「どうしましたか? シンフォギア装者の皆さん?」
ウェル博士のねっとりとした煽り声が響いている。
「──クソッ、このクソガスめ……っ!」
廃病院のロビーに響き渡った雪音クリスの苦悶の声をかき消すように、足元のコンクリート床が突如として内側から爆発四散した。
——ズガァァァァァンッ!!
高密度の【Anty-Linker】ガスに侵され、聖遺物『イチイバル』の起動を完全に封じられたクリスと、同じく『天羽々斬』の出力を断たれて膝をついていた風鳴翼。彼女たちの真下、廃病院の地下深部から噴き上がったのは、凄まじい土煙と、ドームの絶唱エネルギーを貪り喰らって覚醒した原初の怪獣——『ネフェリム』の巨大な質量だった。
「なんだああっ!?」
「翼さん……っ!」
突風のように吹き荒れる衝撃波の前に、生身に近い状態だった翼とクリスはたまらず吹き飛ばされ、ロビーの壁際へと激しく叩きつけられる。視界を覆う瓦礫の雨と、空間を歪めるほどの異様なプレッシャー。その中心で、漆黒の巨体を誇るネフェリムが、禍々しい咆哮を世界に向けて叩きつけた。
——グアアアアアアアアアァァァッ!!
その轟音だけで、ただでさえ毒に冒されていた二人の意識が遠のくほどの衝撃波が脳髄を揺さぶる。あらゆる聖遺物のエネルギーや命の息吹を無慈悲に喰らい尽くす逸話の巨人が、逃げ場のないロビーの空間を切り裂き、無防備な少女たちへと容赦なく襲いかかった。
「──ッ!!」
「翼! クリスちゃん! やらせない!」
思考を巡らせる暇などなかった。倒れ込み、動けなくなっている翼とクリスをその視界にとらえた瞬間、僕の身体が反射的に跳ね動いていた。
「食わせる訳には……いかない!」
それでも、僕の脳裏にあるのはただ一つの強迫観念。——守らなければならない。
「皆……下がるんだッ!!」
僕は素手で飛び出し、ネフェリムが放った巨大な爪撃の軌道上に自らの身体を割り込ませた。ドスッという生々しい肉の引き裂かれる音が響き、詩音の肩から背中にかけての皮膚が大きく抉り取られる。鮮烈な朱色の血が、瓦礫の山へと盛大に飛び散った。
「がはっ……ぁ……っ!」
激痛が神経を焼き尽くし、肺腑から鉄錆の味が逆流する。骨が軋み、肉が裂ける尋常ではない苦痛が、容赦なく僕の意識を白濁させていく。それでも僕は、倒れるわけにはいかないと両手を広げ、怪獣の圧倒的な質量を押し返そうと踏み止まった。
「詩音さん……っ! 詩音さんっ!!」
その隣で、血走った瞳を剥き出しにした響ちゃんが絶叫していた。【Anty-Linker】の毒により、ガングニールの装甲はところどころが剥ぎ落ち、完全な変身すら維持できていない程に追い詰められている。不完全な崩れかけの赤い光を纏うだけとなったクリスちゃんも憎々しげにネフェリムを睨んでいる。
「やめて詩音さん……っ!」
だがその内側で燃え盛る狂おしいまでの執着と絶望が、響ちゃんの肉体にリミッターを超えた出力を強制させていた。
「詩音さんには……指一本触れさせないっ……! 触るなあああああああっ!!」
「響ちゃん……何を!?」
(また……またお兄さんが私の目の前で傷ついている……! あの日のドームの悪夢が、あの血塗れの地獄が、再び繰り返されている……っ!)
