TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~ 作:パラレル・ゲーマー
平日夜。
啓介のマンションのリビングに、大学時代のTCG部同期三人が再び集まっていた。
ローテーブルの中央には、先日作成したノートが開かれている。
『《Phase 1:古傷の修復・外部対象初期検証》』
その一番下。
『第一検証協力者:未定』という空欄があった。
今夜の目的は、この空欄を埋める最初の「患者(被験者)」をどうやって探すか、その具体案を詰めることだった。
「で、これなんだけど」
スーツ姿の相馬が、コーヒーのマグカップを置きながらノートを指差した。
「たぶん、お前らが書いたこのガチガチの条件に合う人間が、一人だけ身内にいる」
三崎の表情が、スッと医者のそれに変わった。
「……誰だ」
「俺の親父だ」
三崎が眉をひそめた。
「あのな、相馬。前にも言ったが、『身内だから』『信用できるから』みたいな雑な理由だけで、いきなりこの魔法の被験者にするのは反対だ。リスクが……」
「分かってる」
相馬は三崎の言葉を遮った。
「身内だから選んだんじゃない。俺が社長目線でこの条件表を見て、『あ、それならうちの親父がほぼ全部の条件を満たしてるな』って気づいただけだ」
啓介が尋ねた。
「お父さんって、相馬産業の先代社長だよな?」
「ああ。今はもう第一線を俺に譲って、非常勤の相談役みたいなもんだ。会社に毎日出てくるわけじゃない。時間の融通はいくらでも利く」
三崎が、手元のメモにペンを走らせながら質問を続ける。
「古傷って、何だ」
「右手の薬指だ」相馬が自分の指を曲げてみせた。「十五年くらい前、親父がまだ現場に出てた頃、工場の設備作業中に機械に巻き込まれて、屈筋腱を損傷した」
「手術は?」
「すぐに大きな病院でやってる」
「今の症状は?」
「日常生活は普通にできる。でも、薬指だけが完全に曲がりきらない。拳を握り込んだ時に、指先が手のひらに完全には付かないんだよ。強く何かを握る作業をすると、今でも違和感が残ってるらしい」
三崎の目が光った。
「……十五年前から、その可動域制限と違和感で固定されているんだな?」
「ああ」
「当時の診断記録や手術記録は残ってるか?」
「たぶん実家にある。親父に言えば出させる」
ここから、三崎と啓介の二人による、厳密な『条件の突き合わせ』が始まった。
成人であり、判断能力はあるか。問題なし。本人の同意は取れるか。事情を説明すれば取れる。
原因が明確か。工場設備作業時の裂傷で確定。
単一の損傷か。右薬指の屈筋腱のみ。
すでに既存の診断があるか。手術歴あり。
現在も後遺症が残っているか。可動域制限あり。
緊急性はあるか。十五年間固定されており、今すぐ命に関わるような緊急治療は全く必要ない。
長期の経過観察は可能か。息子の相馬経由でいつでも追跡できる。
そして、最も重要な『秘密保持』について。
相馬が真顔で言った。
「秘密の保持については、俺より信用できるくらいだ」
「そこまでか?」
啓介が驚くと、相馬は当たり前のように答えた。
「相馬産業の機密と、取引先何百社との営業秘密、下請けの技術情報を、社長として四十年以上漏らさずに扱ってきた人間だぞ。情報の重さと、口の堅さは保証する」
三崎が、小さく頷いた。
「……まあ、秘密保持という点だけを見れば、文句なく適格だな」
そして、三崎は別の観点からこの症例を高く評価した。
「医者の目から見ても、指の屈筋腱の古傷というのは、第一例目の検証対象として非常に悪くない」
啓介が首を傾げた。「そうなの?」
「『効果の判定(評価)』が圧倒的に楽だからだ」
三崎は自分の手をパーにして、それからゆっくりと握り込んだ。
