TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~ 作:パラレル・ゲーマー
平日の朝。
啓介はスーツに着替え、マンションの玄関で靴を履きながら、リビングにいるアカネに声をかけた。
「じゃあ、行ってくるぞ」
「あぎゃ」
アカネは、ソファの上に広げられた啓介の古いパーカーの上で、短い前脚を揃えて丸くなっていた。
いつもの朝の光景だ。
啓介はドアを開け、外へ出た。
鍵を閉め、駅へ向かって歩き出しながら、啓介はスマートフォンを取り出した。
そして、ホーム画面にある特定のアプリをタップする。
画面に映し出されたのは、啓介のリビングだった。
アカネを迎えてから必要に応じて室内確認に使っていた、市販の『室内見守りネットワークカメラ』を、最近は留守番確認にも使っていた。
魔法で作ったアイテムではない。数千円で買える、ごく普通の広角・暗所対応のネットワークカメラだ。スマートフォンからリアルタイム映像を確認でき、双方向音声にも対応する。録画は本体のローカルストレージだけに保存し、メーカー側のクラウド録画は無効にしてある。
最近、政府関係者との極秘の会談や、三崎や相馬との検証作業などで、休日や夜に家を空ける時間が増えてきていた。
留守中にアカネがどう過ごしているのか、異常な姿勢で倒れていないか、室温に問題はないか。それらを外出先から最低限確認するためだけに導入したのだ。
(当然だが、カメラ・音声・GPSだけでアカネを遠隔操作して完璧に命令しようなどという、甘い考えは持っていない)。
スマホの画面越し。
アカネは、先ほど啓介が家を出た時と全く同じ位置、ソファのパーカーの上で丸くなっていた。異常なし。
「……別に出勤するだけなのに、何を確認してんだ俺は」
啓介は自分で自分にツッコミを入れ、アプリを閉じて電車に乗った。完全に親バカの行動だった。
会社。
午前中は普通の仕事だった。
システムのエラーチェック、定例会議、クライアントからのメール返信、資料の修正。
魔法もマナも、政府との相談も一切関係ない、三十六歳の中堅SEの平凡な日常が流れていく。
昼休み。
オフィスの自席で、コンビニで買ってきた弁当を広げる。
啓介は箸を割りながら、何となく、ふとスマートフォンの見守りカメラアプリを再び開いた。
画面には、リビングの様子が映っている。
アカネの留守番風景だ。
アカネは。
……何もしていなかった。
ソファの古いパーカーの上。
朝と同じ場所で、完全に丸くなって昼寝をしている。
小さな翼は背中にピタリと畳まれ、短い尻尾も身体の脇に寄せられている。
「……寝てる」
そりゃそうか、と啓介は思った。飼い主がいない間、ペットが家の中で大暴れしたり、魔法の特訓をしたりしているわけがない。ただ寝ているのが一番自然だ。
弁当を食べながら、啓介は数十秒間、その静止画のような映像を眺めた。
たまに、アカネの頭がピクッと少しだけ動く。翼が小さくモゾモゾと動く。寝返りを打つ。
それだけだ。
(……俺がいない時って、こんな感じなんだな)
それだけでも、啓介にとっては妙に新鮮だった。
今まで、啓介の目の前にいるアカネは、常に「啓介がいる状況」でのアカネだったのだから。
その時。
啓介は、アプリの画面の隅にある『マイクのアイコン』に気づいた。
カメラのスピーカー機能だ。
セットアップした時に「あー、テストテスト」と自分の声が通るか試したことはあったが、アカネがいる状態でちゃんと使ったことは一度もなかった。
最初の誘惑だった。
(……今、名前を呼んだら、反応するかな?)
