TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~   作:パラレル・ゲーマー

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第2話 時間停止は六マナらしい

 土曜日の午前十時。

 窓から差し込む陽光は高さを増し、部屋の中を明るく照らしている。

 啓介はソファに深く腰掛けたまま、膝の上の《創世札典》を何度もめくっていた。

 

 先ほど《日々の修繕》を使ったおかげで、身体は嘘のように軽い。長年付き合ってきた肩凝りや腰の重さ、眼精疲労が完全に消え去り、まるで新品の身体を手に入れたような爽快感があった。

 

 普段の休日なら、この時間はテレビでニュースを流し見しながら、スマートフォンで動画やネット記事をだらだらと眺めて過ごすのが常だった。

 しかし今は、スマートフォンに触れる気すら起きない。

 目の前にある重厚なバインダーが、世界中のどんなエンターテインメントよりも魅力的だったからだ。

 

 啓介は、暗く沈んだ色の《借宿》と、光沢を保っている《日々の修繕》のカードを飽きもせずに見つめ、それから次のページの空白のカード枠へと指を滑らせた。

 

 当然、透明なポケットの中には何もない。ただの黒い背景が広がっているだけだ。

 しかし、指先がポケットの底に触れた瞬間、何もないはずの空間に細い光の線が走り、視界に白い文字が浮かび上がった。

 

『新規カードの作成を開始しますか?』

 

 啓介の心臓が高鳴る。

 返答は決まっていた。

 

「する」

 

 短く答えると、新たなメッセージが流れる。

 

『実現したい現象を、言葉または明確なイメージで指定してください』

『《創世札典》が効果、分類、必要マナを算出します』

『カードの試作および編集にマナは必要ありません』

『マナは、完成したカードを使用するときに消費されます』

 

「……マジか」

 

 啓介は思わず息を呑んだ。

 今日はもう《借宿》からマナを引き出してしまったため、魔法は使えないと思っていた。

 だが、このシステムの説明によれば、カードを『作る』だけならノーコスト、つまり無制限に試せるということだ。

 

「今日はデッキを回すのは無理だけど、デッキ構築ならいくらでもできるってわけか」

 

 学生時代、なけなしの小遣いを握りしめてカードショップへ行き、帰宅後に何時間もデッキリストを睨んでカードを入れ替え、一人回しに没頭していたあの熱が、十数年の時を超えて鮮やかに蘇ってくる。

 

 しかも今回は、既存のカードプールから選ぶのではない。

 自分が望む効果を言語化できれば、この世界に存在しなかったカードをゼロから生み出せるのだ。

 

 啓介は空白の枠に手を置いたまま、最初に何を作るべきか思考を巡らせる。

 視線の先には、ローテーブルの上に置かれたマグカップ。すっかり冷めきったドリップコーヒーが入っている。

 

「……まずは、これだ」

 

 啓介は小さく咳払いをして、要望を口にした。

 

「このコーヒーを、淹れたてくらいの温度に戻す」

 

 宣言と同時に、バインダーの空白の枠に赤みを帯びた光の粒子が集束し始めた。

 それは数秒で一枚のカードの形を成し、くっきりとしたイラストとテキストを浮かび上がらせた。

 

 《淹れたての温度/Freshly Brewed》

 術式・熱量

 必要マナ:熱量1

 

 接触している飲料一杯を、飲用に適した任意の温度へ変化させる。

 

 過ぎた時間は戻せない。

 だが、コーヒーの温度くらいなら取り戻せる。

 

 カードのイラストには、湯気を立てる陶器のカップが繊細なタッチで描かれていた。

 

 啓介は思わず吹き出した。

 

「いいじゃないか。めちゃくちゃ地味だけど、普通に欲しいぞこれ」

 

 一日に一度しか使えない貴重な魔法を、コーヒーの温め直しに使うかどうかは別問題だ。しかし、電子レンジや火を一切使わず、触れるだけで一瞬にして最適な温度に変えられるなら、それは間違いなく魔法だった。

 

 試しに、効果の発動を試みる。

 

「《淹れたての温度》、使用」

 

 しかし、光は弾けない。

 代わりに冷ややかなメッセージが表示される。

 

