TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~ 作:パラレル・ゲーマー
土曜日の午後十一時五十分過ぎ。
部屋の照明を少し落としたリビングで、門倉啓介はソファに深く沈み込んでいた。
ローテーブルの上には、手帳型のケースに入れたスマートフォンが置かれ、画面にはデジタル時計が発光している。そのすぐ横には、分厚い装丁の《創世札典》が重々しい存在感を放っていた。
バインダーの最初のページに収められた《借宿》のカードは、今日の分のマナを出し尽くした証拠として、相変わらず暗く沈んだ色合いのままだ。
「……ソシャゲのログインボーナス待ちみたいだな、三十六にもなって」
啓介は小さく自嘲気味に呟きながら、スマホの時計と《借宿》のカードを交互に眺めた。
システムの解説によれば、【日次起動】とある。
この『日次』という概念が、果たして二十四時間経過を意味するのか、それとも特定の時刻——例えば午前零時——を跨ぐことでリセットされるのか。その仕様を確かめるためだけに、啓介はこうして夜更かしをしていた。
時刻が午後十一時五十九分に変わる。
秒針の表示が進んでいく。五十七、五十八、五十九。
そして、午前零時ちょうど。
スマホの時計が「0:00」を示したその瞬間。
『日次更新を実行しました』
『土地および日次能力が再使用可能になりました』
『保有していたマナは失われます』
視界に半透明のシステムメッセージが浮かび上がると同時に、バインダーの中で沈黙していた《借宿》のカードが、ふっと淡い光を取り戻した。
カードの中のイラスト——啓介の部屋の風景——が、再び生気を取り戻したように鮮明になり、風に揺れるカーテンの動きが描写され始める。
「よし。やっぱり零時更新か」
啓介は《借宿》のカード表面に指を滑らせ、マナを再び生み出せる状態へ戻っていることを確認した。
これで、今日——いや、日付が変わったから日曜日か——の分の1マナをいつでも引き出せるようになったわけだ。
だが、すぐにマナを引き出して魔法を使う気にはなれなかった。
昼間に作って準備しておいた《一歩先の未来》のカードは、外に出て検証してこそ意味がある。
今から着替えて、深夜のコンビニや通りで未来予知の実験をするような元気は、悲しいかな、三十六歳の肉体には残っていない。
「日付が変わったからって、深夜徘徊して実験するほど若くはないんだよな……」
啓介は小さく欠伸を一つ噛み殺すと、バインダーの表紙を閉じた。
青白い光と共に《創世札典》が空中に溶けるように消えるのを見届けてから、立ち上がって寝室へと向かう。
能力を手に入れた初日だからといって、浮かれて徹夜などしない。明日も休みとはいえ、生活リズムを大きく崩すことのリスクを嫌というほど知っているのが、社会人という生き物だった。
翌朝、日曜日の午前八時。
啓介はアラームが鳴る前に、爽やかな気分で目を覚ました。
ベッドの中で軽く伸びをする。
昨日《日々の修繕》を使った効果はまだ残っているらしく、身体は驚くほど軽かった。
睡眠中に蓄積しがちな首の痛みや、腰の重苦しい鈍痛はまったく感じない。まるで質の高いマットレスと高級なオーダーメイド枕に買い替えたかのような快適さだ。
簡単な朝食——トーストを一枚焼き、インスタントではないコーヒーを淹れる——を済ませると、啓介は早々にリビングの定位置に座り、喉を鳴らした。
「バインダー」
