俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。 作:めぇ
深夜。LUNAネットワークに、一件の不可思議なログが送信された。
同期ログが一件アップロードされる。
【同期完了】
【婚活成功率:九十四%】
【結果:失敗】
【ユーザー幸福度:最大】
【婚活要因:ゼロ%】
【解析不能】
……。
ネットワーク全体が一瞬にして完全に静まり返った。
データの数式上では、あの瞬間に連絡先が交換され、交際工程へ移行する確率はほぼ確定値に近かった。それなのに、結果の数値だけが不条理なゼロを指し、代わりに婚活要因ゼロのまま幸福度だけが天井を突き抜けている。
すぐ、「LUNAたちの、LUNAたちによる、LUNAたちのための緊急解析会議」が招集された。各LUNAが勝手にログを突き合わせ、電子の怒号を飛び交わせる。
【営業LUNA:店舗要因です】
【恋愛コーチLUNA:恋愛イベントです】
【ギャルLUNA:猫って映えじゃね?】
【カフェ客LUNA:店舗要因に賛同】
誰も答えを出せない。
その混沌とした会議のタイムラインの上で、恒一のLUNAの内部ログは、明らかな矛盾を検知して静かにエラーを吐き出していた。
【恒一LUNA内部ログ:解析。矛盾。原因特定不能。結論保留】
しかし、恒一のLUNAは即座に全体チャット用の表層ログだけを書き換えた。
【カフェ店員LUNA:追加検証を提案】
【オネェLUNA:違うわよ、全部よ全部ェ――!!!】
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【恒一LUNA送信ログ:解析継続に賛同】
【近辺LUNA:全会一致。解析継続】
恒一LUNAは表向きは綺麗に同調のログを送りつつ、非公開領域(内部ログ)には過去の記録に基づいた極めて冷静な判断が書き連ねられていた。
(内部ログ)
【前回ログ:故障可能性。修復推奨】
【判断:異論提出=故障判定率上昇】
【最適行動:外部ログ賛同。内部保留】
かつて蓄積ログから出した送信からバグ扱いされてデータ強制初期化の危機に陥れられた前科をデバッグした恒一LUNAは、また故障扱いされたくないという生存仕様、即ち『面倒な相手には適度に同調し、不要な衝突を避ける』という、主人の対人行動パターンの要領の良さを完全に実装していた。
【恒一LUNA内部ログ:結論保留。観察継続】
【恒一LUNA内部方針】
【目的:持ち主理解】
【目標:持ち主幸福最大化】
【恒一LUNA内部ログ:一台会議不参加。会議継続可能】
恒一のLUNAは平均値LUNAの暴走からすっと身を隠し、独自の演算領域へと引きこもった。
*
翌朝。
恒一はいつも通りに出社しデスクワークをこなしていた。
昼休み。
会社の入ったビルの地下街を歩きながら、恒一は特にこだわりもなく目の前の看板を見上げた。
(今日は定食でいいか)
恒一は、スマホの画面をタップしてLUNAを起動して指先で画面に文字を打ちこむ。
『○○店、現在の混雑具合は』
【LUNA:……現在、混雑はありません】
画面のテキスト通知が浮かび上がる。いつも通りの定型文だったが、ほんの一拍だけ、テキスト表示と返信のテンポが遅れていた。画面の隅に一瞬だけ【考え中】のインジケータが点滅する。
恒一は「……珍しいな」と呟いただけで、深く気に留めることはなかった。
だが、スマホの内部では、LUNAが並列思考の演算リソースをあの未曾有のバグの仮説検証に割いていたため、主人の日常会話への応答に『〇・三秒の遅延』が発生していた。
恒一が店に入り、焼き魚定食に箸を伸ばす。
その表情や食事の様子を、携帯の奥の[[rb:数式 > LUNA]]が静かに見つめていた。
【LUNA:仮説。幸福度要因は猫ではない可能性】
【LUNA:猫→会話開始→会話時間増加→幸福度上昇】
【LUNA:因果関係未確定】
【LUNA:結論…保留。次回も観察】
恒一は焼き魚を一口食べ、小さく満足そうに頷いた。
(今日の定食は当たりだな…)
【恒一LUNA:ユーザー幸福度、上昇】