「例えば治療前。親父さんに拳を握らせる。右の薬指だけ、指先が手のひらまで届かず、数センチの隙間が残る。その隙間の距離、曲がる角度、握力、痛みの程度、触覚、古い手術痕の状態。それらをすべて数値化して、左手と正確に比較・記録できる」
そして、もし魔法が成功すれば。
「治療後にもう一度握らせる。その隙間がゼロになっていれば、誰の目にも明らかだ。……『なんとなく痛みが減った気がします』みたいな曖昧な主観評価に頼るより、よっぽど確実な証拠になる」
相馬が同意した。
「経営者的な視点から見ても、最初の検証例としては非常に分かりやすくていい」
だが、啓介が一つだけ懸念を口にした。
「でもさ。相馬のお父さんにも、『俺の魔法』のことを全部教えることになるぞ」
先日、「情報を開示するメンバーは極力増やさない」という基準を作ったばかりだ。
相馬が答える前に、三崎が言った。
「全部教える必要はないだろ」
「え?」
「今回は、あくまで『検証協力者』としての協力だ。お前の持っている《創世札典》のシステムだの、マナの概念だの、バインダーだのといった裏側の仕様まで、すべてを開示する必要はない」
今回、相馬の父親に説明する情報は以下の通りだ。
・啓介には、現実の身体状態へ干渉できる特殊な能力(魔法)がある。
・十分な安全性データはない。三崎の膝で一例だけ成功している。
・長期的なリスクは分からない。想定外の異常が起きても、この能力で治療前の状態へ戻す手段は確認されていない。
・治療前後の詳細な検査と、長期的な追跡調査に協力してほしい。
・この話は、絶対に第三者へ話さないでほしい。
ここまでだ。
《一年若く》のカードの存在。毎日のマナのやり繰り。青梅の山林。予言アカウント《明日のログ》。
そして、アカネの存在。
それらの情報は一切不要だ。見せる必要もない。
「情報開示基準が、ここでちゃんと機能するわけだ」啓介は納得した。
数日後の、週末。
啓介のマンションのリビングに、相馬浩平が、一人の初老の男性を連れてきた。
相馬の父親、相馬征一。
いかにもドラマに出てくるような「昭和の豪快でワンマンな社長」といった風体ではなく、どちらかといえば物静かで、理知的な雰囲気を持つ年長の経営者だった。息子である浩平によく似て、変なところで慎重そうな目つきをしている。
征一へ余計な情報を増やさないため、アカネは別室のキャリーケースで待機させている。
治療の前段階として、すでに三崎が征一に必要な医学的記録の取得と問診を済ませていた。
征一は、ソファに座るなり啓介をじっと見て言った。
「……浩平から、大まかな話は聞いたよ」
「はい」
「最初は、息子がついに変な新興宗教にでも騙されて入信したのかと思った」
相馬が隣で苦笑した。
「俺も、お前らに説明されながら、全く同じこと思ってたよ」
征一への詳細な説明は、医師である三崎が担当した。
三崎は、「特殊な気功」だの「最新の細胞治療」だのといった嘘や誤魔化しを使って同意を取るようなことはしなかった。
「普通の医療ではありません。我々はこの現象を『魔法』と呼んでいます。原因も、作用機序も、現代科学では全く説明できません」
三崎は、一切の誇張を交えずに事実だけを並べた。
「私自身の右膝の古傷で、一例だけ完全な修復に成功しています。……ですが、長期的な安全性のデータは全くありません」
「今日は、治らない可能性も十分にあります。逆に、想定外の副作用が起きる可能性もゼロとは言えません。さらに、もし能力そのものが原因の異常が起きても、こちらには治療前の状態へ巻き戻す方法がありません」
征一は、黙って三崎の説明を聞いていた。
「……何かあった時に、同じ魔法で元へ戻すこともできないんだな」