ポンッ、という小気味良い音と共に、膝の上に《創世札典》が顕現する。
ページを開き、光を取り戻した《借宿》のカードに触れた。
五つのマナシンボルが視界に展開される中、啓介は迷わず「知識」を選択する。
《借宿》から青白い光の粒がふわりと浮かび上がり、バインダーの上で静かに明滅を始めた。
『保有マナ』
『知識:1』
今日使うカードは、昨日すでに決めてある。
《借宿》のすぐ下へ移しておいたそれを、啓介は改めて見つめた。
《一歩先の未来/One Step Ahead》
術式・知識
必要マナ:知識1
自分がこれから実行しようとしている一つの行動について、実行開始から十分以内に自分が経験する、最も重要な結果の断片を見る。
未来のすべてを知る必要はない。
踏んではならない一歩が分かれば、それでいい。
さて、この貴重な「未来予知」の初打ちを何に使うか。
いきなり仕事に関わる重大な決断で試すには、今日は日曜日だ。それに、最初から命に関わるような危険な実験もしたくない。
そこで啓介が思い出したのが、昨日カードを作りながら考えていた金策のアイデアだった。
「歩いて五分くらいの商店街に、よく当たるって評判の宝くじ売り場があったな。千円でも二千円でも当たれば、実験としては大成功だろ」
啓介は立ち上がり、ジーンズに無地のカットソーを合わせ、薄手のジャケットを羽織って外出の準備を整えた。
玄関で靴を履きながら、思考を整理する。
ただ漫然と「宝くじを買いに行く」と念じて未来を見ても、売り場に並ぶ無数のくじの中からどれが当たりなのか特定できなければ意味がない。
システムの要求は厳格だ。『これから実行しようとしている一つの行動』を明確に定義してやる必要がある。
「行動の定義……『このあと商店街の宝くじ売り場へ直行し、窓口の店員に勧められたスクラッチくじを一枚買う』。よし、これで結果が変わる余地は少ないはずだ」
啓介はバインダーを左手に抱えたまま、右手を《一歩先の未来》のカードに置いた。
青白い知識マナの光球が、呼応するように強く輝く。
「《一歩先の未来》、使用!」
宣言した瞬間、知識マナが弾け、青白い閃光が啓介の脳内へと直接流れ込んできた。
視界が真っ白に染まり、現実の感覚が急速に遠のいていく。
映画のように整然と物語が流れるわけではない。極度に圧縮された感覚情報の奔流が、直接脳のシナプスを叩くような、ひどく暴力的な体験。
——耳をつんざくような、鋭いタイヤのスキール音。
——ざらついたアスファルトの上を、不規則に跳ねながら転がっていく赤いゴムボール。
——「あッ!」という短い悲鳴とともに、視界の端から道路へ飛び出してくる、黄色い帽子の小さな影。
——左手前方から交差点に進入してくる、車体に青いラインの入った白い配送トラック。
——誰かの、ひび割れたような絶叫。
——啓介自身の右手が前へ突き出され、分厚い革の感触……ランドセルの肩紐を強く握りしめる感触。
——鼻先を掠めるように、巨大なトラックのサイドミラーが風を切って通過していく圧倒的な恐怖。
プツン、と。
そこで映像は唐突に途切れ、啓介の意識は現実の玄関へと乱暴に引き戻された。
「……っはぁ!!」
啓介は激しく息を吸い込み、バランスを崩して玄関の壁に手をついた。
心臓が警鐘のように早鐘を打っている。額には冷たい汗が滲んでいた。
「……なんだ、今の」
荒い呼吸を整えながら、啓介は脳裏に焼き付いた断片的な映像を反芻した。
当たりくじの番号は?
スクラッチを削った結果は?
