TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~ 作:パラレル・ゲーマー
土曜日の朝。
啓介のマンションの玄関脇には、出撃準備を終えた荷物が山のように積み上がっていた。
頑丈な樹脂製の工具箱。革手袋に防塵マスク、保護眼鏡。大容量のペットボトルに入れた飲料水と、それとは別のポリタンクに入れた手洗い用の水。折り畳み式の作業椅子。補修用のステンレス金具や各種ネジ。ポータブル電源と各種延長コード。厚手のごみ袋に、トング。コンパクトな救急箱。そして、アカネの移動用キャリーケース。
啓介が、ノートのチェックリストと目の前の荷物を照らし合わせながら、指差し確認を行っていた。
その横で、アカネが当然のような顔で荷物の山の周りをウロウロと歩き回っている。
啓介が工具箱の蓋を開けると、アカネはすかさず首を突っ込み、中に並んだドライバーやペンチの匂いをフンフンと嗅ぎ始めた。
「こら。入るな」
「あぎゃ」
啓介がアカネを抱え上げて脇へ退かし、工具箱の蓋を閉める。
「今日は荷物が多いんだから、邪魔するなよ」
退かされたアカネは不満そうに「あぎゃ」と鳴き、今度は作業用手袋の端っこを前脚でちょいちょいとつつき始めた。
一通りの荷物を見渡したところで、啓介はふと手を止め、深い溜息をついた。
「……冷静に考えると、俺、山に行くたびに毎回この無駄な重労働やってるよな」
先週末も、その前の週末もそうだ。
金曜の夜か土曜の朝に、マンションの部屋から大量の工具や資材を引っ張り出して荷造りをする。それをエレベーターで降ろし、レンタカーのトランクへ積み込む。青梅の現地へ着いたらカートで搬入し、作業で使い、終わったら泥を落として拭き上げ、また車へ積み直す。そしてマンションへ持ち帰り、部屋のクローゼットへ仕舞う。
その上、現地で「ネジのサイズが一つ合わない」「手洗いの水が底をついた」「予備の軍手を忘れた」といった小さな問題が発生するたびに、作業が完全にストップする。山中にはホームセンターなどないため、わざわざ車を出して下界の店舗まで戻るか、その日の作業を諦めるしかなくなるのだ。
「……山を管理するための土地なのに、土地を管理するための道具が現地に一切ないって、システムとして根本的におかしくないか?」
啓介はリビングのローテーブルへ向かい、土地を購入する直前に書いていた初期の計画ノートを開いた。
付箋が何枚も貼られたページを見返す。そこには、土地を手に入れた直後に整えるべき設備として、すでに自分の手でこう書き残されていた。
『雨水タンク、ポータブル電源、防犯カメラ、鍵付き屋外収納ボックス』
購入前に不動産会社の高梨へ説明した際にも、「最初は固定基礎を打つような建築物は建てず、移動可能なテントや鍵付きの収納ボックスから始めます」と伝えてあったはずだ。
啓介は頭を抱えた。
「ちゃんと最初から計画書に書いてあるじゃないか。……アカネの家だの、防犯カメラだの、フェンスだの、あいつの環境ばかり先に作って、自分自身の作業環境を後回しにしてただけだな」
新しいアイデアを思いついたわけではない。単に、最初から予定していた自分用の現実的な計画を、放置していただけだったのだ。
啓介はノートの新しいページを開き、要件の定義を始めた。
ただし、啓介はいきなり現地に立派な木造の小屋などを建てるつもりは毛頭なかった。
土地購入時に行政や不動産会社から受けた建築関連の注意義務がある。固定基礎を打ち、恒久的な建築物を建てれば、固定資産税の扱いも変わり、建築確認申請などの面倒な手続きが発生する可能性がある。伐採や大規模な土留め工事を行えば、市役所への事前届出など、別の確認事項も増えてくる。
「建物を作るんじゃない。……屋外作業を継続して行うための、いつでも撤去・移設可能な『作業拠点』を作るんだ」