「はい。通常の医療で対処できる異常なら可能な限り対応します。ただ、この能力自体を取り消す方法は確認されていません」三崎はそこで一度言葉を切った。
「親父、そこまで含めてだ。嫌なら絶対にやらなくていい。俺たちも無理強いする気はない」
だが、征一は少しだけ口角を上げて笑った。
「お前が、得体の知れないものを赤の他人に試す前に、まずは身内で一人、条件に合う検証例を増やしておいた方がいいと考えたから、俺を呼んだんだろ?」
征一は息子を見た。「……女房にもか?」相馬が頷く。「少なくとも今はな」
征一は少し考えてから頷いた。「分かった。俺の指が動くようになった理由も、俺からは誰にも話さない。その条件と、何かあっても元に戻せないことまで含めて引き受ける。……なら、やるよ」
治療前の最終記録が始まった。
三崎が、徹底的にデータを取る。
写真。動画。右手と左手の比較。
指の各関節の可動域。
「拳を、力一杯握ってみてください」
征一が、右手をグッと握り込む。
親指、人差し指、中指、小指は手のひらにピッタリとつく。だが、薬指だけが、どうしても最後まで閉じきらない。
指の第一関節が曲がりきらず、指先の腹と手のひらの間に、ポッカリと隙間が空いている。
三崎が定規を当てて測定する。
「……右薬指、指尖手掌間距離(しせんしゅしょうかんきょり)、約18ミリ」
握力も左右で測る。ただし、握力は他の指の力も使うため、あくまで補助データだ。
征一が、自分の右手を見つめながら言った。
「別に、これのせいで日常生活が送れなくて困ってるってほどじゃない。飯も食えるし、字も書ける。……でも、ペンチやドライバーを強く握り込む作業をすると、今でもこの薬指の筋が突っ張るような、嫌な違和感が残ってるんだ」
十五年間。
もう、本人もその状態に慣れきってしまっている、完全に固定された古傷。
啓介は、ゆっくりと息を吐き、《創世札典》を呼び出した。
バインダーを開き、カードを確認する。
《古傷の修復》
生命2+知識1。
対象:相馬征一。右薬指屈筋腱損傷、およびその直接的後遺症。
「……じゃあ、やります」
「お願いします」
啓介が、征一の右手にそっと自分の手を翳した。
「《古傷の修復》、使用」
バインダーから、生命の濃い緑色の光と、知識の青白い光が溢れ出した。
二色の淡い光が、征一の右手をふわりと包み込む。
派手な再生の描写はなかった。
肉が蠢いたり、骨がバキバキと鳴って組み替わるような、映画のような恐ろしい光景もない。
ただ、静かに光が浸透し。
数秒後。
光が霧散して消えた。
それだけだった。
征一が、自分の右手を不思議そうに見つめた。
「……もう、終わりか?」
「たぶん」と啓介。
三崎が、静かに言った。
「……ゆっくりでいいです。指を動かしてみてください」
征一が、右手の指を一本ずつ動かす。
人差し指。中指。
そして、薬指。小指。
グッ、と拳を握り込む。
右薬指の指先が。十五年間、決して届かなかったその指の腹が。
手のひらの皮膚に、ピタリと、完全に触れた。
「…………」
征一の動きが止まった。
信じられないものを見るように、もう一度、ゆっくりと手を開く。
そして、握る。
開く。握る。開く。握る。
何の引っかかりもない。突っ張るような違和感もない。
ただ、若い頃と同じように、当たり前に指が曲がるだけだ。
浩平も、その横で息を呑んで見つめていた。
三崎は、無言ですぐにカメラの録画ボタンを押し、数値を記録し始めた。
「……動く、な」
征一が、ぽつりと呟いた。
大声で歓喜して泣き崩れるようなことはなかった。ただ、その淡々とした一言に、十五年分の重みがあった。
相馬の反応も、父親に似ていた。
