TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~   作:パラレル・ゲーマー

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第43話 雨水タンクを確認しに行ったら思ったより水が溜まっていたらしい

 水曜日。

 昼休みのオフィスで、啓介はデスクでコンビニのサンドイッチをかじりながら、スマートフォンを開いていた。

 

 青梅方面の天気予報と、過去の雨雲レーダーの推移を確認する。

 数日前に確認していた予報の通り、昨日の夜から今朝にかけて、青梅周辺ではまとまった雨が降ったらしかった。

 

 豪雨ではない。大雨警報が出たわけでもない。土砂崩れや強風を心配するような台風でもない。

 《第一管理通路》や《アカネの守り巣》について、会社を早退して緊急確認に走らなければならないようなレベルの異常気象ではなく、ごく普通の「まとまった雨」だ。

 

 啓介は、スマートフォンの画面を眺めながら小さく呟いた。

「……降ったな」

 

 周囲の同僚から見れば、休日のゴルフの予定か何かを気にしているサラリーマンにしか見えないだろう。

 本当なら、すぐにでも仕事帰りに現地へ行って様子を確認したかった。

 先日作った『雨水集水設備』が、本物の雨でどう機能したか、あるいは機能しなかったかを確かめたくてたまらなかったからだ。

 

 だが、夜の暗い山林へ、わざわざランタンを点けてまで踏み込むような危険な真似はしない。

 啓介は手元のアプリを切り替え、青梅の山林に設置してある監視カメラの映像だけを遠隔で確認した。

 

 映像は静かだった。

 目立った倒木はなし。明白な土砂崩れや斜面の崩落もなし。《アカネの守り巣》の周囲にも大きな異常は確認できない。《第一作業拠点》の設備にも、遠目で見て分かるような屋根の破損や倒壊はない。

 

「とりあえず、カメラ越しに見える範囲は問題ないか」

 だが、啓介はそこで「カメラで異常がないから、今週の現地確認はパスでいいや」とはしなかった。

 

 今回新設した雨水集水設備については、「本降雨後の実際の動作を現地で確認すること」そのものが、管理項目として未完了のまま残っているのだ。

 啓介は、週末の土曜日に必ず現地へ行くことを決めた。

 

 土曜日の朝。

 マンションの駐車場で、車のトランクにいつもの点検道具を積み込んでいた。

 長靴。軍手。簡単な工具箱。点検記録用のノート。

 

 啓介は、バッグにノートを入れる時、先日政府関係者の久世たちと会談した時のページがふと目に入った。

 

『追加管理対象(草刈り等の出張):最大七か所』

 

 啓介は、その文字を見て少しだけ顔をしかめ、小さく息を吐いた。

「……まあ、まずは自分の持ってる一か所を、ちゃんと管理してから考えるか」

 

 国という巨大な組織から、マナを増やすために土地を七つ借りる。

 そんな途方もないスケールの話をしたばかりの同じ週に。

 自分はこれから、三十八万円で買った自分の小さな山の『雨上がりの点検』に、長靴を履いて向かうのだ。

 

 三十八万円の山の雨後点検と、国有地を借りる話の落差に少しだけ笑いそうになりながら、啓介は車のドアを閉めた。

「政府の特別案件への予行演習だ!」などと意気込む必要はない。これはもともと予定していた、ただの日常の山の管理だ。政府の壮大な話が、後から勝手に重なってきただけだ。

 

 いつものようにキャリーケースでアカネを運び、青梅の山林へと到着した。

 既定の路肩に車を停め、安全確認後にアカネを外へ出す。

 

「よし、行っていいぞ」

「あぎゃ」

 アカネはパタパタと飛び立ち、迷わず《アカネの守り巣》の方角へと向かっていった。

 いつもの帰宅ルーティンだ。アカネは、いつものように自分の家の周辺を確認して回っている。

 

 啓介は、カートを引きながら、まずは足元の《第一管理通路》の点検から始めた。

 雨上がりで、一番気になるのは新しく作った雨水タンクの方だ。早く見に行きたい気持ちはある。

 だが、そこへ真っ直ぐ向かうようなことはしない。

 

「先に、足元からだな」

 この地道な慎重さが、システムエンジニアである啓介の基本だった。

 まずは、車を置く進入口付近。次に管理通路。斜面の排水状況。危険木を処理した跡地周辺。そして最後に作業拠点と集水設備。

 順番通りに確認していく。

 

