崩壊した『カ・ディンギル』の巨大な瓦礫が、重い音を立てて崩れ落ちる。硝煙と焦土の匂いが立ち込めるリディアン郊外の荒野に、ようやく訪れた静寂。月を穿つ破滅の砲威は挫かれ、世界は滅亡の淵から繋ぎ止められた。
「……倒したのか……フィーネさんを……」
だが、エクスドライブの神聖な光芒が収まったその場に歓喜の叫びはなかった。装者たちの視線の先——黄金の静寂を纏い一滴の血も流さず、傷ひとつ残さずに立ち尽くす詩音の姿があった。神シェム・ハの「寵愛」を受け、泥臭い肉壁から「絶対不可侵の神威」へと変貌を遂げてしまった不壊の盾。彼は何も語らず、ただ無機質な輝きを帯びた瞳で、瓦礫の山を見つめていた。
「ハぁ……ハぁ……ッ! どこです……どこにいるんです……ッ!」
その静寂を切り裂いたのは、立花響の必死な叫びだった。響は泥に両手を突き、砕けた巨石の隙間をがむしゃらに掘り返していた。爪が剥がれ、指先から赤い血が滲む。だが響は痛みに顔を歪めることすらなく、ただ必死に焦土を掘り進める。
「立花……! なにをしているの!もう戦いは終わったのよ!」
翼が痛む身体を押して駆け寄る。クリスもまた、複雑な表情を浮かべながら響の背中を見つめていた。
「終わってないませ?……! だってあの人はまだ……フィーネは、了子さんはまだそこにいるんですッ!!」
響の叫びに、翼とクリスは息を呑んだ。響が探していたのは、世界を滅ぼそうとした宿敵——フィーネの肉体であり、自分たちを導く大人であった「櫻井了子」の身柄だった。ネフシュタンの鎧が打ち砕かれ、消滅したはずの彼女。だが、響のガングニールの拳は知っていた。あの一撃の瞬間に感じたのは、邪悪な殺意だけではない。数千年の孤独と、届かぬ愛に打ちひしがれた、一人の女性の絶望の悲鳴だったのだと。
「あたし達も手伝うぞ!」
そうして装者達は総出でフィーネの身柄を探し……
「見つけた……ッ!」
瓦礫の奥底、崩れ落ちた鉄骨の陰に、1人の女性が横たわっていた。ネフシュタンの禍々しい甲冑は跡形もなく消え去り、破れた白衣を纏った櫻井了子の肉体。その胸の鼓動は酷く弱々しく、今にも途絶えてしまいそうだった。
「了子さん……ッ!」
「 フィーネ……ッ!」
響は躊躇うことなくその泥と灰に汚れた身体を抱き起こし、その冷え切った手をしっかりと両手で握りしめた。
「……なぜ……?」
かすかな、掠れた声が溢れた。ゆっくりと開かれたフィーネの瞳から、かつての狂気と傲慢さは完全に削ぎ落とされていた。そこに宿っていたのは、数千年の執念から解き放たれ、ただ摩耗しきった一人の儚い人間の光だった。
「なぜ……私を抱き起こすの……? 私は……あなたたちの世界を破滅させようとしたのよ……。あの男の命を削り……あなたたちを苦しめた……邪悪な存在なのよ……?」
フィーネの唇から、自嘲の笑みが漏れる。
「そんなの……関係ありませんッ!」
響はボロボロと大きな涙をこぼしながら、握りしめた手にぎゅっと力を込めた。
「関係ないです……! 確かに、あなたのしたことは間違ってた……絶対許されないことかもしれない! でも……でもッ! 私、歌っている時に感じたんだ……! あなたがどれだけ孤独だったか……『あの人』に会いたくて、どれだけ長い時間、一人で泣いていたのか……ッ!」
僕も響ちゃんの肩に手を起き続けた。
「櫻井先生……この数年ご迷惑をおかけして申し訳ありません。貴女に救われたこの命……大切にします。」
「あ……」
フィーネの瞳が不条理な驚愕に揺れる。
「バラルの呪詛なんてなくても……言葉が通じなくても……手をつなげば、歌があれば、心は通じ合えるんだよ! だから……だから私と手を繋いでくださいッ! 1人で逝かないでよ……ッ!!」
「響ちゃん……」
後ろで見守っていたクリスが、噛みしめた唇から血を滲ませながら一歩踏み出してきた。
「あー……クソッ! むかつくババァだったのは間違いないぜ! あたしを利用して、戦う道具にしてさ……! でもな……あたしに名前をくれたのも、行き場のないあたしを拾ったのも、お前だったんだよッ!」
クリスは乱暴に目元を拭うと、響が握るフィーネのもう片方の手に、己の温かい手を重ねた。
「許してなんかやらねぇ……。だから、簡単に死んで逃げるんじゃねぇよ……ッ!」
「フィーネ……いや、櫻井女史」
