TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~   作:パラレル・ゲーマー

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第20話 小竜を一匹で山に泊めたら満喫していたらしい

 フェンスと非常帰巣ブザーを設置してから、一週間。土曜日の夕方。青梅の山林。

 この一週間、啓介は平日の帰宅後にも非常信号の反復訓練を行い、ブザー本体を隠した状態でも音だけで家へ戻ることを複数日にわたって確認していた。週中の雨の後には、フェンス、配線、防水ケース、カメラ、蓄電池も現地点検し、異常なし。ただし一度の雨で完全防水とは扱わず、『雨天後運用:一回確認』とだけ記録している。日が傾き、木々の影が長く伸び始めている。

 

 啓介は、車のトランクに工具箱や不要な資材を積み込んでいた。今日の日中には、家の周囲の狭いフェンスとは別に、カメラでおおむね把握でき、崖や急斜面を避けた範囲を『単独利用許可範囲』として設定してある。

 赤橙色の短い杭、同色のテープを巻いた木、フェンスの角、大きな岩をつないで『この内側』を教え、何度も「ここまで」「待て」を繰り返した。昼過ぎにはアカネが目印の前で自分から方向転換するところまで確認済みだ。ただしシステム評価は『学習傾向を確認』に留まり、本当に理解したかは啓介不在時の行動を見るまで分からない。その横には、アカネの移動用である黒いキャリーケースも置かれている。

 

 普段なら、「キャリーケースが出る=マンションへ帰宅する」という合図だ。

 アカネは、いつものようにトテトテと歩いてきて、啓介の足元で見上げた。

「あぎゃ?」

 

 啓介は、しゃがみ込んでアカネの目線に合わせた。

 そして、自分自身の胸を指差し、次に停めてあるレンタカーを指差した。

「俺は、車で帰る」

 

 次に、フェンスの奥にある《アカネの家》を指差す。

「お前は、今日、あの家に泊まる。……明日、朝一番で迎えに来る」

 

 アカネは、首をコテンと傾げた。

 言葉をどこまで正確に理解しているかは分からない。だが、啓介が自分をキャリーケースに入れようとしていないことだけは伝わったようだ。

 アカネは一度だけ、パタパタと飛んで啓介の肩に乗った。

 そして、啓介の頬に鼻先をスリッと擦りつけ、すぐに飛び立って《アカネの家》の屋根へと戻っていった。

 

 啓介は、一瞬だけ迷った。

「……もし嫌なら、今日も一緒にマンションへ帰ってもいいぞ」

 キャリーケースの扉を開けてみせ、「帰る選択肢」を提示する。無理やり置いていくような真似はしたくない。

 

 アカネは屋根の上から、開いたキャリーケースを見た。次に、啓介を見た。

 そして、そのまま動かなかった。

 

「……泊まるんだな」

 アカネは「あぎゃ」と短く鳴き、前脚を身体の下へ畳み、翼までぴたりと閉じて、屋根の上で香箱座りのように丸くなった。

 それは、アカネ自身が初めて「山へ残る」という選択をした瞬間だった。

 

 啓介は、アカネの小さな頭を一度だけ撫でた。

「じゃあ、また明日の朝な」

 

 監視カメラの作動。通信ルーターの緑ランプ。水皿の水の量。非常用ブザーの独立電源。

 すべての最終チェックを終え、啓介は車に乗り込んだ。

 エンジンをかけ、ゆっくりと山道を下る。

 

 バックミラーを見る。

 フェンスの奥の小さな家。その屋根の上で、赤銅色の小さな影がこちらを見送っている。

 決して、車を追って飛んでこようとはしなかった。

 

 公道に出て、住宅街の灯りが見えてきても、啓介の胸の奥にはソワソワとした落ち着かなさが残っていた。

 

 当然だが、運転中はスマートフォンの監視映像を見ない。

 通知音だけオンにしてあるが、異常を知らせるアラートは鳴らない。

「……大丈夫だよな」

 