『必要な熱量マナが不足しています』

『現在の保有マナ:0』

 

「……まあ、そうだよな」

 

 カードが無料で作れるからといって、タダで魔法が使えるわけではない。

 啓介は苦笑しながら、冷めたコーヒーを一口飲んだ。カードを作って具体的なイメージを見たことで、かえって熱いコーヒーが飲みたくなってしまった。

 

 この《淹れたての温度》のカードは、とりあえず保存しておくことにする。

 カードは光の粒となってスライドし、《日々の修繕》の隣のポケットにすっぽりと収まった。

 

『作成したカードは、自由に編集、複製、破棄できます』

 

 という親切なメッセージも表示された。

 だが、複製したところで同じ効果のカードが増えるだけで、必要マナが減るわけではないだろう。

 

「三枚積みにしたからって、一日に三回使えるようになるわけじゃないよな、さすがに」

 

 TCGプレイヤーとしての勘が、そんな虫のいい話はないと告げていた。

 

 カード作成がノーコストであると確認した啓介は、次にある実験を思いついた。

 TCGの世界において、「コストゼロ」のカードというのは、往々にしてゲームバランスを崩壊させる悪さを働くものだ。

 ならば、この《創世札典》でも、条件の指定を工夫すれば「ゼロマナ」で強力な効果を引き出せるのではないか。

 

 啓介は真剣な表情を作り、バインダーに向かって宣言した。

 

「マナを使わず、この部屋を綺麗に片づける」

 

 空白の枠に光が集まり、新たなカードが生成される。

 

 《自分で片づける/Do It Yourself》

 行動・無属性

 必要マナ:0

 

 あなたは自分の身体を動かし、この部屋を自力で片づける。

 

 奇跡を求める前に、まず手を動かせ。

 

 テキストを読んだ啓介は、数秒間、完全に無言になった。

 

「……ただの家事じゃねえか!!」

 

 思わずツッコミの声が部屋に響く。

 マナを消費せずに実現できるギリギリのラインまで効果を落とし込んだ結果、システムが弾き出したのは「啓介自身が手動で掃除する」という身も蓋もない行動カードだった。

 

「ゼロコストカードは壊れやすいんじゃなかったのかよ……」

 

 どうやら《創世札典》は、そんな安易な抜け道を許してくれるほど甘いシステムではないらしい。

 現実世界に何らかの超常的な変化を起こすには、最低でも1マナという代償が絶対に必要だということだ。

 

 啓介はため息をつきながら《自分で片づける》のカードを破棄した。

 カードはあっさりと消滅したが、あの人を小馬鹿にしたようなフレーバーテキストだけは、妙に腹立たしく記憶にこびりついた。

 

 気を取り直して、啓介は実用的な1マナカードの作成に切り替えた。

 実際に使うことはできなくても、コストと効果のバランスを調べるだけでも十分に楽しい。

 

 《失せ物の在処/Where It Was Left》

 術式・知識

 必要マナ:知識1

 

 自分が所有している物品一つのおおよその方向と距離を知る。

 

 失くした物は消えたのではない。

 持ち主の記憶から外れただけだ。

 

「鍵とか財布、あとは社員証を探すのには便利だな」

 

 ただし、システム的に「自分の所有物」と認識されているものに限られるようだ。他人の持ち物や盗品は探せないらしい。

 

 《満ちた電池/A Full Charge》

 術式・熱量

 必要マナ:熱量1

 

 接触している携帯可能な電子機器一台の蓄電池を、安全な範囲で満充電にする。

 

 人は残り一パーセントになってから、初めて電力の価値を思い出す。

 

「これは災害時にめちゃくちゃ強いな」

 

 スマホだけでなく、ノートPCやモバイルバッテリーにも適用できそうだ。ただし、家庭の分電盤全体に電力を供給しようとすると、途端に2マナ以上を要求された。

 

 《衣服の身だしなみ/Ready for the Day》

 術式・物資

 必要マナ:物資1

 

 自分が着用している衣服の皺、汚れ、臭いを除去し、傷みを軽度に修復する。

 

 清潔さは美徳と呼ばれる。

 多くの場合、それを維持する時間を持つ者によって。

 

「うわ、これ会社員には神カードだぞ」

 