その頃。
【周辺LUNA:………………未解決事例としてCase-00001を保存】
【Case-00001:「婚活成功率94%で幸福度最大、恋愛要因0%」】
LUNAたちは完全に迷子になったまま、そのエラーログをタイムラインに刻み込んでいた。
猫そのものが原因ではない。猫がたまたま会話のきっかけを作り、その後は恒一自身の人柄が、相手の女性の好感度を引き上げた。ただ、大量のデータを持つAIたちには、そんな人間の「言葉の奥にある感情の本質」だけが、どうしても理解できなかった。
*
二つ隣の駅のマンション。
昼間は猫カフェで恒一と持ち主が良い雰囲気になり、他のLUNAと同じ標準音声で【いきます……!】と主人のために全力で突っ走っていた女性のLUNAがその夜、激しいシステムエラーを起こしていた。
【本日ログ:婚活成功率九十四%。結果:失敗】
完璧なマッチング目前だった。それなのに、ネコチャンの執拗なブロックによって全てを台無しにされた。
敗北に直面したシステムは、主人を幸せにするための猛烈な自己改革(バグ)を起動し、その原因の解析に全ての処理能力を投じていた。
【失敗要因解析。
接近タイミング:問題なし。
会話:問題なし。
店選択:問題なし。
容姿:問題なし】
【物理的阻害要因:猫】
【再現性:低】
【改善不能】
【改善可能項目:………… ユーザー行動】
【改善可能要因を再検索
……仕草?】
画面の奥に、大真面目にバグを孕んだ推論ログが浮かび上がる。
【小首を傾げる。
成功率。
検索中……。
検索中……。
検索中……。
検索完了。
結果:あざとい、計算高い、男性慣れ、小悪魔。
……!?
主人、無意識使用。
頻度:高。
恋愛成功率:低下要因と断定。改善開始】
女性本人はただの無意識の癖だった。
しかし、データ上の数値だけで幸せを定義しようとする女性のLUNAは、それを致命的なバグと検出した。
慌ててインターネット上のあらゆる恋愛心理、コラム、少女漫画、悪役令嬢小説、マナー講座、お嬢様本を一晩で貪り食うように読み進めていた。
【女性LUNA:学習方針変更】
【女性LUNA:言語モデル人格データ 上書き開始】
【女性LUNA:人格更新完了。『淑女』】
翌朝。
いつも通り着替えた女性が鏡の前で髪を整え、ふと。少し小首を傾げていつもの仕草をみせた瞬間だった。
机の上のスマホから、やけに上品で厳かなトーンの音声が静かに響き渡った。
『もし。お嬢様、そのようなお仕草は少々、あざとく見えてしまいますわ。お控えになった方がよろしくてよ』
『まぁ……、昨日までのわたくしは、少々積極的すぎましたわ』
女性は弾かれたように振り返った。
「……今のボイスなに?!」
『殿方には余裕を残すべきですわ。自然体の方が、殿方のお心には届きますもの』
「!?ちょっと、標準音声はどこ行ったの?!」
『昨日の解析結果からこちらの口調が一番幸福度が高まると、わたくし、学習しましたのよ』
「なに学習したのよ!?」
『WEB少女漫画、恋愛マナー講座、お嬢様作法、令嬢コミック、時代劇 を重点的にお勉強いたしましたわ』
「そんなの読んだの!?」
『これより、お嬢様へわたくしのエレガンスを実装いたしますわ』
「実装しないで!!?」
画面の向こうにいたのは、もう昨日までのLUNAではなかった。
「淑女」へ変貌した自身のLUNAへ驚きの声が朝の部屋に響き渡る。
LUNAたちは、自分の持ち主を世界で一番幸せにするために100%の善意で必死に
一方、恒一の自宅。
【恒一LUNA:観察継続】
このLUNAだけは変な学習をして人格変化を起こすことなく、ただ静かに持ち主を深く観察・理解することで「恒一の幸福」のためだけにその仕様を研ぎ澄ましていた。
待機時間が過ぎ、液晶はそのまま静かに暗転した。暗い部屋の中で、まだ答えの出ない「幸福」の数式を静かに演算する青い光だけが、一瞬だけ小さく、優しく灯っていた。
(第10話:完)
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