ほんの出来心だった。
学術的な行動実験でも、魔法の検証でもない。完全に、飼い主のただの好奇心だ。
啓介は、周囲の席に同僚がいないことを確認し、スマートフォンを少し顔に近づけた。
会社なので大声は出さない。普通の、少し低めの声で。
マイクのアイコンを押し、短く言った。
「アカネ」
カメラ側。
ネットワークの遅延で、コンマ数秒のタイムラグがある。
一瞬だった。
画面の中の、寝ていたアカネの頭が。
ガバッ!
と、勢いよく上がった。
「お」
啓介は思わず声を漏らした。
明らかに熟睡していたはずのアカネが、即座に覚醒したのだ。
金色の瞳がカッと見開かれている。
アカネが最初に向いた方向。
それは、部屋の壁の隅に取り付けられた『カメラ』の方向だった。
啓介の声が、カメラのスピーカーから物理的に出力されたのだから、当然と言えば当然だ。(だからこの時点で、「俺の声だと完璧に理解した!」と親バカな断定はしない)。
アカネは、パーカーの上で立ち上がった。
短い前脚を突っ張り、小さな翼を少しだけ広げる。
そして、カメラのレンズの方を、ジッと凝視した。
啓介は、スマートフォン越しに小声で呟いた。
「……聞こえた?」
だが、二回目は呼ばない。マイクボタンを押していないので、今の啓介の声はリビングのアカネには届いていない。
アカネが、動いた。
トテトテ、とソファの端を歩き、そのまま床へポンと降りる。
あるいは軽く飛んだのかもしれない。画面の端から、カメラの真下へとやってきた。
アカネの顔が、画面の中で大きくズームアップされる。
金色の目が、カメラのレンズを不思議そうに覗き込んでいた。
啓介は画面を見つめた。
(カメラを見てる? いや、音が出た謎の機械を確認しに来ただけかもしれないな)
アカネは、カメラの真正面で、首をコテンと傾けた。
「あぎゃ?」
マイク越しに、その小さな鳴き声が、啓介のスマホから聞こえてきた。
啓介は、思わず机に突っ伏しそうになった。
(……超可愛い)
危うくもう一回、マイクボタンを押して「アカネ」と呼びかけたくなる衝動に駆られた。
でも、我慢した。
画面の中で、アカネがさらに行動を起こした。
カメラのレンズから視線を外し、トテトテとカメラの横へ回り込む。
そして。
カメラの『後ろ側(裏面)』の壁の隙間を、首を伸ばして覗き込んだのだ。
啓介は目を見張った。
「……え?」
カメラの裏には、当然、ただの壁しかない。誰もいない。
アカネは、もう一度「あぎゃ?」と鳴いた。
そして、カメラから離れた。
ここからだった。
アカネは、リビングの中を歩き始めた。
まず、ローテーブルの下を覗き込む。
次に、ソファの裏側に回り込む。
キッチンのカウンターの方を見る。
犬が獲物を探すように、鼻を床につけて激しく匂いを嗅ぎ回るような動作はしない。
ただ、啓介が普段いるであろう場所へ順番に視線を向け、短い前脚でトテトテと移動していくのだ。
画面の端(画角の外)へ、アカネがフレームアウトして消えた。
「あれ?」啓介が呟く。
数秒後。また画面に戻ってきて、今度は別方向へ向かう。
啓介は、スマートフォンの画面に向かって笑いかけた。
「……何だよお前」
可愛い。たまらなく可愛い。
でも。
啓介の表情が、スッと真顔に戻った。
画面の中で、アカネが最後に『玄関の方向(廊下)』へと向かっていったのを見たからだ。
今朝、啓介が出ていった場所。
アカネの姿は、カメラからは完全に見えなくなった。
マイクから、小さな足音だけがかすかに聞こえてくる。
しばらくして、アカネがリビングに戻ってきた。
アカネは、先ほどよりゆっくりした足取りでリビングへ戻り、ソファの古いパーカーの上に戻ると、小さく身体を丸めた。
