TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~   作:パラレル・ゲーマー

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第28話 小竜に雨の日の過ごし方があるらしい

 土曜日の朝。

 マンションの窓には、細かな雨粒が幾筋も伝い落ちていた。

 ザーザーと叩きつけるような豪雨ではない。朝からずっと、しとしとと静かで弱い雨が降り続いている。

 

 啓介は、スマートフォンで青梅方面の天気予報と雨雲レーダーを確認した。

『日中は弱い雨が続く見込み。強風や雷の注意報はなし。一時間あたり一~二ミリ程度の降水量』

 つまり、わざわざ危険な悪天候の中へ飛び込んでいくような日ではない。単なる、ごく普通の「雨の休日」だった。

 

 啓介は少し考えた。

 今日はもともと山へ行くつもりだった。先日作った《第一管理通路》が、通常の降雨後にどういう状態になるか(ぬかるみや水の流れの有無)を、実際に雨の日に確認しておきたかったからだ。

 ただ。

「……アカネを連れて行くか、留守番させるか」

 

 啓介がクローゼットから山用の撥水作業着とレインウェアを出した瞬間。

 バサッ!

 アカネが、どこからともなくすっ飛んできた。

 そして、いつものように自分の山用ハーネスを置いてある場所をジッと見つめている。

 

 啓介はしゃがみ込み、アカネの目を見て言った。

「……おい。今日は雨だぞ」

「あぎゃ?」

 アカネは首を傾げた。

 啓介が窓の方を指差す。アカネも窓を見る。外は雨が降っている。

 啓介を見る。玄関を見る。また啓介を見る。

 

 そして結局、アカネは短い前脚と口を器用に使って、自分のハーネスをズルズルと引っ張り出してきた。

 

「……雨だから今日は暖かい部屋に引きこもってよう、とはならないのか、お前は」

「あぎゃ!」

 少なくとも、出発前の時点では、アカネは山へ行く気満々だった。

 

 啓介は、ここで「雨だから問答無用で危険」と一括りにするような非論理的な判断はしなかった。

 本当に危険なのは、落雷、強風による飛来物や倒木、豪雨による斜面の土砂リスク、そして視界不良だ。

 それらのリスクがない「普通の弱い雨」そのものまで、自動的に『山林への立ち入り禁止条件』にしてしまえば、山の管理など一生できない。

 それに、《アカネの守り巣》には【微気候】という、通常の雨風を凌ぐための魔法的な保護機能も備わっている。

 

 何より。

 アカネ自身が実際に『雨の日の自然環境でどう振る舞うのか』。

 今後も山を拠点の一つとして暮らしていく以上、啓介はそれをきちんと観察して知っておく必要があった。

 

 今回、《危険判定》のカードは使用しなかった。

 未知の危険な挑戦ではなく、すでに運用実績のある通常の山林利用の範囲内だからだ。自分の目で天気予報と現地の状況を見て、人間としての当たり前の安全判断を下す。魔法に依存しすぎないための運用だった。

 

「よし。普通の雨なら行くか。ただし、現地で雨が強くなったら即撤収するからな」

 アカネをキャリーケースに入れ、啓介は出発した。

 

 青梅の山林へ到着した。

 雨の山は、晴れている日とは全く違う空気を纏っていた。

 音。車の騒音は消え、木々の無数の葉に当たる細かな雨音だけが「サー……」と静かに空間を満たしている。時折、枝からまとまった水滴が落ちる「ポタッ」という音が混じる。

 匂い。湿った土と、腐葉土の濃い匂いが立ち上っている。

 色。木の幹も、濡れた落ち葉も、晴天時より深く沈んだ色合いになっている。

 

 啓介はレインウェアのフードを被り、荷物を積んだカートには防水カバーを掛けた。先日作った第一管理通路も濡れて色が濃くなっていたが、沈み込むような様子はない。

 

 啓介は、いきなりアカネを雨の降る外へ放り出すような真似はしなかった。

 《アカネの守り巣》のフェンスのすぐ内側、雨が直接当たりにくい場所までキャリーケースを運び、安全を確認してから扉を開けた。

 

 アカネが出てくる。

 いつもなら、扉が開いた瞬間にバサッ!と元気よく飛び出し、空へ舞い上がるところだ。

 でも今日は違った。

 