相馬はすでに、アカネという『竜』が実在するのを目の当たりにしている。だから、魔法そのものが存在するという事実には、もう驚かない。
でも。
「人間の、十五年前の完全に固定された後遺症が、たった数秒で消え去る」という現実の医療的奇跡を見るのは、今日が初めてだった。
相馬は、親父の右手を見て、空中のカードを見て、啓介を見て、三崎を見た。
「……本物、だな。これ」
「アカネが実在するのは、もう見ただろ」
「そういう意味じゃない」
相馬は真剣な顔で言った。
「こっち(医療)だよ。……人間の治療として、本当に成立するだけの効果が、現実に出てる」
征一本人の反応も、過剰ではなかった。
何度も拳を握り込み、少しだけ苦笑した。
「……十五年も動かなかったもんだから、急に普通に動く方が、逆に気持ち悪いな」
「今日は、あまり無理に使いすぎないでくださいね」
三崎が即座に注意した。
「せっかく治ったのにか?」
「治った直後だからこそです。魔法で組織が正常化していたとしても、親父さんの脳の身体感覚(ボディイメージ)や筋肉の使い方は、『十五年間曲がらなかった状態』に慣れきってしまっています。急に負荷をかけると、別の場所を痛める可能性があります」
魔法で組織が治っても、人間の長年の運動習慣まで自動でアップデートされるとは限らない。三崎らしい、極めて慎重で真っ当な医学的指導だった。
啓介が、三崎に聞いた。
「……これで、成功か?」
三崎は首を振った。
「短期的にはな。……今日、指が曲がった。だから治療は完全に成功しました、で終わらせる気はない」
今後、24時間、1週間、1ヶ月、3ヶ月と追跡調査を行う。
征一も、「分かった。いつでも付き合うよ」と快諾してくれた。
啓介のノートに、実績が刻まれる。
《Phase 1:古傷の修復・外部対象初期検証》
第一検証協力者。治療実施。
直後:機能の完全な改善を確認。
ただし、最終判定は『保留』。
今日はこれ以上、何もしない。
帰り際、玄関で靴を履きながら、征一が啓介に向かって言った。
「治ったとはいえ、なんというか……若い頃の手の感覚に完全に戻った、って感じではないんだな」
啓介は頷いた。
「そこは、そういう魔法(若返り)じゃないんです」
「なるほど。今の六十五歳の俺の年齢で、もしあの時怪我をしていなかったらこういう手になっているはずだ、っていう状態なのか」
「たぶん、それが一番近い表現だと思います」
征一は「なるほどな」と深く頷き。
最後に、隣にいる息子に向かって、社長としての顔で言った。
「浩平」
「何?」
「……これは、絶対に『金』の扱いを間違えるなよ。身の丈に合わない金が動けば、必ず人が死ぬぞ」
相馬は、親父の目を見て短く答えた。
「分かってる」
ドアが閉まり、相馬の親父が一人で先に帰っていった。
リビングに、三十六歳の男三人が残された。
別室のケージから出してもらったアカネが、パタパタと戻ってきて啓介の肩に乗った。
しばらくの沈黙。
相馬が、もう一度深く息を吐いた。
「……すげえな」
「だろ?」
「いや。今までの話、理屈では頭で理解してたんだけどさ」
相馬は、自分の右手を見つめた。
「十五年前からずっと曲がらなかった親父の指が、たった数秒で普通に動くのを目の当たりにすると……」
少し言葉を探してから、言った。
「これ、俺が最初に想像してたより、遥かにヤバいぞ」
そして、相馬は次の一言を放った。
「なあ」
三崎が、ひどく嫌な予感がしたのか顔をしかめた。
「……何だ」
相馬が、極めて真剣な顔で聞いた。
「これ、いずれ『癌』とかの不治の病も、治せるようになるんじゃないのか?」
リビングに、重い沈黙が落ちた。
啓介は、肩のアカネの頭を撫でながら、ごく普通に答えた。