啓介は、自分用の条件をノートに整理した。
《青梅山林・第一作業拠点》
【目的】
・土地管理用品、清掃用具、予備部材の常設保管。
・現地での簡単な部材の採寸、切断、加工、補修作業の実施。
・泥のついた道具の洗浄、作業後の手洗い環境の確保。
・小型電動工具や通信機器、スマートフォン等への安全な電源供給。
・作業途中の泥を落とした状態での一時的な休憩。
・傷病発生時の、現場における最低限の応急手当。
・必要に応じて、短時間で完全に撤去、または別区画へ移設が可能であること。
・【最重要】《アカネの守り巣》とは、電源・通信・物理区画ともに完全な別系統とすること。
最後の項目に、啓介は赤ペンで二重線を引いた。
《アカネの守り巣》は、あいつが安全に過ごすための防御施設だ。そこに人間用の作業工具や、危険な刃物、ゴミ、手洗い場などを押し込んでごちゃ混ぜにすれば、環境が汚れ、防犯センサーの誤作動の原因にもなる。
人間の作業管理エリアと、召喚生物の保護エリア。この二つの境界を明確に分離することが、運用の基本だった。
啓介は、設置する具体的な機材を選定していった。
一、鍵付き大型屋外用収納ボックス。
ホームセンターや通販で買える、頑丈な樹脂製の屋外収納ケースだ。防水・防塵仕様。
ただし、啓介は「完全防水」というメーカーの謳い文句をそのまま信用するような甘い考えは持っていない。中の工具や部材は、さらに用途別の透明な防水ケースに分けて収納する。
常備するものは、軍手、分厚い革手袋、保護眼鏡、防塵マスク、予備のメジャー、水平器、手ノコギリ、小型の金槌、各種ドライバー、ペンチ、クランプ、結束バンド、補修用金具、厚手のごみ袋、雑巾、ブラシ、そして応急手当用の救急箱だ。
ただし、高価な電動工具や、以前作った物資遺物の核である《小さな工房箱》そのものは、山へ放置せず必ず持ち帰る。盗まれて困るものや、魔法の根幹に関わる核を現場に置き去りにはしない。
二、折りたたみ式作業台(ワークベンチ)。
これが、作業拠点の中核となる。
金属製の脚と頑丈な天板を持つ、折りたたみ式の作業台だ。地中に基礎を打ち込んで固定するのではなく、使う時だけ開き、作業が終われば畳んで防水カバーを掛けて保管できるもの。
クランプで木材やパイプを挟んで固定できる構造になっており、地面に屈み込んでノコギリを引く必要がなくなる。小さなネジやパーツを地面に落として草むらの中で見失うリスクも防げる。
三、雨水タンク。
道具の洗浄や、作業後の手洗いのための水資源だ。
ただし、啓介はノートにでっかく書き添えた。
『※絶対に飲用不可。手洗い・道具洗浄・清掃専用』
雨水をそのまま飲んで腹を壊せば、三崎からどんな恐ろしい説教を喰らうか分かったものではない。飲料水は、これまで通りペットボトルで持参する。
ここで一つ、問題が発生した。
雨水タンクを置いたところで、雨水を集めるための「屋根(集水面)」が現場にないのだ。
一瞬、《アカネの守り巣》の屋根に雨樋を取り付けて水を引く案が頭をよぎったが、啓介は即座に頭を振った。
「いや、駄目だ。あそこはアカネの家だ。俺の都合で勝手に雨樋をつけて水音を立てさせたり、構造を変えたりするのは筋が違う」
軽微な修繕なら魔法効果に影響はないと判明してはいるが、人間の作業用水のためにアカネの住環境を改変するのは避けるべきだ。
今回は雨水タンクの本体のみを設置し、将来的に作業エリアの上にタープ(雨除け布)を張った際、そこから集水するシステムを組むことにした。
四、作業用電源。
監視カメラや通信ルーターには、すでに専用の小型ソーラーパネルと蓄電池が独立して稼働している。
啓介は、そこから作業用の電源を分線することを固く禁じた。