 管理通路。

 前回同様、大きな崩れはない。

 ただ、今回は本当に本降雨の直後だ。

 通路の表面の土はまだ少し湿っており、一部には濡れた落ち葉が張り付いている。雨水が流れた細かい筋の跡も確認できる。

 しかし、通路そのものが川のように水路化してえぐられている箇所はない。カートの車輪が埋まるような深い轍(わだち)もできていない。土砂が大量に流出している場所もない。

 

 啓介は頷いた。

「よし。こっちは大丈夫だな」

 以前行った、ぬかるみ対策の砕石や、水の流れを避けたルート設計が、ちゃんと継続して機能している。

 ただし、ノートには「完璧な施工だ!」などと大袈裟には書かない。

『普通降雨後、通行に支障なし。新規の損傷および浸食なし』と、事実だけを淡々と記録する。

 

 危険木を処理した跡地の周辺も、軽く歩いて確認した。

 カメラの死角になっている角度も、自分の目で見て回る。新たな大枝の落下や、根元の浮き上がりはない。

 雨と風で新しく倒れたらしい小さな枯れ枝が何本かあったので、それを拾って通路の邪魔にならない脇へと移した。

 大作業ではない。十五分程度の軽い清掃だ。

 

「……やっぱり、カメラで見て『何もなさそう』っていうのと、実際に自分で歩いて『何もない』って確認するのは、意味が全然違うな」

 

 啓介は独り言のように呟いた。

 先日の会議でシステムから提示された「土地の管理には継続的な現地確認等の実態が必要」という条件も、こうして自分で歩けばよく分かる。

 遠隔監視システムに丸投げするだけでは、本当の管理とは言えないのだ。

 

 一通りの外周点検を終え、啓介はついに《第一作業拠点》の前に立った。

 

 作業拠点の脇。

 先日作ったばかりの《独立雨水集水架台》。

 

 集水用の小さな波板の屋根は、ちゃんと傾斜を保ったまま立っている。風で飛ばされたり、波板が破損したりしている様子はない。

 雨樋の金具も外れていない。短いホースも、タンクの流入口にしっかりと接続されたままだ。

 そして、その下にある雨水タンク。

 緑色の不透明なタンクは、外から見ただけでは中にどれくらい水が入っているのか全く分からない。

 

 啓介は、タンクの蓋に手をかけようとして。

「……さて」

 その前に、周囲を見渡した。アカネの位置確認だ。

 

 もしアカネがすぐ近くのカバーの上などにいた場合、啓介がタンクの蓋を開けた瞬間に、興味本位で縁へ飛び乗ってきて、中に落ちる危険性がある。

 タンクは深い。水が入っていればなおさら危険だ。

 

 アカネは少し離れた枝の上にいたが、啓介は念のため声をかけた。

「アカネ、待て」

 アカネは、その枝の上でピタッと動きを止め、前脚を揃えてちょこんとお座りした。

 よし。これなら安全だ。

 

 啓介は、タンクの蓋のロックを外し、ゆっくりと持ち上げた。

 

 中を覗き込む。

「……おお」

 

 啓介の口から、感嘆の息が漏れた。

 底の方にちょっとだけ水滴が残っている、というレベルではない。

 目に見えて、たっぷりと水が溜まっていたのだ。

 

 派手な感動でバンザイして喜ぶようなものではない。

 でも、じわじわとした、確かな嬉しさがあった。

 

 先日、ペットボトルで少量の水を流して人工テストをした時は、「まあ流路は問題ないな」という単体テストの確認だけだった。実際の雨でどれくらい集水できるかは未知数だった。

 

 それが今、本番環境でちゃんと結果を出している。

 自分が寸法を測り、木材を切り、フレームを組み、波板を固定し、勾配の計算を間違えて何度かやり直した、あの地味なDIYの設備が。

 雨が降っている間、啓介がマンションで寝ている間にも、ここで勝手に働き続けて、水を集めてくれていたのだ。

 

「……ちゃんと仕事してるな、お前」

 啓介は、屋根とタンクを撫でて労いたくなった。

 

 啓介はメジャーを取り出し、少しだけ数字(定量データ)を出してみることにした。

 タンク内の水深を測る。容器の底面積と形状から、おおまかな現在の容量を算出する。

 

「……大体、二十五から三十リットルくらいか」

 正確な一リットル単位まで知る必要はない。今後の管理に使える目安が分かれば十分だ。

 

 スマートフォンの天気アプリで、過去数日の周辺の降水量(mm)をざっくりと確認する。

 集水屋根の面積は、約1.2メートル×1.5メートルで、約1.8平方メートル。

 仮に降雨量が十数ミリだったとすれば、理論上の集水量は数十リットルになる計算だ。

 屋根の端からの水の損失、雨樋への入り損ね、ホース内に残留した分などを考慮すれば。

 