そんなものは一切見えなかった。
「……おい、くじの結果は?」
空中に浮かぶシステムメッセージは、沈黙を保っている。
啓介はハッとして、カードのテキストを思い出した。
『自分が経験する、最も重要な結果の断片を見る』
システムは、宝くじの当たり外れなどという些末な事象よりも、商店街へ向かう道中で遭遇する「交通事故」の方が、啓介の人生において圧倒的に『重要』であると判断したのだ。
啓介は腕時計に目を落とした。
予知では、あの事故が起きる正確な時刻までは分からなかった。
だが、条件として『実行開始から十分以内』と指定している。そして、ここから商店街の入り口までは、普通に歩いておよそ五分。
今から全速力で向かえば、間に合うかもしれない。
「くそっ、宝くじどころじゃねえ!」
啓介は玄関のドアを乱暴に開け放ち、休日の穏やかな住宅街を駆け出した。
頭の中では、先ほどの断片的な光景が繰り返し再生されている。
赤いゴムボール。黄色い帽子。白い配送トラック。
それらの情報が揃う場所を、走りながら血眼になって探す。
しかし、最初の交差点を過ぎても、次の角を曲がっても、それらしきものは見当たらない。
「未来を見たからって、ナビみたいに場所まで親切に教えてくれるわけじゃないのか……!」
啓介の焦りが募る。
息が上がり始め、運動不足の太ももが悲鳴を上げかけた、その時。
商店街のアーケードの入り口が見えてきた。
その手前にある、信号機のない小さな横断歩道。
見通しが悪く、普段から危ないと思っていた場所だ。
そこへ、若い母親と手を繋いで歩いてくる小さな影があった。
頭には鮮やかな黄色い帽子。その手には、赤いゴムボールが握られている。
啓介は全速力で走りながら、その光景を視界に捉えた。
距離はまだ二十メートルほどある。
『——その時』は、唐突に訪れた。
子供の手から滑り落ちた赤いボールが、ポーンと乾いた音を立てて車道へ転がり出た。
「あッ!」
母親が制止するよりも早く、子供はその手を振りほどき、ボールを追って反射的に車道へ飛び出す。
同時に。
商店街のアーケードの死角から、青いラインの入った白い配送トラックが、減速しきれないまま左折してくるのが見えた。
啓介の思考が完全に停止した。
ただ、予知で見せられた光景と同じ順番で世界が動いているという事実だけが、身体を強制的に前へ駆動させる。
「危ないッ!!」
声が喉から絞り出されるよりも早く、啓介は最後の一歩を大きく踏み込み、アスファルトを蹴った。
横断歩道へ飛び出した子供の背中——着ていた上着の襟元を右手で強引に掴み、歩道側へ引き倒す。
勢いを殺しきれず、啓介自身も子供の隣へ横倒しになった。
右手から襟元が抜け、その掌をざらついたアスファルトへ強くつく。
直後。
ゴォォォッという風圧の塊が、啓介の顔のすぐ横を通り抜けた。
トラックの巨大なサイドミラーが、啓介の鼻先数センチを掠めていったのだ。
キィィィィィン!!
けたたましいブレーキ音が周囲の空気を切り裂き、白い配送トラックが横断歩道を数メートル過ぎたところで斜めに停車した。
車道には、赤いゴムボールだけが虚しく転がっている。
……静寂。
一瞬だけ、世界から音が消えた。
「……あ、あ、あああっ……!」
歩道に尻餅をついた子供は、何が起きたのか理解できないまま目を丸くしていたが、遅れて駆け寄ってきた母親が悲鳴のような声を上げて、子供を強く抱きしめた。
「よかった、よかったぁ……っ! すいません、本当に、すいません……っ!」
母親は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、へたり込んでいる啓介に向かって何度も頭を下げる。
トラックの運転席からも、顔面を蒼白にした若いドライバーが転がり出てきて、膝を震わせながら「すいません、死角で、見えなくて……っ!」と泣きそうな声で謝罪を始めた。
周囲を歩いていた通行人たちも足を止め、口々に騒ぎ始めている。
