TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~ 作:パラレル・ゲーマー
土曜日の朝。
啓介はマンションの駐車場で、車のトランクに荷物を積み込んでいた。
工具箱、電動ドライバー、水準器にメジャー。防腐処理がされた数本の木材と、ポリカーボネートの波板、雨樋のパーツ、短いホース、そして各種の固定金具。
さらに、いつものように飲料水や清掃用具も乗せる。
後部座席では、キャリーケースの中に入ったアカネが、啓介が荷物を出し入れするたびに「あぎゃ?」と不思議そうに首を傾げていた。
今日は、数日ぶりに青梅の山林へと向かう日だ。
車を走らせながら、啓介は今日の目的を頭の中で整理した。
「……今まで、完全に『あとでやるリスト』の肥やしになってたからな」
《第一作業拠点》を作った際、啓介は意気揚々と「雨水タンク」を設置した。
しかし、そのタンクそのものはあるものの、水を受けるための「屋根(集水面)」がないため、雨が降ってもタンクの蓋が濡れるだけで、中は一滴も貯まらない空の箱のまま放置されていたのだ。
「今日の目標は、あそこの『独立雨水集水架台』の完成だ」
ただし、大掛かりな木造建築を建てるわけではない。
ここで啓介は、用途を厳密に限定している。
貯まった雨水は、絶対に『飲料水』としては扱わない。
泥のついたスコップや長靴を軽く洗う。作業後の手を水洗いする。作業台の上の木屑や泥を流す。緊急時の消火や清掃に使う。
その程度の「ごく限定的な雑用水」だ。
だから、当然だがアカネの飲み水としても扱わない。
山林でも、アカネの水分補給には今まで通り、啓介が持参した安全な清水だけを与える。
そもそも山の雨水をアカネへ飲ませて、何か体調を崩させるような余計なリスクを取る理由がない。三崎に知られれば、当然そこも指摘されるだろう。
青梅の山林へ到着した。
車を既定の路肩に停め、安全確認後にアカネをキャリーから出す。
「よし、行っていいぞ」
アカネはパタパタと飛び立ち、まずは一直線に《アカネの守り巣》へと向かった。
門の周囲を確認し、屋根へ上がり、宝物棚のプルタブとワッシャーをチェックする。いつもの帰宅ルーティンだ。
啓介は、カートに資材を載せて《第一管理通路》をゴロゴロと引きながら進んだ。
通路は、前回の雨上がり点検以降も特に崩れたりぬかるんだりすることなく、正常な状態を維持している。
《第一作業拠点》も異常なし。危険木を処理した跡地周辺も、新たな土砂流出はない。
「異常なし。よし」
点検は数分で終了した。ここまでは順調だ。
「さて」
啓介は、作業拠点の脇にポツンと置かれている空っぽの雨水タンクの前に立った。
雨を集めるなら、一番手っ取り早くて効率的な方法がある。
すでに立派な屋根が完成している、《アカネの守り巣》の屋根から雨樋を引いてくることだ。
だが、啓介は一瞬だけその屋根を見て、すぐに首を横に振った。
「……いや、これは無しだ」
即却下だった。
《アカネの守り巣》は、アカネが安全に暮らすための専用の保護設備だ。
そこに、人間側の「便利だから」という理由だけで、集水用の雨樋やホースを後からぶら下げて寄生させるような真似はしない。
屋根に不要な荷重がかかるし、落ち葉が詰まった時のメンテナンスで頻繁に家をいじらなければならなくなる。漏水のリスクもあるし、何より、水を使うために啓介が頻繁にアカネの家のすぐ横まで接近することになる。
「小竜の家を、人間の都合で勝手に水道設備と兼用にするな」
啓介は独り言のように呟き、人間用の設備とアカネ用の設備を分けるという、これまでの方針をそのまま守った。
今回作るのは、作業拠点のすぐ横に独立して設置する、約1.2メートル×1.5メートル程度の「小型の集水専用屋根」だ。
軽量なフレームを組み、波板を乗せて傾斜をつけ、雨樋で水を受けてホースでタンクへと流し込む。ホームセンターで買える資材だけで組める、ごく簡単な構造だ。
啓介は、まず屋根を設置する場所の選定から始めた。
ここでも、彼らしい慎重さが発揮される。
地面をじっと見る。
既存の木の幹から十分に離すこと。地表に這い出ている大きな木の根を避けること。
雨水が自然に流れている既存の筋(水路)を塞がないこと。