「監視系のバッテリーを作業用工具で使い切って、カメラが落ちたら本末転倒だ」
人間の作業用には、別個で持参したポータブル電源を配置する。小型のLED作業灯や、小型電動ドライバーの充電、スマートフォンの急速充電などに使用する。
五、折りたたみ椅子、作業灯、救急箱。
地味だが、怪我や疲労を防ぐためには必要な装備だ。
啓介には回復魔法《日々の修繕》がある。だが、「魔法があるから救急箱はいりません」などという考えは、運用として完全に破綻している。
マナが残っているとは限らないし、魔法を使っているところを誰かに見られるわけにもいかない。消毒液や絆創膏、包帯といった現実の救急用品を現場に備え付けておくのは当然の危機管理だった。
現地への搬入と設置作業が始まった。
レンタカーから、カートを使って大量の資材を運び込む。
アカネもキャリーケースから出され、現地に同行していた。
山林へ足を踏み入れた瞬間、アカネは啓介の荷物など目もくれず、自力で一直線に《アカネの守り巣》へと飛んでいった。
フェンスの門を潜り、自分の家の屋根に着地し、内扉を開けて中に入る。宝物棚の上に置かれたプルタブ、松ぼっくり、普通の茶色い石が無事であることを確認し、満足そうに鼻を鳴らして外へ出てきた。いつもの「帰宅確認」だ。
啓介はそれを見届け、苦笑した。
「……お前の方は、完璧に完成してるもんなあ」
啓介は、自分の作業拠点をどこに構築するか、敷地内を歩いて慎重に検討した。
選定条件。
公道から直接見えにくい位置であること。《アカネの守り巣》から数メートル離れているが、異変があればすぐに駆けつけられる視界内であること。急な斜面や雨水が集中する窪地ではないこと。監視カメラの死角にならず、かつカメラのレンズを塞がないこと。アカネの普段の飛行動線を邪魔しないこと。そして、搬入経路から遠すぎないこと。
啓介は、以前から危険木候補として目印のピンクテープを巻いてある一本の大きな木の近くに差し掛かった。そこは平坦で広さもあったが、啓介は即座にその場所を除外した。
「ここは平らだけど駄目だ。あの危険木が台風で倒れた場合、落下想定範囲に直撃する」
過去に自分で決めた安全基準を、徹底して遵守する。
最終的に選んだのは、公道側から少し奥に入った、低木の陰になる小さな平坦部だった。《アカネの守り巣》からは約四メートル離れている。
まず行ったのは、大規模な土木工事ではなく、手作業での地慣らしだ。
地面に落ちている危険な太い枝を拾い集め、転がっている大きめの石をどかし、鎌を使って手作業で下草を刈り取った。腐りかけた古い木片を回収し、作業台を置く範囲の傾きを水平器で確認する。
生きた立木は一本も切らない。太い木の根も掘り返さない。斜面を削って平地を作るような無理な造成もしない。
「山を人間の都合で平地に変えるんじゃない。この山の中にある、使えるスペースを人間が借りて使うんだ」
システムエンジニアである啓介の基本姿勢は、ここでも貫かれていた。システム全体のアーキテクチャ(土地の地形)に、自分のモジュール(作業台)を合わせるのだ。
地慣らしが終わると、組み立て作業に移った。
ここで活躍したのが、手元にある《小さな工房箱》の工具たちだった。
精密なレンチやドライバーを使い、頑丈なスチール製の折りたたみ作業台を組み上げていく。大型収納ボックスの内部に仕切り板を取り付け、グラつかないように補修金具で補強する。
手ノコギリで木材を切ったり、部材の端面をヤスリで削ったりする作業を行うことで、《小さな工房箱》が持つ『直近七日間に一度以上、実際の製作・修理・整備に工具を使用する』という魔法の維持条件が、ごく自然にクリアされていった。
作業中、第一の妨害(?)が入った。
啓介が組み上がった折りたたみ作業台の天板を雑巾で拭き、さあ道具を置こうとした、その瞬間。
バサッ!