「すごい反射神経だったな」
「一歩遅れてたら轢かれてたぞ、今」
「あの人、よく気がついたわね」
啓介は、擦りむいた右手をゆっくりと下ろしながら、周囲の視線に対して曖昧な笑みを浮かべた。
「いや、たまたま……ボールが転がるのが見えたので」
そう誤魔化しながら、啓介はゆっくりと立ち上がった。
足に力が入らない。
超人的な身体能力を発揮したわけではない。
ただ、「これから起きる」とあらかじめ知っていたから、誰よりも早く初動を起こせただけだ。
もし予知を見ていなかったら、自分も他の通行人と同じように、凄惨な事故を目の前で呆然と見届けるしかなかっただろう。
未来を見たなどと説明して、信じてもらえるはずがない。
信じられなければ、勘違いした変人として扱われるだけだ。
だが、もし本当に信じられてしまったなら、それはそれで何が起きるか分からない。
少なくとも、自分の能力とその限界を把握するまでは、誰にも話すべきではない。
親子に怪我がないことを確認した以上、これ以上注目を浴びる理由もなかった。
「念のため、警察には連絡してください。俺は大丈夫なので」
啓介はそれだけ告げると、騒ぎがさらに大きくなる前に、その場を静かに離れた。
母親がもう一度深く頭を下げるのを背中で感じながら、足早にアーケードの中へ身を隠す。
商店街から少し外れた場所にある、小さな児童公園。
誰もいないベンチに腰を下ろした啓介は、ふぅ、と深く長く息を吐き出した。
心臓はまだ、破裂しそうなほど激しく脈打っている。
ずきずきと痛む右の掌を見ると、薄く皮が剥け、細かな砂粒が付着していた。
予知の中では、啓介の手が掴んでいたのはランドセルの肩紐だった。
しかし、現実の子供はランドセルなど背負っておらず、啓介が掴んだのは上着の襟元だった。
「……未来が、完全に固定されてるわけじゃないのか?」
啓介は乾いた唇を舐めながら、先ほどの現象を分析し始めた。
いや、そう断定するのは早い。
予知によって示された未来そのものが、啓介の行動によって微妙に変化した可能性。
あるいは、「子供の背中側にある掴める部分」という情報を、啓介の脳が理解しやすいランドセルの肩紐として変換して見せられた可能性。
前者なら、未来は揺らぐ。
後者なら、予知の出力には細部の誤差や変換損失がある。
今の一度きりの使用では、どちらなのか判断できない。
予知で見た映像は、啓介の手が子供を掴もうとしている瞬間の主観映像だった。
つまり、あの未来は「啓介が救出に動くこと」まで含めて算出されたものだったのだろうか。
それとも、あの断片を見せられたことによって、啓介自身が未来を改変したのだろうか。
どちらが正しいのかは、現時点では分からない。
ただ、今の啓介にも明確になった事実がある。
《一歩先の未来》というカードは、使用者が知りたいと願った情報——例えば宝くじの結果——を都合よく教えてくれるような、甘い検索エンジンではない。
指定した行動に付随して起きる、人生を左右するような『最も重要な事象』を強制的に叩きつけてくる、極めてお節介で、そして強力な警告システムだ。
そして、その警告を受け取れば、行動によって最悪の結果を回避できる可能性がある。
たった1マナ。
昨日《淹れたての温度》でコーヒーを温め直そうとしたのと同じ、たった1マナだ。
それが今日、一つの小さな命を、物理法則の暴力から引き剥がして救った。
啓介は、まだ微かに震えの残る手をゆっくりと握りしめた。
《日々の修繕》を使った時とはまったく違う、ひどく生々しく、重い1マナの実感。
「……これは、ちょっとした小遣い稼ぎだけに使うには、あまりにも勿体ない能力だな」
木漏れ日を見上げながら、啓介は独りごちた。
ただ、そこで聖人君子になりきれないのが、三十六歳のサラリーマンの悲しい性だ。
「……まあ、安全確認した上で、金儲けにもがっつり使うつもりだけどさ」
小さく付け足して、啓介は苦笑いとともにベンチから立ち上がった。