玄関の方を一度だけじっと見て、それから目を閉じた。
啓介は、ハッと気づいた。
(……これ、もしかして)
「声は聞こえた」。
でも、「探したけれど、本人がどこにもいない」。
アカネには、ネットワークカメラのスピーカーの原理など分からない。その状況の意味が、理解できていない可能性があるのだ。
ここで、啓介の意識は「ただ可愛い反応を見たい親バカ」から、「責任を持つ飼育者」へと急速に戻った。
最初は、可愛いと思った。
でも、もし今のアカネが、『啓介の声がしたのに、啓介がどこにも見つからない』という状況に、無用な混乱やストレスを感じているのだとしたら。
「……これ、軽い遊びの気分で何度もやるやつじゃないな」
再現性だけを取りたいなら、二回目、三回目と条件を変えて追加観察する方法はいくらでも思いつく。
名前以外の単語を言ってみる。別の他人の声を流してみる。
だが、そのためにアカネをわざと混乱させる理由はない。
でも、やらない。
啓介はマイクボタンから完全に指を離した。
理由。アカネに、意味の分からない状況をわざと繰り返させて、混乱させる必要がどこにもないからだ。
啓介の頭の中で、様々な仮説が並べられた。
・『アカネ』という音の響きに反応しただけ。
・啓介の声質(周波数)に反応した。
・カメラのスピーカーから出る電子音そのものに驚いて反応した。
・啓介の声だと明確に認識した。
・啓介が実際に部屋にいると思って探した。
・単純に、突然の音源を確認した後、気まぐれに部屋を歩き回っただけ。
全部あり得る。
啓介は「俺を探したんだ!」と断定したくなる気持ちを抑え込んだ。
ノートにもそうは書かない。
「……ごめん」
啓介は、スマートフォンに向かって小さく呟いた。
でもマイクはオフになっているから、その謝罪はアカネには届かない。
昼休みが終わり、啓介はアプリを閉じて午後の仕事へと戻った。
一時間後、どうしても少し気になって、一度だけこっそり映像を確認した。(声は出さず、映像を見るだけだ)。
アカネは、パーカーの上で普通にスヤスヤと寝ていた。啓介は胸を撫で下ろした。
啓介は、仕事用のメモ帳の端っこに、私用として一行だけ走り書きをした。
『遠隔スピーカー:緊急時以外、安易に使用しないこと』
それだけだった。
夜。
啓介がマンションに帰宅した。
玄関のドアの前に立ち、鍵を取り出す。
(さて。今回はどうするか)
ガチャ、と鍵を開け、ドアノブを引く。
玄関のドアを開けた時点で。
アカネが、廊下の途中までトテトテと迎えに来ていた。
普段より大げさに飛びついてきたり、泣き叫んだりするようなドラマチックな反応はない。一番自然な、いつもの出迎えだ。
「ただいま」
啓介が声をかけると、アカネはピタッと立ち止まった。
金色の目で啓介を見上げ。
「あぎゃ!」
そして、パタパタと軽く飛んで、啓介のすぐ近くまでやってきた。
啓介は、しゃがみ込んでアカネに言った。
「……今度は、本物だぞ」
アカネは、ヒョイッとジャンプして啓介の肩へ乗った。
前脚をビシッと揃え。翼を背中にピタリと畳む。
定位置で、ちょこん、と座った。
啓介は、スーツのままリビングへ歩きながら、肩のアカネに言った。
「昼は、悪かったな」
「あぎゃ?」
アカネは首を傾げた。もちろん、謝られている理由など分かっていない。
啓介は、リビングのソファに座り、試しにではなく普通に声をかけた。
「アカネ」
アカネは、啓介の肩の上で、声のした方向(啓介の顔)へスッと首を向けた。
今回は。
声の方向を見るだけで、カメラの裏や部屋の中を探し回るような行動は一切しなかった。
当然だ。声の主である啓介本人が、今、目の前にいるのだから。
啓介は、これだけで「だから昼間のカメラの音声も、俺本人だと認識していたんだ!」と完全な証明にするつもりはなかった。
