「……離さない。絶対、離さないから……っ!」
二課の特殊救急車両の内部。
けたたましいサイレンの音が響く中、立花響はストレッチャーの上で酸素マスクをつけられた詩音(主人公)の手を、両手で壊れ物のように握りしめ続けていた。
「お願い……」
血圧低下を示す不吉なモニター音。
首元を覆う黒のタートルネックは朱に染まり、口元から漏れる息すらも痛々しく途切れている。
「落ちつきなさい。二課の医療班が最善を尽くしている。だから……」
ストレッチャーの脇で付き添う風鳴翼が、硬い声で言葉を掛けた。
だが、その表情にも隠しきれない焦燥と罪悪感が滲んでいた。
「……ツヴァイウィングの翼さん……ですよね……?」
響が赤く腫れた瞳を上げる。その視線には、威嚇のような鋭さと、縋るような悲痛さが同居していた。
「この人は……お兄さんは、いつもこうなんですか? いつも自分を捨て駒にして……こんな風に血を吐いて笑ってるんですか……?」
「……っ」
翼は言葉を詰まらせた。
「彼は……詩音は二課の盾としてその身を置いているの。だが、誰も彼にこんな身代わりを望んではいない。……彼自身が、己の命の価値を極限まで軽視しているのだ」
「そんなの……そんなの絶対におかしいです!!」
響は叫び、詩音の冷たい指先を自分の頬に押し当てた。
「誰かのために傷つくのが当たり前なんて……そんな呪いみたいな考え方、私が絶対にぶっ壊してやる……ッ!」
瞳に信念を宿し拳を握る。継承された撃爪が好機とばかりに明滅していた。
---
本部地下医療室。スライドドアが勢いよく開くと同時に、怒号が響き渡った。
「だから出撃許可は出してないって言ったでしょうがバカシォォンッ!!」
白衣を翻して待ち構えていた主治医・櫻井了子が、ストレッチャーで運び込まれた詩音の惨状を見るや否や、頭を抱えて悲鳴を上げた。
「またアロンダイトの衝撃を生身で受けて……! 霊体経路の修復データが全部パーよ! 胃が痛い……私の胃が痛いわ!! 誰か早く輸血パックと拘束帯を持ってきなさい!!」
口では怒鳴り散らしながらも、素早い手つきで緊急処置を開始する櫻井先生。その大惨事の医療室へ、重い足音とともに飛び込んできた人物がいた。
「詩音……っ! 詩音はどこだ!?」
華やかなライブ衣装のまま、息を切らせて駆け込んできたのは——天羽奏だった。
「奏……さん……?」
響が息を呑む。ツヴァイウィングの天羽奏。本物のトップアーティストが、なりふり構わず血まみれのストレッチャーへ抱きつくように駆け寄っていく。
「バカ……! また点滴抜いて勝手に飛び出しやがって……ッ! アンタ、私と『肉を食べに行く』って約束したじゃないか!! なんでまたそんなになるまで血吐いてんだよバカアァッ!!」
「私……識ってる……?ならやっぱりアレは……現実だったの……?」
奏の瞳からポロポロとこぼれ落ちる大きな涙。その光景を見た瞬間、響の脳裏で、途切れていた2年前のライブの記憶が——**雷鳴のように合致した。**
『……よかった……。間にあ、いました……』
2年前、自分たちの目の前で、奏の絶唱を力ずくで遮り、ノイズの爪撃をバリアなしのアロンダイトで受けて倒れた、あの黒鉄の腕の青年。
「あ……」
響の唇が震える。
「あの時の……。奏さんを助けて血を吐いていたのは……今日の……お兄さんだったんだ……」
「え……?」
奏が涙を拭い、響を振り返る。
「……そうだよ。このバカはな……2年前も……いや、ここに来た時から自分の体をゴミみたいに投げ打って私達を助けたの。……そして今日、今度はアンタを助けるために血を吐いた」
奏の言葉に、響の胸の奥でドス黒いまでの「救済の情動」が溢れ出した。
「2年……。2年経っても……お兄さんは何も変わってないんだ……。ずっと1人で……ずっと血を吐き続けてたんだ……っ!」
「そうだよ。だからさ新人……」
奏が目元を赤く腫らしたまま、けれど恐ろしいほど力強い笑みを浮かべて、響の手をぎゅっと握り返した。
「このバカ男をこんな状態で2度とベッドから出さないための……『保護同盟』に、アンタも入るよな?」