管理通路の幅を狭めないこと。アカネが守り巣へ出入りする時の飛行動線を邪魔しないこと。そして、作業台からも手を伸ばしやすい距離であること。
「設備を土地(自然環境)へ合わせる。土地を設備へ無理に合わせようとしない」
先日ノートに書いた『青梅山林管理原則』が、自然に実践されている。
啓介が最初に「ここに置きたい」と思った場所には、太い立木の根が走っていた。
昔の啓介なら「ちょっとスコップで根を削れば平らになるな」と思ったかもしれない。
でも今は違う。
「……じゃあ、設備の位置を二十センチずらす」
ただそれだけだ。人間の設備のために、生きた山を傷つけない。
アカネが、自分の家の点検を終えてパタパタと飛んできた。
作業拠点の端っこ、いつもの防水カバーが掛けられた端のスペースにふわりと着地する。
前脚をビシッと揃え、翼を背中にピタリと畳んで。
ちょこん、とお座りした。
「今日は水たまり、ないぞ」
啓介が、先週の点検時のことを思い出して冗談交じりに言った。
当然、アカネには言葉の意味は分からない。「あぎゃ」と短く鳴いただけだった。
「よし、始めるか」
啓介は電動ドライバーを取り出した。
「アカネ。今こっち来るなよ」
電動工具を使う時は、必ずアカネを同じ作業面(テーブルなど)から物理的に離す。既存の安全ルールだ。
高度な遠隔命令で縛り付けるわけではない。アカネが離れているタイミングで作業を進め、近づいてきたら手を止めるという、アナログな安全確保だ。
フレームを組み上げる。メジャーで寸法を確認し、水準器で足の水平を取る。
ポリカーボネートの波板をネジで固定し、水が流れるための適切な勾配(傾斜)をつける。
そして、雨樋を取り付け、短いホースを繋いでタンクの流入口へと導く。
「雨は上から下に落ちるだけなんだから、簡単だろ」
啓介はそう高をくくっていたのだが。
実際には、波板の勾配、雨樋の設置位置、流入口の高さ、タンクの置き場所、ホースの自然な取り回し。これらすべての要件が、微妙に数センチずつ噛み合わないのだ。
「……水は、俺の書いた仕様書通りに流れてくれないからな」
啓介は、汗を拭いながら一人でSE的な愚痴をこぼした。
「ただ重力に従って落ちるだけの単純なシステムのくせに、意外と要求される物理要件が多い」
案の定、一回組み上げた状態で確認すると、雨樋の設置位置が数センチ低すぎて、タンクへ向かうホースが途中で「逆勾配(上り坂)」になってしまった。
「駄目だ。これだとホースの途中に水が溜まって、虫が湧く」
やり直しだ。ネジを外し、高さを調整する。
ここで重要なのは。
啓介は、「面倒くさいから魔法で一瞬で直してしまおう」とは一切考えなかったことだ。
物資マナはある。新しいカードを設計すれば、数秒で完璧な勾配を作れるかもしれない。
でも、これは普通のホームセンターの資材を使った、ただのDIYで済む作業なのだ。魔法を使う理由がない。
この「現実の泥臭い作業で解決できることは、現実でやる」という態度こそが、最近の啓介の成長だった。
測る、切る、固定する、調整する、雨樋を接続する。
作業を始めてから、とっくに三十分は過ぎていた。
結果として、啓介が所有する《小さな工房箱》の「七日以内に三十分以上の実制作・修繕・保守作業を行う」という魔法の維持条件も、ごく自然に、ただの日常タスクとして満たされることになった。
(システムからの大袈裟な『条件達成!』という通知はない。啓介自身が後で「これで今週の維持も問題なし」と内心で確認する程度だ)。
作業中、アカネは。
最初こそ、新しい金属フレームが気になって様子を見に来ていたが。
啓介が電動ドライバーの「ギュイィィン!」という音を鳴らすと、嫌がってサッと距離を取った。
音が止まると、またトテトテと近づいてくる。
完成間近の、まだ固定されていない波板の屋根の上へ、アカネがパタパタと飛んで乗ろうとした。
「あ、まだ駄目。固定終わってない。危ない」
啓介が慌てて手で遮る。
「待て!」と命令を連打して縛り付けるのではなく、物理的に安全を確保する。
昼過ぎ。
ついに、《第一作業拠点・独立雨水集水架台》が完成した。
見た目は、極めて地味だ。
いかにもホームセンターの資材で作りました、という感じの、ただの斜めになった波板の屋根。それが、雨水タンクの横に立っているだけ。
啓介は、少し離れた場所から腕を組んでそれを眺めた。