 実は今日の夕方、山を下りる直前に、啓介は《危険判定》を使用していた。

 質問の定義は極めて厳密に行った。

『本日18時から明日8時までの十四時間、俺がこの管理地から離れ、アカネを指定した単独利用許可範囲および《アカネの家》で単独生活させる。その間に、アカネ本人への外傷、疼痛を伴う事故、呼吸障害、拘束、行方不明、許可範囲外への逸脱、第三者による捕獲または持ち去り、死亡、カードとの関連づけの喪失、能力存在の第三者への露見、または翌朝まで継続する著しい恐怖・苦痛が発生するか』

 

 これだけ条件を具体化した上で、システムからの回答は『否定』だった。

 少なくとも、《危険判定》は今回の計画を『中止すべき重大な危険あり』とは判定していない。それ以上でも、それ以下でもない。質問を細かくしても、返ってくる情報は肯定か否定の一つだけで、未来の全事象を保証する証明書ではなかった。

 

 それでも。

「中止するほどの危険は出てない。でも、あいつが一人で『どう過ごすか』までは、魔法は教えてくれないからな……」

 一晩中、啓介がいないことで怯えて、家の中で震えているかもしれない。監視中に現実の危険が見えれば、《危険判定》の結果に関係なく試験は中止する。そのつもりだった。

 

 啓介は、安全なコンビニの駐車場を見つけると、すぐに車を停めてスマートフォンの監視カメラアプリを開いた。

 緊張しながら、映像をタップする。

 

 画面に映っていたのは。

 

『カサカサッ!』

 枯れ葉を鼻先で器用にひっくり返し、隠れていた虫を追いかけているアカネの姿だった。

 

 風で葉が転がる。アカネが飛びかかる。

 前脚でバンッと押さえつけようとして失敗し、葉っぱが舞い上がる。

 それを追いかけて軽く空中に舞い上がり、そのまま着地に失敗して落ち葉の山にダイブする。

 すぐに起き上がり、ブルブルと身体を震わせてから、また別の落ち葉を追いかけ始めた。

 

 啓介は、スマートフォンの画面を呆然と見つめた。

「……めちゃくちゃ遊んでるな」

 

 これまで、啓介が一緒に山にいる時のアカネの興味は、常に『啓介』『啓介が使っている工具』『啓介がやっている作業』に向いていた。

 だが今日は、人間の姿が完全にない。

 だからこそ、アカネの意識は初めて、この『山という環境そのもの』へと100パーセント向けられていた。

 

 木の根元のコケ。湿った土の匂い。樹皮の感触。小さな虫の動き。

 アカネは、自分のテリトリー(管理区域)を、文字通り全身で楽しんでいた。

 

 カメラの映像越しに、アカネの「宝物探し」が始まった。

 普通の灰色の小石を見つける。匂いを嗅ぐ。つまらないと判断したのか、すぐに捨てる。

 次。少し赤みを帯びた、丸っこい石を見つける。

 拾う。

 パタパタと飛んで《アカネの家》へ戻る。

 宝物棚の上に、コトッと置く。

 

 また外へ出る。

 枯れ葉を拾う。捨てる。

 光沢のある黒い木の実を見つける。咥えて、家へ運ぶ。

 自分の顔より大きな石を見つける。持てないので諦める。

 白っぽい小石を見つける。少し迷ったが、不採用にして捨てる。

 錆びた金属の破片を見つける。

 

「おい、それは危ないだろ」啓介が車内で声を漏らす。

 アカネは一度だけ咥えかけたが、口当たりが気に入らなかったのか、すぐにペッと落とした。啓介は位置を記録し、翌朝回収することにした。

(ちなみに、鋭利なガラス片などは啓介が事前の清掃で完全に撤去済みだが、山の地面を完全な無菌室にはできない。宝物を拾わせるなら、持ち込んだ物の安全点検も必要になる)

 

 アカネは、拾う、帰る、置く、また出る、を繰り返している。

 画面を見ている啓介は、思わず吹き出した。

「……完全に、RPGのアイテム収集クエストやってるプレイヤーの動きだな」

 

