岩国に位置する陸上自衛隊基地の冷たい地下格納庫。湿った鉄の匂いと重油の臭気が立ち込める中、厳重に封印された特殊コンテナが置かれていた。中に収められているのは、カ・ディンギル崩壊の現場から回収された極めて危険な聖遺物——『ソロモンの杖』。
「ふぃ〜……中々に強敵だったねクリスちゃん……」
「だな。護送車両を襲撃された時は気が張り詰めそうになりそうだったよ」
その厳重な警戒態勢の中、立花響と雪音クリスの二人が護衛任務に当たっていた。
「ねえ、クリスちゃん……。今頃翼さんたち、ライブ始まってるかな……」
運搬手段が列車から大型輸送車のバンパーに変更された。車両に腰掛け響がぽつりと呟く。包帯が痛々しく巻かれた自分の手首をじっと見つめるその瞳には、ぽっかりと空いたような虚無感が漂っていた。
「さあな。米国から来るトップアーティスト……マリア・カデンツァヴナ・イヴとか言ったか。ツヴァイウィングの2人掛かりで出迎えてんだ、大層盛り上がってんんじゃねぇのか?」
クリスは詩音から借りた大きめのジャケットに深く顔を埋め、不機嫌そうに鼻を鳴らした。【ツヴァイウィング】——風鳴翼と、かつての死線を生き延びた天羽奏。2人が揃ってステージに立ち、その傍らには【保護者 兼 護衛】として寄りに添う詩音の姿がある。小日向未来と一緒に客席でそのステージを見守っているはずだった。
「詩音さん……未来たちと一緒に、ライブ会場にいるんだよね……」
響の胸を締め付けるのは、嫉妬にも似た激しい焦燥だった。自分とクリスは詩音から離された遠く岩国の地で単なる「荷物の見張り」を命じられている。襲撃を受けた時点で【ソロモンの杖の護送】は非常に重要度が上がったので気を引き締める。かつて自らの身体を粉砕させながら響たちを守っていた詩音は、日本でアヴァロンと同化して「傷つかない神」となって以来、響たちを危険から遠ざけるような素振りを見せ始めていた。
(違うの……。私は守られたいんじゃない。詩音さんと同じ傷を負って、同じ痛みを分け合いたいのに……! なのに、どうして置いていくの……っ!?)
響は自らの傷口をぎゅっと強く握りしめた。じんわりと滲み出る痛痒さだけが、自分と詩音を繋ぎ止めている唯一の証のように思えた。
「チッ……
クリスはジャケットの袖を強く噛み締め、悔しさに眉をひそめる。
「あたしたちをガキ扱いして……自分は翼や奏の側で涼しい顔して『完璧な保護者』気取りかよ……。ふざけんなっ、自爆野郎……!」
2人が抱くのは、安全な場所に守られることへの激しい拒絶。
「帰れたら……今度は守ってあげますね詩音さん……」
【神の不壊】を手に入れた詩音の足元で、自分たちだけが子供として置き去りにされる恐怖が、二人の胸を深く侵食していた。
都内最大級のドームステージ。超満員の観客が打ち振るサイリウムの光の海と、割れんばかりの歓声が館内を激しく揺らしていた。ステージ上に立つのは、日本が誇るトップボーカルユニット【ツヴァイウィング】の風鳴翼と天羽奏。そして、アメリカから旋風の如く現れた歌姫のマリア・カデンツァヴナ・イヴ。
「1夜限りのプレミアライブ……か。コレを1度きりにしない為にも……僕は……」
3人の圧倒的な歌唱力とパフォーマンスにより、ライブは開幕から異例の熱気に包まれ、会場の温度は右肩上がりに高まっていた。その熱狂の客席の隅、一般客に紛れるようにして、月読調と暁切歌の2人が静かに佇んでいた。
「……すごい熱気デスね。マリアの歌声、ちゃんと届いてるデス」
「……うん。でも、私たちの目的はライブを楽しむことじゃないから」
調の視線はステージ脇の関係者立ち入り禁止エリア——そこに立つ1人の男へ注がれていた。未来達は客席なので完全に1人だ。静かな眼光で会場を警戒している男……天倉詩音。
(詩音お兄ちゃん……っ)
調と切歌の胸が、激しく締め付けられる。かつてアメリカのF.I.S研究所にいた頃、実験の苦痛に怯える自分たちを、血塗れになりながらも庇い続けてくれた優しい【お兄ちゃん】。当時何の後ろ盾もないただの人間だった詩音は、大人たちの暴虐や痛みをすべてその身一つで受け止め、「調ちゃん」「切歌ちゃん」と優しく頭を撫でてくれた。
「待っててお兄ちゃん……もうすぐ助け出してあげるから……」
一方、現在の潜伏地点の大型トレーラー内では、セレナ・カデンツァヴナ・イヴが車椅子に揺られるナスターシャ教授の傍らで、護衛として静かに控えていた。
「セレナ……マリアたちの様子はどうですか?」
「はいマム。ライブは順調です。……でも詩音お兄ちゃんも、あそこにいます」