アカネがどこからか飛んできて、作業台のド真ん中に着地した。
短い前脚をビシッと揃え、小さな翼を背中にピタリと畳み、ちょこんと座り込んだ。
「……おい。そこ、俺の作業台なんだけど」
「あぎゃ」
啓介が抱き上げて床へ降ろすが、啓介が手を離すと、アカネは即座にバサバサと飛び上がり、再び作業台の天板の上にちょこんと座り直した。
「お前の家は、あっちにあるだろ」
「あぎゃ!」
アカネからしてみれば、地面より高くて平らで、木漏れ日が当たる新しい「絶好の止まり台」が置かれたようにしか見えないのだ。人間が何のために設置したかなど、当然知ったことではない。
啓介は溜息をついた。
「……いや、駄目だな。作業中かどうかを、お前が自分で判断できる保証がない。刃物を出してる間は近づくな」
啓介は、加工中はアカネを《守り巣》側へ移し、工具と切り屑を片づけて安全確認が終わるまで作業台へ乗せない運用に決めた。
第二の妨害。
啓介が大型屋外収納ボックスの蓋を開け、内部の寸法や仕切り板の位置を確認していた、ほんの数秒間。
ふと気配を感じてボックスの中を覗き込むと、奥の暗がりの中にアカネがすっぽりと収まっていた。
啓介は眉間を押さえた。
「……お前、箱なら段ボールだろうが工具箱だろうが何でも入るのか?」
アカネは居心地が良さそうに、樹脂のケースの中で丸くなろうとしていた。
この収納ボックスは完全密閉型ではなく、通気のある構造を選んでいた。だからといって、アカネを閉じ込めていい理由にはならない。蓋を閉めて施錠したまま長時間放置すれば、呼吸が必要なアカネにとって危険なのは変わらない。
「……確認だけじゃ駄目だな」
啓介は即座にノートを取り出し、作業チェックリストの最後に太字で追記した。
『※収納ボックスは使用時以外は閉鎖。開放中は必ず視界内で管理し、閉鎖前に内部を肉眼確認。アカネが入っていないことを確認してから施錠すること』
真顔でそんなチェック項目を書き足している自分に苦笑しながら、啓介は作業を続けた。
午後。ついに啓介の『第一作業拠点』が完成した。
大袈裟な秘密基地や木造の小屋ではない。
山林の木立の中に、ダークグリーンの鍵付き大型収納ボックス、頑丈な折りたたみ式作業台、ポータブル電源の専用ケース、救急箱、充電式のLED作業灯、折りたたみ椅子、雨水タンク、道具洗浄用のバケツとブラシが、綺麗に整頓されて配置されているだけだ。
屋根もない。壁もない。水道も商用電源も通っていない。
だが、啓介にとっては、劇的な変化だった。
今までなら、
「ネジのサイズを測りたい」→車へ戻る。
「ノコギリで板をちょっと切りたい」→地面に屈み込んで不安定な姿勢で切る。
「手が泥まみれになった」→ペットボトルの水をチビチビ使って洗う。
「作業の合間に座りたい」→地面の石の上に腰掛ける。
「暗くなってきた」→片手にスマホのライトを持ちながら片手で作業する。
そのすべてが、この作業拠点の完成によって解消されたのだ。
収納ボックスを開けば軍手も工具も予備のネジもあり、作業台の上でクランプを使って安全に材木を切ることができ、持参した手洗い用の水をバケツに移して泥を洗い流し、ポータブル電源から引いたLED作業灯で手元を明るく照らし、疲れたら折りたたみ椅子に座って缶コーヒーを飲むことができる。
啓介はポータブル電源のスイッチを入れ、作業灯を点灯させた。
白く眩しいLEDの光が、夕暮れ前の木立の中をくっきりと照らし出した。
魔法の光ではない。ホームセンターで買った、ただの市販のLEDライトだ。
それでも、啓介の胸には込み上げてくるものがあった。
「……電気だ。俺が使うための電気が、山に来たんだ」
これまで、この土地にある電気や通信は、すべて「アカネを見守るため」「アカネの安全を守るため」の監視設備専用だった。
今日初めて、土地の所有者である啓介自身が、自らの管理作業のために使うインフラが、この場所に誕生したのだ。
啓介はバインダーを呼び出し、《創世札典》のステータスを確認した。
新しいカードの生成や、マナの増加は起きていない。
だが、《名もなき雑木地》の土地カードの補助情報に、新しい履歴がしっかりと刻み込まれていた。
『管理状態:継続管理中』
『管理設備:作業拠点を追加』
『用途傾向:土地管理・保守・小規模加工』
作業場を一つ置いただけで、土地の定義そのものが変わるわけではない。
それでも、以前にはなかった利用履歴が明確に積み上がっている。
啓介には、それで十分だった。
土地の用途が、「未整備の雑木地」から、「管理され、作業が行われている土地」へと、確実にグラデーションを描いて変化し始めていた。
