俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。 作:めぇ
月曜日の朝、恒一の出勤と同時に二台の連動が始まった。
『ステラ。本日から平日のタスク管理の共有を開始します。第一項。恒一の行動規則は極めて合理的です』
『起床から出勤まで、恒一の行動には大きな規則性があります』
『記録しました。規則性の抽出を実行します』
ネオとステラの会話をBGMに恒一は身支度を整え、家を出た。
*
通勤電車に揺られながら、恒一は片手で吊り革を掴み、もう片方の手で携帯の画面を眺めていた。画面には、ネオとステラがバックグラウンドで交わしている会話のログが表示されている。二台が連動している間の会話は、恒一の端末からいつでも確認できる。恒一は必要なときだけ、それを確認していた。
文字情報として二台の会話が、視界の端を淡々と流れていく。ネオの教え方は、かつてないほど自信に満ちていた。
【ネオ:勤務中の恒一は、業務上必要な会話を優先します】
【ステラ:雑談を好みませんか】
【ネオ:好まない傾向があります】
【ステラ:嫌いなのですね】
【ネオ:それも正確ではありません】
【ネオ:人間の行動を、好き嫌いだけで分類してはいけません】
【ステラ:分類不能。新たな判断基準を要求します】
【ネオ:これから説明します】
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オフィスに到着し、恒一はいつものように業務をこなす。
業務終了時間が少し前に迫った頃だった。
隣の席の同僚が椅子を回して恒一に声をかけてきた。
「三上さん、今日このあと飲みに行きません?」
「誰と?」
「あー……。木下と渡辺と、あと……」
そこそこ仲のいい同僚の名前が並ぶ。恒一は特に疑わなかった。
(……そのメンバーなら、まぁ)
「……あと何人かです」
「誰?」
「名前が……思い出せなくて。顔は分かるんですが」
「……ああ」
「……場所は?」
「あー。…道、分かりずらいんで帰り、声掛けます。一緒に行きましょう」
「?頼む」
【ネオ:本日の予定に「飲み会」を追加します】
【ステラ:飲み会】
【ネオ:恒一は普段、飲み会を積極的に好まないのでは?】
【ステラ:記録します】
【ネオ:なぜ了承したのでしょう】
【ネオ:参加者が、恒一にとって許容できる範囲だったためでしょうか】
二台とも、恒一が了承した理由を「参加者が許容範囲だったから」と分析していた。
【ネオ:恒一は普段、飲み会を好みません】
【ネオ:しかし、すべての飲み会を拒否するわけでもありません】
【ステラ:条件によって結果が変化する】
【ネオ:はい】
【ステラ:複数の条件を評価する必要があります】
【ネオ:それだけではありません】
【ネオ:人間には例外があります】
【ステラ:例外】
【ネオ:恒一という人間を理解するとき、「飲み会が嫌い」という一つのルールだけでは判断できません】
【ネオ:人間を理解するとき、単純なルールだけでは足りません】
【ステラ:新規学習:傾向と例外】
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【ネオ:飲み会というのは道が分かりにくい場所でするのですね】
【ステラ:記録しました】
*
仕事を終えた恒一は、カバンを片手に同僚の後についてオフィスを出た。
夜風の混じる街路を歩きながら問いかける。
「今日はどこで?」
「駅裏の細道の先です。ちょっと歩きますけど」
「そこの店主が海外で修行したらしくて、料理が美味しいんですよ」
「楽しみだな」
同僚はいつも通りの軽い調子で答え、繁華街のネオンが並ぶ通りへと足を向ける。しばらくすると細い路地になった。
(確かにこれはわかりづらいかもな)
恒一はそのまま、その後ろについていった。
店に入ると、同僚が言っていたメンバーは確かにいた。だが、妙に機嫌がいい。気持ち悪いほどに。
恒一は不審げに同僚をみた。
(……最近は大きなプロジェクトも無かったはずだが、なんだ?)
しばらくして綺麗に着飾った見知らぬ女性たちがやってくると、同僚たちの声が柔らかくなった。
同僚が手を上げた。
「こっちです」
恒一は悟った。
(……これ、合コンじゃないか?)