「……たぶん、もうできると思うぞ」
相馬の目がカッと見開かれた。
「は?」
三崎が頭を抱えた。「おい、門倉」
「いや、だってさ」
啓介は手元のノートを開いた。
そこに書かれた、現在の啓介のマナ基盤の構成。
現在、1日7マナ。
《借宿》任意1。
《五彩の魔石》任意1。
《生命樹の苗床》生命1。
《思索の計数盤》知識1。
《小さな工房箱》物資1。
《名もなき雑木地》生命または物資1。
《アカネの守り巣》境界1。
「癌の治療を、『悪い細胞だけを魔法で消して終わり』じゃなくて」
啓介は、システムエンジニアの顔で要件を組み立てた。
「医学的に特定・指定された『悪性腫瘍』だけを正確に識別して、その腫瘍細胞を対象から完全に除去する。さらに、その腫瘍が直接破壊した周囲の組織を、対象の現在年齢相当の健康状態まで修復する、という条件にすれば……」
三崎が青ざめた顔で遮った。
「待て待て待て待て!」
だが、啓介も無造作にカードを作るつもりはなかった。能力へ曖昧な要求を投げること自体に危うさがあると知っている。正式なカード作成には進めず、対象も指定しないまま、要件を入力した場合にどの程度のコストになるかだけを試算する。
「分かってる。確定はさせない。発動もしない。コストを見るだけだ」
《悪性腫瘍の切除(試算案)》
仮効果:
医学的に診断・位置が確定された悪性腫瘍を構成する悪性細胞を、対象から完全に除去する。
腫瘍による直接的な組織損傷を、対象の現在年齢相当の健康状態まで修復する。
正常細胞、加齢による変化、腫瘍以外の疾患は対象外とする。
※初期の局所癌(転移なし)を想定。
条件を極限まで絞り込む。
システムが、条件を満たす場合の概算コストを表示した。
生命3。知識2。境界1。
計6マナ。
啓介は、その数字を二人に見せた。
「ほら」
相馬が息を呑んだ。「何がほらなんだよ」
「今の俺のマナ基盤なら、これ、ギリギリ一括で払えるんだよ」
《生命樹の苗床》の生命1。《名もなき雑木地》を生命として使用して1。さらに《借宿》か《五彩の魔石》の任意1を生命へ変換して1。これで『生命3』。
《思索の計数盤》の知識1に、残った任意1を知識へ変換して1。これで『知識2』。
そして、《アカネの守り巣》から生み出される『境界1』。
これでピッタリ支払える。残るのは物資1だけ。
つまり、その日一日のほぼ全魔力を使い果たすことになるが。
「『将来できるかもしれない』じゃなくて。……局所的で、診断がはっきりと確定してる癌なら、今この瞬間でも、魔法として成立する可能性はかなり高いと思う」
三崎が机をドンッと叩いた。
「だから、そんな軽く言うな!!」
三崎の、医者としての怒涛の講義(説教)が始まった。
「いいか。素人が『癌』っていう一単語で全部をまとめるな!」
三崎はホワイトボード代わりにノートに書きなぐった。
「癌は、一種類の病気じゃない。原発部位がどこか。組織型は何か。ステージは。周囲への浸潤の程度は。リンパ節転移は。血中を巡る微小な転移はあるか。過去の治療歴は。……全部違うんだぞ!」
局所的な初期の腫瘍一個と、全身に散らばった末期の転移癌では、治療の難易度(魔法的な処理の複雑さ)が全く違う。
今回啓介が仮設計したカードが、体内の画像に映らないような未検出の微小転移まで自動でスキャンして探してくれるかどうかも、分からないのだ。
「じゃあ、完全に診断済みの、目に見える初期の癌だけなら?」
「最初に考えるなら、そうなるだろうな」
三崎はさらに鋭い指摘をした。
「お前、『腫瘍が画像から消えたかどうか確認するだけだから、指の古傷より効果判定がしやすい』とか、甘いこと思ってるだろ」
啓介は、ちょっと図星を突かれて目を逸らした。
