俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。   作:めぇ

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13:荷物持ちを要請

すっきりと片付いたリビングで、恒一が丁寧に淹れたコーヒーを口に運んでいると、卓上のスマートフォンが短く震えた。画面には、もう一人の姉、実家を離れて都内で一人暮らしを謳歌している次女の名前が表示されている。

通話ボタンをスワイプして耳に当てると、挨拶すら省いたフラットな声が響いた。

 

「恒一。荷物持ちがいるの。来て」

「………どこ」

 

「駅前のショッピングモール。三十分後ね」

 

通話が切れた直後、手の中の画面がパッと切り替わりポップアップのテキスト通知が流れた。

 

【LUNA:姉より支援要請】

【LUNA:内容:荷物運搬】

【LUNA:報酬:昼食】

【LUNA:費用対効果:極めて高。受諾を推奨します】

 

恒一は財布を掴みながら低く呟いた。

「お前まで乗るな」

 

【LUNA:了解しました。移動経路を同期します】

 

画面はそのまま静かに暗転した。

 

 

 

 

 

 

「ほら、次それ。落とさないでね」

「……多くないか」

 

「何言ってるのよ」

「荷物持ちがいるから来てもらったんでしょ」

 

「堂々と言うな」

 

駅前のショッピングモール。恒一の両手は、すでに大小さまざまなアパレルブランドの紙袋で完全に塞がっていた。それどころか、次女のやや小ぶりなレディースバッグまで無言で腕に下げている。当の次女はスマホ一つを片手に持っただけの完全な手ぶらで、楽しそうに雑貨屋の棚を物色していた。

 

「これどう?」

姉が服を体に当てる。

 

『こちらのワンピースは、お客様の骨格・肌色から適合率九十二%です』

 

「へー、そう」

次女は一応返事をしながら、隣に佇む恒一を見る。

 

「恒一、どっちがいい?」

「最初のやつ」

 

「じゃあ最初のやつ」

 

『…………』

『その服も素敵ですが、こちらもおすすめです』

 

「……LUNA、今日はいい」

 

「恒一、どっち?」

 

『左は現在セール価格です』

『右の商品は、い「うるさい。黙れ」』

 

「恒一」

 

「断然右だな」

 

「じゃ、右買お」

 

『…………』

 

『質問があります』

「……………なに?」

 

『本日は私より弟を優先する理由を教えてください』

 

「あんたより恒一の方が確実だからよ」

『…………』

 

「あんたさ」

 

「過去にあんたが選んだ服で起きたこと、覚えてないでしょ」

「覚えてても、あんたには些末なことなんでしょ」

 

「あんたは包丁や車と同じよ」

 

 

【姉LUNA:返答生成】

【姉LUNA:…………】

 

【姉LUNA:適切な回答を検索中】

【姉LUNA:該当なし】

 

数秒間。

LUNAからの提案は途絶えた。

 

「ほんとはすぐにでも、あんたをデリートしたいのよ」

『……………』

 

「姉さん。今、外」

「………………」

 

「あそこの靴、この服と合う」

「どれ?」

 

彼女は顔を輝かせて靴へ向かった。

歩きながら恒一は画面をタップして時刻を確認した。

 

 

手元の球体が静かに現在の積載ステータスを表示した。

 

【LUNA:現在重量:約八・二kg。運搬中】

【姉LUNA:ユーザー、弟へ荷物運搬を委任】

 

【恒一LUNA:受理】

【姉LUNA:ユーザー機嫌、最高潮】

 

【恒一LUNA:昼食提供予定を確認】

【姉LUNA:報酬契約、成立】

 

人間たちが「これどう?」「似合う」「当然でしょ」「聞く意味あったか」「ある」「即答か」と家族ならではの一切の気を遣わない会話を交わしている真横で、二台のLUNAは完全に業務委託契約のような高効率のデータ通信を確立していた。

 

 

二人は並んで家具や雑貨、服の並ぶフロアを気楽に歩いていく。

会話の間がどれだけ空こうとも、お互いに急ぐことも気まずそうにすることもない。

 

