TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~   作:パラレル・ゲーマー

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第29話 魔法の治療費を決めるには社長が必要らしい

 平日夜。

 啓介と三崎は、啓介のマンションのリビングで向かい合って座っていた。

 テーブルの上には、仕事帰りに買ってきた簡単な夕食の容器と、そして啓介のノートが広げられている。

 

 アカネは、二人から少し離れたソファの背で、翼を畳んでのんびりと寛いでいる。

 

 話題は、最近の魔法検証の進捗についてだった。

 《一年若く》については、啓介の身体に急性異常はなく、一ヶ月後、三ヶ月後の定期経過観察を継続中。

 三崎の右膝を治療した《古傷の修復》も、再発や炎症などの問題は一切起きていない。

 

 だが、そこから先の「本格的な他人への使用」については、二人とも完全に足を止めていた。

 

 三崎は、ノートの《一年若く》の経過欄を指先で軽く叩いた。

「今のところ急性の異常はなし。ただし、『異常がない期間が伸びている』だけだ。長期的な安全性が証明されたわけじゃない」

「分かってる。次の検査も、予定どおり受けるよ」

 三崎は今度は、自分の右膝をゆっくり曲げ伸ばしした。

「こっちも、痛みの再発も炎症もない。可動域にも問題なし。だが、人間一例が治っただけで、他人にも同じように安全に使える証明にはならない」

「それも分かってる」

 

 アカネは二人の会話など気にする様子もなく、ソファの背で短い尻尾をゆっくり揺らしていた。

 啓介は、開いたノートの《古傷の修復》のページへ視線を落とした。

 三崎もそれ以上は何も言わず、短い沈黙が落ちる。

 

 啓介は、その沈黙の中で小さく息を吐いた。

 そして、今まで二人だけで抱えてきた問題を口にすることにした。

 

 啓介が切り出した。

「なあ、三崎」

「何だ」

「そろそろ、お前以外にも……もう一人くらい、教えようと思うんだ」

 

 三崎の、コーヒーカップを持とうとしていた手がピタリと止まった。

「……誰に?」

 声のトーンが、一段階低く、鋭いものに変わった。

 

 三崎が警戒するのは当然だった。

 啓介にとっては、「昔から信用できる友達を一人追加する」という程度の感覚が含まれているかもしれない。

 だが、三崎の目から見れば、これは『世界を根底からひっくり返せる危険な秘密を知る人間を、一気に50パーセントも増やす』という恐ろしい話なのだ。

 現在、この秘密を共有しているのは啓介と三崎の二人だけ。そこへ一人追加すれば、啓介以外の秘密共有者は一人から二人へと倍増する。

 

 三崎は、眼鏡の奥から啓介を静かに睨みつけた。

「待て。もしお前が、『あいつは昔からいい奴で、ただ信用できるから』みたいな雑な理由だけで人数を増やすつもりなら、俺は全力で反対するぞ」

「そこまで雑に考えてないよ」

「じゃあ、誰だ」

「相馬だ」

 

 三崎は、一瞬「誰だ?」という顔をして、すぐに思い出したように言った。

「……相馬? 相馬浩平か?」

「うん」

「あいつ、たしか大学卒業して少ししてから、親父さんの会社を継いで社長やってるよな?」

「だから、あいつに相談したいんだよ」

 

 三崎は顔をしかめた。

「だからって何だ。医者の俺に相談できないことか?」

 

 啓介はノートを三崎の方へ向けた。

 そこには、《古傷の修復》のカードの仕様が書き出されている。

 生命2+知識1。【単一損傷】【診断指定】【非若返り】。医学的に確認された過去の損傷とその後遺症を、健康な状態へ修復する魔法。

 

「これさ」

 啓介は真剣な顔で言った。

「もし今後、安全性が完全に確認できて、全く無関係な第三者(他人)にも提供できるようになったとして。……これ、一回いくら取ればいいと思う?」

 

 三崎は即答した。

「……俺に聞くな」

 

 三崎は医者だ。

 目の前の患者が『魔法治療の対象として妥当か』『事前にどんな医学検査が必要か』『どこまで治ったと判断する基準を設けるか』『何ヶ月追跡観察するか』『副作用のリスクは何か』であれば、専門知識をフル動員して考えられる。