響ちゃんの喉を引き裂くような絶叫と共に、アームドギアの不完全な拳が黄金と朱色の残り火を纏って突き出された。全身の骨が悲鳴を上げ、皮膚が裂けて血の雨を降らせようとも構わない。愛する男を奪われまいとする狂愛の一撃が、ネフェリムの硬質な巨体へと真っ向から叩きつけられた。
『素晴らしい……これが融合症例』
ウェル博士の張り付くような視線を感じながら僕達に絶望が尚も立ち塞がる。
——ズドォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃波が廃病院のロビーを崩壊させ、天井のコンクリート片が雨のように降り注いだ。響ちゃんの放った渾身の拳がネフェリムの装甲を捉えた。しかし……
「な……っ……うそ……!?」
響の瞳が、恐怖と絶望に大きく見開かれた。ネフェリムは、あらゆるエネルギーとフォニックゲインを吸収し、自らの糧へと変換する原初の怪物。響の命を削った不完全なガングニールの拳は、その硬質な表皮に微小な衝撃を与えただけで、逆に凄まじい反発エネルギーと捕食の波を纏って丸ごと弾き返されてしまったのだ。
「ぐああっ……!?」
「立花……っ!」
跳ね飛ばされた響ちゃんが、僕の足元へと激しく転がり落ちる。口元から大量の血を吐き出し、不完全だったガングニールの装甲が完全に霧散して消え去った。
「はぁっ……はぁっ……くそっ……身体が、動かない……っ!」
響が震える指で床を這いつくばり、再び立ち上がろうとするが、【Anty-Linker】の倦怠感とネフェリムの放つ重圧の前に、膝から崩れ落ちる。
そして、その絶望の光景の真ん中に、血まみれの生身の肉体を晒した詩音が立っていた。
(【Anty-Linker】の精度が高すぎる!
目の前にそびえ立つのは、あらゆる攻撃を無効化し、すべてを喰らい尽くす絶対的な「恐怖の象徴」。ただの人間へと戻った僕の肉体には、ネフェリムの放つプレッシャーだけで立っているのが奇跡と思えるほどの過酷な負荷が襲いかかっていた。血管が浮き上がり、心臓が破裂せんばかりに狂おしい音を立てて脈打つ。
「僕が……僕が彼女達を守らなきゃいけないんだ……。お前たちを……絶対に……」
掠れた声で呟きながら、僕はボロボロに裂けた腕を再び前に突き出す。だが、その足元は激しい出血と痛みのために制御を失い、大きく揺らいでいた。守りたいという意志だけが先走り、肉体はすでに限界の淵を遥かに超えて崩壊しかけている。
『ハハハ……素晴らしい! 見たまえ、あの無力な姿を! あぁなっても尚も君達を守ろうとする姿……まさに英雄そのものじゃないか!』
廃病院のスピーカーを通じて、Dr.ウェルの愉悦に満ちた狂気の声が冷たく響き渡る。
『化学の毒に侵され、神の加護を剥ぎ取られた男が、どれだけあがこうとも原初の怪獣の前ではただの餌に過ぎない! 君たちの愛憎も、執着も、すべてあの怪物の胃袋に消えていくのだよ!』
ウェルの嘲笑が、絶望の空気をさらに重く澱ませる。動けない翼とクリスちゃん。血に染まりって機能不全に陥った響ちゃん。僕に至っては生身のまま、圧倒的な巨獣の前に単騎で立ち塞がり、引き裂かれようとしている完全なる劣勢。逃げ場のない死地の中で、破滅の足音が容赦なく少女たちと男の頭上に迫り来た時だった。
『ふむ……そろそろリミットですね。引き上げましょう』
ネフェリムの周囲をノイズが旋回し始め……ネフェリムをケージへと収容していく。
「待て……」
「翼……止めるんだ……」
「逃さない!」
僕の静止を振り切り翼がネフェリムの追跡に飛び出してしまった。
「苦しいですよね……お兄ちゃん……」
そんな時に僕達に丸鋸が飛来した。
「新手か……テメェ! あの時の装者か!」
「そう……だよね。マリアが装者として活動しているなら、君達もそう……なっているよね」
「詩音……コイツ等を知ってるのか?」
「月読調……迎えに来たよお兄ちゃん」
「他のオンナはご退場いただくデース!」
調ちゃんは僕に手を差し伸べ……切歌ちゃんは大鎌を構えてクリスちゃんへ威嚇している。
「クリスちゃん……【Anty-Linker】が切れたら早く逃げるんだ。ここで全滅させる訳には……いかない」
「全滅じゃないデスよお兄ちゃん。あたし達は別にお兄ちゃんに酷い事をしたい訳じゃないのデス。ただお兄ちゃんに帰ってきて欲しいだけなのデス」
「話が見えねぇな……テメェ等……」
クリスちゃんが2人を睨みながらも、2人は僕に手を差し伸べる。この手を取れと……彼女達は言っている……
混迷を極める戦況の行方は……?
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