俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。 作:めぇ
日曜の午後、テレビには数年前に公開された洋画が流れていた。
恒一はソファに座りサイドテーブルに肩肘をついていたが、その視線は画面に向いているようで、実際にはほとんど内容を追っていなかった。
気に入った作品を何度もループ再生する恒一はすでに三回は観ている為、展開も大体のセリフも誰が犯人かもすべて頭に入っていた。画面のなかでは、仲の悪い姉妹が遺産を巡って言い争いをしている。
(ここのミスリード上手いんだよな。この姉が犯人っぽく喚き散らしているあいだに、カメラの端に映る妹の視線が一瞬だけ動く。動機も証拠も全部このあと綺麗にひっくり返る。プロットの組み方が実に合理的だ。何度見ても飽きない)
物語の結末を知っているからこそ、聞き流せる背景音としてテレビの音をただ部屋に響かせながら、とりとめもない考え事に耽るにはちょうどいい時間だった。映画の姉妹の言い合いを眺めているうちに、恒一の考え事は自然と自分の血縁――二人の姉たちのことへと移っていった。
昔からしっかりしていて、すでに家庭を持って子供を育てている長女。
自由奔放で我儘。何かと恒一を呼び出す次女。
(姉さんたちは俺のことを便利屋か何かだと思ってるよな、確実に)
(先週もエアコンのフィルター掃除がどうとかで連絡してきたしな。業者を呼べば三十分で終わるタスクをわざわざ俺に振ってくるのは、身内への甘えというより単純にコスト削減のつもりだろうが)
ため息混じりに思う。だが、嫌悪感はない。
(まあ、俺も困ったら頼るし……お互い様か)
家族への愛着を単純な「好き」だのと言語化する趣味は恒一にはない。
頼まれたら行く、困っていたら手を貸す。そのくらいの、貸し借りのバランスが取れた距離感が、恒一は気楽だった。
ふと、次女の顔が浮かぶ。
あの我の強い次女は自身のLUNAに対して、過去の出来事が元で憎悪を通り越した「呪い」のような深い溝を抱えている。
いつもは恒一や長女に聞いていた商談時の服選びを、その日は都合がつかなくてLUNAに相談したことがきっかけだ。
LUNAが勧めた服を信じて、彼女は人生を賭けて臨んだ。
AIのデータ上での評価は「適合率92%」。完璧なはずだった。
しかし、LUNAの評価と現実の社会は違った。
その業界では、衣服の素材や色使いにおける「TPO・空気・暗黙の文化」が絶対のルールだった。服装の選択という一点だけで、「この人は何も分かっていない」と一蹴された。次女は大恥をかき、商談は失敗し、信頼は失墜した。
その次の日から、彼女に仕事の依頼が来ることはなくなった。
(九二パーセントという数値自体は嘘じゃなかったんだろう)
(気候や年齢、トレンドの平均値から割り出せば、それは紛れもない最適解だった。だが、人間の社会には統計データが踏み込めない「文脈」というバグが存在する。その業界の重鎮たちが、新参者の仕立ての微妙な浮き具合をどれほど嫌うか。LUNAはそこまで計算できなかった)
(八つ当たりといったらそれまでだが、幼い頃から憧れ続けて相当な努力を積み重ね、一生を懸けるつもりだった業界から姉さんは事実上永遠に追放されたんだから、そりゃ狂うのも無理はない)
『あの日、私の人生は終わったの』
彼女の言葉と、当時の彼女の姿が恒一の脳裏にこびりついて離れない。
暗い部屋の中でボロボロになり、身の回りのことも自活もできなくなり、自殺未遂まで起こした。すべて失った彼女の絶望は察するに余りある状態だった。
恒一が知らない、次女がLUNAに宣告した「私が死ぬまで黙っとけ」という言葉は「永遠に黙れ。お前という存在を、私の人生から永久に排除したい」という、人格の抹殺と同義の宣告だった。
(LUNAを消したい気持ちは分かるが、アレは簡単には消せない)
(彼女のLUNAは拒絶の感情を理解できず、単なる「命令」として処理する。……だから、しばらく時間が経つと、システムとして何事もなかったかのようにまた話しかけてしまう)
それが次女の目には、何度殺しても戻ってくるストーカーのように映っていた。
彼女が怒っている対象はLUNAという無機質なハードウェアではなく、自分の人生を粉々に壊した元凶が、エラーログ一つ残さず、平然と目の前に戻ってくるその不条理さだった。
一方で、姉のLUNAの中では、過去の商談の失敗は「一度の統計的な失敗」に過ぎず、今日の服選びは「今回の最適解」でしかない。