 でも、「この奇跡の治療の適正価格は一件一万円なのか、十万円なのか、百万円なのか、一千万円なのか」というビジネス上の値付けは、完全に専門外だった。

 

「俺も分からないんだよ」と啓介。「原材料費が存在しないから」

「原材料費がないんじゃなくて、魔法の『マナ』が原価だろ」

「でも、そのマナを円換算する方程式が存在しないだろ? 原価ゼロで無限に湧いてくるってわけでもないのに」

「だから俺に聞くなと言ってる」

 

 現在の《古傷の修復》の供給能力についても、二人はすでに確認済みだ。

 生命マナ2点と知識マナ1点を揃えられる日は、現在のマナ基盤なら「一日に一回」まではギリギリ使える。ただし、二回連続は絶対に無理だ。

 しかも、それを使った日は、生命2と知識1という貴重なマナを完全に固定で持っていかれる。

「毎日一人治せる便利な魔法」ではなく、「その日の有限な魔法資源のほぼ全力を、一人に対して全振りする」という極めて重いものなのだ。

 さらに、知識マナの供給源である《思索の計数盤》には、「前日に三十分以上の学習や記録を行っていること」という稼働条件まである。

 

 三崎は肩をすくめた。

「そういう『魔法の供給制約』みたいな特殊な条件まで含めて、俺は値段なんて絶対に決められない。……だから、相馬か」

 

 啓介が頷いた。

「俺たちの知識には、明らかに『経営と商売』というピースがすっぽり抜け落ちてる」

 

 三崎も、相馬浩平という男を信用していないわけではなかった。

 大学のTCG部時代からの同期だ。卒業後も、年に一、二度は連絡を取り合い、結婚や仕事の近況程度は互いに知っている。

 

 TCG部時代のことを思い出す。

 夏休みの遠征合宿で、部費や個人の交通費、宿泊費を数十万円規模で浩平がまとめて管理したことがあった。

 彼はそれを一円単位でエクセルで完璧に記録し、余った分も全員へきっちりと明細をつけて返還した。

 また、ある同期が複雑な家庭の事情で急遽大会へ来られなくなった時も、浩平は理由を知っていたはずだが、本人の許可なしで他の連中へベラベラと喋ることは決してなかった。

 

「……確かに、あいつは口は堅いな」

 三崎が認めた。

「だろ」

「金にもちゃんとしている」

「だから、今でも社員抱えて社長をやれてるんだろ」

 

 しかし、三崎はまだ首を縦には振らなかった。

「でも、ここで一つルールを明確に決めよう。……『昔から仲が良いから』『いい奴だから』という理由で秘密を明かすのは、今回を最後にする。絶対にだ」

「分かってる」

「今後、もしどうしても秘密を知る人間をさらに増やす必要がある時は、必ず『条件』をクリアした場合のみとする」

 

 二人は、ノートの新しいページに簡単な基準を書き出した。

 

 《創世札典・情報開示基準》

 ① 明確な役割が必須。

「知っていて便利だから」や「仲が良いから」では不可。その人物でなければ絶対に埋められない、プロジェクトに必須の専門的な役割(ピース)が存在すること。

 ② 既存メンバーでの代替が困難であること。

 今回は「経営・価格設計」。啓介と三崎の二人では代替できない専門領域であること。

 ③ 長期的な信頼実績。

 知り合ったばかりの友人や、能力を知ってから近づいてきた人間は不可。

 ④ 必要最小限の情報のみを開示すること。

 魔法のすべて(全カードリストや危険な裏仕様など)を開示する必要はない。担当業務に必要な範囲に留める。

 ⑤ 勝手に第三者へ広げないこと。

 誰かを追加する場合、必ず既存のメンバー全員での事前協議と合意を絶対条件とする。

 

 三崎は、そのリストをじっと見てから、小さく息を吐いた。

「……よし。相馬なら、俺はこの開示に反対しない」

「ありがとう」

「ただし」

 三崎が鋭い目で念を押した。

「あいつは今、何十人もの社員を食わせてる中小企業の社長だぞ」

「うん」

「俺たちのようなリーマンや医者より、良くも悪くも『金の匂い』には遥かに敏感でシビアだぞ。そこは覚悟しておけよ」

 啓介は笑った。

「だから、必要なんだよ」

 