セレナはモニターに映し出される詩音の姿を見つめ、切なく瞳を伏せた。かつてF.I.Sで自分たちを救ってくれた詩音。しかし日本へ渡った彼は、数々の激戦の果てに聖遺物『アヴァロン』を獲得・融合させ、一切の傷を負っても戦い続ける不壊の盾へと変貌を遂げていた。
「痛くないなんて……傷つかないなんて、絶対に間違ってます。詩音お兄ちゃんは、自分を壊して私たちを守ることしか知らなかった……だからアヴァロンなんてものと同化して、人間としての痛みを捨ててしまったの……っ」
セレナの言葉に、ナスターシャも静かに目を閉じる。
「ええ……。だからこそ、私たちが彼を連れ戻し、保護しなければならない。あの男をこれ以上、日本の二課の道具にも、傷つかない神などという孤独な檻にも閉じ込めさせはしない……それが貴女達の願いでしたね」
F.I.Sの少女たちの動機は1枚岩ではない。詩音を取り戻したい装者達と、落下する月の脅威を退ける事を最大の目的にするナスターシャ、そして英雄願望に取り憑かれたDr.ウェルが互いの利益の為に協力している。自分たちを命がけで愛してくれた詩音を、自分たちの手で救い出し、もう一度【家族】として温かく迎え入れること。
◆◆◆
ドーム会場のボルテージは、ついに
翼・奏・マリアの3人が織りなす奇跡のようなハーモニーに、何万人もの観客が酔いしれ、ステージの盛り上がりは完全に熟しきっていた。
『ふふ、いい顔してるじゃないか詩音。……
「ああ。素晴らしいライブだ、奏」
インカム越しの奏からの問いかけに詩音は静かに答える。
「未来ちゃんも、楽しめているか?」
『はい! 詩音さんが一緒にいてくれるから、私、すごく安心です』
未来が無邪気に返す。
『見ていて詩音……』
翼もまた、歌唱の合間の暗転に乗じて詩音へと語りかけその胸元にそっと手を置いた。
「詩音……ライブが終わったら、風鳴の屋敷へ来て欲しいの。祖父との取り決め……貴方と私との『婚約』の儀について、正式な話があるって……」
翼の言葉には、対等な戦友としての信頼と同時に、自分だけのものにしたいという狂おしいほどの情念が籠められていた。
「……分かっている、翼。だが今は、お前たちのステージを守ることが先決だから」
詩音は表情ひとつ変えず、淡々と答える。自分を犠牲にすることすら通り越し、完璧な盾としてそこに存在する詩音。その佇まいに、翼も奏も、そして遠く客席から見つめる調や切歌もまた、逃げられない深い感情の渦へと引きずり込まれていた。
「調……冷静になるデス」
「…………わかってる。任務の為……だから……」
——その時だった。ステージが最も熱く暖まったその瞬間、ドーム全体の照明が不気味に明滅した。ドームの天井空間が歪み、異次元の亀裂が弾け飛んだ。
そこから雪崩を打って降ってくるのは、絶望の種族——無数のノイズの群れが出現した!
「ノイズだと……!? なぜこんな場所にっ!」
翼が瞬時に間合いを詰め、武器を構えようとする。
「狼狽えるな……狼狽えるな! 」
だが、その混乱の渦中で、ステージ中央のマリア・カデンツァヴナ・イヴが静かに、しかし力強く叫んだ。
「……ごめんなさい、風鳴翼さん、天羽奏さん。そして……最愛の詩音!」
「「っ!?」」
「Granzizel bilfen gungnir zizzl〜」
マリアは胸元からペンダントを掲げ聖詠を唱える。シンフォギアが展開され、黒いガングニールを纏い、全世界に向けて宣言する。
『私は……私たちはFINE! 世界に宣戦布告する! ……そして詩音、あなたをそんな冷たい不壊の呪縛から解放し、私たちの元へ連れ戻してみせるわ!』
客席にいた調と切歌も即座に動いた。マリアをサポートし、詩音を保護するためにその身を躍動させる。襲い来るノイズの群れを従え、黒いガングニールを纏うマリア。
「どうしてだ……どうしてこうなるんだよマリア!」
パニックに陥る会場の中で、傷ひとつ負わない黄金の輝きを纏った1人の男が、静かに少女たちの前に立ち塞がった詩音。
「マリア……お前たちが何を望もうと。俺は、ここにいる少女たちを守る。君が……君達が世界を脅かすなら!」
アヴァロンを得て、苦痛すら感じても戦い続けられる不壊の盾。
「そうよね……優しい詩音ならそう言うと思っていたわ」
かつての温かい「お兄ちゃん」を取り戻したいF.I.Sの少女たちと、彼を「誰にも渡さない絶対の仲間」として愛する二課の少女たち。傷つくことを躊躇わない男を巡り、過酷な戦いがいま激しく幕を開けた。
詩音と彼女達の戦闘が始まる。急げ響!クリス!大切なナニカに迫るモノとは?
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