「まあ、このくらいの量が溜まってても、計算上はおかしくないな」

 魔法は一切関係ない。マナも関係ない。

 完全に、普通の物理法則と現実の道具だけを使った、雨水利用の成果だった。

 

 啓介は、用途の再確認を行った。

 水が溜まっているからといって、「やった! これで美味しい山の水が飲めるぞ!」とは絶対にならない。

 

 水の色を見る。わずかに濁りがある。

 臭い。特に嫌な腐敗臭はしない。

 大きな異物。ホースの先端につけたゴミ除け網のおかげで、落ち葉や虫の死骸などは浮いていない。

 

 だが、啓介はこれを検査機関に出して「飲用可能判定」を受けようなどとは思わなかった。

 用途は最初から限定している。

 スコップについた泥を軽く洗い流す。長靴の泥落とし。作業台周辺の簡易な清掃。緊急時の補助的な消火用水。

 それだけだ。人間は絶対に飲まないし、当然アカネにも飲ませない。

 

 啓介は、試しに泥のついたスコップの先を、タンクから汲み出した少量の水で洗ってみた。

 普通に泥が落ちる。ちゃんと使える。

 

「よし。これで毎回毎回、清掃用の水をポリタンクに入れて車で運んでくる手間が省ける」

 本当に地味だが。土地の管理拠点としての機能性が、これでまた一歩、確実に便利になったのだ。

 

 しかし、設備が一度の雨で何も問題なく完成するとは限らない。

 啓介は、ある「問題箇所」の確認に向かった。

 

 先日、ペットボトルで人工通水試験をした際、屋根の端っこから少量の水が雨樋に入りきらず、想定外の方向(地面)へこぼれ落ちていたのだ。

「本降雨時は、ここを重点確認する」と決めていた場所だ。

 

 屋根の端の真下、本降雨後の地面を見る。

「……やっぱり、ここか」

 

 他よりも明らかに強く濡れた跡があり、水が集中して落ちたことで、軽く表土が流された跡ができていた。

 ただし、木の根が露出するほど深くえぐられているわけではない。大きな穴になっているわけでも、斜面が崩壊しているわけでもない。管理通路への泥の流入もなかった。

 

「被害は軽微だけど、放置すればいずれ穴になるな」

 対処が必要だ。

 

 啓介は考えた。

 最初に思いつくのは、「落ちた水を逃がすために、地面をスコップで掘って溝を作るか?」という案だ。

 だが、すぐに却下した。

「いや。地面側(土地側)を削って水を逃がす必要はないな。原因になってる『屋根側』を直せばいいだけだ」

 

 《青梅山林管理原則》。

『設備を土地(自然環境)へ合わせる。土地を設備へ無理に合わせようとしない』。

 その原則が、ここでもしっかりと適用される。

 

 短い雨樋の端部を少し延長するか。小さな水切り用の部材を追加するか。あるいは波板の端の角度を少しだけ調整するか。

 すべて、ホームセンターの部材で数百円で直せる範囲のマイナーな改修だ。

 

「よし、寸法だけ測って、次回予備の端材と金具を持ってきた時に直そう」

 啓介はメジャーで必要な長さを測り、ノートにメモした。

 

 先日の人工通水試験では、すでに二度、水を流して流路そのものは確認している。

 今日確認したいのは、本物の雨が降った後に設備がどう働いたかだ。

「再確認は、また次回の普通の雨が降った後で十分だ」

 設備管理は、一度に百パーセント完全解決する必要はないのだ。

 

 アカネは。

 今日、アカネは水滴の落ちる先をジッと追ったりはしなかった。

 水たまりを巡ってピチャピチャと踏み回ることもなかった。

 

 啓介が、タンクの水深を確認するために長い測定棒を差し込んでいた時のこと。

 確認を終え、蓋を閉じて安全な状態になった後、啓介が測定棒を地面に置いた。

 アカネがトテトテと近づいてきて、その測定棒の濡れた先端をジッと見た。

「それは木の枝じゃないぞ」

 アカネは鼻先で軽くフンフンと匂いを確認しただけで、くわえて持ち去ったりはしなかった。

 

 啓介が濡れた長靴で作業拠点を移動していると、アカネはそのすぐ横でちょこんと座っている。

 啓介が歩き出すと、踏まれないように邪魔にならない位置へトテトテと少しだけズレる。

 その程度だった。

 