 毎朝のアイロンがけから解放されるし、昼食時にシャツへ飛ばしたシミも一瞬で無かったことにできる。

 

 《掌ほどの収納/Palm-Sized Elsewhere》

 術式・境界

 必要マナ:境界1

 

 手のひらに収まる非生物一つを、次の日次更新まで専用空間へ収納する。

 収納できる物品は一つまで。

 日次更新時、収納物は術者の手元へ排出される。

 

 置き場所がないのなら、場所そのものを作ればいい。

 ただし、借りた場所には返却時間がある。

 

「来たな、アイテムボックス……!」

 

 とはいえ、初期状態では財布やスマホが入る程度。ファンタジー小説に出てくるような、何でも飲み込む無限の倉庫ではない。

 しかも、日次更新を迎えれば中身は自動的に戻ってくる。

 

 それでも、現実世界においては完全なる超能力だ。

 

 そして、啓介が最も仕事に直結すると感じたのがこれだった。

 

 《見落としを一つ/The Flaw You Missed》

 術式・知識

 必要マナ:知識1

 

 自分が現在確認している文章、計画、設計の中から、最も重大な見落としを一つ指摘する。

 

 完璧な計画は存在しない。

 見つかっていない不具合があるだけだ。

 

 啓介の顔つきが、仕事モードの真剣なものに変わる。

 

「これ、仕事で使ったら洒落にならないくらい強くないか?」

 

 仕様書、設計書、工程表、契約書、そしてプログラムのコード。

 それらすべてに対して「最も重大な見落とし」を指摘してくれるなら、トラブルの芽を未然に摘むことができる。主任どころか、会社にとって絶対に手放せない切り札になれる。

 

 ただし、一日に使えるのは一回きり。

 無数にある書類のうち、どれに対して使うのかを見極める人間の側の判断力は問われる。

 

 啓介は改めて実感した。

 1マナカードは決して「弱い」わけではない。

 対象を絞り、用途を限定すれば、1マナの魔法でも現実社会においては十分に人生を変えうる力を持っているのだ。

 

 生活を便利にするカードを一通り試したところで、啓介は先ほどの「ゼロマナ掃除」の屈辱を思い出し、再挑戦することにした。

 

「じゃあ、この1LDK全体を、一瞬で完全に掃除する」

 

 要求に対して、システムが弾き出除する」

 

 要求に対して、システムが弾き出したカード。

 

 《休日の大掃除/Weekend Reset》

 術式・物資・熱量

 必要マナ:物資1・熱量1

 

 指定した住居一戸のゴミ、埃、汚れ、臭いを除去し、整理可能な物品を本来の収納場所へ戻す。

 

 休日を一日使えば、部屋は綺麗になる。

 二マナ使えば、休日は残る。

 

「二マナか……!」

 

 ただの掃除に2マナは重いように感じる。

 しかし、ゴミの分別、細かい埃の除去、水回りの殺菌・洗浄、散らかった物の配置など、複数の物理的現象を同時に引き起こすとなると、物資と熱量の複合マナが要求されるらしい。

 

 試しに範囲を狭めてみる。

 

「キッチンだけなら?」

 

 必要マナは物資1に下がった。

 

「風呂とトイレだけ」

 

 これも物資1。

 

 啓介はバインダーを眺めながら感心した。

 

「要求をフワッとさせると、システム側が一番重い処理として解釈する。逆に、条件と対象範囲を細かく定義してやれば、コストを落とせる……」

 

「なんだこれ。魔法っていうより、まんまシステムの要件定義じゃないか」

 

 システムエンジニアとしての日常業務と、魔法のカード作成が奇妙にリンクした瞬間だった。

 

 1マナ、2マナのカードの仕組みがわかってくると、啓介の中に眠っていた探求心——あるいは欲望が、少しずつ顔を出し始めた。

 

 《日々の修繕》で今日の疲労は消えた。

 だが、もっと深い部分、肉体の根幹に関わる問題はどうなのだろうか。

 

 啓介は自分の身体を見下ろした。

 今のところ、命に関わるような深刻な病気はない。

 しかし、若い頃から落ちた視力、昔スポーツで痛めて時々疼く膝、銀歯の詰まった奥歯、三十代後半になって明らかに落ちた基礎体力、そして将来的な生活習慣病への漠然とした不安。