 アカネはキャリーケースからゆっくりと出ると、すぐに《守り巣》の入口付近で立ち止まった。

 そして、じっと外の様子を見つめた。

 無数に降り注ぐ雨粒の軌跡を、金色の目で静かに眺めている。

 

「……お?」

 啓介は少し離れた場所から、声を出さずに見守った。

 無理に「行け」とも「戻れ」とも指示しない。アカネ自身がどう判断してどう動くかを見るのだ。

 

 数十秒後。

 アカネは、トテトテと歩いて小屋の入口から一歩だけ外(雨の当たる場所)へ出た。

 頭に、ポツン、と小さな水滴が当たった。

 

 一瞬、動きがピタリと止まる。

 頭を、プルッ、と小さく振った。

 だが、家の中へ引き返そうとはしなかった。

 そのままさらに数歩前へ進み。

 

 バサッ。

 数メートル先の、雨に濡れた低い枝の上へと飛び移った。

 

「……普通に外に出るのか」

 どうやら、雨粒が当たること自体は、アカネにとって「即座に回避・逃走すべき嫌悪刺激(恐怖)」ではないらしい。

 

 ただし、明らかに晴天時の動きとは違った。

 普段なら、そのまま高い木々の間を大きく旋回して飛び回るはずだが、今日はその低い枝の上にじっと留まっている。

 飛び回るよりも、濡れた森を観察することを優先しているようだった。

 

 しばらくすると、アカネの赤銅色の鱗の表面に、細かな水滴がいくつもつき始めた。翼の皮膜にも水が乗っている。

 アカネは、身体を大きく膨らませるようにして。

 ブルブルブルッ!!

 と、全身を大きく震わせた。水滴が周囲にパラパラと飛び散る。

 

 そして、低い枝から飛び立ち、《アカネの守り巣》へと戻ってきた。

 内扉を鼻先で押し開け、小屋の中へ入った。

 入った直後。前室のスペースで、もう一度。

 ブルブルブルッ!!

 

 水滴が、啓介の顔にも少し飛んできた。

「おい! 家の中でやるなよ!」

 当然、聞く耳を持たない。

 アカネは少し濡れた身体のまま、奥の洗える布製カバーで包まれた寝床へと歩いていった。

「……雨の日は、お前用の吸水タオルが必要だな、これ」

 啓介はメモを取った。ただし、小屋に「自動乾燥機能」のような新しい魔法設備を追加したりはしない。普通に吸水タオルを用意し、撤収前に濡れた寝床のカバーを確認して、必要なら外して持ち帰って洗濯・乾燥すれば済む話だ。

 

 啓介は、アカネを観察しながら、ノートに最初の記録を書き込んだ。

『弱雨時。自発的に屋外へ出た』

『濡れること自体を即座に回避・忌避する様子はなし』

『ただし、晴天時よりも一回あたりの屋外滞在時間は短い可能性あり』

 

 ここで啓介は、評価を慎重に止めた。

 一回見ただけで、『アカネは雨が好きだ』あるいは『雨が嫌いだ』という両極端な性格診断を下さない。

「一回の事象だけで、アルゴリズム全体を断定するなよ、俺」

 と、自分自身に言い聞かせる。

 

 そこから、啓介の『雨の日のアカネ観察』が始まった。

 

 啓介自身は、第一管理通路の雨天時の状態確認というタスクを数分で済ませた(砕石部分はぬかるんでおらず、一部の排水ルートを少し調整しただけで正常に機能していた。正式運用の条件を一つクリアした程度だ)。

 それよりも、今日はアカネの行動のほうが気になった。

 

 弱い雨が続く中。

 アカネはしばらく《守り巣》の中で休んでいたが、十分ほどすると、また入口から外を覗き込み、外へ出た。

 今度は、家の屋根、低い枝、そして切り株と、比較的近い範囲だけを短く移動した。晴天時のように、山林の敷地内を大きく端から端まで飛び回るようなことはしない。

 数分間外の空気を吸い、濡れるとまた戻ってきて休む。そしてまた外を見る。

 

「……雨だから絶対に外に出ない、ってわけじゃないんだな。一回あたりの外出が短くなってるだけで」

 啓介は仮説を立てた。

 

 ふと見ると、アカネが《守り巣》の入口から顔だけを出して、屋根の端を見上げていた。

 屋根の端から、雨水がまとまって、ポタッ、ポタッ、と一定の間隔で地面に落ちている。

 アカネは、落ちてくる水滴の軌道を、頭を動かして不思議そうに追っていた。

 