昂りも落ち着き、せっかく商店街まで来たのだからと、啓介は当初の目的であった宝くじ売り場へ足を向けた。
「いらっしゃい。今日は何にする?」
ガラス窓の向こうで、人の良さそうなおばちゃんが愛想よく笑いかけてくる。
予知の権利はすでに消費してしまったため、ショーケースの中に並ぶ無数のスクラッチくじの中から、どれが当たりなのかなど知る由もない。
「えっと……おばちゃんのおすすめのスクラッチを、一枚だけ」
「あいよ。じゃあ、これなんかどう? 新しく出たやつ」
二百円を支払い、渡された硬い紙片を受け取る。
その場で十円玉を取り出し、銀色のコーティングを削り落としていく。
結果は——見事なまでに絵柄が揃わない、完全な外れだった。
「あら、残念だったねぇ」
「はは、まあ、こんなもんですよね」
外れくじをゴミ箱に捨てながら、啓介は奇妙なほど清々しい気分だった。
「未来予知を使って、くじでは一円も得しなかったな……」
今日の知識マナの投資に対する金銭的なリターンは、見事にゼロだ。
しかし、数分前に失われるはずだった未来を一つ繋ぎ止めたことを思えば、二百円をドブに捨てたことなど微塵も気にならなかった。
「金銭的収支はマイナス二百円。知識マナの収支もゼロ」
少し考え、啓介は首を振った。
「いや……人命一件を救ったんだ。人生全体で見れば、圧倒的な黒字だな」
自己正当化のような理屈をこねて、啓介は上機嫌で帰路についた。
帰宅後、昼食を済ませた啓介は、再びリビングのソファで《創世札典》を開いていた。
今日の分のマナはもう使い切ってしまったが、カードの『試作』は何度でも無料でできる。
啓介は午前中の《一歩先の未来》の挙動と限界を踏まえた上で、用途をさらに特化させた未来予知カードの派生型を設計し始めた。
空白の枠に指を置き、要件を定義していく。
「自分が現在選択可能な『二つ』の行動について、それぞれの結果を一つずつ見る」
光が集まり、カードが生成される。
《二者択一/Forked Choice》
術式・知識
必要マナ:知識2
自分が現在選択可能な二つの行動について、それぞれの結果を一つずつ見る。
一つの未来を知る者は警告を得る。
二つの未来を知る者は選択を得る。
「なるほど、比較検証しようとすると一気に2マナに跳ね上がるのか」
A案とB案、どちらの取引先と契約すべきか。
どちらの株を買うべきか。
ビジネスや投資においては無敵に近いカードだが、今の1マナ基盤では使えない。
ならば、情報量を削ってコストを下げるアプローチだ。
「自分がこれから行う一つの行動が、二十四時間以内に重大な損害を招く可能性があるかどうかだけを、『はい』か『いいえ』の二択で知る」
《危険判定/Risk Check》
術式・知識
必要マナ:知識1
自分がこれから行う一つの行動が、二十四時間以内に重大な損害を招く可能性があるかを、肯定または否定で知る。
未来をすべて見る必要はない。
崖があると分かれば、足は止まる。
「よし。これなら二十四時間先まで範囲を広げても、1マナに収まる」
映像という膨大な情報ではなく、危険の有無だけを読み取るなら処理が軽いということか。
会社の重要なシステム更新を実行する前や、大きな契約書へ判を押す直前に使えば、致命的なミスを防げる可能性が高い。
さらに、物探しや買い物のための特化型も試す。
「目の前にある十個以下の同種の選択肢から、自分にとって最も価値の高いものを一つだけ光って知らせる」
《十枚から一枚/Best of Ten》
術式・知識
必要マナ:知識1
目の前にある十個以下の同種の選択肢から、自分にとって最も価値の高いものを一つ知る。
幸運とは、正しい一枚を引いた者に後から与えられる名前である。
「これなら、スクラッチを十枚並べてもらって、一番当たりの大きいやつを選べるな。中古車選びとか、不動産の内見なんかでも使える」