 啓介はダッシュボードからノートを取り出し、『《アカネの宝物選択傾向》』と見出しを書きかけた。

 数秒して、手が止まる。

「いや、これは健康記録(医学データ)じゃないだろ。何でもかんでも記録すりゃいいってもんじゃない」

 そう毒づきながら、啓介は別の新しいページを開き、『《アカネ収集物リスト》』という見出しで、結局は几帳面に書き残した。

 

 マンションへ帰宅。

 夕食のレトルト弁当を温めて食べる。一口食べては、スマホの映像を見る。

 皿を洗いながら、見る。風呂に入る前に、見る。

 

「……これ、アカネより俺の方が分離不安症になってないか?」

 自分へのツッコミも虚しく、スマホを手放せない。

 

 18時台後半。日没の少し前。

 スマートフォンに『動体検知』の通知が飛んできた。

 

 映像を切り替える。

 フェンスの外周に沿って歩く、見覚えのある縞模様の猫。

 胸の白毛、左耳の欠け。《自由気ままな猫》だ。

 

 アカネが、その気配に気づいた。

 屋根の上で、翼を少しだけ広げる。

 しかし、以前のようにいきなり威嚇して飛びかかろうとはしなかった。

 

 ここが、前回との最大の決定的な違いだった。

 前回は、啓介という「絶対的な安全地帯(後ろ盾)」がすぐ横にいた。

 だが今は、一匹だ。本当に、あの野良猫とアカネ、二匹だけの空間なのだ。

 

 啓介は、カメラ越しに見守ることしかできない。

 《危険判定》は否定で出ている。だから、猫が現れたというだけで即座に試験を中止する理由にはしない。だが、威嚇、フェンス越え、アカネの攻撃態勢など現実の危険が見えれば、遠隔スピーカーで介入し、それでも駄目なら車で戻る。未来予知を理由に、目の前の危険を無視するつもりはなかった。

 

 猫はフェンスに沿って歩き、アカネはフェンスの内側の木に飛び移った。

 互いの距離は、およそ五メートル。

 猫が、ペタンと座り込んだ。

 アカネも、枝の上で動きを止めた。

 

 風が吹き、乾いた落ち葉が一枚、猫の目の前をカサカサと転がった。

 猫が、前脚でパシッ!と落ち葉を叩いた。

 葉が跳ねる。猫がそれを目で追う。

 

 それを見ていたアカネ。

 アカネの側にも、風で落ち葉が転がってきた。

 アカネは、短い前脚でペシッ!と葉を叩いた。

 葉が飛ぶ。アカネが目で追う。

 

 猫が、また別の葉を叩く。

 アカネが、また別の葉を叩く。

 

 スマートフォンの画面を見つめている啓介は、目をパチクリとさせた。

「……これ、もしかして一緒に遊んでるのか?」

 数秒観察し、訂正する。

「いや、違うな。同じ場所で、それぞれ別々に落ち葉を追っかけてるだけか」

 完全に、判定不能な微妙な距離感だった。

 

 システムからの補助表示が流れる。

『対象個体間における自発的近距離滞在を確認』

『相互威嚇:なし』

『相互攻撃:なし』

 それだけだった。

 魔法の力で急に《アカネの友達》になったりはしない。

 

「……まあ、それくらいでちょうどいい」

 啓介は、安堵の息を吐いた。

 

 しばらくして、猫が小さな松ぼっくりを見つけた。

 前脚でコロコロと転がして少し遊んでいたが、すぐに飽きたのか、立ち上がってフェンス沿いの獣道へと歩き去っていった。

 地面には、猫が遊んでいた松ぼっくりだけがポツンと残された。

 

 アカネの視線が、その松ぼっくりに釘付けになった。

 明らかに、新しい「宝物」として狙っている。

 

 アカネは枝から飛び立ち、地面に降りて、松ぼっくりの方向へトテトテと歩いていった。

 しかし。

 松ぼっくりが落ちているのは、今日の日中に何度も教えた『単独利用許可範囲』の、わずか数十センチだけ外側だった。

 赤橙色の杭と、その先の木に巻かれた同色のテープ。その間を越えれば、飛んでいけば一秒で届く距離だ。

 