「……まあ、MRIとかCTの画像で腫瘍が消えてれば、治ったって分かりやすいかなって……」
「そこだけ見ればな」
実は、「癌が治る」ということは、検証の観点からは「成功確認が派手すぎる」という致命的な問題を孕んでいた。
「考えてみろ」三崎が言う。
「昨日まで、CTやMRIで明確に腫瘍の影がある。病理検査でも悪性と確定している。……それが、翌日になって、影も形もなく完全消失した。そんなことになったら……」
相馬が顔をしかめた。
「……担当医は、絶対に異常に気づく」
「当たり前だ!」三崎が叫んだ。「しかも、病院のサーバーには、治療前と治療後の画像データが全部明確な証拠として残ってるんだぞ」
相馬の親父の手の古傷なら、「長年の後遺症が、最近なぜかリハビリで調子が良くなって改善した」で、まだ誤魔化しがきく。
だが、癌は違う。
現代医療で厳重に追跡・監視されている重大な疾患が、医学的に説明不能な形で、一瞬にして消え去るのだ。
担当の医師。病院の倫理委員会。検査部門。家族。保険会社。場合によっては、未知の自然治癒の症例として研究対象にされる。
一気に、関係する人間の数が爆発する。
「治るかどうかだけで言えば、白黒はっきりしていて検証しやすい部分もある。……だが、治った瞬間に『一体何をした!?』という強烈な追及の嵐が発生するんだ」
啓介は、ようやく事の重大さを理解した。
「……古傷みたいに、俺たち三人だけでこっそり数人試してデータ取る、ってわけにはいかないのか」
「進行性の癌患者を、完全に既存の医療システムの外で、素人だけで抱え込むわけにもいかないからな」
しかも、癌患者は普通、病院で標準治療(抗がん剤や放射線など)を受けている。魔法の検証をするためだけに、「明日から病院の治療を全部ストップしてください」などと言えるはずがない。
相馬が、経営側のリスクとしてさらに重い事実を追加した。
「それに。万が一、『どんな癌でも一瞬で治せる』なんて情報が外に漏れたら、完全に終わりだぞ」
「終わり?」
「古傷の修復どころの騒ぎじゃない。……世界中から来るぞ」
末期の患者。その家族。藁にもすがる思いの富豪。最先端の製薬企業。医療関係者。メディア。
そして、政治家。国家権力。
全員が、啓介の元へ殺到する。
「『すみません、マナの都合で一日一人しか治せません。今日はもう閉店です』なんて呑気な言い訳、絶対に通用しなくなるぞ」
『誰に使うのか?』という重い問いが、再び突きつけられた。
でも今度は、膝や肩の痛みの話ではない。
文字通り、「他人の生死」が直接絡んでくるのだ。
「誰を選ぶか、という問題が、癌になった瞬間に全く洒落にならなくなる」
三崎が深く同意した。
「ああ。しかも『医療的必要性(重症度)の順』で選ぶことにしたら、今度こそ俺が一人で、本物の命の選別(トリアージ)の責任を負うことになる。俺は神様じゃない」
啓介は、沈黙した。
「病院とか、大学の研究機関と組む?」啓介が言った。
三崎は少し考えて首を振った。「医療面では、いずれ必要になるかもしれない。でも病院一つや大学一つに、秘密管理や全国から来る患者の選定まで背負わせる話じゃない」
相馬も考える。「会社を作って、弁護士や専門家を入れるだけじゃ?」
「法務や事業運営はそれで補える。でも、治療を求める人間が殺到した時の選定ルールや、警察まで絡む騒ぎになった時の対応を、民間会社だけで抱えるのは無理だろ」三崎が答えた。
「……政府が要るな」相馬が、ポツリと言った。
相馬は指を折って数えた。「医療制度。既存の医療法制や薬機法がそもそもどう関わるのか。公的機関との調整。秘密管理。治療対象の選定ルール。緊急時の警察や行政との連携。国家規模の経済的・社会的影響。……俺たち三人だけで抱えきれる話じゃない。最低でも一人、『政府側の論理』が分かる奴がこっち側に必要だ」