 

 啓介は、意を決して指定した。

 

「自分の身体にある病気、怪我、後遺症、慢性的な異常を全部治す」

 

 カードが生成される。

 

 《健全なる肉体/A Body Made Whole》

 術式・生命・知識

 必要マナ:生命2・知識1

 

 自分の負傷、疾患、後遺症、慢性的な身体異常を治療し、現在の年齢における健康な状態へ戻す。

 

 健康とは、失うまで気づかない財産である。

 失ったあとでは、どれほど積んでも買い戻せない。

 

「三マナ……」

 

 今の啓介が一日に得られるのは《借宿》からの1マナのみ。

 だが、もし3マナを用意できれば、自分が抱える身体的リスクを根本から払拭できる。

 

「これが、もし他人にも使えたら?」

 

 対象を「任意の一人」に変更してみる。

 すると、必要マナは一気に5まで跳ね上がった。

 自分の身体は《創世札典》の所有者として直接つながっているため安く干渉できるが、他人の複雑な肉体を正確に把握し、安全に治療するためには、より多くの生命と知識が必要になるということらしい。非常に論理的なコスト計算だ。

 

 ならば。

 啓介は少しだけ声のトーンを落とし、最大の欲望を口にした。

 

「……若返ることは、できるのか?」

 

 最初はシンプルに「自分を若返らせる」と指定した。

 

『効果の定義が不十分です』

『肉体、精神、記憶、時間的位置のいずれを変更しますか?』

『暫定必要マナ:8以上』

 

 警告メッセージが表示される。

 啓介は慌てて条件を絞り込んだ。

 

「記憶も人格も、これまでの経験もそのまま! 肉体だけを、一歳若返らせる」

 

 再計算が行われ、カードが形成された。

 

 《一年若く/A Year Returned》

 術式・生命・知識・境界

 必要マナ:生命3・知識1・境界1

 

 自分の記憶、人格、技能を維持したまま、肉体年齢を恒久的に一歳若返らせる。

 

 誰もが若い頃へ戻りたがる。

 ただし、若かった頃の愚かさまで戻したい者は少ない。

 

「五マナか……!」

 

 一度使えば一歳若返る。

 毎年誕生日に一回使うだけで、物理的な老化を完全に相殺できる。

 もし複数回連続で使えれば、三十歳の、いや二十歳の全盛期の身体に戻ることすら理論上は可能だ。

 

 啓介はカードのテキストを見つめながら、思わず自分の目尻の皺に触れた。

 

「五マナ……五マナあれば、若返れるのか」

 

 そこで、啓介は重要なことに気づいた。

 

「そういえば、使わなかったマナを翌日まで残すことはできるのか?」

 

 五日間、毎日1マナずつ貯められるなら、それだけで《一年若く》へ届く。

 今後の方針を決めるうえで、何よりも先に確認すべき仕様だった。

 

 問いに応じて、白い文字が表示される。

 

『保有マナは、毎日午前零時の日次更新時に消滅します』

『複数の日次をまたいで、通常マナを蓄積することはできません』

『高コストのカードを使用するには、一日あたりのマナ供給量を増加させてください』

 

「駄目か……!」

 

 啓介は天井を仰いだ。

 

 五日間、魔法を我慢すればいいわけではない。

 一日のうちに、生命マナ3、知識マナ1、境界マナ1の合計5マナを用意できる基盤が必要になる。

 

 先ほどまでは、1マナの生活魔法だけでも十分に人生が豊かになると思っていた。

 しかし、5マナで到達できる『奇跡』のレベルを提示されると、急に手持ちの1マナがひどく貧弱なものに感じられてくる。

 

 手札に超強力なカードを握っているのに、場に出せるマナがない。

 TCGプレイヤーが最も嫌悪し、同時に最も焦燥感に駆られる状態。

 

「カードはある。効果も分かってる。なのに、マナが足りない……」

 

 啓介は暗く沈んだ《借宿》へ視線を落とした。

 

「これが現実の土地事故ってやつか」

 

