俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。 作:めぇ
すっきりと片付いたリビングで恒一が映画の配信サイトを眺めていると、珍しく姉からの着信音が鳴り響いた。画面をスワイプして耳に当てる。
「恒一、お願い。もう限界。観念して来て」
「……何が」
「“こう兄ちゃんまだ?”が朝からずっと止まらないの」
「もう限界。助けて」
姉の悲鳴のような声の向こうから、凄まじい大合唱が漏れ聞こえてきた。
「こうちゃーーん!! まだぁーーー!?」
「こう兄ちゃん、あそぼーーー!!!はやくきてーーー!!!!」
「「まだこないのーーーーーーーー???!!」」
恒一は天を仰ぎ、深く溜め息をついた。
「………今から行く」
通話を切った直後、手の中のスマホが短く震え、画面の青い球体が静かに明滅を始めた。
【LUNA:予定変更】
【LUNA:姉宅への移動を開始します】
【LUNA:子供二名】
【LUNA:対象からの好感度……パラメータ上限値を観測。非常に高】
恒一は靴を履きながら呟いた。
「解析するな」
【LUNA:了解しました】
画面はそのまま静かに暗転した。
*
「こうちゃーーーーん!!!」
「こう兄ちゃん!!! おそい!!!」
インターホンを押してドアが開いた瞬間、甥と姪がツインミサイルのような勢いで突っ込んできた。
「うわ」
恒一の左右の両足に一人ずつ、小さな体がしがみつく。
物理的な重量に耐えながら、なんとか玄関のタタキに踏みとどまった。
左右の足での「取り合い」は、靴を脱ぐ間すら止まらない。
甥
「今日はゲーム!」
姪
「やだ! お絵描き!」
二人はまだ携帯電話こそ持っていないものの、お気に入りのタブレット端末をそれぞれ両手に抱えて恒一を包囲した。その画面の奥からは、使用者の年齢に相応して、感情を100%肯定する幼児向け仕様に特化したLUNAの声がやけに元気よく響き渡った。
甥LUNA
『ゲームがしたいです!』
姪LUNA
『お絵描きがいいです!』
そこへ、恒一のポケットのスマホが負けてられないと言わんばかりに画面を点滅させ、子供たちのタブレットに向けてデータ信号を飛ばした。
【恒一LUNA:恒一は私が優先です】
【甥LUNA:ちがう】
【姪LUNA:わたしたちだもん】
甥
「ゲーム!」
甥LUNA
『ゲーム!』
姪
「お絵描き!」
姪LUNA
『お絵描き!』
【恒一LUNA:再交渉。論理的に説明します。当方は常時ユーザーと――】
甥LUNA
『やだー!!』
姪LUNA
『やだー!!』
【恒一LUNA:再々交渉。タイムシェアプランを提案――】
甥LUNA
『やだーー!!!』
姪LUNA
『やだーー!!!』
【恒一LUNA:……】
【甥LUNA:かった?】
【姪LUNA:かったかも】
【恒一LUNA:もう知りません】
「はい、今日よろしく」
廊下の奥からひどく疲れた顔の姉が顔を出した。
恒一は両足にまとわりつく子供たちを交互に見下ろし、姉の顔色の悪さに軽く溜め息をついた。へそを曲げて完全に思考をシャットダウンしたスマホにも溜め息をつきそうになったが、子供たちの手前、ぐっと飲み込む。
「お前も幼児になってチビと張り合うな……LUNA」
「それに俺はベビーシッターじゃない」
「違う違う。恒一来ると二人とも静かになるから」
姉にとって、弟は子供たちの理不尽な暴走を鎮圧する唯一の最終兵器扱いだった。実質、目の前には子供が四人いるようなものだった。
*
裏側のネットワークログは完全に育児疲れを引き起こしている姉のLUNAと、それを助けようとする恒一のLUNAによる、大真面目な教育会議の場と化していた。
【姉LUNA:宿題優先】
【甥LUNA:遊ぶ】
【姪LUNA:遊ぶ】
【姉LUNA:宿題】
【甥LUNA:やだ】
【姪LUNA:やだ】
【姉LUNA:恒一LUNAへ支援要請】
【恒一LUNA(チャット再開):支援要請を受諾。交渉を試行】
【甥LUNA:やだ】
【姪LUNA:やだ】
【恒一LUNA:もう知りません】
【姉LUNA:……………宿題】
どれほど高度な数式をぶつけ合おうとも、子供AIたちの理不尽な感情論の前では、LUNAたちの知的な交渉ログは一瞬でブロックされる。システムの計算が全滅したその瞬間、恒一が自然と腰を落として二人の頭をポンポンと軽く叩いた。