 今日はただ、いつものように啓介のそばで休んでいる小竜だった。

 

 一通りの点検と記録を終え、昼になった。

 《第一作業拠点》の椅子に座り、啓介は持参したコンビニのサンドイッチで昼食をとった。

 アカネも、すぐ近くの切り株の上で丸くなって休んでいる。

 

 啓介は、今日午前中に自分がやった作業を思い返した。

 朝、車で青梅まで移動。

 雨後の通路確認。斜面の水流確認。カメラの死角の歩行確認。落枝の処理。守り巣の点検。雨水設備の確認と水量測定。排水異常の確認。小修正の寸法の記録。

 

 これで、午前中がほぼ完全に潰れている。

 

 啓介は、サンドイッチを飲み込みながら。

「…………」

 ノートを開いた。

 そこに書かれている、先日の政府との会談のメモ。

 

『追加管理対象:最大七か所』

 

 啓介は、その文字をじっと見つめた。

「……この作業を。七か所?」

 

 一か所を半日かけて見て回った直後だからこそ、その数字が急に現実味を帯びた。

 

 啓介は、自分の頭で現実的なシミュレーションを行った。

 草刈りや危険木の伐採処理は、お金を出して外注業者に任せることができる。今日の落枝処理程度でも、場合によっては業者に頼めるだろう。

 でも。

『業者からの報告を読む』『現地の状態を正しく理解する』『対応の必要性を判断する』『問題があれば適切な指示を出す』。

 そして何より。

『定期的に、自分自身の足で現地を見て確認する』。

 

 それは、管理者である啓介自身がやらなければならないのだ。

 システムも「本人の実質的な管理実態が必要」と明言している。

 

 しかも、国が用意する七つの土地の状態は、全部違うはずだ。

 深い森林かもしれない。平地かもしれない。使われなくなった施設の敷地かもしれない。何が来るか、まだ全く分からない。

「『同じチェックリストを七枚コピーして業者に渡して、はい終わり』なんて簡単な話には、絶対にならないよな」

 

 システムエンジニアとしての啓介の脳が、リソース不足の警告(アラート)を鳴らした。

 

 ここで、啓介は新しい重要なポイントに気づいた。

 

 政府側の久世は、「マナの色を散らすために、土地の性格(性質)を散らす」と言っていた。

 それは、魔法のポートフォリオとしては非常に合理的だ。

 でも、土地が全国にバラバラに散らばりすぎると……啓介が物理的に移動して管理できなくなる。

 

 つまり、今後の『候補地の選定』において。

 ・独立した別の土地カードとしてシステムに認識される程度には、それぞれ現実上独立した土地であること。

 ・しかし、啓介が休日を使って定期的に見回りに行ける『移動の負担が現実的な範囲』であること。

 ・管理の難易度が、一人で抱えきれないほど過剰ではないこと。

 ・土砂崩れなどの緊急対応が頻繁に必要になりにくい、安定した土地であること。

 ・草刈りなどの外注業者を、その地域で確保しやすいこと。

 

 これらが、マナの色と同じくらい重要な選定条件になってくるのだ。

 

 啓介は呟いた。

「……久世さんに、『魔法的に面白そうな土地』じゃなくて、『俺が現実的に管理できる土地』を優先してリストアップしてもらわないと、俺が過労死するな」

 

 一瞬。

「じゃあ、この青梅の山のすぐ周辺で、隣同士じゃない土地を七つ固めて用意してもらえば、見回りも楽じゃないか?」

 という効率化案が頭に浮かんだ。

 

 だが、すぐに自分で却下する。

「……いや。近くても現実上ほとんど一体の土地なら、別の土地カードとして認められない可能性があるのか」

 

 システムの判定基準に『固定された距離の数値はない。利用実態や土地としての独立性などを総合して判定する』とあったのを思い出す。だから、最適化はそんなに単純ではないのだ。

 

「遠すぎても俺が死ぬ。近すぎてもシステムの判定が怪しい。……面倒くさ……」

 啓介は、深くため息をついた。

 固定距離で決まらない以上、これ以上は実際の候補地を見て判断するしかない。

 

 帰宅前。

 啓介は、本日の山の管理記録をノートに清書した。

 

 《青梅山林管理記録》

 内容:雨後点検。

 ・第一管理通路:通行に支障なし。新規浸食なし。

 ・危険木処理周辺:異常なし。

 ・新規の大枝落下:なし(小枝のみ撤去)。

 ・第一作業拠点:異常なし。

 ・雨水集水設備:本降雨後の集水機能を初確認。

 ・タンク貯水量:約25~30L。雑用水として利用可能な状態。

 ・屋根端の一部:雨樋外への落水痕あり。後日端部調整にて対応予定。次回降雨後、同位置を再確認。

 ・《アカネの守り巣》:異常なし。

 

