翌年、翌々年と、シアトルは歴史的なシーズンの勢いを失うことなく勝利を重ねた。
翌年こそ、前年のリーグチャンピオンシップシリーズで退けたカンザスシティに雪辱を許し、ワールドシリーズ進出を逃した。しかし、その翌年には再びアメリカン・リーグを制覇。ワールドシリーズではナショナル・リーグ王者のアトランタを破り、三年間で二度目の世界一に輝いた。
その間も、真英は休むことなく投げ続けた。
シアトルと最初に結んだ8年契約も、36歳のシーズンをもって満了を迎えた。しかし、真英とシアトルの関係がそこで終わることはなかった。
球団は契約7年目のシーズン途中、すでに8年目の契約が終了したあとから始まる、新たな4年契約を提示していた。真英もこれを受け入れ、少なくとも40歳のシーズンまではシアトルで投げ続けることが決まった。
さらに、新たな契約には4年目の終了後、真英側の権利として一年ずつ契約を延長できるプレイヤーオプションまで盛り込まれていた。長年ローテーションを支え、球団にワールドシリーズ制覇をもたらした投手を、シアトルも手放すつもりはなかった。本人が望む限り、この街で現役を続けられる。事実上の生涯契約といってもよい内容だった。
一方で、黄金期をともに支えた選手たちは、少しずつチームを去っていった。柏田は日本球界へ復帰し、ドミンゲスは現役を引退した。ローズはまだレギュラーキャッチャーを務めていたものの、さすがに年齢による衰えは隠せず、以前のようにシーズンを通してマスクをかぶり続けることは難しくなっていた。
後継者となるはずだったマイナーのプロスペクトたちも、なかなか期待どおりには育たない。そこでシアトルは、正捕手候補を日本から連れてくることにした。
神奈川スターナイツから海外FA権を行使した細田だった。真英が神奈川を離れた翌シーズンから正捕手に定着した細田は、『打てる捕手』として球界を代表する存在へ成長していた。打撃や守備だけでなく、持ち前のリーダーシップでもチームを引っ張り、長く低迷していた神奈川を最下位争いから押し上げる原動力の一人となっていた。
その能力そのものを疑う声は少なかった。それでも、シアトルの補強には賛否があった。捕手は、投手とのコミュニケーションが何より重要になるポジションである。配球を組み立てるだけではなく、投手ごとの性格や調子を把握し、マウンド上で意思を伝え合わなければならない。メジャー経験のない日本人捕手が、言葉も野球文化も異なる環境へ飛び込み、多国籍の投手陣をまとめながら正捕手を務めることができるのか。その点を不安視する声は、現地メディアからも少なからず上がっていた。
しかし、細田はそうした懸念を徐々に払拭していった。その適応を助けたのが、真英だった。真英自身はチームを引っ張るようなリーダー気質ではなかったが、シアトルで長く投げ続けてきただけに、若い投手たちとの関係は良好で、彼を慕う選手も多い。加入当初、細田がまだ投手それぞれの性格や考え方をつかみきれていない時期には、真英が間に入り、互いの意図を伝える橋渡しをすることもあった。
やがて細田自身も投手たちとの関係を築き、言葉や環境の違いにも慣れていった。もともと神奈川で長く正捕手を務め、投手陣をまとめてきた選手である。シーズンが進む頃には、メジャーの投手を相手にしても持ち前のリーダーシップを発揮するようになり、ローズの後を継ぐ正捕手としてチームに定着していた。
戦友が去り、新たな戦力を迎えて始まった真英の4年契約は、最初の二年間こそ順調だった。
かつて若手としてワールドシリーズ制覇を経験した選手たちは、いまや脂の乗った主力へと成長していた。彼らを中心に新たな打線が形作られ、細田もレギュラー捕手として定着に成功した。
シアトルは二年連続でアメリカン・リーグを制覇。真英もまたローテーションの中心として投げ続け、二年続けてワールドシリーズの舞台へ戻った。
しかし、世界一には届かなかった。一年目はシカゴに、二年目はフィラデルフィアに敗れ、二年連続であと一歩のところでシーズンを終えた。
契約後半の二年間は、さらに厳しい戦いとなった。主力選手の流出とベテランの衰えが重なり、以前ほどの選手層を維持できなくなった。それでもシアトルはポストシーズンへ進出したものの、いずれの年もディビジョンシリーズで敗退し、ワールドシリーズへ戻ることはできなかった。
六年間続いたロサンゼルス王朝が終わって以降、メジャーリーグは毎年のように優勝候補が入れ替わる戦国時代へ突入していた。シアトルも長くその中心に居続けたが、かつてのように勝ち続けられる時代ではなくなっていた。
真英は変わらず投げ続けた。それでも、一人の投手だけでチームの世代交代まで押しとどめることはできなかった。
▼
四年間の契約を終えた真英は、再び去就を考える時期を迎えていた。
シアトルとの契約には、真英側の意思で一年ずつ延長できるプレイヤーオプションが残されている。球団からも残留を望む意思は伝えられていた。真英が望めば、来季も同じユニフォームを着て投げることができる。
一方で、日本からも復帰の打診が届いていた。
四十歳になっても先発ローテーションを守り続ける真英を、日本球界も放ってはおかなかった。特に大きく報じられたのは、かつて九年間を過ごした古巣からのオファーだった。
本人が何も語っていないうちから、メディアは好き勝手に復帰を煽った。