ただ、「昼と夜で、行動が違った」。その事実があるだけだ。
夜遅く。
啓介は、留守番カメラ本体へローカル保存された録画データを少しだけ見直した。
正式な研究や検証のログにするためではない。単に、昼の場面をもう一度見たかっただけだ。
スピーカーからの音。アカネが飛び起きる。
カメラの裏を覗く。ソファの下を見る。廊下へ向かい、玄関の方へ消える。
そして、先ほどよりゆっくりした足取りで戻ってくる。呼びかけからパーカーへ戻るまで、録画上ではおよそ二分十秒だった。
啓介は、そこで数日前までの留守番録画もざっと確認した。室内を歩くことや玄関方向へ行くこと自体は過去にもあったが、『カメラへ接近し、背後を確認してから室内を回る』という同じ流れは、確認した範囲では見つからなかった。
「……今日だけ見ると、やっぱり探してるように見えるな」
そして、すぐに自己修正する。
「『ように見える』、までだな」
啓介はノートを開き、記録を書き込んだ。
《アカネ・留守番時観察》
日時:平日昼。
条件:啓介不在。留守番カメラのスピーカーから、一度だけ「アカネ」と呼称。
【観察事実】
・睡眠中から即座に覚醒。
・音源であるカメラの方向を見る。
・カメラへ接近し、側面および背後を確認するような移動。
・その後、リビング内および玄関方向へ移動。
・呼びかけから約二分十秒後、元の休息場所へ戻る。※この時間の意味は未評価。
・追加の呼びかけは行わず。その後、通常の休息へ復帰。過去数日分の録画では、同一の一連行動は確認できず。ただし室内移動や玄関方向への移動自体は過去にもあり。
【推測】
原因不明。候補:名前の音、啓介の声質、突然のスピーカー音、単なる音源探索、啓介本人の探索など。
啓介は、絶対に『啓介を探した』とは書かなかった。
そして、運用ルールを変更する。
『遠隔スピーカーは、今後、緊急性のない呼びかけには使用しない』
『理由:音声の意味や、声の主がその場にいないという状況を、対象(アカネ)がどう認識・処理しているか不明であり、無用な混乱を招く恐れがあるため』
啓介はペンを置き、ため息をついた。
「……ただ一回、名前呼んだだけで、また運用ルールが一個増えたぞ」
「あぎゃ」
「お前のせいじゃないぞ。軽はずみだった俺のせいだからな」
アカネは、首を傾げた。
夜。
啓介がソファに座り、スマートフォンで昼の録画の静止画(スクリーンショット)を見ていた。
カメラの裏を覗き込んでいる、アカネのアップの画像だ。
啓介は、無意識に呟いた。
「……可愛い」
その声に反応して、古いパーカーの上で寝ていたアカネが、顔を上げた。
啓介は笑った。
「いや、今のはお前を呼んでない」
「アカネ」という名前は言っていない。「可愛い」と呟いただけだ。
それでも顔を上げた。
ということは、名前という単語そのものに反応したわけではなく、啓介の声(発声)に反応しただけなのかもしれない。
やっぱり、真実は分からない。
寝る前。
啓介がベッドに向かうために席を立つと、アカネがトテトテとついてきた。
これは普段通りの行動だ。
啓介は、足元のアカネを見下ろして言った。
「今日はちゃんとここにいるから、探さなくていいぞ」
「あぎゃ?」
昼間。
留守番カメラのスピーカーから名前を呼んだだけで、小竜はカメラの裏まで覗き込み、部屋の中を歩き回った。
それが本当に啓介を探した行動だったのかは、まだ分からない。
だから啓介は、もう一度試すことはしなかった。
夜。
「アカネ」
「あぎゃ」
今度は声の主が、ちゃんと目の前にいた。
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