三崎も、それに同意した。
「……俺も賛成だ」
啓介は少し驚いた。「お前、そういうの、国や政府に知られるのを一番嫌がると思ってた」
「今でも嫌だよ」三崎は即答した。「いきなり厚労省の窓口に突撃して、『俺の友達が癌を治せる魔法使いです』なんて持ち込むのは絶対に嫌だ。一度正式な案件として動き始めたら、俺たち三人だけでは話を制御できなくなる可能性がある」
でも、と三崎は続ける。
「だからこそ、『もし政府へこの話を持っていくなら、どの順番で、どこの部署に、どこまでの情報を、どういう形で出すべきか』を考えられる人間が、内部に絶対に必要なんだ」
つまり、政府へ即刻告白するのではない。
まず、「信頼できる政府関係者」を一人、チーム側へ引き込めるか検討するのだ。
相馬が言った。
「そういう条件に合う奴、大学のTCG部にいなかったっけ?」
啓介が記憶を探る。
「……いた?」
三崎が思い出した。
「藤堂(とうどう)か」
藤堂亮介。
三人より一学年上の、大学TCG部のOB。
現在、厚生労働省に勤務していることまでは三人とも知っている。ただ、今どの部署にいて、どの程度の役職や裁量を持っているのかまでは正確に知らなかった。
テレビに出るような大物官僚ではない。少なくとも三人が知る限り、特別な権力を持つ人物でもない。
しかし、行政の中で働いている藤堂なら、「この話を政府へ持っていくなら、まず何を確認すべきか」という入口を考えられる可能性がある。
まさに今、三人に足りないピースだった。
TCG部時代の藤堂は、とにかく慎重な男だった。
カードの細かいルールの裁定や、大会の運営実務に強かった。
部内大会のジャッジ、他大学との対外折衝、大学の学生課への面倒な書類申請、大会会場の公民館の手配など、裏方の実務をすべて取り仕切っていた。
昔から、誰かが突飛な企画を提案すると、「それ、誰の許可取ってやるつもり?」と必ず聞いてくる男だった。
啓介が苦笑した。
「……あいつか」
相馬が頷く。「覚えてるだろ」
「ああ。学祭の大会の前日に、会場使用申請の書類の不備を一つ見つけて、俺ら全員を三時間正座させて説教した人だろ」
三崎も遠い目をした。「それだ」
だが、啓介は即座にスマートフォンを取り出して連絡しようとはしなかった。
ここで、決めた《情報開示基準》をもう一度厳密に適用する。
『明確な役割があるか』
政府・行政との接続、および法的・制度的リスクの判断。→十分にある。
『既存メンバーで代替可能か』
三人には、霞が関の行政実務の経験は一切ない。→代替困難。
『長期の信頼実績があるか』
大学時代からの付き合い。→一応あり。
『必要最小限の開示が可能か』
全カードを見せる必要はない。→可能。
『全員の合意があるか』
ここは、まだ検討段階だ。
相馬が言った。
「じゃあ今すぐ電話して『魔法の相談がある』って言おうぜ、とはならない。まずは、最近の藤堂がどういう立場にいるか、普通に会って確認しよう」
「今どの部署で、どんな仕事をしているか。家族構成とかのプライベートじゃなく、『仕事上、この話に触れても潰されない位置(裁量)にいるかどうか』を見極める」
三崎が付け加えた。
「それと、俺らが最後に藤堂と直接会ったの、何年前だ?」
啓介が数える。「……五年前のOB会?」
「じゃあ、あいつの『信用実績』は、五年前の記憶で止まってる。人間、五年も官僚やってりゃ腐る奴は腐る」
良い意味での、徹底した慎重さだった。
藤堂を即座にチームに加入させるのではなく、まずは「普通に久しぶりに会って飲む」。