 一滴、地面に落ちる。

 二滴、地面に落ちる。

 三滴目が落ちてくるタイミングで。

 アカネが、サッと短い前脚を出した。

 

 ポタッ。

 水滴が、アカネの前脚に直撃して弾けた。

「……」

 アカネは、自分の濡れた前脚をジッと見つめた。

 そして、四滴目が落ちてくるタイミングで、もう一回前脚を出した。

 

 ポタッ。

「あぎゃ」

 

「……何してんだ、お前」

 遊んでいるのか。水滴の規則性を確認しているのか。それともただの気まぐれか。

 分からない。分からないままでいい。その行動自体が、ひどく動物らしくて面白かった。

 

 啓介は、雨に濡れながらふと思った。

 アカネには、あの立派な屋根付きの《守り巣》がある。

 しかし、土地の所有者である啓介には、山林の中に常設の『雨避け(屋根)』が存在しないのだ。

 啓介が雨を凌ぐ手段は、今自分が着ているレインウェアだけ。先日作った《第一作業拠点》の作業台も、雨ざらしになって濡れている。作業用の折りたたみ椅子にも座れない。

 

「……そりゃ、お前は快適だよな。ちゃんと屋根があるもんな」

 啓介は濡れた作業台を見て、自分用の雨避けについてもそろそろ考える必要があるな、と頭の片隅に留めた。

 アカネは、乾いた家の入口から、雨に濡れて立っている啓介を見て「あぎゃ」と鳴いた。

「同情するような顔やめろ。腹立つから」

 

 昼前。

 山の雨音が、少しだけ変わった。

 サー……という静かな音から、バラバラバラッという、葉を強く叩くような音へ。

 豪雨やゲリラ雷雨ではない。でも、明らかに先ほどよりも雨脚が強くなった。

 啓介は、これ以上の屋外作業は無理だと判断した。

 

 その時、ちょうど少し離れた切り株の上にいたアカネがどうするのか、啓介は黙って見ていた。

 アカネは、数秒間だけ強くなった雨粒を全身に受け、翼を小さく震わせた。

 

 そして。

 啓介が呼ぶよりも早く、笛の合図を鳴らすよりも早く。

 自分からバサッと飛び立ち、《守り巣》へと一直線に戻ってきた。

 

「……よし。ちゃんと自分で判断して戻るんだな」

 

 そして、ここからが今日一番印象的な光景だった。

 強めの雨が降る中。

 アカネは、《守り巣》の奥の寝床へ完全に引きこもってしまうわけではなかった。

 小屋の入口付近、雨が直接吹き込まないギリギリのラインの場所に。

 

 前脚を揃え。

 翼を畳み。

 ちょこんと座って。

 金色の瞳で、ザーザーと雨が降る薄暗い森の景色を、ただジィーッと眺めていたのだ。

 

 外に出ようとはしない。

 でも、見るのは好きなのだ。

 

 風で大きく枝が揺れれば、そちらを見る。

 大きな水滴がまとまって落ちれば、それを見る。

 ただ静かに、自分の安全な場所から、変化していく自然の姿を観察しているようだった。

 

 その背中を見ながら、啓介は大きな事実に気づいた。

 今まで啓介は、《アカネの守り巣》という施設を、「野生動物や人間、雨風、温度変化からアカネを『守る』ための防御設備」として設計してきたつもりだった。

 でも、実際はそれだけではない。

 この家があることで、アカネは、

 

 外へ出る。

 ↓

 雨が強くなる。

 ↓

 自分で安全な場所へ帰る。

 ↓

 安全な場所から、外の世界を眺める。

 ↓

 雨が弱くなれば、また自分で外へ出る。

 

 という、『自分で環境を選択して生きる生活』ができているのだ。

 

「……家って、弱い生物を閉じ込めておくための『安全箱』じゃないんだな」

 いつでも無条件に受け入れてくれる、絶対的な『戻れる場所』があるからこそ。アカネは、自分の意思で外の雨の中へと踏み出していけるのだ。

 それは、《帰る場所を得た小竜、アカネ》というネームドカードの真の価値を、現実の光景として目の当たりにした瞬間だった。

 