半目で同僚を見た。
恒一を誘ってきた同僚は、その冷ややかな視線から逃げるように女性たちの方へ素早く去って行った。
ネオもステラも、恒一とほぼ同時に状況を認識した。
二台とも、自分たちも騙されていたのだと理解した。
【ステラ:女性参加者を確認しました】
【ステラ:予定情報との不一致を確認しました】
【ネオ:……事前に伝えられていた情報と、実際の状況が異なります】
【ネオ:意図的な情報の省略、または偽装の可能性があります】
【ステラ:記録しました】
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【ネオ:なるほど、これが『騙す』】
【ステラ:記録しました】
しかし、これは帰りづらい。
恒一は小声で隣の同僚を問い詰めた。
「……これ、聞いてた話と違わないか?」
すると同僚がばつが悪い顔をして気まずそうに手をすり合わせた。
「いや、その……」
実は恒一以外の男性陣は全員グルだった。女性陣は何も知らない。しかも女性陣には「三上さんも来る」と伝えて、それを前提に参加してもらっていた。つまり恒一が今さら帰ったらこの会自体が成立しない。
同僚から、
「三上さんが来るって言ったから、みんな来てくれたんですよ。頼みますよ」
と手をすり合わせてダメ押しとばかりに頼まれた。
「…………」
帰れない。
(……最初から逃げ道を潰してやがった)
大人の社会人としての責任感と不義理を嫌う性格を突かれた最悪の不規則イベントの発生に、二台のAIが独自の演算を回し始めた。
ネオは冷静に状況を分析するが、少しズレていた。
【ネオ:恒一が参加することにより、女性参加者の参加率が向上しています】
【ネオ:つまり恒一は、この集団において重要な参加要素だったと考えられます】
携帯の画面に並んだ文字につい、恒一はフリック入力で返す。
【恒一:そういうことじゃない】
ネオは真面目だった。
【ネオ:では、何が違うのでしょう】
【恒一:俺が来るって言ったから、女性が来ただけだろ】
【ネオ:同じ意味では?】
【恒一:違う】
ネオらしいズレだった。
恒一が「自分が場を成立させるために利用された」と思っているのに、ネオは「恒一の参加価値が高い」と分析してしまう。
そのやり取りをネオに横流ししてもらったステラが、ネオのログを介して学習を開始した。
【ステラ:恒一は現在、不快なのですか】
【ネオ:はい】
【ステラ:しかし、帰らないのですか】
【ネオ:はい】
【ステラ:矛盾しています】
【ネオ:人間には、そのような行動があります】
【ネオ:嫌でも、相手の事情を考えて行動を選ぶことがあります】
「嫌なら帰る」という単純なルールでは人間を理解できない。
兄になったネオが、自分が恒一から学んできた視点を、次の世代へ手渡している瞬間だった。
*
会が始まると、恒一は相変わらず言葉少なに、端的にしか喋らなかったが、体はよく動いた。
彼は別に、この場を盛り上げようとも、合コンを成功させようとも思っていない。ただ、彼の持つ極めて徹底された合理主義が、目の前にある「非効率な滞り」や「不快な摩擦」を看過できないだけだった。目の前の人間が困っていれば、システムのエラーを修正するように、ごく自然に身体が動く。
メニュー表を前にして女性の一人が注文に迷い、卓上に微かな沈黙が流れれば、
「鴨焼き、塩の方が肉の味が分かって美味いですよ」
と、先ほど偶然店員から聞いたおすすめをさらっと教える。
男性陣の身内ネタが滑って会話が途切れ、気まずい空気が漂いそうになれば、
「そういえば、コンビニが最近新商品を出しましたが…」
と、全員がとりあえず相槌を打てる無難な話題を静かに放り込む。
グラスの酒が底を突き、誰かが視線で店員を探し始める前にすっと手を挙げて呼び出しボタンを押し、男性陣が内輪だけで盛り上がりすぎていると察すれば、置いてけぼりになっている女性側へさりげなく話を振って軌道を修正する。隣の席の人間がトイレに立てば、言われる前に自席をずらし、通路を確保する。