「……思ったより、普通だな」
そりゃ普通だ。魔法は一ミリも使っていないのだから。
設備の構造はこうだ。
雨が降る。波板の屋根に当たる。
勾配に従って、一方向へと水が流れる。
集まった水が、屋根の端に付けた雨樋へ落ちる。
雨樋を通って、短いホースへと流れ込む。
ホースの先端につけた簡易的なゴミ除けの網を通り抜け、最後にタンクの流入口へと落ちる。
(ちなみに、一番最初の雨降り始めには、屋根に積もった埃や花粉が混ざる可能性がある。だが、今回はあくまで『雑用水限定』であり、高価なファーストフラッシュ分離装置までは作っていない。必要になったら後日考える)。
「よし。じゃあ、試運転(通水テスト)だ」
雨が降るのを何日も待つ必要はない。啓介は、持参していた2Lのペットボトルの水を取り出した。
ただし、タンクを満水にするために大量の水を無駄遣いするわけではない。あくまで「想定した流路の通りに水が落ちるか」を確認するためだけの、少量のテストだ。
啓介は、完成した波板の屋根の一番高い(上端の)位置から、ゆっくりとペットボトルの水を流し始めた。
サァァ……。
水が、ポリカーボネートの波板の溝に沿って、綺麗な音を立てて流れ落ちていく。
雨樋に集まり、コロコロ……という音に変わる。
ホースの中を通り抜け。
最後。
タンクの上の流入口から。
ポタッ。ポタッ。ポタッ。
その時だった。
作業拠点の端の防水カバーの上で、畳んだ翼を整えていたアカネの動きが。
ピタッ。
完全に停止した。
アカネは、突然響いたその「水音」の方向へと、首をスッと向けた。
金色の瞳が、見開かれている。
啓介は、水を流しながらそれに気づいた。
「ん?」
二滴目。
ポタッ。
アカネが、防水カバーからトテトテと降りた。
三滴目。
ポタッ。
さらに、トテトテと近づいてくる。
啓介は不思議に思った。
「……お前、そっち行くの?」
アカネが近づいていったのは、啓介が水を流している波板の屋根でもない。水の流れが見える雨樋の部分でもない。
水が旅を終える一番最後の場所。
『タンクの流入口(ホースの出口)』のすぐ横だった。
掌サイズのアカネが、自分より大きな雨水タンクの横に立ち、首を少し上に伸ばすようにして、その出口を見上げている。
水が、落ちる。
ポタッ。
アカネの頭が、その水滴が落ちる軌道に合わせて、カクッと小さく下に動いた。
ポタッ。
また、水滴が落ちる。
アカネの頭が、またカクッと動く。
完全に、落ちてくる水滴の一滴一滴の動きを、金色の目で追っているように見えた。
啓介の脳裏に、先週の記憶がフラッシュバックした。
雨上がりの山。八個の浅い水たまり。そのすべてに、わざわざ降りていって足を踏み入れていたアカネの姿。
「……お前、もしかして、水……」
『好きなのか?』と言いかけて、啓介は言葉を飲み込んだ。
即座に仮説を並べる。
『水そのものが好きなわけではないかもしれない』。
ただ動いているもの(落下物)の軌道を本能的に追っているだけかもしれない。
水滴に光が反射してキラキラしているのが気になるのか。
ポタッという音が面白いのか。
地面の土とは違う、液体の動きが不思議なのか。
単に、今日新しくできた設備だから警戒して見ているだけか。
あるいは、啓介が何か作業をしているから、真似して見ているだけなのか。
全部、あり得る。
だから、啓介はノートを取り出して「新たな生態発見!」などと大袈裟に記録することはしなかった。
まだ親バカの観察の域を出ていない。啓介はただ、作業を続けながら黙って見守った。
2Lの水は、すぐに流し終わった。
屋根の上の水が引き、雨樋からホースへと流れる音も止まる。
最後にホースの中に残っていた水が、ゆっくりと出口へ集まり。
ポタッ。
……数秒の間。
……ポタッ。
そして、完全に水は止まった。
啓介はペットボトルを置いた。
「よし。テスト終了だ」
だが。
アカネは、まだタンクの流入口をジッと見上げていた。
啓介が声をかける。
「おい。もう水は出ないぞ」
アカネは、出口から目を離さない。
「…………」
「いや、本当にもう水は空っぽ。終わり」
アカネが、啓介の方をチラリと見て、
「あぎゃ?」
と不思議そうに鳴いた。
啓介は、一瞬だけ考えた。
(もう一本、ペットボトルの水流してやったら、どうするかな?)