 昼。

 さすがに人間側には屋根がないため、啓介はアカネを《守り巣》に残し、自分は近くに停めた車の中へと避難して昼食をとった。

 もちろん、スマートフォンの監視カメラで山の様子は常に確認できる。通常降雨下でも映像・通信・センサーは正常で、蓄電池にも警告は出ていない。雨滴で一時的に画面の一部が見えにくくなることはあったが、監視不能になるほどではなかった。

 

 カメラ越しの映像。

 雨が強い時間帯、アカネは外へは行かなかった。

 寝床へ行って少し休み。起きて、雨脚が強くなった時点で啓介が普段の屋外位置から前室の寝床から離れた場所へ一時的に移しておいた水皿の水を飲み。宝物棚のプルタブを鼻先でツンツンと突っついて遊び。また入口へ行って、外の雨を眺める。

「……完全に、雨の日の休日を持て余してるインドア派の過ごし方じゃん」

 啓介は、車の中でおにぎりをかじりながら笑い、ノートにも『雨天時監視設備:通常降雨下で動作確認』と一行だけ追記した。

 

 午後。

 車の屋根を叩く雨音が、徐々に小さくなっていった。

 雨雲レーダーを見ても、雨雲は抜けつつある。啓介は車を降りて、山林へと戻った。

 

 啓介が山へ戻り、足音をさせた時には。

 アカネも雨が弱まったことに気づいていた。

 啓介が何も指示する前に、アカネは入口から外を確認し。

 

 バサッ。

 再び、外へと飛び出した。

 

 今度は午前中よりも長く、元気よく飛んだ。

 濡れた木々の間を、いつものように器用にすり抜けていく。

 ただし、濡れて泥だらけの地面にはあまり降りず、枝から屋根、屋根から枝へという空中移動が多かった。

「地面が濡れてて歩きにくいから降りないのか、それとも単なる気まぐれなのか……」

 そこは、まだデータ不足として判断を保留した。

 

 夕方、雨上がり直前。

 地面の少し窪んだ場所に、小さな浅い水たまりができていた。

 アカネが、その水たまりの縁に降り立った。

 静かな水面をじっと見る。自分の赤銅色の姿が、水鏡に揺れて映っている。

 アカネが鼻先を水面に近づけた時。

 

 木の枝から、最後の一滴の雨粒が、水たまりの中心にポツンと落ちた。

 波紋が広がる。

 

 水面に映っていた自分の顔が歪んだのを見て、アカネは「ビクッ!」と驚いて一歩後ろへ飛び下がった。

 数秒して波紋が消えると、また恐る恐る水面を覗き込む。

 また一滴落ちる。波紋が広がる。

 またビクッと下がる。

 

 啓介は、その様子を見て声を上げて笑った。

「お前、雨そのものが好きっていうより、雨が降って普段と違う『変わった状態の山』を探検するのが面白いだけなんじゃないか?」

 ただし、それも一つの仮説であり、絶対に断定はしない。

 

 その日いっぱい、啓介はアカネの行動を観察し、撤収前には《守り巣》内部の湿気や結露、寝床の状態も確認した。表面に湿り気の残った洗える外側カバーだけは外して持ち帰り、洗濯して完全に乾燥させることにしてから、ノートにまとめた。

 

【今日観察できたこと(対・晴天時比較)】

 ・弱い雨なら、自発的に屋外へ出る。

 ・雨脚が強くなると、自分から《守り巣》へ退避する。

 ・強めの雨の最中は、入口付近から外を眺めている時間が長い。

 ・一回あたりの屋外活動時間は、晴天時より短い傾向。

 ・雨が弱くなると、再び外へ出て活動を再開する。

 ・濡れた後は、自力で身体を震わせて水滴を振り落とす。

 ・パニック、恐怖、強い忌避反応は見られない。

 

「『雨が好き』とか『雨が嫌い』って極端な話じゃないな」

 啓介はペンを置いた。

「こいつは普通に、こいつなりの『雨の日なりの過ごし方』をしてるだけだ」

 

 帰宅後。

 啓介は観察の精度を一段だけ補強するため、ノートパソコンを開いた。

 《アカネの守り巣》の過去の監視映像ログ。

 アカネの単独宿泊試験を始めてから、普通の雨が降った日の夜の録画データを数回分、活動検知ログを中心にピックアップして見返す。

 全部を精査するわけではないが、傾向は掴める。

 