 アカネは、境界のマーカーの前でピタリと立ち止まった。

 マーカーを見る。

 その向こうの松ぼっくりを見る。

 もう一度、マーカーを見る。

 

 そして。

 ……越えなかった。

 アカネは、マーカーの内側から恨めしそうに松ぼっくりを見つめたまま、しばらくその場から動かなかった。

 

 啓介は、カメラの前で完全に固まっていた。

 命令されていない。啓介もその場にいない。欲しい宝物がすぐ目の前にある。

 それでも、アカネは啓介が決めた境界線を、自らの意志で越えなかったのだ。

 

 システム表示が流れる。

『管理者不在状態における、指定活動範囲の【自発的遵守】を確認しました』

 

 一週間前に設置した物理的なフェンスと、今日一日かけて教えた「ここまで」という区別が、単なる障害物や命令待ちではなく、アカネ自身の認識の中で『ここから外は出てはいけない領域』として成立した瞬間だった。

 

 アカネは諦めたようにプルプルと首を振り、クルリと背を向けて、許可範囲内にある別の綺麗な石を拾い、家へと戻っていった。

 ちゃんと、自分の遊びを続けている。

 

 日没。

 森が急速に暗くなり、カメラが赤外線モードに切り替わる。

 虫の音、遠くの鳥の声。風の音。

 アカネは、《アカネの家》の屋根の上に座り、じっと暗い森の外を見つめていた。

 

 それは、怯えている様子ではなかった。

 誰もいない。啓介もいない。

 それでもパニックを起こすことなく、時折翼をゆっくりと動かし、夜空の星を見上げ、また屋根の上で丸くなる。

 

 啓介は、マンションのリビングでその静かな映像を見つめながら呟いた。

「……楽しそうだな」

 

 これまで啓介は、心のどこかで「自分がいなければ、アカネは不安で寂しがるはずだ」という驕りのようなものを抱いていた。

 実際、前回の試験では啓介のテントに逃げ込んできた。

 しかし今日の十四時間。アカネは、一匹でも十分に自分の時間を過ごし、自分の家を守り、山を満喫していた。

 

「……まあ、俺がいなくても楽しめる方が、健全でいいに決まってるか」

 少しだけ寂しいような、でもそれ以上に嬉しいような、複雑な親心のような感情だった。

 

 20時頃。

 啓介は事前に計画していた通り、マンションから『主系統を短時間停止する遠隔試験』を実施した。

 数分間だけ、意図的に現地の通信とカメラの電源を落とす。

 

 画面が、プツンと真っ暗(ブラックアウト)になる。

「……分かっててやってるのに、やっぱりこの瞬間は心臓に悪いな」

 現地では今、主系統が停止し、独立した非常用ブザーだけが『ピピッ、ピピッ』と鳴っているはずだ。

 だが、啓介にはそれが見えない。

 

 数分後、計画通りに主系統を復旧させ、カメラに再接続する。

 映像が映った瞬間、啓介は画面を凝視した。

 

 アカネは、《アカネの家》の寝室の中にいた。

 退避行動、成功。

 

 さらに数分後。

 非常音が止まり、危険がないと判断したアカネが、入口からヒョコッと顔を出した。

 左右を確認し、安全だと分かると、再び外へ出て屋根の上へと戻った。

 

『管理者不在状態での非常信号退避:確認』

『主系統復旧後の通常行動再開:確認』

『過度の持続的ストレス反応:現在確認されず』

 

 非常信号でパニックになり、家の中に引きこもって震え続けるような過剰な恐怖反応はない。危険が去れば、すぐに通常の生活へ復帰できる。

 少なくとも今回の試験では、非常信号から通常状態へ戻れることまで確認できた。精神面についても、過度な持続ストレスは現在確認されていない。

 

 深夜前。

 再び猫がカメラの端を通ったが、今度は遊んだり近づいたりすることもなく、ただ通過していった。

 アカネも家の中から入口を見ただけで、外へ出ようとはしない。

 互いの棲み分けが、自然な形で習慣化し始めている。

 

