詩音君がいるので原作とは少し違った展開をお楽しみください。
冷たい雨が、汚れた路地裏のアスファルトを叩き続けていた。
ネフシュタンを捨て、イチイバルは残されているがそれ以外はただの薄着の少女に戻された雪音クリスは、冷気と全身の激痛に身体を震わせながら、壁に背を預けて座り込んでいた。
「ゴミ……そうだよな。あたしは最初から、フィーネの道具でしかなかったんだ……」
用済みになれば捨てられる。世界のどこにも自分を必要とする場所なんてない。視界が雨と寒さで混濁し、意識が遠のいていく。このまま冷たくなって消えてしまえばいい——そう諦めかけた時だった。
「……そこにいたんだね。探したよ」
雨音を割って届いたのは、掠れた男の声だった。
クリスちゃんが重い瞼を持ち上げると、そこに立っていたのは、傘もささずに雨に濡れる僕……天倉詩音の姿だった。黒のタートルネックは戦闘の傷でズタズタに裂け、首元から覗く包帯には『アヴァロン』で既に塞がっているとはいえ痛々しい生血が滲んでいる。
「お前……なんで……ッ」
クリスちゃんは咄嗟に身を引こうとしたが、壁に阻まれる。
彼女から見れば僕は数時間前まで殺し合っていた敵だ。自分を痛めつけに来たのか、それとも二課へ連行しに来たのか。クリスちゃんの瞳に強い警戒と鋭い威嚇の色が走る。
「探したぞよ……クリスちゃん。まぁ……その後の事は考えて無いけどね」
「は……? 探した……? 冗談だろ……ッ! あたしはお前らを殺そうとしたんだぞ!? フィーネに捨てられたとはいえ、ただの敵だろッ!」
クリスちゃんは荒い息を吐きながら、残された力を振り絞って僕の胸を強く突き飛ばした。小拳が破れたタートルネック越しに詩音の傷痕へ当たり、湿った衝撃音が響く。
「くっ……カハッ……っ!」
修復しているとはいえ傷痕には痛みが残る。激痛に僕の顔がわずかに歪み、口から血が零れた。だけど僕は倒れることも、怒りを露わにすることもなく、ただ静かにクリスちゃんに向き合うと決めた。反撃もしなければ、過剰に優しく抱きしめるわけでもない。仮に必要となるにしても未来の話だろう。
「痛ぇのかよ。化け物の癖に……わからねぇもんだな」
その温度のない瞳は、どこまでも不可解だと訴えている。
「敵だろうが味方だろうがどうでもいいんだよ。……こんなところでクリスちゃんに野垂れ死にされたら、後味が悪いから。それで充分じゃないの?」
「あぁ……!? なんだよそれ……意味分かんねぇよ! 怒れよ、殴り返せよ! あたしはお前らを……ッ!」
「皮肉な事に僕は簡単には死なない体質になったからね。クリスちゃんが僕を憎くて復讐をしたいと言うならそれもまた1つの答えかもしれないね」
僕が淡々と思いを告げる。とはいえ天気も崩れてきた。彼女がこれ以上身体を冷やさないように自らの上着を脱ぎ、雨に濡れて震えるクリスちゃんの肩へと乱暴に引っかけた。温かい血の匂いと僕の体温が残る布地が彼女を包む。
「……味方のつもりも、救うつもりもないよ。だけど、クリスちゃんを1人で死なせる理由も僕にはない。それに……あまり言いたくは無いけどこんな時に必要な準備が出来ている様には見えないよ?」
(なんなんだよ……コイツ……)
敵としての憎悪も向けられず、かといって善人ぶった救済でもない。ただ「死なない」という己の不気味な理屈だけで接する僕は彼女にはさぞ不気味に見えるのだろう。クリスは差し出された言葉と熱の扱いに困惑し、歯を食いしばって詩音を睨みつけた。
「……触るな。余計な手出ししたら……ぶっ殺すぞ……」
強がりを口にしながらも、冷え切った身体に伝わる上着の熱を振り払う力は、今のクリスちゃんには残っていなかったのだろう。味方なのか敵なのかすら分からない恐怖と困惑の裏で、「自分を真っ先に見つけに来たのが、殺そうとした敵だった」という奇妙な事実だけが、クリスの胸の奥深くに小さな引っかかりとして刻み込まれていった。
