ、そうだったのか。先日、初めて行ったが中々面白かった。ああやって好きに歌うのは思った以上に気持ちが良かったよ」
初めてって……そういうこともあるか。
などと雑談をしつつカラオケ屋に入店。フリータイムを選んで、ドリンクバーから適当に飲み物を運んで、部屋に入って、一息ついて。
「このハニートーストというやつ、頼んでもいいか? 気になる」
話だそうとした私の向かいで、真剣な顔した聖瑛がそう言う。
「……どうぞご勝手に」
「ありがとう! 常夜原さんは?」
「いらない」
「そうか。おお、これも美味そうだな。よし、これも……これも頼もう」
表情をコロコロ変えながらポチポチとタブレットを操作し続ける聖瑛を向かいの席からぼんやりとジンジャエールを啜りながら眺めて数分。頼んだ料理が届くまでの虚無な数分。隣の部屋のカラオケとモニターから流れる宣伝を聞きながらスマホを触る時間。
「いやあ、かなり目移りしてしまったって色々頼んでしまった。この前来た時は、我慢できたんだが昼時なのもあって腹が減って我慢できなかったんだ」
「いいけど、頼みすぎでしょ」
テーブルをはみ出しそうなほどに並んだ皿に、思わず呆れ顔になった。部屋の空気が文字通り甘ったるくて、香ばしい。
一斤使ったハニートーストとかフレンチトースト、唐揚げとフライドポテトの揚げ物山盛りセット。すごいボリューミーでカロリーを計算したくないラインナップがテーブルを埋めている。
「これ、全部食べるの?」
「勿論。注文したからには完食が基本だ」
「ああ、そう」
匂いを嗅いでいると小腹が減ってきた。けど分けてもらうのは要らないって言った手前で乞食みたいで嫌。横に視線を逸らして、ジンジャエールを啜って誤魔化す。
「ただ、ちょっとポテトフライが多いな。常夜原さん、一緒にどうだろう。手伝ってもらえると助かる」
「……じゃあ、貰う」
「!! ああ!! 是非!!」
そんな子供みたいに喜ばないでよ。ささっと差し出してきたバケットから1本摘む。太めのポテトフライ。まだ熱を感じる。塩加減は悪くない。
「うん! 美味いな! 常夜原さん!」
カラオケで良かったっていう声量で話すのやめてもらえる? ハニートーストの4分の1を咀嚼して、笑顔を浮かべた聖瑛に、向けようとした言葉を内心に押し込めた。今は、もっと話すべきことがある。
「とりあえず、本題に移りたいんだけどいい?」
「ふぁふぁ、ふぉんふぁいふぁい」
「食べてるところに話しかけて悪かったから飲み込んでから喋って」
「ん……と、すまない。ある……常夜原さん」
油断も隙もない。鋭い一瞥を向けて、牽制した。
「あんたを仮採用にするにしても聞いておくことがある。どこで私が魔狩だって知ったの? ……もしかしてストーカーしてた?」
「まさか。そんなことはしない。俺の趣味は、走ること、つまりランニングなんだがその時、君の活動を、魔狩をしているところを見かけたんだ」
嘘みたいだけど嘘じゃないみたい。
「……それはいつのこと?」
「前、カラオケ誘っただろう? クラスの集まりでさ。あの日の帰りだよ」
確かにあの日は、魔狩をした。街中で、E級の魔族の相手。大した仕事ではなかった。そんなわざわざ自分を売り出しに来るような話ではない。
「ふうん……。じゃあ、昨日も偶然ってこと?」
「いや、君を探してた」
「してるじゃない、ストーカー」
「心外だ。趣味のランニングしている時に、偶然会えないかと思っただけだよ」
爽やかな顔で、ああ言えばこういう。
「まあ、いい。お陰で私も死なずに助かったし。それで魔法が使えるようになったのは最近?」
「……魔法?」
「魔法よ。当然使ってるでしょう。魔法じゃなくちゃ魔族は殺せない」
「あ、ああ、魔法か。魔法だな。もちろん使っている。最近使えるようになった。ランニングも色々な所が走れて楽しい」
「どんな魔法?」
「え? あー、なんだろう。その……あまりよく分かってない」
聖瑛は、はははと苦笑いで頬を掻く。
魔狩は、魔法使いだけじゃない。魔法を持ってない人間も魔狩として魔族と戦っている。
魔力は、人間なら皆持っていて、心臓から生み出されている。魔力使いは、その魔力で身体強化を行うことができる人間を魔力使いと呼ぶ。
ちなみに、魔法使いは、生み出してる魔力を魔法に占有されているから魔力使いと同じようには使えない。
聖瑛は、見た限り魔力使いに見える。けど魔力を使った攻撃でなくちゃ魔族は殺せない。だからこの男は、魔法使いのはずだ。
まあ、魔法に目覚めたてなら自分の魔法を把握していないというのもあるか。目覚めたてでクラスBの魔族を倒せる魔法。何かしら。剥き出しの力でそれだけの事を成し遂げられる魔法。怖いくらいに強い。
詳細が気になるけど追々確認することにして。