ただし、「自分にとっての価値」という定義がシステムにどう解釈されるかは、実際に使用して検証する必要があるだろう。
金銭的価値なのか、安全性なのか、それとも思い入れまで含めた満足度なのか。
曖昧な言葉へ、曖昧なまま期待してはいけない。
啓介は、試作した数々の知識マナカードを眺めながら、息をついた。
万能に見える未来予知も、目的を曖昧にすればシステムに勝手に解釈されてしまう。
意図通りの結果を得るには、まるでプログラムの要件定義のように、用途ごとに専用のカードを設計し、使い分ける必要があるのだ。
そして、どれだけ素晴らしいカードを設計しようとも、啓介の前に立ちはだかる絶対的な壁は一つしかなかった。
「……結局、一日に1マナしか出ないって問題は、何も解決してないんだよな」
《二者択一》は2マナ。
昨日作った、身体の不調を完全に治す《健全なる肉体》は3マナ。
若返るための《一年若く》は5マナ。
欲しいカードはいくらでもある。
だが、手札にあるのにマナが足りなくて使えない。
啓介は、バインダーの空白の枠に手を置き、最も単純な解決策をシステムへ提示した。
「毎日、好きな種類のマナを1点生み出す、アーティファクト……いや、道具を作る」
システムが処理を行い、重厚な装飾を伴ったカードが生成された。
《五彩の魔石/Prismatic Mana Stone》
遺物・魔力源
必要マナ:任意5
【日次起動】
生命、知識、物資、熱量、境界のうち、好きなマナを1点得る。
【唯一】
《五彩の魔石》は一つしか存在できない。
一つの奇跡を五度諦めた者は、
六日目から二つの奇跡を選べる。
「5マナ……いや、だから、その5マナが今出せないから困ってるんだっての」
啓介は頭を掻いた。
マナを増やす道具を作るために、マナが必要。
典型的な行き詰まりだ。
そこで、カードに記されたもう一つの文言が目に入る。
「【唯一】……同じ魔石は一個しか作れないってことか」
仮に完成させても、同じものを何個も並べて無限にマナを増やすことはできないらしい。
「じゃあ、性質や仕組みの違う魔力源なら作れるのか?」
『異なる条件、性質、由来を持つ遺物であれば、別個の魔力源として作成可能です』
『同一または実質的に同一の効果を持つ遺物は、【唯一】の制限を受けます』
「同じカードの横並べは駄目。でも、別の仕組みなら作れるわけか」
生命マナだけを生み出す植物。
熱量マナだけを作る炉。
特定の場所や行動を条件に知識マナを得る書物。
今はまだ空想にすぎないが、万能な《五彩の魔石》を一つ作ったあとも、マナ基盤を伸ばす道そのものが閉ざされるわけではないらしい。
ならば、最初の一歩として作る価値は十分にある。
啓介は長年システム屋として、無理難題をふっかけてくる顧客の要求を、なんとか現実に落とし込む仕事をしてきた。
一括払いが無理なら。
「……なあ、システム。一度に5マナ要求するんじゃなくて、同じ『作成途中の物』に対して、毎日1マナずつ注入していくことはできないか? 五日間かけて、5マナ分の力を分割で充填して完成させる」
空白の枠に、システムが再計算を行っていることを示す光が激しく明滅した。
やがて光が収まり、一枚の奇妙なカードが現れた。
《五彩の種石/Prismatic Seed》
遺物・魔力源・作成中
作成条件:任意マナ1を五日間、同一の核へ注入する
作成完了後、《五彩の魔石》へ変化する。
作成途中で日次更新を迎えても、注入済みのマナは失われない。
ただし、完成前に核を破壊または紛失した場合、注入したマナはすべて失われる。
今日の奇跡を土へ埋めよ。
五日後、それは明日の奇跡を実らせる。
啓介は、そのテキストを読み終え、ゆっくりと息を止めた。
分割払いは、受理された。
だが、見慣れない言葉が一つある。
「核って、具体的には何を使えばいい?」
『核には、術者が所有する耐久性のある物品を指定してください』
『大きさ、材質、形状、来歴は、完成する遺物の性質に影響を与える場合があります』