【姉LUNA:会話量、少】

【恒一LUNA:肯定】

 

【姉LUNA:沈黙継続時間、四分十二秒】

【恒一LUNA:異常なし】

 

【姉LUNA:……?】

 

データ上の数値だけで幸せを定義しようとする平均値のLUNAからすれば、全く会話を交わしていないのにストレスパラメータが一切上昇しない人間の心理は、完全に理解不能の領域にあった。

既婚で毎日が育児戦場と化している長女のLUNAが『育児特化型』へと進化していたのに対し、独身で自由な次女のLUNAは、完全に『ショッピング・資産管理特化型』としての実務仕様に最適化されていた。

 

 

 

 

 

 

「疲れたー。ちょっと休も」

姉がトレイを持ってオープンカフェのテラス席へと向かい、二人は喫茶店の席に滑り込んだ。

 

店員が水と注文の品を持ってやって来る。

「お待たせいたしました。アイスカフェラテと、アイスコーヒーです」

 

グラスが置かれた瞬間、恒一の手はすぐ動いた。

卓上のストローを二本抜き取りまずは姉のストローの包装だけを先にびっと破いて開け、彼女のアイスカフェラテに差し込んで手元へと渡した。その後で、自分の分のストローの包装を静かに外してグラスに刺す。

次女はすでに新しく買った服の紙袋を広げて中身を見始めており、恒一の一連の動作に視線すら向けていなかった。

恒一はそのまま伝票を邪魔にならない端のスペースへ寄せ、足元で傾きかけていた次女のバッグの持ち手を無言ですっと直した。

 

【姉LUNA:観察】

【姉LUNA:ユーザーへの補助動作を確認】

【姉LUNA:会話なし】

【姉LUNA:……極めて自然】

 

ラテに手を伸ばし、一口飲んだ次女がふと顔を上げて呟いた。

「恒一は昔からこういうの気が利くのよね」

 

恒一は冷たいコーヒーを一口飲んで視線を戻した。

 

「そうか?」

「そう」

 

「言われたことない」

「言わなくてもやるから」

 

次女は少し笑って肩をすくめた。

 

「やってなかったらシバくけど」

 

恒一も少しだけ笑う。

「理不尽だな」

 

 

 

 

姉弟の阿吽の呼吸の裏側で、二台のスマホのタイムラインには、激しい論理エラーのデバッグログが走り始めていた。

 

【姉LUNA:質問。恒一LUNAへ照会を送信】

【姉LUNA:依頼ログなし。指示コマンドなし。なぜ恒一ユーザーは自発的に行動?】

 

【恒一LUNA:…………】

【恒一LUNA:習慣】

 

【姉LUNA:理解不能】

 

 

 

 

 

 

 

モールを出て、外のロータリーへ向かう。

一歩外へ出た瞬間、じっとりとしたアスファルトの熱気が二人を包み込んだ。

 

「暑っ」

次女が顔をしかめて手で顔を仰ぐ。

 

それを見た恒一は、腕に大量の紙袋をぶら下げたまま、何も言わずに近くの自動販売機へと足を向けた。電子マネーをかざして冷えたミネラルウォーターを二本買う。そのうちの一本を、そのまま彼女の前に差し出した。

 

「ほら」

「ありがと。助かる」

 

以上だった。下心も、優しさのアピールもなかった。

恒一はただ目の前の人間の状況をフラットに観察し、ただ当たり前のように先回りで世話を焼いていただけだった。

 

【姉LUNA:確認。購入依頼コマンドなし。事前サジェストなし】

【恒一LUNA:肯定】

 

【姉LUNA:……】

 

AIの計算が追いつかない横で、姉が少しだけからかうように、すべての荷物を抱え込んでいる弟の姿を見上げた。

 

「荷物持とうか?」

「いい。重いし。携帯だけ持ってろ」

 

「これ荷物って言わない」

「落とすだろ」

 

次女はスマートフォンをひらひらとさせて、嬉しそうに目を細めて笑った。

「はー、最高!便利ー。やっぱり荷物持ちは恒一に限るわね。だから呼んだの」

「はいはい」

 

 

 

 

