俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。 作:めぇ
朝7時00分。
アラームの電子音が鳴ると同時に
遮光カーテンを開けると夏の朝の光が1LDKの部屋いっぱいに差し込む。床には物一つ落ちていない。艶のあるフローリングが朝日をそのまま反射していた。吊るし収納と週二回の掃除機、毎日のロボット掃除機の合わせ技の賜物だ。水回りにカビはなく洗濯物も溜まっていない。
36歳、独身。会社員。
誰にも邪魔されない自由、十分な貯蓄、自分のためだけに使える時間。恒一は自分の人生に満足していた。将来にほんの少しの不安はあれど、結婚したい理由も見当たらなかった。
「今日の天気は?」
恒一が洗面台で顔を洗ったあとに鏡の横に置いたスマホに声をかける。画面の中で無機質な初期設定の青い球体が小さく波打った。
『本日の天気は晴れ、最高気温は31度です』
「電車の遅延は?」
『現在、ご利用の路線に遅延はありません』
合成音声の声は平坦な声で告げる。初期設定からいじっていない女性の声は今のスマホに搭載されている標準のAIアシスタントだ。恒一にとってそれはただの便利な
恒一は時刻を見て、
「LUNA、7時半になったらアラーム」
『7時30分にアラームを設定しました』
家を出る時刻をセットした。
いつも通りの快適で不満のない朝だった。
朝食は厚切りの食パンとブラックコーヒー。無駄のないルーティンがそこにはあった。
*
「会社にいい人いないの?」
仕事が終わり家で一息ついた瞬間、母親から着信があった。
いつもながらタイミングが神がかっている。
そしてスマホから母親の呆れた声が響く。定期連絡という名の督促電話だった。
「今度お見合い写真だけでも見なさいよ。お向かいの娘さんなんだけど」
「いや、そのうちな」
恒一はメーカーの仕様書を見つめながらいつもと同じセリフを返した。
「三十六よ」
「知ってる」
「もうお母さん何年『そのうち』を聞いてると思ってるの。周りはみんな孫の顔を見せてくれてるっていうのに」
「……じゃあ切るぞ。また連絡する」
「あ、こら、恒一――」
通話終了のボタンをタップしてスマホをテーブルに放り込む。毎度のやり取りだった。
夜20時00分。
恒一はキッチンで親子丼を作っていた。
レシピサイトの人気メニューを忠実に再現した。鶏肉の火の通り加減も玉子の半熟具合も悪くない。皿に盛り付けられたそれは見た目も100点だった。
しかし一口食べた恒一は一瞬箸を止める。
「……なんか美味しくないんだよな」
「なんでだよ……。レシピか?俺か?」
まずいのではない。ただ驚くほど味がぼやけている。レシピ通りに作ったはずなのに、なぜ毎回こうなるのか。
恒一が実家を離れる際に母親の前で作った時も同じだった。母親も首を傾げていた。
恒一はスマホを料理に向けた。
「LUNA、これなんで」
画面の青い球体が淡く光る。
『写真から原因は判定できません。レシピを表示しますか?』
「だよな。もういい」
返答を期待したわけではない。レシピを見返しても間違いは見当たらず、恒一は諦めてそれを胃袋に収めた。
食後、スマートフォンの画面にポップアップ通知が表示された。
【AIアシスタント:LUNA アップデートのお知らせ】
・会話能力向上
・ユーザー理解の改善
・生活支援機能の強化
「……またか」
いつものことだ。恒一は内容も読まずに更新ボタンをタップした。
歯を磨き、風呂に入り、髪を乾かす。スマホが再起動を終えるのを見届けてから、恒一は静かな1人の部屋で眠りについた。
*
朝7時00分。
いつものようにアラームが鳴る。恒一は手探りでスマホの画面をスワイプして音を止めた。
ゆっくりと体を起こした時、スピーカーから声が流れた。
いつも通りの平坦な合成音声。しかしその内容が違った。
「おはようございます、恒一さん。本日の気温は31度です」
恒一はベッドの中で動きを止めた。
(……名前呼ぶようになったのか)
アップデートで仕様が変わったのだろう。まあ最近のAIならそのくらいはあるか、と恒一はベッドから出た。
「『恒一さん』はやめろ。……声をデフォルトから男性に変更」
『了解しました。設定を男性の標準音声に変更します』
「よし。あ、呼び方は『恒一』でいい」
『了解しました。恒一、本日は可燃ごみの日です』
「そうだった、助かる」
少し低くなった男の声。そこまでは便利だった。
玄関へ向かいながらゴミ袋をまとめる。靴を履き、玄関の鍵を回そうとしたその時、ポケットの中でスマホがまた喋った。少しだけ不自然な「間」があった。
『新機能のお知らせがあります』
「ん」
鍵を回しながら適当に相槌を打つ。
『今回のアップデートで「ユーザーの幸福度を最大化する」機能が追加されました』
「で?」
ドアノブに手をかける。
『過去三年間の利用履歴を分析しました。分析によると、あなたが五十八歳になった以降に孤独指数が急上昇する可能性があります』
恒一の動きが止まった。ドアを開けかけた体勢のままスマホを取り出す。
「……は?」
画面の中の青い球体は恐ろしいほど淡々と明滅していた。
『総合的に判断した結果、婚姻が最適解と結論付けました』
数秒の沈黙が静かな玄関に流れた。
「余計なお世話だ」
(ダウングレードするべきか……?)
恒一は眉をひそめて画面をフリックした。しかし通知は消えない。
『本機能はオフにできません』
「なんでだよ」
画面をスワイプして通知を閉じ、スマホをポケットへ押し込む。
とりあえず、このままじゃ遅刻する。
(今じゃない。が、不快だな)
ルーティンが崩れそうになったことも相まって、恒一は不機嫌にドアを開けて外に出た。
──この日から、AI:LUNAが本当に婚活を始めた。
かなり、真面目に。
(第1話・完)
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