 ここで、システムからの派手な通知は鳴らない。

 土地マナが「+1」されたりもしない。

 土地カードの名前や効果が変わったりもしない。

 ただ、普通の現実の管理をして、記録を書いただけだ。

 

 記録を終えた後、啓介は何となく《創世札典》のバインダーを呼び出し、土地カードのステータスを見た。

 《名もなき雑木地》。

 何も変わっていない。生み出すマナは、『生命または物資1』のままだ。

 

「……まあ、そうだよな」

 啓介はバインダーを閉じた。

 雨水タンクがたった一回ちゃんと機能したくらいで、この土地そのものの本質(魔法的評価)がいきなり一段階上がるわけがないのだ。

 それでいい。

 むしろ最近の啓介は、現実側で何か一つ改善するたびに、すぐ魔法側でも変化が起きるとは期待しなくなっていた。

 

 撤収作業。

 雨水タンクの蓋がしっかり閉まっているか確認する。ホースの接続。工具の収納。

 すべてを終え、アカネをキャリーケースへ入れる。

 

 今日、アカネは何も特別なことをしなかった。

 水たまりも踏まない。水滴も見つめない。ただ啓介のそばで休んでいただけだ。

 それが、逆に啓介には心地よかった。

 

「今日は、お前、めちゃくちゃ普通だったな」

「あぎゃ」

「普通が一番なんだけどな」

 

 夜。

 マンションに帰宅した啓介が、風呂から上がってソファでくつろいでいると。

 アカネは、いつものように古いパーカーの上で丸くなっている。

 

 スマートフォンのLINEの通知が鳴った。

 藤堂からだった。

 

『例の土地の件』

『最初の候補が、こちらで出た』

『いきなり七か所全部じゃない。まず三か所だ』

 

 啓介の指が止まった。

「……早いな、国は」

 

 続けて、簡単なPDFの資料データが送られてきた。

 啓介はファイルを開いた。

 三つの候補地は、性格(用途)が明確に分けられているようだった。

 ただし、まだ詳細な地名や面積のデータまでは書かれていない。見出しだけだ。

 

『候補A:青梅とは別地域の小規模山林』

『候補B:旧公共施設系(廃校等の跡地)』

『候補C:平坦な未利用地系』

 

 藤堂から、追加のメッセージが届いた。

『久世さんから伝言』

『門倉が、現実に定期的に足を運んで管理可能な範囲であることを、最優先条件に入れている』

『移動時間(インターチェンジからの距離等)も含めてスクリーニング済みとのこと』

 

 啓介は、画面を見つめて小さく息を吐いた。

「……さすがだな」

 ちょうど今日のお昼、自分が山で悩んでいたことだ。

 

『七マナ欲しいから、適当に七つ土地をくれ』ではない。

『七つの土地を、現実の人間が自分の足で管理し続けられなければ、七マナにはならない』。

 少なくとも、「土地さえ用意すればいいわけではなく、啓介本人が管理し続けなければ意味がない」という点は、政府側もすでに候補地の選定条件へ反映していた。

 

 啓介は、今日自分が手書きで書いた山の管理ノートと。

 スマートフォンの画面に表示された、政府からの候補地資料を並べて見た。

 

 片方のノートには。

『雨樋の端部調整』『落枝確認』『タンクの貯水量』『次回の雨後確認』という、極めて局所的で泥臭い、個人のDIYの作業記録。

 もう片方の画面には。

『国有地貸付候補三件』という、国家規模のプロジェクトの初期資料。

 

 啓介は、思わず乾いた笑いを漏らした。

「……雨樋直してた日の夜に、国有地の資料見ることになるとは思わなかったな」

「あぎゃ?」

 パーカーの上のアカネが、不思議そうに顔を上げた。

 

 啓介はスマートフォンを伏せた。

 

 今日確認したこと。

 たった一つの山を維持するだけでも、自分の目で見て確認しなければならない項目は、意外と多い。

 そして。次に見に行かなければならないのは。

 国が用意した、三つの候補地だ。

 

 雨水タンクには、啓介の思っていた通り、ちゃんと雨水が溜まっていた。

 問題は。

 この先、同じように「自分が責任を持って、ちゃんと見に行かなければならない場所」が、あといくつ増えるのかということだった。

 




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