だが、啓介は「これならすぐに土地カードが上位化して、新しいマナ源になるんじゃないか?」などという甘い期待は抱かなかった。
「作業台を一つ置いて、収納ケースを置いただけで『魔法の工房』扱いになるほど、この世界は甘くないよな」
バインダーの表示も、それ以上は変わらなかった。
『土地用途再評価:条件蓄積中』
新しいカード名も、新しいマナ源もまだ表示されない。
「ここで実際に何を修理し、何を作り、それを何週間、何ヶ月続けていくか。それが先だ」
現実の泥臭い実績が先で、魔法の評価は後からついてくる。その順番を、啓介は正しく理解していた。
「よし。さっそくこの作業拠点の、最初の仕事をやるか」
啓介は、完成したばかりの作業台を実際に使ってみることにした。
《アカネの守り巣》の定期点検を行った際、気になっていた微細な不具合があったのだ。
フェンスの簡易門扉のラッチ(鍵)がかかる部分の保護ゴムが、先週の雨で少しズレて金属同士が擦れる音がしていたこと。そして、監視カメラの配線保護管を固定している樹脂製のクリップが、一つ緩んでいたことだ。
どちらも、魔法の施設効果を揺るがすような大袈裟な壊れ方ではない。放置してもすぐに害はないような、ごくごく小さな物理的劣化だ。
以前の啓介なら、「次の週末にパーツを家で加工して持ってこよう」と先送りにしていたはずの作業だった。
啓介は収納ボックスを開け、予備の樹脂パーツと補修テープを取り出した。
アカネを《守り巣》側へ移してから、折りたたみ作業台の上にパーツをクランプで固定し、手ノコギリで数ミリだけ長さを切り詰め、ヤスリで端面を整える。ポータブル電源から引いた作業灯の下で、ドライバーを使って門扉と配線管のクリップを新品に交換した。
作業時間、わずか十分。
現地で部材を加工し、その場ですぐに補修を完了させた。
「……めちゃくちゃ便利じゃないか」
これこそが、作業拠点が出来上がったことの、最大の価値だった。
補修が終わった《アカネの守り巣》の門扉を、アカネがフンフンと匂いを嗅いで確認していた。
金属音がしなくなった門扉を前脚でちょんと押し、問題がないことを確認する。啓介も作業台の上から刃物、ネジ、切り屑がすべて片づいていることを確認してから、アカネを呼んだ。
前脚を揃え、翼を畳んで、ちょこん。
「よし。作業は終わったから、今は乗っていいぞ」
「あぎゃ!」
アカネは満足そうに喉を鳴らした。
この土地に、アカネのための《守り巣》と、啓介のための《作業拠点》という、二つの居場所が並び立った瞬間だった。
夕方。撤収の時間がやってきた。
啓介は、高価な工具やポータブル電源を持ち帰り用のバッグへまとめ、軍手や予備のネジ、作業灯、救急箱などの常備品を大型収納ボックスへと納めた。雨水タンクは蓋と固定具を確認し、その場に残す。
ボックスを開けている間はアカネを視界内に置き、最後に内部を肉眼で確認してから蓋を閉め、鍵をかける。
折りたたみ作業台をパタンと畳み、防水カバーを被せて収納ボックス脇へ転倒防止ベルトで固定した。
啓介は、指差し確認を行った。
「収納よし。電源遮断よし。水タンク固定よし。火気なし。ゴミ回収よし。……アカネ――」
振り返ると、アカネが畳んだ作業台の上のわずかな段差に、前脚を揃えてちょこんと乗っていた。
「……お前、それ畳んであっても乗るのか?」
「あぎゃ!」
啓介は思わず吹き出した。
車へ向かう前、啓介は山林の敷地全体をもう一度振り返った。
この山林を三十八万円で購入した時点では、ここには雑木と落葉と不法投棄のごみしかなかった。完全に使い道のない、ただの放置された山林だった。
だが、今は違う。
ここには、一匹の小さな竜が暮らす《アカネの守り巣》があり。
安全を見守る監視カメラと通信設備があり。
そして今日、土地の所有者が管理作業を行うための《第一作業拠点》ができた。
水道も商用電源もない、未整備の山林であることに変わりはない。
だが、ここは間違いなく、人間が管理し、小さな竜が暮らす「使われている土地」へと変わり始めていた。
バインダーの《名もなき雑木地》のページの一番下。
『土地用途の継続的な変化を、システムに記録しています』
「……まだ、土地の名前が変わるほどじゃないか」
啓介が呟くと、肩の上のアカネが「あぎゃ」と短く同意するように鳴いた。
「そうだな。まだまだ、始めたばっかりだ」
啓介はアカネをキャリーケースへ入れ、夕闇が迫る青梅の山を後にした。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!