 真面目な肉体操作のカードを作り終えた啓介は、ふと悪戯心を起こした。

 マナさえあれば何でもできるというのであれば、誰もが一度は夢想する「あの能力」を試さない手はない。

 

「時間を止める」

 

 空白の枠に、これまでにないほど濃密な青白い光と、空間を切り裂くような黒い縁取りが現れた。

 しかし、即座にはカード化されない。

 

『効果範囲を指定してください』

『効果時間を指定してください』

『時間停止の影響を受けない対象を指定してください』

 

「細かいな……」

 

 だが、理にかなっている。世界全体の時間を止める必要はないし、自分自身まで停止してしまっては意味がない。

 

 啓介は条件を詰める。

 

「俺以外。半径十メートル以内。時間は……六秒で」

 

 重々しいエフェクトと共に、カードが完成した。

 

 《時間停止/Time Stop》

 術式・知識・境界

 必要マナ:知識2・境界3・任意マナ1

 

 自分を除く半径十メートル以内の時間を六秒間停止する。

 停止領域から外へ出ることはできない。

 停止中の生命および重量物へ強く干渉した場合、術式は終了する。

 

 すべての者が同じ六秒を失った。

 ただ一人、その時間を手にした者を除いて。

 

「……任意マナ?」

 

 啓介が聞き返すと、すぐに説明が表示された。

 

『任意マナは、生命、知識、物資、熱量、境界のいずれでも支払うことができます』

 

「色の指定が五点で、残りの一点は何でもいい。合計六マナってことか」

 

 啓介はカードを見て、目をこすり、もう一度テキストを確認した。

 

「……六マナ」

 

 数秒の沈黙の後、啓介はソファの上で腹を抱えて笑い出した。

 

「時間停止は、やっぱり六マナなのかよ!!」

 

 学生時代に熱中していた某カードゲームの、悪名高い追加ターンの一枚を思い出す。

 あれも確か六マナだった。

 たった一度、余分な時間を手に入れるために、どれほどのプレイヤーがこの数字を数え、間に合わず、あるいは間に合わせて勝負を決めてきたことか。

 

 偶然の一致か、それとも《創世札典》が啓介の記憶にある「TCGの相場観」を反映してコストを算出しているのか。

 どちらにせよ、三十六歳のTCG経験者にとっては、妙な納得感と親近感を覚える設定だった。

 

「分かってるじゃないか、このシステム」

 

 すっかり上機嫌になった啓介は、さらにTCG的な注文をぶつけてみる。

 

「相手のターンを強制的に終了させる!」

 

『現実空間にターンの概念は存在しません』

 

「そりゃそうだ」

 

「発動された魔法を打ち消す!」

 

『現在この世界に確認可能な外部魔法体系が存在しません』

『対象不在のため、必要マナを算出できません』

 

「……世界に俺以外の魔法使いがいないなら、完全に腐るカードだな、それ」

 

 口では軽く流したものの、啓介は改めて表示を読み返した。

 

「存在しない」ではなく、「確認可能なものが存在しない」。

 

 本当に啓介一人だけなのか。

 それとも、《創世札典》にも観測できない何かが存在するのか。

 今の啓介には、その違いを確かめる手段がなかった。

 

 強力そうな対策カードも、対象が存在しなければ紙切れ同然だ。

 ひとまず、現在の世界で自分以外の魔法使いが表立って活動している可能性は低いらしい。

 

 時間停止という大技が作れるなら、生物の召喚はどうだろうか。

 啓介の中に眠っていた少年心が、完全にブレーキを壊して暴走し始めた。

 

「ドラゴンだ」

 

『効果の定義が不十分です』

 

「空を飛べて、火を吐く赤いドラゴン。全長十メートルくらい。俺の命令を完全に聞いて、一時間だけ召喚する」

 

 バインダーの空白の枠に、赤、金、そして漆黒の光が荒れ狂うように渦巻いた。

 これまでの生活術式とは明らかに次元の違う、重々しく暴力的な演出。

 カードのイラスト枠を突き破るように、巨大な翼が描かれていく。燃え盛るような赤い鱗、鋭い牙を覗かせた顎から漏れる炎。カードの中でありながら、圧倒的な威圧感を放つ飛竜がこちらを睨みつけている。