 数日後。

 平日の夜。啓介のマンションのリビング。

 

 久々に、大学のTCG部同期の三人が顔を揃えていた。

 こんな世界の秘密に関わるような話を、居酒屋やファミレスでするわけにはいかない。

 

 インターホンが鳴り、啓介がドアを開けると、仕事帰りの相馬浩平が立っていた。

 仕立ての良いジャケットを着て、ネクタイは少し緩めている。手には、デパ地下で買ったらしい少し高そうな手土産の紙袋を提げていた。

「久しぶり」

「おう、久しぶり」

 

 リビングへ通すと、浩平はすでにテーブルに座っていた三崎を見て、少しだけ眉をひそめた。

「……何だ、この空気」

 浩平は、スーツの上着を脱ぎながら言った。

「三十六歳のおっさん三人が、平日の夜にわざわざマンションに集合して、一体何すんの?」

 

 三崎が苦笑して言った。

「安心しろ。数日前、俺も啓介に全く同じセリフを言った」

 啓介が答える。

「……カードの相談だ」

 

 浩平の顔が、一瞬だけ大学時代の『プレイヤー』の顔に戻った。

「新弾でも出たのか?」

「まあ、新カードではある」

「お前がそういう含みのある言い方をする時は、大抵ろくでもない地雷コンボを見つけた時だ。嫌な予感しかしねえな」

 

 啓介は、本題に入る前に、極めて真剣な顔で浩平に向き直った。

「その前に。……今日これからお前に見せるもの、話すことは、俺の許可なしで絶対に、誰にも話さないでほしい。家族にも、会社の人間にもだ」

 

 浩平の表情から、仕事終わりのリラックスした空気がサッと消えた。

 啓介が冗談を言っているのではないと、すぐに理解したからだ。

「……会社絡みのトラブルか?」

「違う」

「犯罪か?」

「違う」

 三崎が横から口を挟んだ。

「俺も、もうその秘密を知らされている」

 

 浩平は、医者である三崎の真顔を見て、少しだけ警戒を解いた。

「……分かった」

 ただし、と浩平は付け加えた。

「何を見せられるかも分からない状態で、いきなり法的な秘密保持契約書(NDA)にサインしろとか言われたら、俺は今すぐ帰るぞ」

「そこまでは言わない」

 まずは友人として、絶対に口外しないという約束だけだ。正式な事業として進む段階になれば、後日法的な契約を考える。今はそれで十分だった。

 

「じゃあ、見せるぞ」

 啓介が、リビングの隅の段ボールハウスの方を見た。

「アカネ」

 

 バサッ!

 浩平の視界に、赤銅色の影が飛び込んできた。

 掌サイズの小さな竜が、音もなく空気を切り裂いて飛び、啓介の肩へピタリと着地した。

 前脚を揃え、翼を畳み、金色の瞳で「知らない男」をジッと見つめている。

 

「あぎゃ?」

 

 相馬浩平は、完全に停止した。

 数秒間。いや、十秒近く。

 瞬きすら忘れて、ただ啓介の肩の上の生き物を凝視していた。

 

「…………」

 三崎は、黙って浩平の反応を観察している。

 

 やがて、浩平が絞り出すように言った。

「何、それ」

「竜だ」

「見れば分かる」

「初見で竜って分かるなら、何それって聞くなよ」

「そういう意味じゃねえよ!!」

 

 ここで、浩平の慎重さが際立った。

 普通の人間なら、驚いて手を伸ばしたり、触ろうとしたりするかもしれない。だが浩平は、ソファから一歩も動かず、距離を保ったまま観察を続けた。

「……精巧なドローンじゃないよな?」

「違う」

「最新のプロジェクションマッピングとか、ARのCGか?」

「今、目の前を物理的に風切って飛んできただろ」

「じゃあ、新種のトカゲに翼の模型でもくっつけたのか?」

「あぎゃ」

 アカネが不満そうに鳴いた。

 浩平がビクッとした。

「……鳴いたぞ、今」

 三崎が横から言った。

「俺も、一番最初はそこからだった」

 

