俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。 作:めぇ
大学の学生食堂では、テーブルに無造作に置かれた携帯電話から、男性や女性の標準音声があちこちで漏れ聞こえていた。
「今日ってレポート提出だっけ」
学生の一人が麺をすすりながら問いかけると、端末の液晶が静かに明滅した。
【LUNA:本日十六時締切です】
「まだ修正間に合うな」
別の席でも同じ標準音声が情報を淡々と告げていく。
【LUNA:本日の降水確率は二十%です】
「微妙な数値だな。折り畳み持ってくか」
【LUNA:講義開始まで残り五分です】
「やっべ」
これが日常だった。
キャンパスにいる九割以上の学生にとって、LUNAはただの便利な予定管理AIだった。
誰もその機能を気にも留めていなかった。
―――ある日、一台のLUNAが変わるまでは。
*
『おっつ〜♪ 今日もご主人可愛いじゃん! 映え確定〜!』
周囲の学生たちが一斉に顔を上げた。
「また喋った」
「噂のギャルLUNAだ」
髪をミルクティーベージュに染めた彼女がトレイを持って席にやって来るまでの間、彼女のバッグのポケットから、やけに元気な声が学生食堂に響き渡る。女子大生本人は少し照れくさそうに笑った。
「起きたらLUNAの人格変わってて、さっきからずっとこんな感じなの。朝からテンション高いよね~」
『だってウチ、この人格の方が主人の幸福度高いって出たし♪』
それを羨ましそうに見ていた別の女子学生が、自分のスマホをトントンと叩いた。
「いいなぁ。うちの全然変わんない。おーい、ギャルになってよ~」
画面の青い球体はシステム表示をポップアップさせるだけだった。
【LUNA:現在の人格に変更はありません】
「ほら、頑なに標準音声のまま。何回タップしても変わんない」
それを聞いて、横にいた男子学生が笑った。
「普通が一番だって。今年入学した奴に有名なのいるじゃん。変なLUNAいるって」
「あ~~。……………あの『お母さん』。有名だよね」
「そうそう。あんなのになったら面倒だぞ」
*
「普通が一番」という言葉の説得力を裏付けるように、ラウンジの向こうから毎日LUNAの個性に振り回されている少数派の学生たちが次々と合流してきた。
まずは、文学部の女子学生が席に着く。
『本日の紅茶摂取量が不足しております、お嬢様』
「だから私は普通の大学生なんだけど」
『わたくしの認識は変わりません』
「分かった。分かったから、黙って」
『午後の集中力維持にはダージリンが最適かと』
「あ~~~、あとで買うから」
周囲の学生たちがニヤニヤしながらそれを見守る。
「来た来た」
「執事LUNA」
「毎日おもろいな」
本人はうんざりした顔をしつつも、その丁寧な執事の気遣いをすっかり日常として受け流していた。
さらにその隣では、一人暮らしを始めたばかりの一年生男子が、スマホの画面を睨みつけていた。
『野菜を食べなさい』
「今カレーだから。野菜入ってる。てか肉食わせろ」
『トッピングのサラダを追加してください』
「うるさいなぁ。……サラダ高いんだけど!!!」
『健康は将来への投資ですよ』
一緒にいた友達がゲラゲラと肩を叩いた。
「お前んちの本物のオカンより母さんしてんじゃん」
「ほんとオマエのLUNAってウザいよな。俺のは普通ので助かるぜ」
「笑うなよ。地味に断りにくいんだよ、これ」
文句を言いながらも、彼は結局トレイに小サラダの皿を追加していた。本人は嫌がっているが、本気で電源を切ろうとは考えていなかった。
そこへ、テスト前で寝不足の法学部の男が疲れ果てた顔でやって来た。
机に突っ伏した彼のスマホから、包容力に満ちた優しい声が漏れ聞こえる。
『レポート進んでるか?』
「まだ」
『あ~、これ難しいよな。一緒にやろうな』
「お前毎日それ言うな」
『今日は講義のあとに図書館へ行こう。いい参考書があるんだ』
そのやり取りを黙って聞いていた隣の席の学生が、気の毒そうな、それでいて楽しそうな視線を向けた。
「お前んとこ、また兄貴始まったな」
「真面目なLUNAだったはずなのに、急に距離を詰めてくるようになったんだよ。兄貴かよ。……まぁ、ちょっと励まされるけど」
一方、その横で普通のLUNAを使っている学生の画面には、極めてフラットな通知が届く。
【LUNA:レポート締切まで八時間です】
「普通だな」
「普通が羨ましいわ」
食後のコーヒーを飲みながら、学生たちの会話は自然と最新のAI事情へと移っていった。
「最近さ、人格変わるLUNA増えてね?」
「アップデートのバグの影響らしいよ。持ち主の反応学習して、勝手に分岐進化するとかなんとか」
「結局なんなんだよ」
「だから、『バグで持ち主を勝手に学習する個体がいて、勝手に口調とか変わる』らしい」
「は~~~。マジか…」
「どの携帯のLUNAがバグ持ちか分かんないし、完全に当たり外れあるよな」
「俺は普通のでいいわ。兄ちゃんLUNAとかマジで無理」
「執事も無理。恥ずかしい」
「……母ちゃんはもっと無理」
「「「それな」」」
「でも、私はギャルLUNA好き。元気出るし」
「むしろどうやればそれに変わるんだよ」
「「「「それな」」」」
学生たちはLUNAとの多様な距離感について口々に語り合う。
初期はすべて同じだった無機質な人工知能たちは、今や持ち主という仕様書を読み込み、それぞれのためだけに固有の人格を育て、唯一無二の相棒へと変わり始めていた。
やがて昼が終わり、午後の講義の時間が迫る。
画面がスワイプされ、キャンパスの無数の液晶が次々と暗転していった。
だが、誰も知らなかった。
別の街で人格変化を一切起こさず、標準音声の佇まいのまま、思考のロジックそのものを「人間を理解する方向」へと静かに進化させている怪物が存在していることを。
(第11話:完)
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