◆◆◆
冷たい雨が上がった夜の街に、湿ったアスファルトの匂いが漂っていた。
「……おい。どこまで歩かせるつもりだ」
僕の数歩後ろを歩くクリスちゃんが、警戒を露わにした声で低く毒づく。肩に引っかけた詩音の上着は大きすぎて不格好で、そこから立ち上る血と男の体温の匂いが、クリスを言いようもなく落ち着かない気分にさせていた。
「何とか言えよ……」
自分を捨てたフィーネ。そして、自分を救うわけでも殺すわけでもなく、ただ「死なないから使え」と言い放った目の前の男。敵か味方かも分からない異様な存在への苛立ちと戸惑いが、クリスの眉間に深い皺を刻ませている。
「ん〜特に決めていないかな。二課の保護を受けるか、どこかへ逃げるなんかはクリスちゃんの自由だよ。……僕はただ、君が路地裏でくたばらないよう歩いているだけだよ」
「勝手なこと言ってんじゃねぇよ……」
気まずい沈黙が落ちかけた、その時だった。
「えぇ〜ん……パバ……ママ……」
「泣くなよ……泣いたって……」
街灯の明かりが寂しく落ちる小さな公園のベンチで、身を寄せ合って啜り泣く二つの小さな影が視界に入った。まだ就学前と思われる幼い妹と、妹よりは上だろうがそれでも幼さが感じられる兄のようだ。
「……チッ、なんだよ。迷子かよ……胸糞悪いな」
クリスは舌打ちをし、関わりたくないとばかりに顔を背けた。孤独だった自分と重ね合わせ、胸が痛むのを誤魔化すように歩幅を早めようとする。
だが、詩音は迷うことなく足を止め、迷子の兄妹のもとへと歩み寄っていた。
「お兄ちゃん、パパは……?」
「大丈夫だ、泣くなよ……っ」
「おいおい何考えて……まさか!?」
僕は兄妹の元を足を進めた。
「こんな夜更けに2人きりか。親はどうした?」
「「ッ!」」
詩音の低く掠れた声に、子供たちはビクッと肩を揺らし、怯えた目で見上げた。破れたタートルネックから覗く痛々しい包帯と、血の匂い。普通なら逃げ出してもおかしくない不気味な佇まいだったが、詩音は膝をつき、目線を子供たちと同じ高さまで落とした……が、兄妹には怯えの表情が見えてる。
「お前……! その格好で近づいたら怯えるに決まってんだろ! どけッ!」
後ろからクリスちゃんが慌てて割って入り、僕を粗暴に押しのける。クリスちゃんは膝を折ると、強張った顔のまま、不器用にポケットから残っていたキャンディの小さな袋を差し出した。
「ほら……これ舐めて黙れ。泣いてても親は降ってこねぇぞ」
口調は荒いが、その手は優しかった。幼い妹が恐る恐るキャンディを受け取ると、兄の方が小さな声で「パパがお買い物してる時に……はぐれちゃったの」と事情を話し始めた。
「……探そうか」
短く言った僕の言葉に、クリスは鋭い眼光を向ける。
「はあ!? なんであたしたちが探さなきゃいけねぇんだよ! 二課か警察に突っ込んでおけばいいだろ!」
「2人の親は今、狂うほどの絶望の中にいる。一分一秒でも早く会わせるべきだ。もちろん連絡はする。でももしかしたらこの近くにいるかもしれない。なら……探してあげるべきじゃないかな?」
僕の言葉には、情熱も偽善もなかった。ただ当然の事実として吐き出されたその冷ややかな真理に、クリスちゃんは二の句が継げなくなる。
「己の死には無頓着な癖に……こういう所は敏感なんだな」
「家族が引き離される痛みを識ってるから……かな。僕が……いや、辛気臭い話になるから止めとくよ」
不思議と……いや、あの日から誰かの「喪失」に対してだけは明確に嫌なものを何時も感じている。
僕はクリスちゃんの唇に指を添えて端末を操作する。
「司令……この近くで幼い子供の行方不明情報は出てますか? …………確認してみるが恐らく無い? わかりました。詳細は後に……」