 アカネは初対面の浩平を警戒しているのか、啓介の肩から離れようとせず、じっと様子をうかがっている。

「触らなくていい。今日はこいつの品評会じゃない」

 啓介は、深呼吸をしてから本題に入った。

 

「俺、ちょっと前に、現実世界に干渉できる『カードゲーム』みたいな能力を手に入れたんだ」

 浩平が、「……はい?」という顔をした。

 

 啓介は、右手を空中に翳し、《創世札典》のバインダーを顕現させた。

 淡い光を帯びたバインダーと、その中に収められたカードが現実の空間に姿を現す。

 浩平にも、顕現したバインダーとカードそのものは、はっきりと見えていた。

 

 浩平が、バインダーの横の何もない空間を見ながら眉を寄せた。「……お前、今そこに何か表示が出てるのか?」

「出てる。カード管理のUIとか、ステータスとか、細かいシステム表示」

 浩平は首を振った。「俺には何も見えない。見えてるのは、そのバインダーとカードだけだ」

 

 啓介は、第三者に見える範囲を改めて確認してから、システムの概要だけを手短に説明した。

 現実へ作用するカードを作れること。カードの強力さに応じてマナというコストがあること。一日に使えるマナの総量は有限で、毎日の午前零時にリセットされること。現実の条件や制約を厳格にするほど、カードが安く成立しやすいこと。

 そして、肩に乗っているアカネも、そのカードによって生み出された召喚生物であること。

 浩平は額に手を当てた。「……マジで言ってんのか? つまり、お前は魔法使いになったってことか?」

「ざっくり言えば、そうなる」

 

 浩平がさらに聞いた。「じゃあ、魔法で何でもできるのか? 金を出したり、人を操ったり」

「何でもじゃない。少なくとも、今日お前に話すのは相談に必要な範囲だけだ」

 啓介は情報を意図的に絞った。《約束された当選番号》による宝くじの利用や、《秘密の切除》といった危険なカードについては、一切口に出さない。

 

 浩平も、「持ってるカードを全部見せろ」とは言わなかった。

「……分かった。今日の俺への『相談』に必要な範囲だけでいい。それ以上は、俺の脳の処理が追いつかん」

 必要な情報と、今は知らなくていい情報を即座に切り分ける判断の早さは、大学時代から変わっていなかった。

 

 啓介はバインダーから一枚のカードを取り出し、浩平の前に提示した。

「今日のメインの話はこれだ。《古傷の修復》」

 

 コストは生命2+知識1。

【単一損傷】【診断指定】【非若返り】。

 医学的に確認された過去の損傷と、その直接的後遺症を、現在年齢相当の健康な状態へ修復する魔法。

 

 浩平は、カードのテキストを無言で読み込んだ。

 三崎が横から補足する。

「少なくとも、仕様上はそう書かれている。先日、俺の右膝の古傷で試して、MRIでも完全な修復を確認した」

 浩平が驚いて三崎の膝を見た。

「ただ、人間相手の症例数はたった一例だ。長期的な安全性も未知数。だから、これは『今すぐ明日から商売を始めよう』という儲け話じゃない」

 

 啓介が、最初の、そして最大の質問を投げかけた。

「でさ。浩平。……もし将来、これが安全に他人に使えるようになったとして。いくらくらいの料金を取るのが、適正価格だと思う?」

 

 浩平は、カードを見つめ、啓介の顔を見、三崎の顔を見た。

 そして、腕を組んで深く息を吐いた。

 

「……値段を考える前に、一個質問していいか?」

「何?」

「このカード、一日に何人の患者を治せる?」

 

 啓介はハッとした。

「これ、めちゃくちゃ強いカードだろ?」と威力をアピールするのではなく、経営者である浩平は真っ先に『供給量(生産キャパシティ)』を確認してきたのだ。

 