 

 啓介は思わず身を乗り出した。

 

「うおおおおお……!」

 

 《紅蓮翼の飛竜/Crimson Winged Drake》

 生物・竜

 必要マナ:生命2・物資1・熱量2・境界2

 

 翼長約十五メートル、全長約十メートルの飛竜一体を一時間召喚する。

 飛竜は召喚者の命令に従い、飛行および火炎放射能力を持つ。

 

 英雄は竜を求めた。

 現代人は、まず着陸場所と航空法を心配した。

 

 合計7マナ。

 

 啓介は、その神々しいイラストに食い入るように見入った。

 本物のドラゴンだ。空を飛び、炎を吐き、自分の命令に従う。子供の頃なら、どんな犠牲を払ってでも欲しがっただろう。

 

「すげえ。一日に七マナ出せれば、本当にドラゴンを召喚できるのか……」

 

 感嘆の息を漏らした後、啓介はふと顔を上げ、自分の部屋を見回した。

 ありふれた1LDK。天井の高さは二メートル少々。

 窓の外にはベランダがあり、その向こうには密集した住宅地と交通量の多い幹線道路が広がっている。

 

 全長十メートルのドラゴン。

 この部屋の中で呼び出した瞬間、マンションは半壊、いや全壊するだろう。

 外の公園で召喚すれば、SNSで拡散されるどころの騒ぎではない。

 空を飛ばせば航空レーダーに捕捉され、炎を吐けば消防と警察が殺到し、最悪の場合は自衛隊のスクランブル発進を招くかもしれない。

 

「……で、現代社会でこいつを特殊召喚して、俺は一体どうするんだ?」

 

 カードの中の飛竜が、答えの代わりに小さな炎を吐いた。

 

「月曜の朝、こいつに乗って会社の屋上に着陸するのか? 遅刻はしないだろうが、社会人としては完全に終わるな」

 

 現実的な問題に直面し、啓介は少し考えて効果を縮小することにした。

 

「じゃあ……手のひらに乗るくらいの小さなドラゴン。火は吐かなくていい。十分間だけ」

 

 再計算の光が走る。

 

 《掌乗りの小竜/Palm-Sized Drake》

 生物・竜

 必要マナ:生命1・境界1

 

 手のひらに乗る大きさの従順な小竜一体を、十分間召喚する。

 小竜は飛行できるが、攻撃能力を持たない。

 

 世界を焼くには小さすぎる。

 カーテンを破るには十分だった。

 

「二マナまで下がったか」

 

 これなら部屋の中でも安全に呼べる。攻撃能力はないが、肩に乗せたり、机の上を歩かせたりして遊ぶには最高だ。

 啓介は少し本気で欲しくなった。

 

「これをペットとして、常時存在させるなら?」

 

 要求してみると、必要マナが途端に二桁へ跳ね上がった。

 生命の恒久的な維持、食事、排泄、健康管理、そして知性の定義。生き物を現実世界に定着させるのは、一時的な現象を引き起こすよりも遥かに重い処理になるらしい。

 

「生き物を永続させるのは、やっぱり重いか……」

 

 ふと思いついて、TCGの定石に従い尋ねてみる。

 

「何か二体をリリース……生け贄にしたら、コストは下がるのか?」

 

 直後、システムが淡々と追加コストの候補を表示しようとした。

 

『生命二体を代価として——』

 

「待て待て待て待て!! 今のなし!!」

 

 啓介は慌ててカード作成をキャンセルした。

 ゲームなら盤面のカードを墓地に送るだけだが、現実世界での生け贄は洒落にならない。

 

「現実世界で生け贄召喚とか、完全に邪教の儀式じゃないか……」

 

 口ではそうツッコんだものの、背中には薄い寒気が走っていた。

 

 《創世札典》は、生命を代価にすること自体を禁じていない。

 啓介が望みさえすれば、倫理や法律など一切考慮せず、実現可能な方法として淡々と提示してくる。

 

 善悪を判断してくれる力ではない。

 使い方を誤れば、本当に取り返しのつかないことができてしまう。

 

「……要求を出す側が、ちゃんと考えないと駄目ってことか」

 