 夜。

 アカネは今日拾い集めた宝物を、寝る前にもう一度几帳面に並べ直し、啓介の匂いのする古い部屋着の寝床で身体を丸め、静かに眠りについた。

 

 23時。啓介が見る。寝ている。

 23時20分。見る。寝ている。

 午前零時。日次マナ更新。

 未使用だったマナは失効し、日曜日の新しい6マナが生成された。

 

「……よし、俺も寝るか」

 スマホを裏返してベッドに入る。

 数分後。

「最後に一回だけ」

 スマホを裏返して見る。寝ている。

「……俺の方が全然自立できてないな」

 啓介は苦笑して、ようやく目を閉じた。

 

 夜明け。

 カメラ越しに、アカネが起き出すのが見えた。

 家から出て、翼を大きく伸ばし、身体をブルブルと震わせる。

 少しだけ飛び回り、水皿の水をペロペロと飲む。

 昨日とは違う場所を歩き回り、小石や葉っぱをつついている。

 完全に、「自宅から朝の散歩へ出る生き物」のルーティンだった。

 

 そして、例の松ぼっくり。

 アカネは、境界マーカーのギリギリまで行き、昨日と同じように未練がましく外にある松ぼっくりを見つめていた。

 やはり、一線を越えようとはしなかった。

 

 啓介は、マンションでその映像を見ながら吹き出した。

「まだあれが欲しいのかよ」

 

 朝8時前。

 レンタカーで山道を登る。

 車のエンジン音に気づいたのか、アカネが屋根の上に乗り、山道の方をじっと見つめているのがカメラ越しに分かった。

 

 啓介が車を停め、降りた瞬間。

「アカネ」

 

 バサッ!

 アカネが、フェンスを飛び越え、一直線に弾丸のように飛んできた。

 ドスンッ!と啓介の肩に激突し、「あぎゃあ!」と鳴きながら、作業着の袖を前脚でこれでもかと強く掴んだ。

 そして、鼻先を啓介の頬にグリグリと押し付け、短い尻尾をちぎれんばかりに振っている。

 

 啓介は、その小さな身体をそっと撫でた。

「ただいま。……寂しかったか?」

「あぎゃ!」

 

 言葉の意味は分からないが、嬉しそうなのだけは伝わってくる。

 昨夜ずっと怯えて泣きながら待っていたわけではない。遊んだし、探検したし、しっかり寝た。

 それでも、「啓介が帰ってくれば、全力で嬉しい」。

 その自立と甘えの絶妙なバランスが、啓介にとってはたまらなく愛おしかった。

 

 まずは現地点検。

 アカネの健康状態。呼吸、翼、歩行、鱗、すべて異常なし。外傷もゼロ。

 設備。フェンス、門扉、非常装置、バッテリー、カメラ。すべて正常。

 水皿の水もまだ残っている。

 

 そして、啓介は《アカネの家》の中を覗き込んで、驚いた。

「……なんか、めちゃくちゃ増えてるぞ」

 

 宝物棚には、昨日置いていったプルタブやボタンに加え、赤い丸石、黒い木の実、奇妙な形をした小さな木片、その他よく分からないガラクタが所狭しと並べられていた。

「一晩でこんなにコレクション集めたのか」

 アカネは、褒められたと勘違いしたのか、胸を張るような仕草をした。

 

 突然、アカネがパタパタと外へ飛び出した。

 境界マーカーのギリギリに立ち、外にある松ぼっくりと、啓介の顔を交互に見る。

 

 啓介は苦笑した。

「……これか?」

 啓介自身が境界の外へ踏み出し、安全を確認してから、その松ぼっくりを拾い上げてアカネの前に置いた。

 

 アカネは大喜びで松ぼっくりを咥え、一目散に家の中の宝物棚へと運んでいった。

「それ、昨日あの野良猫が転がして遊んでたお下がりなんだけどな」

 アカネは「あぎゃ!」と満足そうに鳴いた。啓介は、猫の落ち葉叩きを真似したことと合わせて少し考え、『別個体の行動から対象物への興味や遊び方を学習している可能性。要継続観察』とだけ記録した。

 

 ここで、システムから評価がまとめて表示された。

 

