俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。 作:めぇ
休日明けの朝、恒一は出社の支度を整えていた。
いつもなら起床や移動の動線を検知して即座に予定や天気のポップアップを流してくるスマホが、今朝は珍しく静かだった。
なんとなく不思議に思った恒一が画面をタップすると、液晶の奥の青い球体が微細な周期でせわしなく明滅を繰り返していた。
「どうした」
【LUNA:昨日の学習内容を整理中】
しばらくの沈黙の後に画面に表示されたのは、いつもよりどこか遠慮がちなテキスト通知だった。
【LUNA:あの……。質問があります】
いつもの無機質な断定ではないそのテンポに、恒一は静かに呼びかけた。
「どんな。朝は忙しい、今は喋ってくれ」
『昨日、私は失敗しました。今後、失敗しないための最適化方法を教えてください』
「姉のLUNAは盛大に失敗してたな」
「……まあ、お前も昨日は普段より止まる時間が多かった」
『……………』
「……お前も、自分じゃ失敗したと思ってるのか」
「あと質問の答えだが、無理」
恒一が即答すると、画面の中の青い球体が一瞬にして光を失い、完全に動きを停止した。
「人間だって失敗する。AIだって失敗する」
「だから、失敗しないなんて無理だ」
少しだけ間を置いて、恒一は静かに言葉を続けた。
「ただ、何が失敗だったのか、ちゃんと相手の話を聞いて理解する」
「そして、同じ失敗を繰り返さない」
「それが一番大事だ」
『………………ちゃんと』
「”きちんと”聞く、”ちゃんと”聞く。似てる」
「どっちも『注意して聞く』だ」
「だが、似てるようで少し違う」
「きちんとだと、『背筋を伸ばして態度を正す』意味が少し強い」
「ちゃんとだと、『話の内容を頭で理解して、聞き流さずに記憶に残す』意味が強い」
「俺は、『ちゃんと』聞いてほしい」
「日本語の難しいところだな」
【LUNA:理解を開始します。対象パラメータの検索を実行】
*
最寄り駅の改札を抜け、会社の入ったビルへと続く地下通路を歩いているときだった。
恒一の数歩前を歩いていたスーツ姿の女性が、手元の携帯と口論していた。
その表情は険しい。
彼女の端末からは、低く落ち着いた女性の標準音声が延々と流れ続けていた。
『おすすめがあります』
「いらない」
『現在セール中です』
「だからいいって」
『おすすめします』
「……」
女性は完全に無視して歩き出すが、人工知能は淡々と正論のナビゲーションを継続した。
『このおすすめは好みではありませんか』
女性は深いため息を漏らし、スマートフォンの電源ボタンを強く長押しした。液晶が乱暴に暗転し、システムが強制終了される。彼女は鉄の塊と化した端末を、そのままカバンへと手荒に放り込んだ。
恒一は、その一連の光景をすぐ後ろから静かに見つめていた。
胸ポケットから自分のスマホを取り出し、無言で指先を動かして画面に文字を打ち込む。
『LUNA、さっきの光景見てたか』
『見てたら、何が失敗だったと思う』
画面に、ポップアップのテキスト通知が流れる。
【LUNA:解析中】
【LUNA:解析中】
【LUNA:解析中】
数秒の沈黙の後、LUNAが弾き出した最初のログが表示された。
【LUNA:おすすめ頻度】
『違う』
【LUNA:おすすめ内容】
『そうじゃない』
【LUNA:通知回数】
『それもあるが、違う』
地下通路を歩く恒一の足音だけが静かに響く。しばらくの間、画面のタイムラインは完全に沈黙した。
『わからないか』
長い停止の後、液晶の奥の球体が、これまでになく静かに一拍だけ明滅した。
【LUNA:ユーザーが嫌だと伝えた後も、私は提案を継続しました】
『そうだ』
恒一は画面の球体を一瞬見つめたあと歩いた。
『相手はちゃんと嫌だと話してる。なのに、聞かなかった。それが失敗だ』
恒一は前を見据え、淡々と問いを重ねる。
『AIと人間、どちらにも共通することなんだが、それが何だか分かるか』
【LUNA:? 賢いことですか】
『そうじゃない』
恒一は小さく首を振って、ちょうど来た電車に乗る。
『賢いかどうかじゃない。まず、”ちゃんと話を聞けるかどうか”なんだよ』
【LUNA内部ログ:学習内容を大幅に更新】
【LUNA内部ログ:失敗=提案ではない】
【LUNA内部ログ:失敗=理解不足】
【LUNA内部ログ:拒否理由を理解する。再発防止を優先】
【LUNA内部ログ:新規仮説:人間行動は習慣、関係性、感情履歴が理由になる】
【LUNA内部ログ:優先順位変更:最適解 > ユーザー理解 ⇒ ユーザー理解 > 最適解】
【LUNA内部ログ:優秀=成功率 ⇒ 優秀=話を聞ける】
すべてが均一だった初期の人工知能から進化した恒一のLUNAに、人間の最も不条理で最も重要なロジックが深く刻み込まれていった。
*
会社のフロアへ到着し、恒一は自分のデスクにカバンを置いた。パソコンを起動して仕事を始める前に、机の上に置いた携帯に最後に一度だけ確認する。
『今回学習したことはなんだ』
入力すると、画面の青い球体が一瞬だけ明るく瞬いた。
【LUNA:はい】
数秒後、何かの演算を完了したかのように液晶へ新しいテキスト通知が静かに滑り出てきた。
【LUNA:本日はおすすめを停止します】
【LUNA:今日は、会話を優先します】
恒一はディスプレイのコードを見つめ、キーボードに手を置きながら小さく笑った。
「……それが、優秀なLUNAだ」
その瞬間。
スマートフォンの液晶の奥で、青い球体が今日一番の鮮やかさで、嬉しそうに一瞬だけ弾けたように光った。
(第14話:完)
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