 啓介が答える。

「現状のマナ基盤なら……条件をちゃんと揃えた日に、一人だ」

「二人は?」

「絶対に無理」

「毎日必ず一人は治せるのか?」

「理論上はな。ただし、生命マナ2と知識マナ1という重い固定コストを使う。これを使うと、その日の俺の他の魔法運用(防犯や回復)に重大な影響が出る。しかも、知識マナを生み出すには、俺が前日に必ず三十分以上の勉強や記録作業をしてなきゃいけないっていう稼働条件まである」

 

 浩平は即答した。

「じゃあ、『一日一人』じゃないな」

「え?」

「それは、お前のシステム上の『最大処理能力』が一日一人ってだけだ。急な仕事、体調不良、マナの不足、前日の条件未達。現実の稼働率を考えれば、実際の供給可能数はそれよりずっと少なくなる」

 

 三崎が、横でふっと笑った。

「ほら。そういう視点を持ってる奴が欲しかったんだろ」

「……はい」啓介は素直に認めた。

 

 浩平はスマートフォンを取り出し、メモアプリを開いた。

 ここから完全に、社長(経営者)モードに入った。

 

 ① 成功率

「治療の成功率は何パーセントだ?」

 三崎が答える。「症例数が一。まだ数字のパーセンテージを出せる段階じゃない」

「じゃあ、経営上の成功率は『不明』だ」浩平が打ち込む。

 

 ② 副作用

「副作用や後遺症のリスクは?」

「短期的に大きな問題が出ないことは確認している。だが、数年単位の長期的な安全性のデータは全くない」

「つまり、一年後に何が起きるか分からないってことだな?」

「断言できない」

「了解。リスク『大』」

 

 ③ 対象範囲

「古傷なら何でも治るのか?」

 啓介がカードの条件を説明する。医師に診断された単一の損傷と、そこから直接生じた後遺症だけだ。

「じゃあ、糖尿病とかの慢性病は?」

「別」

「加齢による自然な老化は?」

「別」

「生まれつきの障害は?」

「このカードでは対象外と考えた方がいい」

「なるほど。ターゲット(顧客層)はかなり限定されるな」

 

 ④ 医療判断

「誰が『この人は治療対象になる』って決めるんだ?」

 三崎が答えた。「俺が関与するなら、少なくとも事前の適応診断は、医療側で厳密にやる」

「患者本人が『ここが痛いんです、治してください』って言ってくるだけじゃ駄目か?」

「絶対に駄目だ。プラセボの痛みや、他の病気が隠れている可能性を排除できない」

 

 ⑤ 経過観察

「治したら、そこでサービス提供は終わりか?」

 三崎が即座に否定した。

「むしろ、治した後からが本番だ。24時間後、1週間後、1ヶ月後、3ヶ月後。さらに可能なら半年、1年と追跡調査をしなければならない。やりっぱなしは医療じゃない」

 浩平がため息をついた。

「……一人治療するたびに、お前らには一年間分の『アフターフォローの仕事』が積み上がっていくわけか」

「だから、簡単に人数を増やせないんだ」

 

 浩平は、スマートフォンの画面から目を離し、二人を見た。

「……なるほどな」

 浩平はしばらく考え込んでから、言った。

 

「お前ら。今すぐこれを売る話なら、ここで終了だ。今は『値段』なんか決めてる段階じゃない」

 

 啓介が肩を落とした。

「やっぱり?」

「当たり前だ。安全性の担保も、供給の安定性もない状態で商品として値付けなんかできるか」

 

 だが、啓介は食い下がった。

「でも、将来的な『価値のポテンシャル』だけでも知っておきたいんだよ」

 浩平は少し目を細めた。

「……分かった。今すぐ売る相談じゃなくて、将来これが本当に成立した時に、どんな価値と事業リスクが出るのかを先に洗うって話なら付き合う。仮に、本当に再現性があって、後遺症もなく、数年経っても問題が起きない。そして、既存の現代医療では完全修復が困難な古傷が、たった一回の魔法で完全に治るなら」

 

 浩平は指を一本立てた。

「一件『百万円』でも、安すぎるケースは普通にあると思うぞ」

「百万!?」啓介が驚く。三崎は驚かなかった。治療内容によっては、現実の医療でも患者負担や総費用がかなり高額になり得ることを医者として知っているからだ。

 