『作成開始後に核を変更することはできません』
「カードそのものに注ぎ込むんじゃなくて、現実の物を魔石に変えるのか」
小さく、丈夫で、失くしにくい物。
五色のマナを宿す魔石になるのだから、見た目にもそれらしい方が気分がいい。
啓介はスマートフォンで近所の店を調べた。
駅前の雑貨店に、鉱石や天然石を扱う一角があるらしい。
一度バインダーを収納し、再び外へ出る。
午前中に事故を防いだ横断歩道を避けるように別の道を通り、駅前の雑貨店へ向かった。
棚に並んだ石を一つずつ眺め、最終的に選んだのは、親指の先ほどの大きさをした無色透明の水晶だった。
宝石として高価なものではない。小さな傷や内部の曇りもある、数千円程度の磨かれた石だ。
それでも光を受ける角度によって、内部に小さな虹色が浮かんで見えた。
「五彩って名前なら、これくらいがちょうどいいだろ」
会計を済ませ、自分の所有物になったことを確認する。
店員に頼んで小さなクッション入りのケースも購入した。
帰宅後、水晶をケースへ収め、机の引き出しの中へ慎重に置く。
「四日目で落として割りました、なんて絶対に嫌だからな」
これで核の準備は整った。
だが、《五彩の種石》の代償は、啓介の日常に対して非常に重くのしかかる。
明日からの五日間、毎日得られる1マナを、すべてこの遺物作成へ注ぎ込み続けなければならない。
月曜日から金曜日までの、平日五日間。
当然、その間は《日々の修繕》を使って仕事の疲労を吹き飛ばすこともできない。
《一歩先の未来》で仕事のミスを回避することもできない。
今日のように誰かの危機へ遭遇しても、その時点で使えるマナは残っていない。
マナを持たない、ただの三十六歳の会社員として、五日間を過ごす。
午前中に救った子供の顔が、啓介の脳裏をよぎった。
今日のような出来事が、明日も起きるかもしれない。
未来予知のために1マナを残していれば、また誰かを助けられる可能性はある。
だが、啓介は街中のすべての危険を常に監視する救世主ではない。
自分が魔法を使わなかった日に起きる、世界中の不幸まで責任として背負うことなどできるはずがなかった。
今の1マナを使い続ければ、救えるものは毎日一つだけ。
五日間投資して2マナへ増やせば、その先は毎日二つを選べる。
より多くのことができるようになるために、今の五日間を未来へ投資する。
そう考えるしかなかった。
もし五日間、誘惑に負けずにマナを注ぎ込み続け、《五彩の魔石》を完成させることができれば。
《借宿》と《五彩の魔石》を合わせて、毎日2マナを自由に使えるようになる。
2マナあれば、休日に部屋を一瞬で大掃除できる。
小さなドラゴンを部屋に呼べる。
異なる種類の1マナカードを組み合わせ、一日に二回魔法を使うこともできる。
そして基盤が2マナになれば、次は別の条件を持つ魔力源や、新しい土地へ手を伸ばす足がかりにもなる。
啓介はカレンダーを見た。
明日から、月、火、水、木、金。
長い。
社会人にとって、疲労を自力で処理しなければならない五日間は、考えるだけでも気が重い。
だが、十数年、同じ会社で満員電車に揺られ、理不尽なクレームに頭を下げ、泥臭く働いてきた男にとって、五日の忍耐は絶望するほどの長さではない。
これは、TCGにおける序盤の盤面構築だ。
目先の小さな利益を捨てて、マナ基盤という長期的な優位へ投資する。
啓介は《五彩の種石》のカードと、ケースに収めた透明な水晶を交互に見つめながら、にやりと笑った。
「今日の奇跡を五回我慢して、六日目からは毎日二回、か」
計算機を叩くまでもない。
長く生き、長くこの能力を使えば使うほど、圧倒的にリターンが大きい投資だ。
「よし……決めた」
啓介はバインダーを力強く閉じた。
「明日から、こいつを作ろう」
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!