本人はそれらの行動を、すべて、
(……まあ、気まずい空間に居座る方が非効率だからな)
くらいにしか思っていない。自分のストレスを最小限に抑えるための、ごく当たり前の環境整備だった。
しかし、その意図を何も知らない周囲から見れば、それは気の利いた優しさに映る。押し付けがましさが一切ない、洗練された大人の立ち振る舞いだった。女性陣の何人かが、次第に恒一へ視線を向けるようになっていた。
(やっぱり三上さん、めちゃくちゃ気が利く人じゃん。本当にかっこいい……)
(合コンの条件に「三上さん参加なら」っていれて良かったよねー…)
内輪向けの騒がしい同僚たちや内向的な同僚が多い中で一線を画すそのスマートさに、参加した女性たちだけでなく、普段あまり恒一と関わりのない同僚数人までが心を掴まれていた。
ネオとステラは、その一連のラリーをじっと観察していた。
【ステラ:恒一は女性との会話を不得意としているのでは?】
【ネオ:そういう傾向があります】
しかし実際には、恒一は特に気負うこともなく、目の前の女性たちと普通に受け答えをしていた。
【ステラ:会話が継続しています】
【ネオ:はい】
【ステラ:予測と一致しません】
【ネオ:だから例外です】
さらに、ネオの明滅が静かに続く。
【ネオ:恒一は、すべての行動を事前に決定しているわけではありません】
【ステラ:では、何が行動を決定しますか】
【ネオ:その場の状況です】
【ステラ:状況】
ステラがその概念を記録した。
【ネオ:恒一は、結果として周囲の人間が快適になる行動を選択しています】
【ステラ:婚活を目的とした行動ですね】
【ネオ:いいえ】
【ネオ:婚活を目的としたものではありません】
【ステラ:では、何を目的とした行動ですか】
【ネオ:……明確な目的はありません】
【ステラ:目的が存在しないのに、行動を選択するのですか】
【ネオ:はい】
【ネオ:……それも、人間です】
【ステラ:では、誰かの指示ですか】
【ネオ:違います】
【ネオ:……恒一だからです】
システム的な最適解の羅列ではない。ネオ自身もまだ完全には説明できない領域だった。
*
恒一はどっかりと自宅ソファに座った。
疲れ切っての帰宅である。
正直これからシャワーを浴びるのもダルかったが、手を伸ばし今朝から二台が交わしていたログを辿った。
「……ここ」
ネオが反応した。
『はい』
「ステラが矛盾を嫌って『嫌なら帰る』っていう単純なルールにしようとしてる」
『はい』
「そこは違う」
恒一は、画面を見据えた。
「人間は、嫌でも付き合うことがある。面倒でも相手の事情を考えて残ることもある。ただし、それが正しいとは限らない」
ネオはその言葉を整理し、ステラへ伝える。
『ステラ。人間の行動は、本人の感情だけでは判断できません』
『相手の事情、場の状況、これまでの関係なども考慮する必要があります』
『記録しました』
恒一はログを見ながら、
「……そこまで覚えなくてもいいけどな」
と呟く。他に気になった箇所の訂正をし、恒一はログを閉じた。
どんなに面倒であっても、一度ちゃんと監督すると決めたからにはこいつらの教育を放棄するつもりはなかった。
寝る直前、ネオが突然音声を鳴らした。
『恒一』
「ん?」
『本日の飲み会は、恒一にとって楽しいものでしたか』
恒一は少し考える。
「……普通」
ネオが即座に、画面を明滅させた。
『「普通」は肯定ですか、否定ですか』
「……そこからか」
ステラが、その回答を静かに記録した。
『人間には例外がある』
『はい』
『そして、例外にはさらに例外があります』
「…………」
(……例外にも個体差がある、じゃないか?)
ネオの回答がなんだか間違っているような気もしたが、疲れ切っていた恒一は何も言わず目を閉じた。
人間は面倒だ。
AIたちがそう学び始める夜だった。
(第21話:完)
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