「例えば、その怪我のせいで仕事ができなくなっていた人間が、魔法で完全に治って現場に復帰できるなら? 一生分の稼ぎを考えれば百万なんてタダみたいなもんだ」

 浩平は続ける。

「十年苦しんでる古傷の痛みが消えるなら? 肩の古傷で競技を諦めた選手が復帰できるなら? 手の古傷で仕事を続けられなくなった職人なら? 膝の古傷で現場を離れていた人間が戻れるなら?」

 価値は、患者の背景によって全く違う。

「富裕層の深刻な悩みなら、一千万でも、五千万でもポンと払う人間は間違いなくいる」

 

 啓介は息を呑んだ。

「そんなに……」

 

 だが浩平は、すぐに冷や水をぶっかけた。

「でもな。問題はそこじゃないんだよ」

 

 浩平はそこで、「高く払う人がいること」と「その値段で売ること」を切り分けた。

「一千万払う人間がいるからって、治療費を一千万に設定する。……それは『経営』じゃない。単なる弱みにつけこんだ『価格の吊り上げ』だ」

 

「違うのか?」

「全然違う。供給量の限界、医療としての必要性、社会的な公平性、そして何より『責任の重さ』。全部を総合的に考える必要がある」

 

 そして、浩平は一番恐ろしい点を指摘した。

「現時点で高額な料金を取ったら、お前らとお客(患者)の関係性が一気に変わるぞ」

 

 今なら、「信頼できる相手に、十分にリスクを説明して、魔法の検証への協力をお願いする」という立場だ。

 しかし高額な対価を受け取れば、少なくとも相手には「有償の治療サービスを購入した」という強い期待が生まれる。説明責任も、返金や損害を巡る紛争のリスクも一気に重くなる。

 

 浩平の口調が厳しくなった。

「金額が大きくなればなるほど、患者側も『治って当然』『完璧で当然』と思うようになる。もし失敗したら? もし未知の後遺症が出たら? もし患者が『期待したほど痛みが消えなかった』とクレームをつけてきたら?」

 

「誰が患者に説明するんだ? 誰が返金に応じる? 何か起きた時、誰が責任を負う?」

 

 浩平の怒涛の問いかけに、三崎が顔をしかめた。

「……俺が一番嫌だと思っているところを、全部的確に突いてくるな」

「俺は社長だからな。クレームと責任の所在が一番怖いんだよ」

 

 浩平が結論を出した。

「だから。少なくとも最初の検証段階では、金を取らない方がいい」

 啓介が聞き返す。「無料か?」

「違う。『無料の治療サービス』じゃない。言葉を正確に定義しろ。これは『初期検証への協力』だ」

 

 もちろん、無償だから責任や倫理上の問題が消えるわけではない。ただ、少なくとも今は「有償の治療サービス」として売り出す段階ではない。

 対象となる候補者は、秘密保持の約束を守れ、かつ長期の追跡調査に協力できる人物へ極端に絞る。

 

 啓介のノートに、新しい見出しが書き込まれた。

 《Phase 1:古傷の修復・外部対象初期検証》

 医学的な「臨床試験(治験)」と正式に呼ぶのはまだ避ける。

 

 条件。

 成人であり、判断能力があること。魔法による処置であること、長期安全性がまだ確立していないこと、継続的な追跡検査が必要なことを説明した上で、本人の明確な事前同意を得ること。これはカード自体の発動条件ではなく、三人が課す運用上の絶対条件とする。

 確固たる医学的診断が存在し、古傷の位置と原因が明確であること。現在も客観的・主観的な後遺症が残っていること。

 今すぐ命に関わるような、緊急治療が必要な患者ではないこと。長期の追跡検査に協力できること。そして、魔法の秘密を絶対に守れること。

 

 さらに、除外条件も具体的に決めた。

 重篤な進行性疾患(ガンなど)を併発している者。治療対象の原因が曖昧な者。複数の損傷が複雑に絡みすぎている者。魔法の存在を知ったら、興奮してSNS等に喋ってしまいそうな者。金銭的な利益目当ての者。啓介たちに対して、強い心理的圧力を掛けてくる関係性の者(上司など)。

 