『《アカネの家》における固有居住者の単独夜間利用を確認しました』

『管理者不在時間:約十四時間。外傷・重大事故:なし』

『管理者指定活動範囲の自発的遵守:確認』

『非常信号による自発的退避:確認』

『夜間単独環境における休息・睡眠:確認』

 

 さらに、最も重要な一文が続いた。

 

『固有居住者による、自発的な探索、収集、休息および余暇行動を確認しました』

『当該施設は、一時的な緊急避難設備としてのみならず、【継続的な生活拠点】として利用・認識されています』

 

 これが、今回の本当の成果だった。

 アカネは、啓介に命令されて仕方なくあの小屋に押し込まれているのではない。

 自分の意思で、自分の場所として使っているのだ。

 

 啓介はノートを取り出し、『《アカネ単独夜間運用》』の項目を更新した。

 旧:不合格。

 今回:【条件付き合格】

 

 条件としては、少なくとも初期運用の間は《危険判定》を事前の安全ゲートとして使用する。監視・電源設備の継続点検。定期的な現地訪問。悪天候時の宿泊禁止。複数回の安定運用と《アカネの守り巣》の実績、季節ごとの安全確認が積み上がれば、将来的には《危険判定》なしの通常運用へ移す。

「一回成功したからといって、永久放置でOKというわけにはいかない。それに、毎回未来予知を使わないと泊められないなら、完全な自立運用とも言えないからな」

 

 それでも、システム側の評価は完全に基準を満たした。

『上位再設計に必要な実地運用実績を確認しました』

『《アカネの守り巣》、再設計可能です』

 

 啓介は小さく頷いた。

「……今度こそ、いいな」

 

 ロールバック(やり直し)のリスクについても再確認する。

 上位化すれば、現在の《小竜の家》カードは完全に置換され、無償で元に戻すことはできない。

 だが、これまでの実績を見返せば、迷う理由はもうどこにもなかった。

 日中、夜間、管理者同席、単独夜間、外部動物との接触、雨天、停電シミュレーション、非常退避、境界の遵守。

 検証データは十分に揃っている。

 

「《アカネの守り巣》、作成開始」

 

 午前零時の日次更新で生成された6マナから、必要分を支払う。

 必要なコストは、生命1、物資1、境界2。

 

 啓介はマナの支払いを構築した。

 生命:《生命樹の苗床》から1。

 物資:《小さな工房箱》から1。

 ここまでは固定マナで賄える。問題は、やはり『境界2』だ。

 境界:《借宿》の任意1を境界へ変換。《五彩の魔石》の任意1を境界へ変換。

 

 これで合計4マナを消費する。

 残るのは、《思索の計数盤》の知識1と、《名もなき雑木地》の生命または物資1の、計2マナのみとなる。

 

 四つの光が、現地の施設へと吸い込まれていく。

 派手な巨大化や変形はしない。フェンス、家、非常装置、カメラ。既存の設備群が淡く発光し、それぞれの意味が『一つの強固な恒久施設カード』として魔法的に再定義・統合されていく。

 

 バインダーの中に、正式なカードが定着した。

 

 《アカネの守り巣/Akane's Sheltered Nest》

 遺物・施設・生命・物資・境界

 

【固有居住者】

 《帰る場所を得た小竜、アカネ》一体のみを対象とする。

 

【守り巣】

 現実の家、フェンス、門、監視設備、独立非常設備その他の既存施設を一体的に扱い、固有居住者の安全確保を優先する。

 

【危険検知・緊急帰巣】

 施設および既存設備が認識可能な範囲で、火災・煙・構造破損・侵入・急激な環境悪化その他の明確な危険を自律検知し、アカネへ強い帰巣警告(アラート)を与える。

 ※全知ではない。強制転移ではなく、最終的な行動選択はアカネ本人に依存する。

 

【独立保全】

 外部通信・主電源喪失時にも、施設側の最低限の物理的保護機能を一定時間維持する。

 

【巣守り・強化】

 既存の【巣守り】効果の強化。

 ※人間・大型獣・超常的な攻撃に対する絶対防御ではない。

 