でも、すぐに思いとどまった。可愛い反応を引き出すために、生き物を実験のおもちゃにするのは違う。
だが、今回は「設備の流路テストとして必要な確認」が、もう一回だけ残っていた。
最初のテストで、雨樋とホースの接続部分から、水が二、三滴ほど外へポタッと漏れていたのを見つけたのだ。
「あそこ、締め直してもう一回テストだな」
これなら、自然な作業の延長だ。アカネを観察するためではない。
啓介はホースのバンドをドライバーで締め直し、予備のペットボトルの水を500mlほど屋根に流した。
サァァ……。
水が流れる音がした瞬間。
アカネは、即座にタンクの出口の方へ顔を向け、また首を伸ばしてジッと見上げ始めた。
啓介は、無言でそれを見た。
「……」
これで少しだけ、確率は上がった。でも、「再現性が取れた! 水滴好き確定!」とはしゃぐようなことはしない。
なぜなら二回とも、同じ日、同じ場所、同じ設備、同じ刺激によるものだからだ。データの客観性としてはまだ弱い。
ここで重要なのは、アカネはあくまで「見ているだけ」ということだ。
落ちてくる水滴に向かって前脚を出そうとしたり、口を開けて飲もうとしたりする行動は一切なかった。
今回は、ただ水滴の落ちる先を見ているだけだった。
水へ触れようとも、飲もうともしない。その違いだけは、はっきりしていた。
啓介は、アカネが見ている横で、真面目に完成検査(レビュー)を続けた。
屋根の固定は十分か。ぐらつきはないか。雨樋の勾配は確保されているか。ホースは抜けないか。タンクの流入口はズレていないか。水漏れは解消したか。管理通路側へ水が溢れていないか。《アカネの守り巣》へ影響はないか。立木の根元へ集中して排水されていないか。
問題が一つだけあった。
波板の屋根の端っこから、雨樋に入りきらなかった少量の水が、想定外の方向(地面)へこぼれ落ちていたのだ。
二リットルの試験水では地面をえぐるほどではない。だが、本降雨ではこの何倍もの水が継続して流れる。啓介は端部の位置を少し調整し、こぼれる量を減らした上で、次の雨ではこの場所を重点的に確認することにした。
以前、雨上がりの点検で管理通路が問題なく機能していた時は「完璧だ」と喜んだが、今回は違う。
「よし。まあ、初回試験(単体テスト)としてはOKだな」
その程度の評価だ。本番は、実際の雨が降った時だ。
「次に普通の雨が降った時に、ちゃんとタンクに水が溜まるか確認だな」
啓介は呟いて、工具を片付け始めた。
アカネは。
まだ、水が止まったホースの出口をジッと見上げていた。
「いや、だから今日はもう一滴も出ないって」
昼。
《第一作業拠点》の椅子に座り、啓介はコンビニで買ってきた簡単な昼食をとった。
アカネはいつものように、啓介がパンをかじる様子を少し眺めてから、自分のおもちゃで遊び始めた。
ここで、一度「水滴」への興味は完全にリセットされて切れた。
午後。
片付けの作業も終盤。
ホースの中に、水滴が一つだけ残っていたらしい。
表面張力でギリギリ耐えていたその最後の一滴が、啓介が片付けの振動を与えた拍子に、ゆっくりと出口まで滑り落ちてきた。
啓介はホースを片付けながら、それに気づいた。
ポタッ。
タンクの中に、小さな音が響いた。
その瞬間。
バサッ!
