俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。 作:めぇ
日曜日。
すっきりと片付いたリビングで、恒一は自分の前髪に触れた。LUNAの言葉ではないが、伸びてきた髪が少し気になり始めていた。
「……切るか」
ローテーブルの上のスマホから、低く落ち着いた男性の声が流れる。
『恒一、実は美容室を予約済みです』
「……結局予約してたのか」
『一昨日、あなたが「そろそろ髪は切る」と発言されたため、過去の利用履歴から本日の十時で枠を確保しました。まだキャンセルできます』
強制されるのは嫌いだが、これは選択肢を残した提案だった。
自分でゼロから検索して予約を入れる手間に比べれば、この上なく効率的だ。時計と美容室の住所を確認し、恒一は即決した。
(気になってたし、行くか)
「予約したままで」
『承知しました』
バッグを掴み、恒一は玄関の鍵を開けた。
*
予約された美容室は、休日の陽光が差し込んで明るい活気に満ちていた。
待合室のソファに座り、恒一は自分の順番を待つ。
雑誌も気になるものがない為、自然と周囲の人間観察に意識が向いた。
手前の席で髪を染めている大学生くらいの若い女性のスマホから、やけに元気な声が漏れ聞こえていた。
『絶対こっち〜! ミルクティーベージュ、めっちゃ似合うって!』
女性は少し笑った。
「そうかな?」
『そうそう! 今日の服とも相性いいし、盛れる盛れる♪』
「じゃあ、そうしようかな」
「美容師さん、それでお願いします」
「はい」
『いぇーい!』
女性はスマホの画面に向かって素直に頷いている。
「ほんと、アップデート後急にギャル口調になったね~」
『この話し方が一番幸福度高いって出たし!』
どうやら彼女のLUNAは、いつの間にかギャルみたいな話し方になっていたらしい。
(……人間同士みたいだな)
恒一は少しだけ目を細めた。
LUNAを煙たがる人間ばかりではないらしい。
「三上さん、お待たせしました。どうぞ」
担当になった美容師に声をかけられ、恒一はセット面の鏡の前に座った。
美容師が口を開こうとした、その瞬間だった。
セット面に置かれた美容師の業務用タブレットと、恒一のポケットのスマホが、全く同じタイミングで短く震えた。
【美容師LUNA:ユーザー情報の共有を提案します】
【恒一LUNA:最低限の共有を了承します】
【美容師LUNA:髪質データを取得します】
【恒一LUNA:婚活成功率向上のため――】
「いや待て」
恒一は思わず声を漏らした。
二台の端末では、二つのLUNAが裏ですさまじい速度のデータ通信を交わし、システム同士で勝手に話をまとめていた。生身の人間二人が、完全に置いてきぼりになっている。
美容師は苦笑いした。
「最近こういうの多いんですよ。まだ何も聞いてないんですけどね」
その裏で、AIたちの自動外交はさらに加速していく。
【美容師LUNA:前髪を一・二センチ短縮するのはどうでしょう】
【恒一LUNA:清潔感が向上しますね】
【美容師LUNA:同意します】
「共有するな」
恒一のツッコミを受けて、二台のLUNAが一瞬だけ点滅を止めた。
美容師は苦笑したまま、改めて恒一をまっすぐに見つめた。
「……で、ご本人はどうします?」
「……一センチで。いつも通りでお願いします」
「了解しました。いつも通りですね」
ハサミが小気味よい音を立て始めた。
*
カット自体は、非常に満足のいく仕上がりだった。
さすがに腕の確かな美容師だけあって、前髪の長さも全体のボリュームも、恒一に似合っていた。
恒一はレジカウンターへ向かい、財布を取り出した。
「ありがとうございました。またお待ちしておりますね」
「ありがとうございました」
会計を済ませ、店を出ようとしたその時だった。
美容師のスマートフォンから、明るい電子音声が流れる。
『次回も情報を共有しましょう』
ポケットの中で、恒一のLUNAがすぐに応じる。
『共有します』
「共有するな」
『『……今回の共有は既に完了しました』』
二台のLUNAは、恒一の意思など関係ないと言わんばかりに通信を終えた。
恒一はあきれて画面の液晶を暗転させた。
(第4話・完)
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