「……はいッ! 絶対に……絶対に外に出させません!!」
2人のヒロインの間で、固く、重く、逃げ場のない「鳥籠の同盟」が結ばれた瞬間だった。
◆◆◆
数時間後。
「……ん……ふぅ……」
白を基調とした医療室のベッドの上で僕はゆっくりと瞼を開けた。全身を包む鈍い激痛と、喉の奥に残る鉄の味。
(ああ……生き伸びてしまったか……)
確かに未練はあった。自分の覚えてる原作知識から変わってしまった世界がどうなってしまうのかが心残りだった。だがそれは自分が消えればいずれは修正されるのだろとは思っていた。そんな自分の生存を少しだけ不甲斐なく思いながら、僕は体を起こそうとして……
——ガシャン。
「……え?」
動かない。両腕も、両脚も、頑丈な医療用拘束帯によってベッドの枠組みにガッチリと固定されていた。
さらに、首元には厚手のコルセット。点滴のチューブが何本も皮膚に刺さっている。
「あ、あはは……櫻井先生、流石にこれは厳重すぎないかな……?」
僕が苦笑いを浮かべた、その時だった。
「「厳重なのは当たり前だ/ですっ!!」」
パイプ椅子を両脇に並べ、腕を組んで詩音を睨みつけていた奏と響が、同時に立ち上がった。
「か、奏……それに、さっきの女の子……」
僕は自分の目を疑った。奏はまだ分かる……あの日のライブの時から僕が運命を変えた時からその時から奏の視線が徐々に変わって来ていた。だが……
「アタシはいま猛烈に怒ってるんだ詩音。アンタが目を覚ましたら、骨が折れるくらいの強烈な奴を叩き込まないといけないと思ったからな」
奏が凄絶な笑みを浮かべ、詩音のおでこにポイツと指先を突き立てる。
「だが、今回は免除してやるよ……その代わり、傷が完全に塞がるまで、このベッドから一歩も出さないからな?」
「えっ……」
「お兄さん」
今度は響が、詩音の拘束された右手を、両手で優しく、けれど今の僕には絶対に解けない強さで包み込んだ。
「私、思い出しました。2年前も、お兄さんは奏さんや私達を庇って血を吐いてくれたんですよね。……そして今日、私を庇ってくれた」
「あはは……思い出してくれたんだ。無事でよかったよ、響ちゃん」
僕は可能な限り呑気に微笑む。だが彼女の瞳に宿っていたのは、一切の妥協を許さない「激重なまでの救済の光」だった。
「笑わないでください。……お兄さんが自分を大切にできないなら、私と奏さんが、お兄さんの命を代わりに大切にします」
「新米の……響の言う通りだ。これからは交代制でアンタを監視するから。トイレに行くのも許可制だからな?」
「えっ!? た、頼むから誰か司令か翼を呼んでくれ……! 櫻井先生でもいい!!」
「無駄よ。弦十郎のダンナも『今回は詩音が全面的に悪い』って言って、鍵をアタシ達に預けて出て行ったさ」
「そんな……ッ!?」
全方位から退路を断たれたことを悟り、僕は絶望(?)に顔を覆った。
「本当は治ってくれれば良かったんだが……」
「奏……?」
「僕の声が彼女達には届いていないかもしれない」……そんな予感が何故か僕の思考を過っていた。
◆◆◆
二課の地下医療室。重い静寂が漂う廊下の壁に、小日向未来は一人背中を預けていた。
「まずは栄養を付けるべきだろ?アタシが作った粥を食わせてやるよ」
半開きのドアの向こうでベッドの上で身体を固定された僕に、手料理のメニューを嬉しそうに話しかける天羽奏と、それに目を輝かせて頷く立花響の姿が見える。
「……ッ」
未来は無意識のうちに、スカートの裾を固く握りしめていた。
【2年前の惨劇】。【ガングニール】。【ノイズ】。自分が知らない言葉と世界の中で、響が生き生きと……そして、どこか取り憑かれたような瞳で「あのお兄ちゃんを救う」と息巻いている。
「響……どうして……?」
その中心にいるのが、あの男——詩音だった。
(なんなの……あの人……)
自分の頬に付着した、あの温かく生臭い血液の感触が、今も皮膚に残っている気がして吐き気がした。
命を救われたことへの最低限の義理はある。だが、それ以上に「自分が傷つけば解決する」と言わんばかりに血を吐いて微笑んだあの顔が、たまらなく気味悪く不快で仕方無かった。