遠くで遊んでいたはずのアカネが、音に反応して即座にタンクの方へ顔を向け、飛んできたのだ。
啓介は呆れた。
「……お前、まだそんなの気にしてたのかよ」
啓介の頭の中で、二つの光景が並んだ。
先週の、地面の『水たまり』。
今日の、落ちてくる『水滴』。
共通点は「水」だ。
でも、反応が違う。
先週は、溜まった水へ「自分から足を入れた」。
今日は、落ちる水を「ただじっと観察した」。
これだけの情報で、「こいつは水そのものが好きなんだ」と一般化して語ることはできない。
啓介は、帰宅前に山の管理記録ノートへ書き込んだ。
《第一作業拠点・雨水集水設備》
・施工完了。
・独立式小型集水屋根、雨樋、ホース、タンク接続。
・人工通水試験:問題なし(軽微な水漏れは調整済み)。
・本降雨時の実際の動作:未確認。
・守り巣の既存設備との物理的接続:なし。
・周辺の自然排水、立木の根への影響:初回確認では問題なし。
・次回雨後点検対象とする。
そして、その下。
《小さな工房箱》の項目。
「本日の実作業時間……二時間以上。自分で測って、組んで、固定して、調整した。工房箱の維持条件も、これで問題なしだな」
それだけだ。システムからのメッセージはない。物資マナの追加報酬もない。あくまで現実の日常作業の記録として処理した。
次に、アカネの観察メモを別枠で書く。
《アカネ・水関連観察》
・人工通水試験時、雨樋の出口付近からの落水を継続して観察する行動を確認。
・通水停止後も、しばらく出口方向を注視。
・接続修正後の二度目の通水試験でも、同様の反応。
・ただし、水へ直接触れる、または飲もうとする行動は一切なし。
・理由:不明。
その下の【推測】の欄。
啓介はペンを止めた。
この前の留守番カメラの時は、仮説を「名前の音、声質、機械音……」といっぱい並べた。
でも今回は。
「水音、光の反射、動き……まあ、いくらでも考えられるな」
啓介は、ただ一言。
『以前確認した水たまりへの進入行動との関連性:不明』
とだけ書き込んだ。
啓介は、少しだけ自分自身の変化に気づいた。
昔の自分なら、「どうして見ているのか」の理由を、是が非でも分析して仮説を立てたくなったはずだ。
でも今は、「アカネが見せる可愛い現象の理由を、全部ロジカルに解明しなくてもいい」と思えるようになっている。
「別に、何で水滴を見てたかまで俺が分からなくても、別に誰も困らないしな」
啓介が言うと、近くにいたアカネが、
「あぎゃ」
と鳴いた。
帰る前。
啓介は雨水タンクの蓋を開け、中を確認した。
先ほどの試験用の水が、底の方にほんの少しだけ溜まっている。まだ雑用水として実用できるような量ではない。
蓋をしっかり閉め、ホースの接続とゴミ除けの網を確認する。
アカネは、タンクそのもの(ただの大きな緑色の箱)には、全く興味を示さなかった。
「……溜まった水じゃなくて、やっぱり落ちてくる『動き』の方が面白いのか?」
だが、それも不明のままだ。
車へ工具を積み込み、アカネをキャリーケースへ入れる。
アカネは普段通り、おとなしくケースの中へと収まった。
夜。マンションへ帰宅後。
啓介は、リビングで数日先の天気予報をチェックしていた。
来週の半ばに、また青梅方面で普通の雨の予報が出ている。
「よし。次の雨で分かるな」
その時にアカネがまた何か反応するなら、自然な行動として見ておけばいい。だが、アカネの反応を試すために雨の日を選ぶわけではない。
啓介が自分で作った『集水設備』が、本物の雨でちゃんと機能するかどうかの確認だ。
「まあ、タンクの方が、な」
啓介は独り言を言って、ふと我に返った。
「……お前の方の反応を確認しようとしてどうするんだよ、俺」
ソファの上の古いパーカーで丸くなっていたアカネが、顔を上げた。
「あぎゃ?」
啓介は、今日山で撮ったスマートフォンの写真を見返した。
完成した《独立雨水集水架台》の全景写真だ。
波板の屋根。雨樋。ホース。タンク。
ただの地味な設備写真だ。
だが、その写真の右下の隅っこ。
タンクの流入口のすぐ横で、首を伸ばして、ホースの出口をジッと見上げている、掌サイズのアカネの姿が小さく写り込んでいた。
啓介は、その写真を指で少しだけ拡大した。
「……本当に、何を見てたんだろうな」
「あぎゃ」
雨水タンクの集水設備は、啓介の設計通りに完成した。
水も、予定通り屋根から樋を通ってタンクへと落ちた。
予定外だったのは。
その最後の一滴が落ちてくるのを、小竜がいつまでも飽きずに待っていたことだけだった。
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