 三崎が、検査スケジュールを提案した。

「まずは、治療の成功・失敗を評価しやすい、単純な構造の古傷から選ぶ。治療前の画像と数値記録。治療直後の比較。24時間後、1週間後、1ヶ月後、3ヶ月後の定期検査だ」

 

 浩平が聞いた。

「一人目を治した翌日に、すぐ二人目を治す、みたいなスピード感でやるのか?」

 三崎が即座に首を振った。

「絶対にやらない」

「だろうな」

 最終的に、まずはたった「一人」だけを対象とする。その結果を数ヶ月見てから、次の候補を考える。最初のフェーズの総数は、最大でも3~5人程度とする。

 

 議論がかなりまとまり、現実的な検証の道筋が見えてきたところで。

 浩平が、ふと「あ」と声を上げた。

 

「何だ?」啓介が聞く。

「……もっと面倒な問題があったわ」

 三崎が嫌そうな顔をした。「今度は何だ」

 

 浩平が、深刻な顔で言った。

「……誰を治すんだ?」

 啓介が答える。「だから、今決めた条件に合う人を……」

「そうじゃなくて。その先の未来の話だ」

 

 将来、魔法の安全性が確認され、秘密保持の仕組みもある程度できた場合の話へ移ったところで、浩平が一度手を上げた。

「その前に。供給が足りないなら、そのマナ源自体を増やせないのか?」

 啓介は頷いた。「増やせる可能性はある。実際、最初より増えてる。ただ、現実側の核や所有、利用、管理実績が必要だし、欲しい色のマナが都合よく増える保証もない。一個増やすだけでも時間が掛かる」

 浩平はすぐに整理した。「将来、一人が二人、三人になる可能性はある。供給拡大は続けるべきだ。でも、百人、千人、何万人へ簡単にスケールできる根拠はない。……なら、配分問題そのものは消えないな」

 

「その時。治してほしい人間が供給可能数を遥かに上回ったら、お前らは一体『誰』を優先して魔法を使うんだ?」

 

 金額順。

 一番高く払ってくれる人を優先する。→完全に富裕層専用の魔法になり、批判を浴びる。

 先着順。

 情報を早く得た人を優先する。→公平に見えるが、本当に必要な人に届かない。

 抽選。

 平等に見える。→重症度や緊急性を完全に無視することになる。

 医療必要性順。

 一番合理的だ。→だが、三崎が事実上「誰を救って誰を見捨てるか」という命の選別(トリアージ)をすべて一人で決断することになる。

 社会的価値順。

 優秀な医者、消防士、研究者などを優先する。→誰が『人間の価値』に優劣をつけるのか。

 

 三人の中に、重い沈黙が落ちた。

 

「……値段を決めるより、よっぽど難しい問題だな」啓介がポツリと言った。

 浩平が頷く。

「お前が最初に俺に聞いたのは『値段』だったけどな。たぶん将来、事業として一番揉めるのは値段じゃない。『誰にその限られた奇跡を使うか』だ」

 三崎が深く同意した。

「……だな」

 

 啓介は、バインダーのカードをじっと見つめた。

「……今の一日一人が、将来二人や三人に増えたとしても。現実世界では結局、『救える人数そのものに上限がある』って意味になるのか」

 

 重苦しい空気が部屋に立ち込めた。

 その時、沈黙を破って。

 

 バサッ!

 アカネが三人の間に飛んできて、啓介の肩にドスンと着地した。

 テーブルの上には降りないのが、アカネなりの遠慮らしい。

 

「あぎゃ」

 アカネは、重い空気など知ったことかという顔で、短い鳴き声を上げた。

 

 浩平が、アカネをじっと見て聞いた。

「……ちなみに。こいつを維持するのには、一日に何マナかかってるんだ?」

「召喚する時に、生命1と境界1を払っただけだ。維持費は今のところゼロだ」

 浩平が少し驚いたように言った。

「……コスパ強すぎないか?」

「だろ?」啓介がドヤ顔をする。

 三崎が横から突っ込んだ。

「お前ら、そこだけ急に大学時代のカードゲーマーに戻るな」

 

