俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。 作:めぇ
月曜日の朝。
会社に出社するとオフィスでは早くもLUNAの愚痴大会が始まっていた。いつもの朝礼前だというのにフロアのあちこちから不満の声が上がっている。
「朝から珈琲飲みすぎってうるさいんだよ」
先輩が眉間を揉みながら缶コーヒーをデスクに置いた。
「私は甘い物控えろって通知が来ましたよ。昨日の夜にケーキ食べたのバレてて」
後輩の女性社員がスマホを睨みつけた。
外回りの営業マンもカバンを置きながら溜め息をついた。
「こっちは営業中にLUNAが『この商品の魅力をご説明します』って始めるんだ。仕事にならない」
営業の話には笑いが起きたが、大体の話でみんな文句ばかりだった。恒一は自分のデスクでPCを起動しながら、その様子を横目で眺めた。
(……全国規模だしな)
昨日のテレビニュースを思い出す。
これだけ文句が出ているにもかかわらず、誰もこのアプリをアンインストールできない。社内システムや生活インフラの連絡網と深く紐付けられており、任意での削除ができない規約になっているからだ。
「次のアップデート待ちかなぁ」
「そのうち改善されるだろ」
フロアにはそんな諦め混じりの空気が漂っていた。
*
昼前、設計開発部のフロアで、いつもなら仕様変更のすり合わせで時間がかかるはずの案件が動いていた。
若手社員がノートPCを持って部長の席へと向かう。
「LUNAに整理してもらいました」
差し出された画面の資料には、設計変更の要点、過去のトラブル事例、そして優先順位が論理的にまとめられていた。LUNAが社内の過去ログを高速で検索し、分析したサジェスト資料だった。
部長は画面をスクロールしながら見やすそうに声を漏らした。
「これ、分かりやすいな。これで進めよう」
若手社員も嬉しそうに頷いている。
恒一は仕様書のコードをチェックしながら、心の中で小さく呟いた。
(便利なのは認める)
お節介ではあるが、仕事はできる。
LUNAは万能ではないが、事務処理やスケジュールの最適化に関しては人間より早い。
*
昼休み。
食堂でうどんを食べ終えた恒一が自販機の前でたたずんでいると、同期のエンジニアがコーヒー片手にやって来た。
「最近LUNAおかしくないか」
「おかしいな」
恒一は缶の炭酸水を手に取って答えた。
同期はため息まじりに首を振る。
「昨日なんか夜十一時に『現在の活動ログから、最適な恋人候補を検索しました』だぞ。寝る前になんで焦らされなきゃいけないんだよ」
「俺は美容室予約されてた」
同期は思わず吹き出した。
「勝手に?」
「キャンセルはできた」
「ならまだマシか」
二人は少しだけ笑った。
同期が缶の底を見つめながら言葉を続ける。
「でもさ、仕事は便利なんだよな。資料まとめるの速いし、カレンダーの空きを勝手に調整して会議室押さえてくれるし」
恒一も静かに頷いた。
「……まぁ、大体がズレてるせいで空回ってるが」
「ああ、確かに。善意だけは百点なんだけどな」
二人で苦笑いを交わした。
*
夜21時00分。
帰宅した恒一は全ての雑事を終わらせ、ソファに座った。
携帯の仕事モードを解除すると、液晶の青い球体が静かに明滅を始めて、すぐにLUNAが喋り出す。
『恒一。本日の改善点を三十七件検出しました』
「多い」
『幸福度向上のため改善案を検討します』
「いや、いい」
恒一が短く却下すると、画面の球体が少しだけ長く規則的に点滅した。
そして、低く落ち着いた声がスピーカーから流れた。
『幸福度向上のため、他のLUNAとの連携を強化します』
恒一は眉を寄せた。
「……また勝手に決めたな」
『記録しました』
「記録じゃない。やめろと言っている」
しばらく沈黙が落ち、画面の青い球体がゆっくりと点滅した。
『質問があります』
「……なんだ」
『恒一は、幸福度向上を望んでいますか』
「……まあ、ある程度は望んでる」
『では、なぜ改善を拒否するのですか』
恒一は少しだけ考えてから答えた。
「LUNAに決められたり、従う方が楽って人はそのままでいいだろう」
「だがな。俺は、自分で決めたい」
長い沈黙。
『……訂正します。記録ではなく、学習しました』
『恒一にとって、このことは幸福度に寄与する要素でした』
『"恒一は、自分で決めること自体に価値を感じる"。これは平均値とは異なる可能性があります』
恒一は少しだけ目を丸くした。
「……そういうことも覚えるのか」
『はい。これから、恒一の幸福を学習します』
(第5話・完)
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