『底ノ尾、日本球界復帰へ』
『神奈川SKが正式オファー! 悲願へ最後のピース』
『日米で投げ続けた鉄腕、最後は日本で』
真英の年齢を考えれば、そういう筋書きを想像するのも無理はなかった。メジャーで十分な実績を残したあと、最後に日本へ戻り、プロ生活を始めた球団でユニフォームを脱ぐ。それは物語として分かりやすく、日本のファンが期待する結末でもあった。
しかし、真英の心はすでに決まっていた。
「小春ちゃん、俺のわがままに付き合ってくれてありがとう」
自宅でこれからのことを話していたとき、真英がそう言うと、小春は少しだけ目を丸くして笑った。色んなものが変わる中で、二人の関係だけは、ほとんど変わりなかった。
「いまさらじゃない? いつまでも付き合うよ?」
「うん……でも、日本には戻らない」
真英はそう言って、家の中へ目を向けた。二人は子宝にも恵まれ、いつの間にか二男三女の親になっていた。シアトルの家はいつも賑やかで、真英が遠征から帰れば、五人の子どもたちがそれぞれ好き勝手に話しかけてくる。静かなのは、全員が寝静まったあとくらいのものだった。
子どもたちは、ここで生まれ、ここで育った。学校へ通い、友達を作り、シアトルでの生活が彼らにとっての日常になっている。日本の祖父母のところへは何度も連れて行ったし、彼らも孫の顔を見るために何度も海を渡ってきた。それでも、子どもたちにとって日本は両親の故郷であって、自分たちが暮らしてきた故郷ではなかった。
子どもだけではない。小春も同じだ。彼女はシアトル所属選手の『奥様会』でもすっかり古株になり、新しくシアトルへ来た選手の家族がいれば、生活に慣れるまで何かと面倒を見ているらしい。真英の知らないところにも、彼女自身の付き合いがある。
もちろん、日本の友人たちとの縁が切れたわけではない。学生時代の友人や、働いていた頃の知人とは今でも連絡を取り合い、日本へ帰れば会う相手もいる。それでも、日々暮らし、人と付き合い、子どもたちを育ててきた場所は、もう長いことシアトルだった。
真英もすでに四十歳。自分が野球を続けたいという理由だけで、家族の生活を大きく動かす時期はもう過ぎたのだと思った。
最初に海外へ行くと決めたとき、真英はほとんど自分のことしか考えていなかった。
小春は何も言わず、その決断を尊重した。代理人として契約先を探し、生活の拠点まで一緒に移した。当時の真英には、それがどれほど大きな決断だったのか、よく分かっていなかった。
今になって、ようやく分かるようになった。そして、日本へ戻らない理由は、それだけではなかった。
ブルーウェーブズは、もう存在していなかった。
いや、正確には球団そのものが消滅したわけではない。他球団との吸収合併を経て歴史は引き継がれていた。しかし名称は変わり、本拠地も移転し、ユニフォームもロゴも一新されていた。
記録の上では、間違いなく真英の古巣だった。それでも、どうしても同じチームには思えなかった。
日本を離れたばかりの頃は、古巣の試合結果をよく確認していた。安藤さんが監督になったと聞けば記事を探した。西郷が投手コーチとして戻ってくれば、似合わないなと思いながらエールを送った。細田がホームラン王になったときは素直に嬉しかったし、宇田野がトリプルスリーを達成した年には驚いたものだ。
遠く離れていても、自分がいた球団のことは気になった。いちファンとして、その後を楽しみにしていた。
しかし、いつしかその感覚も薄れていった。
知っている選手が一人ずついなくなり、監督もコーチも入れ替わった。長く続いた暗黒時代から抜け出すように、球団は少しずつ新しい姿へ生まれ変わっていった。
それ自体は悪いことではない。長年低迷していた球団が過去を変えようとするのは当然だったし、そこから強くなっていく姿を、真英も遠くから見ていた。
それでも、暗黒時代に蓋をするように変わっていく球団を見ているうちに、真英は自分の思い出まで、それと一緒に歴史の中へ消えていくような感覚を覚えるようになった。
自分が知っているのは、毎年のように下位へ沈んでいたブルーウェーブズだった。満員にはならないスタンド。援護のない打線。何度も勝ち星を消したブルペン。若狭がいて、西郷がいて、安藤がいて、ウッドがいた。そして、まだ若かった自分が背番号70をつけて投げ続けていた。
輝かしい栄光ではなかったけれど、あのユニフォームを着てプレーしたことは、真英にとってかけがえのない思い出だった。
いま日本から届いているのは、確かにその歴史を受け継ぐ球団からの誘いだった。けれど、そこへ戻ることを考えても、昔のような懐かしさや高揚感は湧いてこなかった。
真英が帰りたいと思えるブルーウェーブズは、もう現実のどこにもなかった。
そして今、自分の家族が暮らしているのはシアトルだった。真英自身も、日本でプレーした年月より、こちらで現役を続けてきた時間のほうが長くなっている。遠征だけでも、子どもたちと過ごせない日は十分に多かった。残された現役生活まで、海を隔てて暮らしたいとは思わなかった。
「こっちで、最後まで投げるよ」
小春はしばらく真英を見ていたが、やがて小さく笑った。
「じゃあ、そうしましょう」
真英はプレイヤーオプションを行使した。日本復帰を期待する報道が連日続く中、シアトル残留を選んだのである。