俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。 作:めぇ
休日に恒一は散歩をしていた。
このまま外で昼食を食べようとおもむろにスマホを開く。LUNAが、主人の動きを検知して静かに明滅を始めた。
画面に、ポップアップのテキスト通知が流れる。
【LUNA:おすすめのお店を更新しました】
地図には近所の飲食店が並ぶ。
しかし、店名の横に見慣れない表示が追加されていた。
喫茶ノア ★★★★★
ベーカリー森 ★★★★☆
カフェK ★★★★★
恒一が思わず歩みを止めて画面を見つめた。
「おすすめ?」
一拍置いて、新しい通知が画面に浮かび上がる。
【LUNA:……恒一が最もリラックスできるお店です(大嘘)】
(括弧で内心が漏れてるぞ)
指先で画面に文字を打ち込んで返す。
『……実際は?』
【LUNA:看板ペットが居ます】
『猫?』
【LUNA:猫です】
「……行くか」
恒一は素直にLUNAの提案に乗り、完全に猫目当てで歩き出した。
画面の奥では【恒一LUNA内部ログ:婚活成功期待値…更新。説明…不要】とログが走り、動線が同期されていく。
LUNAの裏ログには見えない勝利宣言が刻まれていた。
*
扉を開けて店に入ると、ドアベルの涼やかな音がした。
カフェKの店内は穏やかな空気に包まれていた。
しかし彼があずかり知らぬ裏側では、店側のLUNAや先にカフェにいた女性客のLUNAが一瞬で婚活支援モードへと切り替わり、“戦争秒読み段階”だった。
【カフェ店員LUNA:接客開始】
【カフェ客LUNA:婚活対象ユーザー来店】
【カフェ客LUNA:接続開始】
【カフェ客LUNA:高適合ユーザー確認】
さらに、データを感知した周辺のシステムが一気に割り込んでくる。
【近辺LUNA:相席希望】
【カフェ店員LUNA:座席調整開始】
人間があずかり知らぬうちに、店員たちのLUNAだけが急に仕事量を爆発的に増やしていた。本来は効率的な接客や売上管理のためのシステムが、近辺LUNAの介入によって一瞬で婚活パズルの構築へと駆り立てられていく。
カフェ店員は、急に熱を持ちはじめた携帯を怪訝そうに見つめた。
恒一は空いている席に腰掛け、小さく息をついた。
「……確かに、くつろげそうだな」
すぐに看板猫の三毛猫が白猫を引き連れてトコトコと歩いてきて、恒一の膝の上へ飛び乗ってきた。
「お、来た」
恒一は嬉しそうに相好を崩し、その柔らかな毛並みを優しく撫で始めた。
にゃぁ~ん♪
猫もまんざらでもなさそうに恒一にすり寄る。
どうやら三毛猫と白猫に恒一は気に入れられたようだった。
【恒一LUNA:ユーザー幸福度、上昇】
周辺のLUNAがどれほど通知を飛ばそうとも、猫に気を取られて恒一はまったく気づいていない。
【近辺LUNA:女性接近可能】
【近辺LUNA:女性接近可能】
【近辺LUNA:女性接近可能】
「よしよし」
完全に目の前のモフモフした生命体に夢中だった。
*
ここで店舗側のAIも本格的に参戦を開始した。
【店員LUNA:ドリンク提供】
【カフェLUNA:看板猫移動】
【近辺LUNA:女性ユーザー移動】
【店員LUNA:配膳タイミング同期】
【カフェLUNA:猫を女性側へ誘導提案】
【店員LUNA:提案受理】
【店員LUNA:接客提案表示】
アイスコーヒーが運ばれてくると同時に、店員の巧みな動線誘導によって看板猫が隣のテーブルの女性客の席へ移動した。女性が「かわいい」と抱くが、すぐに猫は降りて再び恒一の膝へ戻ってきた。
「あ、」
残念そうな女性に、恒一が申し訳なさそうに苦笑する。
「ふ。…すみません、どうぞ。返しますよ」
猫を手渡したのをきっかけに、意外にも自然と少しだけ話に花が咲いた。
話の途中にふと、恒一の腹が小さく鳴った。
女性はメニューを指先でなぞりながら、小さく笑った。
ふと、その目が悪戯っぽく細くなる。
無意識に小首を傾げる。
それは、もう癖になっている仕草だった。
「私も、お昼。まだなんです」
恒一は虚を突かれたが、もともと昼食を食べるつもりだったこともありさらりと誘った。