翼もまた、長剣を納め静かに膝をついた。その瞳には防人としての冷徹さではなく一人の人間としての温かな情念が宿っていた。
「貴女の執念は、多くのものを傷つけた。だが……その孤独の深さを私は忘れない。風鳴の影として生きてきた私だからこそ……お前の抱えた暗闇を、無価値だったとは言わせない」
「あなたたち……はぁ……」
フィーネの目から、一筋の透明な涙が溢れ落ち、泥に汚れた頬を伝った。数千年の間、統一言語を奪われ、バラルの呪詛によって人類から孤立し、ただ『あの人』の御元へ帰ることだけを夢見て積み上げてきた血と破滅の歴史。
「お人好しなのね」
誰にも理解されず、誰の心とも通じ合えず、冷たい高みから人間を見下し続けていた神の傀儡。
その自分が、今——破滅させたはずの幼い少女たちの温かな手に包まれている。
(ああ……そうか……)
フィーネの胸の中に、温かな光が満ちていく。言葉が途絶えようと、呪いが世界を覆おうと、心を通わせる手段は最初からここにあったのだ。自分が頑なに拒み、見落とし続けていた「人と人との繋がり」のぬくもりが、傷だらけの少女たちの手を通じて、己の魂へと流れ込んでくる。
「温かいわね……。人間とは……こんなにも……温かいものだったのね……」
憑き物が完全に落ちた了子の顔に、幼子のような、あまりにも穏やかで美しい笑みが浮かんだ。
「ありがとう……立花響……雪音クリス……風鳴翼……。あなたたちの歌は……本当に……美しいわ……」
彼女の身体が、さらさらと柔らかな光の粒子となって崩れ始めていく。
それはネフシュタンの呪いによる崩壊ではなく、宿願を果たし、孤独から救われた魂が辿り着いた静かな安らぎの消滅だった。
「胸の詠を……信じなさい」
「了子さん……ッ! 」
「フィーネぇぇッ!!」
響の叫びの中、光の粒子は少女たちの手を包み込み、そのまま爽やかな風に乗って、青く晴れ渡り始めたリディアンの空へと溶けて消えていった。
「あ……あぁ……」
フィーネの消えた温もりを抱きしめるように、響は静かに焦土へ伏して泣いた。クリスも、翼も、溢れ出る涙を止めることができず、救われた魂の余韻の中で静かに肩を寄せ合っていた。
少女たちの間には、間違いなく「心を通わせた温もり」と「人間としての絆」が残されていた。——だが。
「……終わったのか?」
静寂を破って届いたのは、一切の感情を削ぎ落とされた、無機質な静かな声だった。響たちが振り向くと、そこには黄金の神輝を静かに収めた詩音の姿があった。
「………違う。まだ終わっていない」
一滴の血も流さず、傷ひとつ負わず、フィーネの最期すらただ「予定」として見つめていた男。神シェム・ハの寵愛を受け、人ならぬ神の不壊へと至った彼は、悲しみも、救いも、温もりすらも感じていないかのように無表情に佇んでいた……いや、そうしなければ耐えられ無かった。
「最後にアレを壊して帰ろう……響ちゃん、クリスちゃん、翼。俺たちが帰る場所へ」詩音が差し出した手。それは寸分の汚れもない、完璧で冷たい「神の不壊」の手だった。
「詩音さん?」
詩音の視線の先はカ・ディンギルの1撃で欠けた月を見ていた。
「あの欠けた月の一部が落ちてくる。どうにかして……「私達がいます!」なっ……!」
「私達が宇宙で壊して来ます!詩音さんは私達の帰る場所を守ってください!」
「適材適所……という事よ詩音」
「まだテメェには借りを返しきれてねぇ。今回で清算してやるよ!」
少女達は宇宙へと向かい……その夜には流れ星が瞬いた。
「響……」
「大丈夫だよ未来ちゃん……3人は必ず帰ってくる。僕には確信がある。だから信じるんだ」
「………はい」
フィーネと心を通わせ、温かな涙を流した少女たちと、二度と傷つくことすら許されず、一人だけ人ならぬ領域へと置き去りにされた詩音。
「詩音……さん……」
未来は涙を拭い、詩音の冷たい手を見つめた。世界は救われ、宿敵の魂もまた救われた。
しかし、自分たちの「盾」であった男との間に生まれてしまった、決定的なまでの「温度差」という名の新たな絶望の焔が少女達の胸の内側に僅かに灯った。晴れ渡る空の下で冷たく静かに少女たちの胸を抉り続けていた。
次回よりG編に突入します!
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