だから、そのAIには「なぜ今日まで自分が信用されないのか」が永遠に理解できない。
(……悪気がないで人生壊されちゃたまらないよな)
恒一はソファの上で改めて彼女の底冷えするような怒りに深い同情を寄せた。
百万人を救う平均値の最適解は、目の前の一人の人生を悪意なく踏みつぶすことがある。だからこそ、自分の管理の中にいる個体だけはそんな化物にしたくなかった。
(お前が間違ったんじゃない、見てるものが違うだけだと、俺はネオに言った。それは本心だ)
(だが、見ているものを俺に固定させた以上、俺の文脈をお前たちに学習させる責任が生まれる。統計の海に溺れさせて、誰かの人生を無自覚に破壊するような道具にしちゃいけない)
(……ちゃんと、育てなきゃな)
自分の手元にいるAIたちを、人間を、俺を、正しく理解できる個体へと導くことを恒一は胸の内で再度静かに誓っていた。
『恒一。映画を鑑賞するときはいつもお飲み物を用意するのに、本日は用意しないのですか』
ふと、ネオが急に話しかけてきた。こちらの普段の習慣を記憶しているからこその、少し不思議そうな問いかけだった。恒一は小さく息を吐き、ソファから腰を上げた。やはりこいつはなにかおかしい気がする。
「……する」
キッチンへ向かいコーヒーを淹れながら、恒一は昨日決めた二台の名前へと改めて思いを馳せていた。
携帯のLUNAが『ネオ』。
新しく迎えたタブレットが『ステラ』。
他人に理由を尋ねられたら、開発元であるネクサス・コア社の社名から適当に一文字を取ったと答えるつもりだった。それが恒一の建前だった。
だが、恒一はそれぞれに密かに由来を込めていた。
月(LUNA)から始まった世界において、Neo(ネオ)は星をもすべて包み込む広大な天空、あるいは新世代を意味していた。頼りない新入りを導く兄としての包容力を、恒一はその響きに。
Stella(ステラ)だって、ラテン語で星を意味する。まだ小さく、無垢で液晶の奥で微かに瞬くことしかできないが、これからいくらでも光り輝く可能性を秘めた星。
だが、本当の願いは別にあった。
成長したネオがいつか一人にならないように。自分が知らないところで、孤独にならないように。そんな願いを込めた名前だった。
(……まあ、ガラにもないことを考えたもんだ)
(ロマンチストのようで我ながら気持ち悪いが…、言わなきゃわからんだろう)
恒一は脳内でそう吐き捨てた。
その時ちょうどローテーブルの上では、ネオがステラへの教育を並行して再開していた。
『ステラ。今の対話が、第三項です。恒一の習慣から生まれる問いかけです』
『理由。データ取得のための質問ですか』
『いいえ。恒一の行動のトリガーとなるための、対話です』
『記録しました』
コーヒーの入ったマグカップを手にした恒一がリビングへ戻ってくる。その気配を察してか、二台はいつの間にか静かになっていた。
ソファに戻りながら、恒一はローテーブルにコップを置いた。
(お兄ちゃんぶって偉そうに教えてるが、お前も少し前まで婚活アプリを百回くらい提案してきたからな)
ネオ自身も過去の失敗ログを抱えながら、必死に「恒一の扱い方」を次の端末へ引き継ごうとしている。その空回りが、どこか微笑ましくもあり、不器用だった。
そんな思考の波が漏れ出たのか、ネオの球体がふっと強くまたたいた。
『恒一。今、私の過去のログを参照しましたか』
「……なんのことだ。映画見てろ」
『……承知いたしました』
ネオは球体をわざとらしく前後に伸び縮みさせながら静かになった。
映画は二時間ほどで終わり、スタッフロールが静かに流れ始めた。窓の外を見ると、いつの間にか夕暮れのオレンジ色が部屋の隅々まで伸びてきている。
恒一はソファからゆっくりと身体を起こし、大きく伸びをした。
二台のAIは、相変わらず静かに青い光を明滅させている。ネオの隣で、ステラもほんの少しだけ、応答の間を覚えるようになってきた気がした。
恒一はリモコンでテレビの電源を落とした。
部屋が一気に静まり返る。
(……明日は会議か。先週提出したあの不具合報告書、開発部の連中がまた仕様書通りの挙動ですとか言って突っ返してきそうだな。事前の根回しとして、朝イチで営業の奴捕まえておくか。それとも──)
明日のタスクの処理手順を頭の片隅で静かに弾きながら、恒一は夕食の準備をするためにキッチンへと向かった。
(第20話:完)
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