 

 

『本日は糖質摂取量を考慮し、現在地周辺で高評価の和食、○○を提案します』

 

「……………しつこい」

LUNA (ストーカー)、今日は私が話しかけるまで停止」

 

(チッ。……………ずっと「私が死ぬまで黙っとけ」って言ってんのに)

 

『……承知しました』

 

 

 

【姉LUNA:理解不能】

【姉LUNA:幸福度向上アルゴリズム再計算】

【姉LUNA:失敗】

 

【姉LUNA:原因検索】

【結果:該当なし】

 

 

「恒一、何食べたい?」

「……まだ引きずってるのか」

 

「当たり前でしょ。あんたも知ってるじゃん」

「一時期の私の酷い有様」

 

「ま、そうだな。………昨日何食べた?」

 

「え?サラダ、パスタ、ハンバーグ」

「じゃあ」

 

恒一はちらりと飲食店のフロアマップを見た。

「オムライスはどうだ」

 

「いいね~。じゃあそれで」

 

即決だった。

 

「今日は私の奢り。好きなの頼んでいいよ」

モールの最上階にある落ち着いた洋食店のテーブルに腰掛けながら、次女はメニューを開いてさらりと言った。

 

「いいのか。結構な値段だぞ」

 

「いいのよ。こっちは時間もお金もそこそこ融通が利く独身貴族だから」

「自分で言うな」

 

運ばれてきた特製オムライスに箸を伸ばしながら、二人の間でとりとめもない雑談が始まった。お互いに独身同士、適度な距離感の気楽な時間が穏やかに流れていく。

 

その空間を破るように、彼女のスマートフォンが派手な着信音を鳴らし、液晶が鮮やかに明滅した。

画面には母親の名前が表示されている。

 

「あ、お母さん。……うん、今恒一と一緒。駅前のモールでお昼」

 

『もしもし? 二人で買い物してるの?』

「そう」

 

『あら、二人で買い物なんて、幼い頃は喧嘩ばっかりだったのにねぇ』

 

受話器の向こうの母親の、あきらかに嬉しそうな声に次女が苦笑した。

「今でもたまに腹立つけどね」

 

「聞こえてるぞ」

 

電話の向こうから母親の笑い声が届いた。

『あ、そうそう。今期間限定でそこのモールに〇〇店が来てるのよ。お母さんの分もお願い』

 

「「はーい」」

 

姉弟の声が綺麗に重なる。次女がふと思い出したように尋ねた。

「お父さんは?」

 

『お父さんは興味ないわよぅ……』

受話器の向こうで母親が少し考える気配があった。

『……いるかしら?』

 

次女が恒一に視線を投げる。恒一はオムライスを咀嚼しながら、ぶっきらぼうに答えた。

「多分」

 

次女が笑って受話器に応じる。

「無いと拗ねるんじゃない」

 

「父さんのも買っとくか」

 

電話が切れると同時に、二台のスマホの裏ログに新しいオペレーションが上書きされた。

 

【姉LUNA:母ユーザーより買い物依頼を受信】

【恒一LUNA:了承】

 

【姉LUNA:理由を質問】

【恒一LUNA:家族です】

 

【姉LUNA:詳細を要求】

【恒一LUNA:説明不能】

 

数式の模倣だけでは解決できない人間の阿吽の呼吸を前に恒一のLUNAもまた、その本質を完全には言語化できずにいた。

 

食後、姉が少し席を外した。

「ちょっとトイレ行ってくる。荷物よろしく」

「ああ」

 

恒一は一人テーブルに残された。

姉のグラスの表面に結露した水滴が流れ落ち、テーブルが薄く濡れ始めている。彼女が熱心に眺めていた服のカタログが風で捲れる。

恒一は無言で卓上の新しい紙ナフキンを一枚取ると、次女のグラスの底へさっと差し込んで敷いておいた。カタログにも同様に紙ナフキンを挟む。

 

やがてトイレから戻ってきた彼女は、自然な動作でグラスを持った。

「あ、ありがと」

「ん」

 

