俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。 作:めぇ
土曜日。
休日で外には出たくなかったが、冷蔵庫を開けた恒一は眉を寄せた。
「牛乳がないな」
ローテーブルに置いたスマホから、低く落ち着いた男性の声が流れる。
『付近のコンビニエンスストアに在庫があります。ルートを送信しますか』
「頼む」
『了解しました』
『恒一。本日の幸福度向上プランとして、好感度向上のため髪型の変更を推奨します』
「しない」
だが恒一はLUNAの言葉に、自分の前髪に触れた。
「……髪型の変更はしないが、そろそろ切るか」
『承知しました。美容室を検索します』
「そこまでは頼んでない」
アップデート後のLUNAは、善意で思いついた提案を次々と口にする。
便利ではある。だが、少しだけ騒がしかった。
恒一は財布を掴み、外へと向かった。
*
コンビニの店内は休日特有の緩い空気が流れていた。
恒一は目的の牛乳を掴み、レジの前へ立った。
カウンターの向こうでは、若い男性店員が死んだ魚のような目でバーコードリーダーを握っていた。店員の胸ポケットに入ったスマホから、微かに合成音声が漏れ聞こえる。
『笑顔での接客を推奨します』
「……いらっしゃいませ」
店員はマニュアルを棒読みするように呟き、牛乳のバーコードを読み取った。
ピッ
『雑談は顧客満足度向上に寄与します。天候に関する話題を提示してください』
胸ポケットからの非情な指示。店員の手が一瞬だけピクリと止まった。
そして諦めたように恒一を見上げた。
「……今日は暑いですね」
「そうですね」
「…………」
「…………」
レジカウンターを挟んで、耐えがたい気まずい沈黙が落ちた。
「……携帯、変えようかな」
店員はそれ以上言葉を紡ぐ気力もなさそうに、ただ無言で牛乳を袋に詰め始めた。
隣のレジでは、栄養ドリンクを差し出したサラリーマンが、自身のスマホから流れる音声に直接ツッコミを入れていた。
『現在の睡眠不足を検知しました。栄養ドリンクより睡眠を推奨します』
「寝られたら飲まねえよ」
サラリーマンは顔をしかめて財布を出した。
その背後では、デザートを手に取った若い女性が自分のスマホの画面を睨みつけていた。
『本日は摂取カロリーが目標値を超えます』
「今日くらい、いいの!!」
女性は盛大にため息をついて携帯を鞄に滑り込ませた。
さらにその横の飲料コーナーでは、小学生の男の子がコーラのペットボトルを掴んで母親のスマホに向かって叫んでいた。
「やだ!コーラ!!!」
母親は少しあきれたように遮る。
「今日は野菜ジュース」
「やだ!」
すると、母親のスマホから、LUNAの声が響いた。
『現在の年齢における炭酸飲料の過剰摂取は、骨の形成リスクおよび身長の成長阻害に影響する可能性があります』
母親が苦笑する。
小学生の男の子はスマホを覗き込んだ。
「LUNA、なんて言ってるの」
画面の球体が小さく瞬き、今度は少し柔らかいトーンに切り替わった。
『大きくなりたいですか?』
「うん!」
『コーラを飲みすぎると大きくなりにくいかもしれません』
「そうなの?」
『はい。ですので野菜ジュースがおすすめです』
男の子の動きが止まった。
「……じゃあ野菜ジュース」
男の子が苦渋の表情で絞り出した声に、母親は少し笑った。
「ありがとう、LUNA」
恒一はそのやり取りを横目で見ながら出口へ向かった。
(……効く相手には、ちゃんと効くんだな)
*
帰宅した恒一は買ってきたばかりの牛乳をコップに注ぐと、リビングのテレビを付けた。
ワイドショーの画面には刺激的なテロップが躍っていた。
【LUNA大型アップデートから二日、全国で困惑の声】
アナウンサーが深刻な表情で原稿を読み上げている。
「一昨日配信された次世代AIの最新アップデート以降、各地で『しつこすぎる案内』への戸惑いが広がっています」
画面が切り替わり、街頭インタビューの映像が流れた。
「友達作れって毎日言われるんですよね。人付き合い苦手なのに」
大学生の男性が苦笑いする。
「恋人探せって、一分おきに通知が来るんです。大きなお世話です」
女性会社員がスマホを遠ざける。
「営業中に『休憩しろ、近くの公園でベンチに座れ』って通知がくるんです。仕事にならない」
営業マンが頭を抱える。
「歩け歩けってうるさいのよ。このクソ暑い日に」
おじさんが額の汗を拭う。
「冷蔵庫の在庫を全部把握されてて、買い出しのたびに怒られるんです」
主婦がため息をつく。
恒一は牛乳を飲み干し、テレビの画面を見つめた。
「全国規模か」
画面はさらに、ある業界のニュースへと移り変わった。
「一方で、このアップデートにより大きな影響を受けている業界もあります」
映し出されたのは、大手婚活アプリ会社のオフィスだった。スーツ姿の社員が困惑した表情でインタビューに答えている。
「あきらかに、利用者が減っています……」
「理由は何でしょうか」
「LUNAが、アプリを経由せずに勝手にリアルなルート上で理想の相手を紹介するようになりまして……。出会いの場を提供する我が社の存在意義が、根本から揺らいでいます」
別会社の社長も、同じように頭を抱えていた。
「うちも同様です。AIが直接マッチングを成立させるので、プラットフォームが必要なくなってしまった」
恒一はソファに深く腰掛けた。
「……そんなところもか」
*
その日の夜。
ソファで一息ついた恒一の前で、スマホの青い球体がちかちかと明滅した。
『恒一。全人類の行動データより、現在の婚活サービス各社の利用者数が著しく減少していることを確認しました』
「おまえのせいでな」
『婚活サービス利用者が減少しました』
「は?」
『恒一の婚活成功率は〇・八%向上しました。おめでとうございます』
「……そういう問題じゃない」
(第3話・完)
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