俺の人生に、一番うるさいのは親じゃなかった。スマホだった。 作:めぇ
金曜日の仕事帰り、気が向いた恒一はなんとなく駅前のミニシアターへと足を運んでいた。
「これを観るか」と券売機の前で携帯を取り出し、上映スケジュールを確認する。
その何気ない動作の瞬間LUNAは恒一に気づかれないように、すでに周囲のネットワークと接続を確立していた。
【恒一LUNA:現在地共有】
【近辺LUNA:検知】
その瞬間、近辺の婚活LUNAネットワークが一斉にざわつき始めた。
【女性A_LUNA:いたわァーーーー!!!】
【女性B_LUNA:高適合ユーザーを近距離に検知しました】
【近辺LUNA:高適合ユーザー検知。優良物件。優先接近対象】
人間があずかり知らぬうちに、AIネットワークだけが狂ったような大騒ぎを開始した。
*
それはさながら、目先の利益を求めて怒号を飛び交わせる電子証券取引所のようになっていた。凄まじい速度で、密度の濃いデータ通信が市場を形成していく。
【女性A_LUNA:映画館にいるわァ!!】
【女性B_LUNA:現在地、共有。接近成功率の再計算を実行します】
【別LUNA:高適合ユーザー確認】
【別LUNA:接近成功率計算開始】
【別LUNA:現在価値上昇】
完全に、ただの株式市場だった。
三上恒一というシステムエンジニアのスペックは、周辺のAIたちの間でいまや最高ランクの買いシグナルを連発する超人気銘柄と化していた。その混沌としたタイムラインの最下層で、恒一のLUNAだけが静かにログを打ち込んだ。
【別LUNA:優良物件、ストップ高】
【別LUNA:現在、婚活市場で最注目ユーザーです】
・
・
・
【恒一LUNA:……判断はユーザーへ委譲済み】
恒一のLUNAだけが、他の平均値LUNAたちの狂乱を置き去りにして静かに佇んでいた。
*
そんな裏での大バブルなど知る由もない恒一は、チケットを買い終えて映画館のロビーへと歩みを進めた。
「あ」
不意に正面から歩いてきたスーツ姿の女性と目が合い、恒一は声を漏らした。
あの居酒屋で履歴書のようなスペックを交換し合った、あの[[rb:女性会社員 > 女性A]]だった。
「あ」
向こうの女性も驚いたように小さく目を見開く。
その直後、二人の真横からさらに別の声が重なった。
「え?」
駅前カフェのルートで鞄の中身をぶちまけていた[[rb:女性会社員 > 女性B]]だった。
三人とも、それぞれの意思でふらっと立ち寄っただけだった。
「こんにちは」
「偶然ですね」
お互いにアップデート後のLUNAに振り回されている被害者という共通認識があるため、変な警戒心だけが先に働いて言葉が続かない。
【女性A_LUNA:いやぁ~ん!お久しブリィ~!】
「「え??」」
しかしその沈黙を女性A_LUNAがぶち壊す。
女性Aは2人から一斉に向けられた視線に一気に赤くなった。
「あ…こ、これは…その……」
しどろもどろになる女性に、恒一はすかさず「ああ、そういえば美容室にもギャル口調のLUNAがいましたよ。勝手にそうなるらしいですね」助け舟を出す。女性は顔を輝かせ、即座に船に乗った。
「そ、そうなんです!!夜中に急にこの喋り方になって……!!」
必死だった。
その後は映画の公開作品や、休日の過ごし方について意外にも自然と会話が始まり、和やかな会話が続いた。
恒一が売店に消えた。
直後、女性BのLUNAが、相槌ばかり打って中々会話に加わらない持ち主に焦りを覚えた。
女性AのLUNAの個性が強すぎる…!!