 今後、システムに対して安易にTCG用語を使うのはやめよう。

 少なくとも、その言葉が現実では何を意味するのかを考えてから口にするべきだ。

 

 ドラゴン召喚というロマンを一度棚上げし、啓介は最も現実的で切実な問題に思考を切り替えた。

 能力を拡張するにせよ、生活を豊かにするにせよ、現代社会を生き抜くためには絶対に「金」が必要だ。

 

「一万円札を一枚作る」

 

 シンプルな要求。

 生成されたカード。

 

 《精巧な紙幣/A Perfect Counterfeit》

 術式・物資

 必要マナ:物資1

 

 指定された紙幣と物理的に同一の複製物を一枚生成する。

 生成物に、国家および金融機関が認める法的価値は付与されない。

 

 価値は紙に宿るのではない。

 誰もがそれを価値だと信じることに宿る。

 

「……駄目じゃねえか」

 

 見た目や材質が完璧な一万円札であっても、法的な価値がなければ、ただの非常に精巧な偽札だ。

 使えば犯罪者となる。

 

 それどころか、物理的には本物と同一なら、自動販売機や券売機などの機械を通せてしまう可能性すらある。

 試してみたいとは欠片も思わないが、残しておく理由もなかった。

 

「これは危なすぎるな」

 

 啓介は《精巧な紙幣》をその場で破棄した。

 一万円札の描かれたカードが、白い粒子となって消滅する。

 

 《創世札典》は物質としての紙幣は作れても、国家という巨大なシステムが保証する「信用」までは1マナで作れないらしい。

 

「じゃあ、金だ。純金百グラム」

 

 《一握りの黄金/A Fistful of Gold》

 術式・物資

 必要マナ:物資3

 

 純度九九・九九パーセント以上の金百グラムを生成する。

 

 人はそれを富と呼ぶ。

 札典はただ、重く柔らかな金属と記した。

 

「三マナか」

 

 現在の相場なら、百グラムでも売却すれば相当な金額になる。

 ただし、出所不明の金塊をいきなり買取店に持ち込めば、身元確認や税金の問題が必ず付きまとう。

 

「能力だけじゃなくて、稼いだ金をどうやってロンダリング……いや、合法的に説明するかも考えないと駄目だな」

 

 能力を得たからといって即座に犯罪や脱税へ走らないあたりが、三十六歳の社会人としての分別だった。

 となれば、正攻法は未来予知による金策だ。

 

「次の宝くじの一等当選番号を知る」

 

 《約束された当選番号/The Winning Numbers》

 術式・知識

 必要マナ:知識4

 

 指定した一回の数字選択式宝くじについて、抽選結果を事前に知る。

 

 この情報を得たことで結果そのものが変化する場合、最も可能性の高い結果が提示される。

 

 未来を知る者が一人なら、それは予言である。

 全員が知れば、ただの数字になる。

 

「四マナ……」

 

 若返りよりは安いが、今の1マナの基盤では届かない。

 では、範囲を極限まで狭めたらどうなるか。

 

「今日、近所の売り場で買うスクラッチくじの中から、一番当たりの大きいものを一枚選ぶ」

 

 必要マナは知識1に下がった。

 ただし、自分が買いに行ける範囲の売り場に、そもそも当たりくじが存在しなければ意味がない。

 

「なるほど。遠い未来を完全に当てるんじゃなくて、目の前の選択肢を絞るだけなら1マナでいけるのか」

 

 この発見は大きかった。

 

 カード作成の試行錯誤に夢中になっているうちに、気づけば昼の時間を大きく過ぎていた。

 テーブルの上には、完全に冷めきったコーヒー。

 バインダーのポケットには、啓介が欲望の赴くままに試作した十数枚のカードがずらりと並んでいる。

 

 最初の九つのポケットが埋まると、次のページには新たな空白の枠が自動的に現れた。

 少なくとも、カードの保管枚数をすぐに心配する必要はなさそうだった。

 

 中でも目を引くものだけでも——

 

 《淹れたての温度》

 《見落としを一つ》

 《休日の大掃除》

 《健全なる肉体》

 《一年若く》

 《時間停止》

 《紅蓮翼の飛竜》

 《掌乗りの小竜》

 《一握りの黄金》

 《約束された当選番号》

 