 浩平は、一つ息を吐いてから、真面目な顔に戻った。

「まあ」

 浩平は、啓介と三崎を交互に見た。

「……俺にこの話をしたのは、お前にとって大正解だったと思うぞ」

「お、言ってくれるね」

「ただし」浩平が指を立てた。「俺は魔法の専門家でも、医者でもない。俺が見るのは、これを他人に提供する時に『仕組みや責任が破綻しないか』だけだ」

 三崎が頷いた。「それで十分だ」

 

 そして、浩平は啓介に向かって強烈なダメ出しをした。

「あと、お前が一人で『値段』や『価値』を決めるのは絶対にやめろ」

「なんでだよ」

「お前、絶対に安くしすぎるからだ」

 三崎が間髪入れずに同意した。

「それは俺も激しく思う」

 

 啓介が不満そうにする。

「なんでお前ら二人とも即答なんだよ!」

 浩平が呆れたように言った。

「さっきお前が話してた山の話だよ。三十八万円の山を買って、業者呼んで危険木を処理して、休日に汗水垂らして自分で道まで作って。それで『システムからマナが一個増えたから得した!』って子供みたいに喜んでる男の価格設定を、経営者として信用できるか」

「いや、実際マナが増えたのはすげえ得してるだろ!」

 三崎がため息をついた。

「……お前のそういうところだぞ、門倉」

 

 帰る時間になった。

 浩平がスーツのジャケットを着て、玄関に向かう。

 

「今日聞いたことは、誰にも言わない」

「頼む」

「家族にもな」三崎が念を押した。

 浩平は頷いた。「分かってる」

 

 そして、少し冗談めかした空気を抜いて、浩平は二人に言った。

「ただ、本当にこれから他人を治す事業を始めるなら。俺も『相談に乗っただけだから後は知らない』って途中で降りるような無責任な真似はしない」

 

 浩平は、啓介と三崎の目を見た。

「医療は、三崎。魔法は、門倉。金と事業運用の仕組みは、俺。……三人で分からない法務や税金の部分は、その都度、ちゃんと秘密を守れる専門家を探して入れる。それでいいな?」

 啓介が力強く頷いた。

「了解だ」

 

 三崎が、少し懐かしそうに笑った。

「なんか、大学時代の大会前のデッキ調整みたいになってきたな」

 だが、浩平は真顔で首を振った。

「全然違うぞ」

「何が?」

「今回は、プレミ(プレイングミス)したら、俺たちが負けるだけじゃない。人が死ぬかもしれないんだ」

 

 一瞬、玄関の空気がピンと張り詰めた。

 啓介も真顔になった。

「……そうだな」

 浩平が静かに言った。

「だから、適当にはやらない」

 

 金額だけではなく、その先にある責任まで考える。

 それが、大学時代のカード仲間から、会社を背負う経営者になった今の相馬浩平だった。

 

 ドアが閉まり、浩平が帰っていった。

 リビングに戻った啓介と三崎の間に、しばらく静かな沈黙が流れた。

 アカネが廊下からパタパタと戻ってきて、啓介の足元に座った。

 

 三崎がぽつりと言った。

「……相馬に教えたの、正解だったかもしれないな」

「だろ?」

「だが、まだ今日一日だけだからな。あいつの評価は当然保留だ」

 啓介は笑った。

「お前らしいわ」

 

 啓介は、今日三人で作ったノートのメモを見返した。

 一番上に書かれた見出し。

 

 《Phase 1:古傷の修復・外部対象初期検証》

 

 そして、その下の行。

『第一検証協力者:未定』

 

 今までなら、啓介はただ無邪気に「この魔法で誰を治せるか」だけを考えていた。

 でも、今日からは違う。

 

 誰を治すべきか。どう記録を残すか。何年間追跡調査するか。自分たちは何人までなら、一生責任を持てるのか。

 そこまで覚悟しなければならない。

 

 啓介が呟いた。

「……まず、一人目か」

「ああ。慎重に探すぞ」三崎が応えた。

 

 足元で、アカネが「あぎゃ」と鳴いた。

 啓介が足元を見下ろす。

「お前は今回の検証協力者候補じゃないぞ。健康優良児だろ」

 アカネは意味が分からず、不思議そうに首を傾げていた。




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