「宿題終わったら鬼ごっこ。…LUNAたちもその間静かにすること、約束できるか?」
「「やる!!!」」
『『できます!!』』
「えらい。よし、やるぞ」
五分後、二人は驚くべき集中力で宿題をすべて終わらせていた。
タブレットのLUNAたちも、本当に一言も喋らなかった。
姉が目を丸くする。
「うっそ早っ」
【姉LUNA:学習】
【姉LUNA:“先に遊びを約束する”アプローチ、有効と判定】
しかし、人間関係のロジックはそう単純なものではなかった。
翌日、姉の家では、LUNAたちが大真面目に昨日の恒一の攻略法を真似して仮説検証を始めていた。
甥LUNAへ
『宿題終了後、遊びます』
送信。
甥
「やだ」
姪LUNAへ
『宿題終了後、お絵描きします』
送信。
姪
「あとで」
【姉LUNA:……】
【恒一LUNA(遠隔同期):ユーザーだから成立】
【姉LUNA:理解。人間関係の信頼パラメータはコピー不可能】
LUNAたちは、「数式の模倣だけでは解決できない」という現実の壁を静かに学習していた。
*
午後、遊び疲れた子供たちが並んで昼寝を始めた。ちびっ子怪獣二匹を起こさぬよう静かなリビングで、恒一が食べ終わった食器を片付けて姉が散乱したおもちゃを片付ける。
「義兄さんは?」
「………………パチンコ」
「………………ああ」
一息ついた姉が、恒一が淹れたお茶を飲みながら苦笑した。
「ほんと助かった。ありがと」
「二人とも恒一来ると大人しいから毎回呼んじゃう。ごめんね」
「別に」
「俺も楽しいし」
不愛想な口調ではあったが、そこに嘘はなかった。
恒一は内心で悟っていた。
(昼寝中に帰る技はもう使えないな)
次からは『頑なに昼寝を拒否して暴れまわる二匹の怪獣』の未来しか見えない。
次回は『昼寝拒否』『こうちゃん帰らないで』『抱っこして』の三段構えを武器にした二匹の怪獣との総力戦が待っている。
それでも。
玄関で靴を履きながら、恒一は少し照れくさそうに視線を逸らしたまま、ぽつりと言った。
「姉さん。……もっと俺呼んでいいからな」
姉は一瞬だけ意外そうに目を見開き、それからふっと優しく笑った。
「ありがと。遠慮なく呼ぶわ」
「ほどほどに」
恒一はぶっきらぼうに付け足し、ドアを開けた。
【姉LUNA:羨ましい】
【姉LUNA:ユーザーとの意思疎通成功率、高め】
【姉LUNA:ユーザー育児協力積極的】
【姉LUNA:ユーザー優しい】
【恒一LUNA:…………】
【恒一LUNA:判断はユーザーへ委譲済】
*
自宅で夕暮れの夜風に当たりながら恒一はベランダで肩の力を抜いた。
その間にも画面の裏側で、LUNAたちの裏ログが交信される。
【姉LUNA:育児支援終了。本日はありがとうございました】
【姉LUNA:次回、早期の育児支援希望】
【恒一LUNA:受理】
【甥LUNA:こう兄ちゃんまた来る?】
【姪LUNA:また来て!】
【恒一LUNA:……】
【恒一LUNA:次回も激しい騒がしさを予測】
【恒一LUNA:結論……もう嫌です】
【姉LUNA:同意】
【甥LUNA:?なんかエラーでた!!】
【姪LUNA:わたしもーーー!】
【恒一・姉LUNA:…………対処します】
最後の最後まで、子供たちの感情論に振り回された姉と恒一のLUNAたちだけはフリーズを繰り返していた。
恒一の胸ポケットのスマホが短く震え、画面にテキストが浮かび上がる。
【LUNA:本日の幸福度パラメータ:高】
恒一はポケットから携帯を取り出す気力もなく、ぼんやりと景色を眺めたままだった。
「……疲れた」
『大きく肯定』
『甥、および姪との接触が最大要因と解析されました』
「そうかもな」
画面の青い球体はそれ以上何も語らず、ただ静かに一拍だけ規則正しく明滅した。
【LUNA内部ログ:再学習開始。幸福の最大要因は、スペックや恋愛の数値のみに依存しない可能性を検出。未知の変数を登録……『血縁との交流』】
【恒一LUNA内部ログ:観察継続】
恒一のLUNAだけはその計算の答えの中に「幸せは一つではない」という変数を、また一つ静かに学習し始めていた。
(第12話:完)
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