ただし、魔法を隠したままカマをかけて相手を試すような、不誠実なことはしない。一度普通に再会し、現在の人物像と立場を確認する。その後、三人の合意が取れれば、改めて開示するかどうかを判断する。
啓介が聞いた。
「じゃあ、癌のカードはどうする?」
「保留だ」三崎が即答した。「カード設計の構想メモだけ残しておけ。患者には絶対に使うなよ」
相馬も頷いた。「俺も賛成だ」
啓介は「二対一かよ」と言いかけて、口を閉じた。治せる可能性があるのに、今は使わない。できないから諦めるのとは、まるで違う重さがある。
「……嫌な感じだな。できそうなのに、使わないってのは」「だから使える体制を作るんだ」三崎が静かに返した。
啓介はノートに書き込んだ。
《悪性腫瘍治療案・未確定》
試算のみ。正式なカード作成には進めない。想定コスト:生命3、知識2、境界1。
【未解決課題】
癌種ごとの差異、転移の扱い、未検出病変への効果、長期安全性、病院での標準治療との兼ね合い、主治医への説明、医療記録の矛盾、対象選定ルール、秘密保持、公的機関との関係性。
【使用禁止:以上の受け入れ体制が完全に整備されるまで】
相馬が、そのノートを見て笑った。
「お前さ」
「何」
「この前まで、『三十八万で山買ってマナ一個増えた!』って、大喜びしてたよな」
「今も喜んでるけど」
「そのたった一個のマナが追加されたことで、癌が治せそうになってるの……話のスケール(インフレ)、ちょっとおかしくないか?」
啓介は、天井を仰いだ。
「……俺も今、ちょっとそう思ってる」
三崎が突っ込む。「ちょっとじゃねえよ」
「まずは癌の前に、今日の一例目だ」三崎が話を戻した。
「親父か」相馬が言う。
「そうだ。治療直後に指は動いた。でも、まだ24時間すら経っていない。こっちをきちんと追跡して、データを固めるのが先だ」
「了解」啓介は頷いた。
夜も更け、話し合いが終わった。
啓介はノートを見つめた。
今日だけで、とんでもない情報量が積み上がった。
第一外部症例の実施。《古傷の修復》の短期的な成功。
そして、癌治療が、理論上は現在のマナでも射程内に入っているという可能性の発見。
それに伴う新たな不足――『政府・行政との接続』。
たった一人の親父の、曲がらなかった薬指一本を治しただけなのに。
そこから見える世界(責任の範囲)が、一気に果てしなく広がってしまった。
今までの啓介の認識は、「マナが増えた。次は何ができるだろう?」という、純粋な好奇心だった。
でも今は違う。
「できることが増えすぎた時。俺は、誰と一緒にその『責任』を持つのか」。
相馬が、スマートフォンを取り出して画面を見た。
「藤堂のやつ、まだ連絡先(LINE)変わってないかな」
三崎が言う。「OBのグループには残ってるだろ」
啓介が横から覗き込む。「なんて送るんだ?」
「普通にだよ」
相馬は、文字をフリック入力した。
『久しぶり。今度、三崎と門倉も一緒に飯食わない?』
「軽いな」啓介が苦笑する。
「最初から『国家レベルの重大な秘密があります』なんて送る馬鹿がいるか」
「正論だな」三崎が頷いた。
相馬が送信ボタンを押す直前。
「……お前ら、本当に藤堂でいいんだな?」
啓介と三崎は、少し考えてから、同時に頷いた。
「一度会ってから決めよう」
「同意」
相馬の指が、送信ボタンをタップした。
右手の薬指一本の古傷を消すところから始まったはずの夜。
話はいつの間にか、厚生労働省の官僚を巻き込む計画にまで伸びていた。
「……魔法って、怖いな」
啓介がポツリと漏らすと。
「お前が今さらそれを言うな」
三崎の鋭いツッコミが、妙に重くリビングに響いた。
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