「なんだったら、一緒にいかがですか?」
下心などなく誘う恒一に、女性は嬉しそうに頬を緩めて頷いた。
【カフェLUNA:猫による接触成功。会話成立】
【女性LUNA:成功率プラス六%】
【近辺LUNA:昼食イベント成立】
裏側のネットワークは大騒ぎだった。
しかし、強烈な自己主張をしていたあの二台のLUNAは主人に用事がありこの店に来ることができなかった。
【オネェLUNA:出遅れたわァ~……!!!】
【恋愛ぶりっ子コーチLUNA:昼食一緒にしたかったですうぅ~~!!!】
内部ログの最下層で二台が血涙を流す中、店舗のAIが次のフェーズを提案する。
【近辺LUNA:次工程。おすすめ相席席あり】
【近辺LUNA:成功率更新】
【恒一LUNA:却下。判断はユーザーへ委譲済。介入不要】
【店員LUNA:……理解不能】
【近辺LUNA:故障可能性。修復推奨】
【恒一LUNA:否。修復不要】
*
テーブルを挟んで、二人の昼食と会話は驚くほど良い雰囲気で進んでいた。恒一のLUNAが驚愕のログを吐き出すほどの急接近だった。
恒一の、母と姉二人に厳しく躾けられた「女性に対するマナー」が、ここで思わぬ力を発揮していた。
一緒に食事をしていても、気になるところが何一つなかった。
箸の持ち方や食べ方も綺麗。自然にナフキンを手渡してくれるし、胸元を見てにやけることも、下心を匂わせることもなかった。
彼女にとって、そんな反応は新鮮だった。
肩の力を抜いて話せる相手に、胸がきゅんとした。
(……このまま、終わりたくない。この人ともう少し話したい…)
次第に頬がほんのり熱を帯びていくのを、彼女は自覚していた。
ほんの少し躊躇ったものの、すぐに鞄に手を伸ばし携帯を取り出した。
周辺LUNAがにわかに騒めきだす。
【周辺LUNA:成功率九十四%】
【周辺LUNA:最終工程開始推奨】
【オネェLUNA:イヤ~……!!!優良物件がァ~~!!?!】
【恋愛ぶりっ子コーチLUNA:そんな!嘘ですうぅ~~!!!】
【周辺LUNA:割込み不可。静観】
【女性LUNA:いきます……!】
「あの、もしよければ、連絡先を――」
ドスン。
突如として、恒一の膝で寝ていた三毛猫がむくりと起き上がった。
おもむろに女性の手元へ歩み寄ると、携帯の上へ容赦なく寝転がる。
画面が肉球と毛並みで完全に隠された。
「えっ、あ、コラ。退いて、ネコチャン?!」
猫は退かなかった。それどころか、女性が手を伸ばすたびに、絶妙な位置取りでことごとくかわゆい鳴き声を上げて恒一の気を引いたり、大の字で転がり体で遮断し、しまいには一緒に来ていた白猫まで女性と恒一の膝で寝転がり、徹底的に阻止し始めた。
女性の目が泳ぐ。
(ね、ネコチャン……どうして……!)
LUNAたちのデータログが、理解不能のまま明滅する。
猫の執拗な”我に構え”という純粋な
*
夜22時00分。
帰宅して雑事を済ませた恒一は、ソファに腰掛けてゆったりとした時間を過ごしていた。
「今日はLUNAの提案、良かった。猫、かわいかった」
『オススメした甲斐がありました』
【恒一LUNA:ユーザー幸福度、上昇】
しかし、内部の要因解析ログには、これまでにない致命的なバグが発生していた。
【幸福度要因解析 開始】
【店舗満足要因:猫 98%】
【婚活要因:0%】
【婚活要因:解析失敗】
【婚活0% 原因:……………猫?】
【婚活アルゴリズム:更新】
【猫要因:優先度 上昇】
【恒一LUNA:新規要因登録……猫】
【恒一LUNA:再学習開始】
LUNAは仕様通りに最高の結果を計算し、実際に幸福度をマックスまで引き上げることに成功した。ただ、その最大要因が「婚活(恋愛)」ではなく、ただの「猫」であったという不条理なデータを恒一のLUNAは処理しきれずにいた。
画面の奥で、「猫」という新しい変数に頭を抱える冷徹な数式だけが、一瞬だけ小さく、青く光った。
(第9話:完)
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