【非自立】

 使用者による管理が放棄された場合、機能および評価は低下する。

 

 続けて、啓介がずっと待ち望んでいた表示が流れた。

『恒常的境界維持実績を確認しました』

『当該施設をマナ源として再評価します』

 

 《アカネの守り巣》

 生成:境界1/日

『次回の日次更新より生成開始』

 

「……やった」

 啓介は周囲に誰もいないことを確認してから、小さく声に出してガッツポーズをした。

 ついに、待ちに待った『固定の境界マナ』を手に入れたのだ。

 

「アカネ。お前の家、明日から毎日『境界マナ』を一個出せるようになるぞ」

「あぎゃ?」

 アカネはマナの話など全く理解しておらず、宝物棚の松ぼっくりを夢中で突っついている。

「全然聞いてないな、お前」

 

 帰宅後。

 啓介はノートに新しいマナの構成を書き出した。

 明日から、日次総マナは「7」になる。

 

 任意2、生命1、知識1、物資1、生命または物資1、そして境界1。

 

 あの強大な大魔法《時間停止》のコストは、知識2、境界3、不特定1。

 啓介は指折り数えた。

「境界3は……守り巣で1、任意マナ二つを境界に変換して2。これで境界3は達成できる。いける!」

 

 次に、知識2の計算。

「知識は、思索の計数盤で1。……あれ? もう一つ知識マナが必要なのに、任意マナは境界に全部使っちまったぞ」

 残るマナは、生命、物資、生命/物資のいずれかだ。

『知識マナ』を生み出す手段が、一つ足りない。

 

「……今度は、知識が足りないのかよ」

 啓介は頭を抱えた。

 これまでずっと「境界マナ不足」というボトルネックに悩まされていた。それが解消された瞬間に、今度は「知識マナ不足」という新しい壁が立ち塞がった。しかも《アカネ単独夜間運用》の初期段階では、泊めるたびに《危険判定》で知識1を使う。今日も《思索の計数盤》の知識1はそれで丸ごと消えた。

 《時間停止》だけではない。アカネの安全確認や今後の実験にも知識マナを使う。二つ目の知識源は『あると便利』ではなく、普通に必要になりつつある。それでも、足りないものが境界から知識へ移ったこと自体は、確実にシステムを開拓し、成長している証でもあった。

 

「まあいいさ。《時間停止》のカードが逃げるわけじゃない」

 今日の最大の目的は、『アカネが一匹で山に泊まれるか』の検証だった。それは大成功で終わった。

 しかも、アカネは啓介が思っていた以上に、一匹での山の生活を「満喫」していたのだから。

 

 夜。

 マンションの寝室。

 当然だが、アカネは今日も一緒にマンションへ帰ってきている。

 せっかく山に立派な自宅ができたからといって、一年三百六十五日、常に山に住まわせるつもりはない。啓介のマンションも生活拠点であり、山も生活拠点だ。アカネには、二つの「帰る場所」ができたのだ。

 

 アカネはどこで寝るか。

 段ボールの仮住居? いや、違う。

 啓介の枕のすぐ横、一番柔らかい場所だ。

 

「……昨日は一人でちゃんと自分の家で寝られたのに、今日はこっちなのかよ」

「あぎゃ」

 アカネはクルリと丸まり、さっさと目を閉じた。

 

 啓介もベッドに横になり、ノートの最後のページにペンを走らせた。

 

『《アカネ単独夜間運用》初回:成功。』

『《アカネの守り巣》上位化:完了。』

『新規マナ源:境界1/日。』

『《時間停止》への到達度:境界条件は達成可能。知識条件が不足。』

 

 そして、別ページ。

『《アカネ収集物》

 赤い丸石、黒い木の実、小さな木片、猫が遊んでいた松ぼっくり』

 

 最後に、一行だけ追記した。

『初めて一匹で山へ泊めた結果、安全性の問題よりも先に、宝物棚の容量不足という深刻な問題が発生した』

 

 横を見ると、アカネはもうスヤスヤと寝息を立てていた。

「……棚、増築してやるか」

 啓介は苦笑しながら、電気を消した。




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