「で、あんたの言う騎士って何? 魔狩をごっこ遊びとかだと思ってる口?」
そういう人間は、インターネットとかその辺とかに未だにいる。現実が見えていない可哀想な人たちだ。
後、ごっこ遊びをしながら魔狩をしてる連中もいる。現実が見えてるイカれた人たちだ。本当にイカれてる。
ある程度のイカれがないと魔狩なんてできない、ってのは一理ある。
私は違う。あくまで金のためだ。金さえ集まればいつでも辞める。
「全く。俺は真剣だ。主として仰ぐに相応しい人に。騎士として仕えるのが今の俺の目標だ」
「……目標、ね」
そう言い、聖瑛は、堂々と大きく胸を張った。目標。目標ときたか。分かってたけどイカれてる。
「ああ、主を盾で守り、ある時は、敵を剣で断つ。そういう存在になるのが目標だ。ランニングもその一環だな。うん」
そりゃ堅実なことで。ただ現実を見ながらイカれてるのは、魔狩として悪くない。
「剣と盾には慣れる気がしてたんだが主がいなかった。正直途方に暮れたよ。無意味に鍛えてる気がしてならなかった。だけど君が現れた。かなり運命だと思ったよ。巡り巡った運命だ。
「……ふうん」
なんだか含みを持たせた言い方をするじゃない。食べる手を止めて、聖瑛は、どこかアンニュイな表情を浮かべる。
深掘りするべきか一瞬迷った後。
「とりあえず、あんたが本気なのは分かったわ。仮採用の話をします」
やめた。聞いてもしょうがない。こいつの世界観に取り込まれたくないし。
「ああ、脱線してしまったな。頼む」
「私の騎士とやら志望なら当然だけど魔狩になってもらうんだけどどうやってなるか知ってる?」
魔狩。読んで字の如く、魔を狩る人間を指す。10年ほど前に生まれた非常に若い職業分類。この国では、魔狩となった人間が魔族を殺して生計を立てたり、自尊心を満たしたり、血に酔ったりしている。かくいう私も魔狩で生計を立てている1人だ。
「いや、全然。毛頭」
でしょうね。
「役所で登録するのか?」
「半分はそう。ほらスマホ出して」
渡されたスマホは、私より新しい。開いてみればほとんど初期のまま。必要なアプリをインストールしただけ。宝の持ち腐れね。
J−M.A.Sのアプリは、国が義務付けてるから日本で売ってるスマホは、全部プリインストールされてる。
「ふむ」
いつの間にか隣にやってきた聖瑛が画面を覗き込んできていた。妙にいい匂いがする。香水なのかシャンプーなのかはよく分からないが兎も角いい匂い。ちょっとドギマギさせられてムカつく。
「ここから登録ができるのか?」
「個人認証とか色々いるけどね。最終的には、やっぱ役所行かなくちゃいけないけど」
ややこしく分かりにくい画面案内を辿って、登録画面にたどり着く。細かい所を聖瑛に入力させたところ、急に指を止めて、聖瑛は、顔を曇らせた。
「……未成年者は親権者の承認がいると出たんだが」
「貸して。それは越え方があるの」
聖瑛の言う通り、スマホの画面には、親権者の認証画面が表示されている。個人番号やら親権者の位置情報やらが必要になる。子供が勝手に登録して、勝手に死なないようにするための処置だ。
ただ世の中の子供がみんないい子だったり、親に許しをもらっているわけではない。
私みたいに親に頼れないとか頼りたくない人間は、少なくない。
「それは?」
私がリュックから取り出した某有名ネズミキャラのシールに、聖瑛が首を傾げる。
「
「おお、便————」便利と言いかけて、聖瑛は、小声になると「違法じゃないか? それ」
神妙な顔でそう言う。そりゃそうね。
「今から家に帰って、親に承認してもらってくるなら使わなくていいけど、どう? してもらえそう?」
「………すまない。使ってくれ」
「はいはい」
ぺたんと貼り付けたら後は、シールに仕込まれている極小チップが認証を行う親権者のスマホの代わりに諸々やってくれる。使ってるとたまに求められるこういう親権者認証もやってくれて便利だけどたまに期限切れになるから交換しないといけないのが不便。
そうこうしていると画面が切り替わり、仮登録完了画面が表示された。
「おお。この後は?」
「ここからは、面倒くさいけどスマホだと無理」
感動したようにこっちを見てくる聖瑛に、私は、ジンジャエールの残りを啜った。
「後は、近くの八咫の公認センターに行かなきゃいけないのよね。本登録しとかないと諸々不便だし」
新宿にあったよね、確か。登録した時に行ったっきりなのよね。スマホで場所確認しとくか………。あったあった。結構近い。昼間の空いてるうちに済ませちゃいたい。
「だからさっさと食べてね、そ……れ……」
テーブルの上の皿が全て綺麗に空っぽになっていて、向かいの席へいつの間にか戻った聖瑛がニコニコで手を合わせていた。
「ああ! ご馳走様!」
「……嘘でしょ」