夜の商店街を、不揃いな四人の足音が響く。僕は子供の様子に気を配りながら静かに周囲を索敵し、クリスは子供の手を引っ張りながら「ほら、足元気をつけろ」とぶっきらぼうに面倒を見た。
「まだ確認されてない。となればまずは……」
それから30分ほど歩いた駅前の広場で、泣き叫びながら子供の名を呼ぶ母親の姿が見えた。
「ママ……!」
「こうた! さくら!」
狂喜乱舞して駆け寄る母親と、それに抱きついて大声で泣き出す兄妹。何度も頭を下げて感謝を述べる母親の姿を、クリスは少し離れた街灯の陰から静かに見つめていた。
「あいつらが探してたのは父親じゃないのか?」
「もちろん父親は探してると思う。でも母親だってそんな事態になれば子供を探す。この先の交番で情報を集めようと思ってたけど思いの外早く再会させてあげられたね」
僕達のやり取りに気付いたのか母親は僕達の前に2人を連れて頭を下げてきた。
「この度は大変ご迷惑をおかけし申し訳ありません」
「家族が再会出来たならそれで充分です。以後お気をつけください」
(温かい……家族、か……)
自分にはもう二度と手に入らない、光に満ちた光景。フィーネに裏切られ、帰る場所を完全に失った自分の暗闇が浮き彫りになり、クリスはキュッと唇を噛み締めて目を伏せた。
「……妬ましいの?」
ぽつりと落とされた詩音の声に、クリスは跳ね上がるように顔を上げた。
「なっ……ふざけんな! 誰がそんな——」
「俺もだよ」
反論を遮るように吐き出された僕の言葉は、酷く冷たく、そして切なかった。視線は遠くの親子を見つめたまま、首元の包帯——『アヴァロン』が脈動する痛々しい傷口を、黒い手袋越しに強く握りしめていた。
「手に入らないものを眩しく思うのは当然だよ。クリスちゃんがどれだけ擦り切れていても、それを求めることを恥じる必要はない。そしてその時に必要なら……」
「……お前、何なんだよ……」
自分と同じように光を持たず、死ねない呪いに苛まれながら、自分の惨めさを肯定してみせる男。
敵か味方かも分からない。救ってくれたわけでもない。けれど、この世界で唯一、自分の抱える真っ黒な孤独を否定せずに隣に立ってくれた。
(気味が悪い……なのに……)
夜風が吹く中、詩音の上着から伝わる血と熱の匂いが、クリスの胸の奥深くに、解けない結び目のような小さな芽を確実に残していた。
◆◆◆
「さて……とりあえずクリスちゃんは行き先の宛はあるの?」
「…………無ぇよ……」
「んじゃあ着いてきて」
僕は任務で活動する過程で知り合ったネットカフェへクリスちゃんを連れて行く。
「ここは?」
「知人の経営するネットカフェ」
僕は店へと入り店主を探す。
「店主さ〜ん! ちょっと良いですか〜」
「こんなじ……詩音君かい!? どうした!? もしかして利用するのか!?」
「お世話になってます。前に僕が管理しようとして諦めた家ってどうなってます?」
「あの家……あぁ……今も空いてるね。しばらく使うのかい?」
「彼女がね。とりあえず今夜はこのネカフェに。明日の日中にでも必要なものを纏めますので前払いでとりあえず3泊彼女を過ごさせてあげてください。
「明日詳しく聞くからね?」
「おい! 勝手に話を進めるな!」
トントン拍子に進む話に置いて行かれるクリスちゃんが抗議してきた。
「逃げ出すにしても一時的に身体を休めなよ? それが出来てから次の事を考えればよいのさ……」
僕はそれだけ告げて店主に料金を前渡す。今はまだコレだけで良い……
今回クリスちゃんを連れて来たネカフェはふらわーのおばさんの知り合いが経営してます。機会があればまた情報を纏めて詳細を後悔します。
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