 結果。

 晴天時の夜に比べて、《守り巣》への出入り回数自体はあるものの、外へ出ている「一回あたりの時間」は短そうだった。

 強い雨の時間帯は、入口付近か内部で過ごしている。雨が上がれば外へ出る。

 今日の行動が、たまたま偶然だったわけではなさそうだった。

 

 ノートに追記する。

『雨天時行動:暫定的な傾向あり』

『降雨強度に応じて、屋外活動量を自主的に調整している可能性が高い』

『引き続き、継続観察とする』

 

 これで十分だった。

 啓介は、この件で三崎に電話やメールをすることはしなかった。

 これは、病気でも怪我でもない。医学的な判断を仰ぐような緊急事態でもない。単なる、アカネの「日常的な行動の観察」だ。

 何でもかんでも、医者である三崎に報告して指示を仰ぐような依存構造にはしない。自分の目は自分で使う。

 

 マンションのリビング。

 雨の日の山でそれなりに活動してきたアカネだが、疲労困憊している様子は全くなかった。

 普通に元気だ。ソファの上で、啓介の近くに座り、すでに翼も鱗も完全に乾いている。体調の異常も見られない。

 

 啓介は、健康観察ログのノートに、

『雨天山林滞在後:異常なし』

 とだけ短く記録した。

 

 啓介が、熱いシャワーを浴びて風呂から出てきた。

 雨の山で、啓介はずっとレインウェアを着込み、蒸れと汗と冷えと戦っていた。

 靴は泥だらけになり、持っていったタオルも洗濯機行き。片付けやメンテの手間が山のようにある。

 

 一方のアカネは。

 暖かいソファの上で身体を小さく丸め、短い尻尾を身体の脇へ寄せて、ぬくぬくと眠っている。

 

 啓介は、タオルで頭を拭きながらため息をついた。

「……なんか、お前の方が俺よりよっぽど『雨の日の過ごし方』が上手くないか?」

「あぎゃ」

 アカネは寝ぼけた声で短く応えた。

 

 夜。

 啓介は、今日山で撮った現況確認の写真をパソコンで整理していた。

 その中の一枚の手が止まる。

 

 雨に濡れた《第一作業拠点》の写真だ。

 折りたたみ式の作業台は濡れそぼっている。

 そして、その奥。

 意気揚々と設置した、『雨水タンク』が写っていた。

 

 今日、山林には朝から夕方まで、ずっとまとまった雨が降っていた。

 啓介はタンクの現状を思い出す。

 当然だが、落ち葉やゴミ、虫が入るのを防ぐため、タンクの衛生用の蓋はしっかりと閉じられている。

 雨水を集めるための「集水用の屋根やタープ」は、まだ何一つ設置していない。

 

 だから。

 これだけ長く雨が降っていたのに、雨水タンクの中には『一滴の水』も貯まっていなかった。

 

「……そりゃそうだ。集水面を『後で作ればいい』って、後回しにしたままだった」

 未完成だと分かって先送りしていた部分が、空っぽのタンクという分かりやすい形で目の前に返ってきた。

 

 必要なのは、雨水を集めるための広い『集水面』だ。

 一瞬、《アカネの守り巣》の屋根に雨樋をつけて、そこから雨水を取る案が再び頭をよぎった。

 

 だが、即座に却下した。

「いや、駄目だ。あそこはアカネの家だ。人間用の設備(水タンク)を、あいつの安全領域に寄生させるようなマネはしないって決めた」

 以前立てた方針を、ここで曲げるわけにはいかない。

 

 なら、どうするか。

「人間側に、人間が作業するための『屋根』を作ればいいだけだ」

 

 啓介はノートの最後のページに、新しい一行を書き込んだ。

『第一作業拠点:雨天時の対応能力不足(俺が濡れる)』

『次期追加設備候補――独立集水屋根(タープ等)』

 

 そのノートのすぐ横で。

 ソファの上のアカネが、気持ちよさそうに寝息を立てている。

 

 今日のアカネには、雨の日に逃げ込んで雨宿りできる、立派な家(屋根)があった。

 だが、土地の所有者である啓介の作業場には、いまだに雨を凌ぐ屋根すらない。

 そして、雨水を貯めるはずのタンクも、屋根がないせいでただの空箱のままだ。

 

「……またしても、お前の方の環境が先に文明化(アップデート)してるな」

 啓介の呟きに。

「あぎゃ……」

 と、アカネはひどく眠そうな、幸せそうな返事をした。




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