「……未来ちゃん……だったかな?そこにいるんだろう?」
不意に、奏と響が「今後の監視シフトを話し合う」と言って嬉しそうに部屋を出て行った。
廊下の角へと消えていくそんな2人の背中を見送り、私は意を決して、彼が1人残された病室のドアを静かに開けた。
「やっぱり……未来ちゃんがそこにいたんだね」
ベッドの上、両腕を拘束帯で縛られた詩音と呼ばれた人が、私に気づいて困ったような、けれど穏やかな苦笑を向けた。
「響ちゃんに付き合ってくれてありがとう。……そしてこんな事と無縁で関わるべきじゃない君までこんな暗い場所に閉じ込めてしまって、本当にごめんね」
「……」
私は返事をしなかった。足音を忍ばせ、静かにベッドの脇まで歩み寄る。その瞳にはきっと響に向けるような温もりは微塵もなかった筈だ。
「……詩音さん、とおっしゃるんですよね」
「うん。……あはは、あまり大した名前じゃないけれど」
「お願いがあります」
私は詩音さんの言葉を冷ややかに遮り、見下ろすように彼を見つめた。
「響を……あんな危険な戦いに巻き込まないでください」
「っ……」
彼が言葉を詰まらせた。ノイズと戦う光景が日常なこの人にとっては想像も出来ない言葉なのだろう。
「あなたが勝手に脱走して、勝手に血を吐いて倒れるのは、あなたの自由です。……助けていただいたことには感謝しています。でも、だからと言って……響をあなたの『自爆趣味』に付き合わせないでください」
「……………………」
彼の表情から、苦笑が消えた。彼は首元の黒タートルネックに隠された傷痕をきしませながら、静かに、そして真剣な瞳で私を見つめ返した。
「……未来ちゃんの言う通りだ。そして未来ちゃんのその気持ちは正しい。だって歪んでいるのは僕の方だからさ……」
「え……?」
「僕も……響ちゃんには戦ってほしくない。本来なら君と一緒に、私立リディアンの普通の高校生として、笑っていてほしいんだ。……僕がどれだけ血を吐こうと、響ちゃんが傷つく理由にはならないからね」
どこまでも静かに、私の主張を全肯定する彼。だがその「自分がいくら傷ついても構わない」という前提を当然のように置いている狂気に、私は寒気を覚えた。
(……なんなの、この人)
怒るでもなく、弁明するでもなく、平然と自分を犠牲にする言葉を吐く。
未来の目には、その態度こそが「自分を傷つけることで響の罪悪感を煽り、縛り付けようとしている狡猾な手段」に見えてしまった。
「……白々しいです」
私は吐き捨てるように言った。
「そうやって『自分なんてどうなってもいい』って顔をして……響の同情を買ってるんじゃないですか? 響は優しいから……あなたのそんな顔を見たら、放っておけなくなるに決まってる……!」
「……未来ちゃん……」
「響をこれ以上、あなたの血で汚さないで」
それだけを冷たく言い残し、私は彼に背を向けた。病室のドアを閉める直前、もう1度だけ振り返った私の瞳には、明確な敵対心と、親友を渡さないという強い拒絶が宿っていたのを感じる。
「……私は、響をあなたみたいな不気味な人から……絶対に取り戻しますから。貴方のいない世界で響を取り戻します」
激情のままに手をかけてパタン、と静かに閉まるドアを叩き付けるように閉める。
◆◆◆
「行っちゃった。手酷く嫌われてるなぁ……僕」
1人取り残されたベッドの上で、詩音は拘束された手を小さく握り締め、ぽつりと呟いた。
「でも……うん。君が正解だよ未来ちゃん……」
自分が「不気味な自傷男」として嫌われ、拒絶されること。それによって響の瞳に宿った激情が霧散して日常へ戻れるなら、それが1番正しいのだと——僕は溢れそうになる血の味を飲み込みながら、1人静かに目を閉じるのだった。
自分が血を吐けば、誰かが助かる。そう信じて疑わなかった狂気の少年に課せられたのは、彼を二度と失いたくない少女たちによる、世界で一番温かく、世界で一番逃げ場のない「過保護な鳥籠」の生活だった。
執筆意欲になりますのでよろしければぜひ感想・お気に入り登録・評価をお願いします!