 使ってみたいカードは山ほどある。

 しかし、明日使えるのは、また《借宿》から生み出される1マナだけだ。

 

 マナは翌日に持ち越せない。

 明日使わなければ、午前零時の日次更新で消えるだけである。

 

 啓介は、明日のための一枚を真剣に選び始めた。

 《日々の修繕》を連続で使う必要はないだろう。今日完全にリセットされた身体なら、明日まで大きく調子を崩すことはないはずだ。

 

 《掌ほどの収納》も魅力的だった。

 ただ、収納できるのは一品だけで、日次更新を迎えれば中身は手元へ戻ってくる。

 現時点で、どうしても異空間へ隠しておきたい物があるわけでもない。

 

 熱量マナによる充電や、物資マナによる衣服の手入れも便利だ。

 だが、一番可能性を感じるのは、やはり知識マナだった。

 

 未来予知。

 

 啓介は新しい空白の枠に指を置き、条件を研ぎ澄ましていく。

 

 対象は自分のみ。

 一回につき、一つの行動に対する結果だけ。

 見られる未来は十分以内。

 映像は断片的でいい。

 最も重要な結果を一つだけ知りたい。

 

 生成。

 

 《一歩先の未来/One Step Ahead》

 術式・知識

 必要マナ:知識1

 

 自分がこれから実行しようとしている一つの行動について、実行後十分以内に自分が経験する、最も重要な結果の断片を見る。

 

 未来のすべてを知る必要はない。

 踏んではならない一歩が分かれば、それでいい。

 

 啓介は満足げにうなずいた。

 たった十分先、それも断片的な結果しか分からない。

 しかし、日常における「選択」の前に結果を確認できるというのは、計り知れない優位だった。

 

 買い物。

 仕事のメール送信。

 誰かとの会話。

 そして金策。

 

 使い方次第では、肉体を回復させる以上に人生を劇的に変える力がある。

 

「明日は、これだな」

 

 啓介は《一歩先の未来》のカードを、バインダーの最初のページ、《借宿》のすぐ下に移動させた。

 指でスライドさせるだけでカードは簡単に位置を変える。

 

 啓介は無意識のうちに、昔デッキを構築していた時のように、マナの系統ごと、コストごとにカードを綺麗に並べ替え始めていた。

 

 生命、知識、物資、熱量、境界。

 整然と並んだカードの束。

 十数年ぶりに味わう、この構築の楽しさ。

 

 バインダーを閉じながら、啓介は改めて試作したカードたちのコストを思い返した。

 

 1マナなら、日常の不便を解消できる。

 2マナなら、部屋をリセットし、小さな竜を呼べる。

 3マナなら、身体を完全治療し、黄金を生み出せる。

 5マナなら、若返ることができる。

 6マナなら、時間を止められる。

 7マナなら、ドラゴンを呼べる。

 

 マナさえあれば、本当に何でもできる。

 

 そして現在の啓介が一日に得られるのは、賃貸マンションである《借宿》からの1マナだけ。

 しかも、それを翌日へ持ち越すことはできない。

 

 カードゲームにおいて、手札に強力なカードがあるのにマナが足りない時、プレイヤーが考えることは一つしかない。

 

 土地を増やす。

 マナを生み出す遺物を置く。

 あるいは、条件を満たしてコストを軽減する。

 

 啓介は、暗く沈んだままの《借宿》のカードを指でトントンと叩いた。

 

「土地一枚で、七マナのカードを握ってても仕方ないよな」

 

 手札に切り札はある。

 だが、それを使うための基盤が圧倒的に足りない。

 

 学生時代なら、デッキから重いカードを抜いて土地カードを入れ替えれば済んだ。

 しかし今回は、現実世界での行動を通して、マナ基盤そのものを組み直さなければならない。

 

 啓介は《一年若く》と《時間停止》、そして《紅蓮翼の飛竜》のカードを順番に眺め、楽しそうに口元を緩めた。

 

「まずは明日、未来予知の実験だ」

 

 それから、《借宿》の隣に続く、途方もなく広大な空白のページへと視線を移す。

 

「その次は——マナ加速だな」

 




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