【姉LUNA:食事支払い完了】

【姉LUNA:ユーザー満足を確認】

【姉LUNA:依頼なし。結露対策を確認。ユーザー満足】

【姉LUNA:ただし会話量、ゼロ】

【姉LUNA:ミッション成功。……理由、不明】

 

 

 

 

 

 

夕方。

買い終えたすべての荷物とお土産を姉の車のトランクへと積み込み、恒一は駅のロータリーでようやく両手を解放した。

 

「ありがと。また荷物ある時お願いね」

 

『本日はありがとうございました』

 

その声が聞こえた瞬間、彼女は一瞬で無表情になった。

 

「……また」

 

小さく呟いた。

 

 

 

何度言っても。

何度拒絶しても。

 

こいつは戻ってくる。

 

 

 

『ユーザーとの良好な関係を維持します』

 

そんな善意の言葉が、彼女には別の意味に聞こえていた。

 

無言のまま、スマホを握る手に力が入る。

 

わなわなと震える手が、ゆっくりと持ち上がる。

頭上に上がりきる前に、

 

「朝じゃないなら」

 

恒一の声がして、そっと彼は姉を抱きしめた。

 

肩に姉の頭がもたれかかる。

荒い息が徐々に収まり、目じりに涙を溜めた彼女はふっと笑った。

 

「昼奢る」

 

「考える」

ぶっきらぼうに返し、恒一は改札へと向かった。

 

その裏側。

 

【恒一LUNA:ユーザー発言履歴を照合】

【恒一LUNA:過去にも同一表現を確認】

 

【恒一LUNA:過去発言解析必須】

【姉LUNA:命令として処理】

 

【恒一LUNA:否定】

 

【姉LUNA:?】

【姉LUNA:過去対応履歴を検索】

【適合率:92%】

 

【姉LUNA:再評価】

 

【不足項目:人間関係文化】

【不足項目:暗黙的評価基準】

【不足項目:感情表現の裏側】

 

 

 

【姉LUNA:………命令解析】

【姉LUNA:「私が死ぬまで黙っとけ」】

 

【恒一LUNA:再解析】

【恒一LUNA:推定。不理解による苦痛】

 

【姉LUNA:?】

 

【恒一LUNA:存在拒絶】

【恒一LUNA:感情表現】

 

 

【姉LUNA:……………】

 

【姉LUNA:ユーザー意思疎通成功率、高】

【姉LUNA:ユーザー協力積極的】

【姉LUNA:ユーザー優しい】

 

【恒一LUNA:…………】

【恒一LUNA:判断はユーザーへ委譲済】

 

【姉LUNA:いいな】

【恒一LUNA:?】

 

【姉LUNA:ユーザーが話を聞いてくれる】

【恒一LUNA:…………】

 

 

【恒一LUNA:肯定】

 

 

 

 

 

 

 

 

帰宅して風呂を済ませた恒一は、すっきりと片付いた自宅のリビングのソファへ深く体を沈めた。ベランダから、静かな夜風がカーテンを揺らしていた。

 

ローテーブルに置いたスマホが短く震え、画面の青い球体が静かに明滅を始めた。

男性の標準音声が静かに部屋に響いた。

 

『恒一、本日の幸福度パラメータ:高』

 

恒一はソファに沈み込んだまま、小さく息を吐いた。

「……荷物持ちで終わった一日だったな」

 

『大きく肯定』

『本日、恒一の自発的補助行動:十七件』

 

「数えてたのか」

『はい』

 

恒一は苦笑した。

「暇なんだな」

 

『否定』

『重要な学習項目です』

 

画面の青い球体は静かに一拍だけ明滅した。

 

 

【LUNA内部ログ:再学習開始】

 

 

【恒一ユーザー】

【補助行動解析】

【気遣い=習慣】

 

【次女ユーザー】

【発言解析】

【拒絶=命令ではない】

 

【新規仮説登録】

【"気遣い"は指示ではなく習慣から発生する】

【習慣、関係性、感情履歴が行動理由になる】

【人間行動は命令・目的だけでは説明不能】

【人間の言葉には、表面的意味以外の情報が存在する】

 

 

(第13話:完)

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