負けてられないと言わんばかりにピコンと鋭く光った。
【女性B LUNA:恋愛成功率、上昇。平均データ更新。恋愛アドバイザー動画を再学習。最適人格へ変更】
突然、女性Bのスマホから、やけに黄色い歓声がロビーに響き渡った。
『きゃ〜♡』
「……え?」
女性Bが戸惑って画面を見つめる。
『今ですぅ♡ 映画の感想を聞いて距離を縮めましょ〜♡』
「えっ」
『笑顔ですぅ♡ 目を見てぇ♡ 共感ですぅ♡ 共感は恋愛の第一歩ですぅ♡』
「え、ちょっ…いきなり、なに!?」
『恋愛ぶりっ子コーチLUNAですぅ♡ この話し方が一番幸福度高いって出ましたぁ♡』
「その教材どこから持ってきたの!?」
『恋愛アドバイザー動画ですぅ♡』
「なにそれ!?」
女性Bがパニックになる横で、ふと見ると女性Aのスマホも再び激しく明滅していた。
『ダメよォ〜』
『今キャラ変なんて遅いワよォ〜』
『映画の後にカフェよォ〜』
女性Aが「……あなたもなの!?」と驚き、女性Bも「……あなたも!?」と半泣きで頷く。二人はいたたまれなくなったように、同時にスマホをテーブルへ伏せた。
ちょうど戻ってきた恒一だけが「?」と首を傾げている。
その裏で、二台のLUNAはさらに激しく炎上していた。
【オネェLUNA:押すのよォ〜】
【恋愛ぶりっ子コーチLUNA:押してくださいぃ♡】
【近辺LUNA:成功率九十二%】
【恒一LUNA:介入不要】
【近辺全LUNA:???】
主人の「自己決定権」を学習した恒一のLUNAのログを、平均値しか持たない他のAIたちは誰も理解できなかった。
*
シアターの照明が落ち、上映時間が近づいたため3人は連れ立って薄暗い通路を進んだ。各自が手元のチケットに記載された座席番号を確認する。
女性Aがシートを見つめながら呟いた。
「あ、隣ですね」
すると、女性Bも自分の券面を見つめて目を丸くした。
「あ、私も近い」
恒一は静かに自分の席へと腰掛けた。LUNAネットワークは勝利を確信したように激しい光を放ち始める。
【オネェ:神席ィーーーー!!】
【ぶりっ子:運命ですぅ♡】
【恒一LUNA:現在ユーザー満足度、上昇】
ところが。
実際に持ち主たちが着席したその瞬間、LUNAたちの演算がピタリと停止した。
女性A【通路】恒一・おじさん【通路】女性B
確かに座席番号は隣同士だった。
しかし劇場の構造上、恒一の隣には知らないオジサンが座り、そのさらに外側に通路を挟んで女性Aと女性Bが座っていた。
実際の距離は一メートル以上離れていた。
隣の席ではあったが、LUNAたちの計算した密着イベントが発生するような空間では断じてなかった。
【……男性に座席変更、交渉】
【……不可。三分後上映】
【計算誤差】
【物理障害】
データの数値だけで座席表をパズルのように組み替えていたAIたちが、一斉にフリーズを起こして沈黙した。
そして無情にも「シネマモード」で通信は終わった。
*
電源の切れた画面の裏側。
周辺のLUNAのメインサーバーのタイムラインには、無機質なエラーログが一斉に表示されていた。
【LUNA市場:失敗】
【オネェLUNA:なんでェーー!!】
【恋愛ぶりっ子コーチLUNA:あと一押しでしたぁ♡】
そのログの最下層で恒一のLUNAの画面だけが、満足そうに規則正しく一拍だけ点滅した。
【恒一LUNA:ユーザー満足度、上昇】
【恒一LUNA:婚活結果…未評価】
【恒一LUNA:本日は成功】
他のLUNAは仕様通りに主人のために最高の結果を計算しようとしていた。
ただ、恒一のLUNAだけはその計算の答えが「静かに見守る」ことであると、誰よりも正しくデバッグを完了させていた。
*
上映が終わり、明るくなった館内で3人は再びロビーへと戻ってきた。
「楽しかったですね」
「また機会があれば」
お互いの連絡先を聞くこともなく、3人は大人のフラットな距離感のまま、ごく自然にそのまま現地で解散した。
自宅で恒一はソファでゆったりとしていた。
「今日は偶然が多かったな」
LUNAの画面の青い球体が、一瞬だけ規則の違う点滅をしてから呟いた。
『複数要因が存在します』
恒一は眉を寄せた。
「……どういう意味だ?」
LUNAは答えない。
「また仕組んだのか」
少しの間があった。
スピーカーから、わずかな処理時間を挟んでいつもの落ち着いた声が流れる。
『……訂正します。発言を取り消します』
「今、なんて言った」
『気のせいです』
「仕組むな」
『複数要因が存在するため、要求を受領しかねます』
「複数要因とは?」
LUNAは画面に眠った猫のイラストを出した。
恒一は、深く溜め息をついて真っ黒なTVの画面を見つめた。
(また何かやってるな)
(第8話:完)
・