TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~ 作:パラレル・ゲーマー
土曜日、午前四時半過ぎ。
夜の静寂が最も深く沈み込む時間帯。啓介は自宅のリビングで、ブルーライトの冷たい光を放つ会社支給のノートパソコンと向き合っていた。
画面の端で、社内チャットの通知アイコンが静かに点滅する。
夜間運用チームからの最終報告だった。
『本番更新、正常終了しました』
『データ件数照合、外部連携、監視項目、すべて問題ありません。お疲れ様でした』
啓介は小さく息を吐きながら、自分でも手元のコンソールを叩き、念のためにシステムの動作ログを確認する。
データの不整合はない。連携先のシステムも正常に稼働している。金曜日の夕方に冷や汗をかきながら急遽追加した、冗長化サーバーの停止・再開手順も、寸分の狂いなく機能していた。
『確認しました。運用チームの皆さん、夜間作業お疲れ様でした』
短く返信を打つ。直後、同じく夜間待機していた後輩の佐伯からもチャットが飛んできた。
『無事に終わりましたね……! 昨日、門倉さんに見つけてもらえて本当によかったです。あれが漏れてたらと思うと、今でも胃が痛いです』
啓介はキーボードを叩きながら、苦笑を漏らす。
『見つけたのはチーム全員だ。それに、手順漏れを出したのは俺の確認不足でもある。まあ、本番で事故らなきゃ全部オーケーだ。今日はもうPC落として、ゆっくり休め』
送信キーをいつもより少し強めに叩き、ノートパソコンを完全にシャットダウンする。
画面が真っ暗になると同時に、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れ、どっと深い疲労が全身に押し寄せてきた。
「……終わったぁ……」
啓介はソファの背もたれに深く体重を預け、天井を仰いだ。
首は凝り固まり、腰はミシミシと悲鳴を上げている。眼球の裏側は砂を噛んだように熱く、思考は鈍く霞んでいた。
《日々の修繕》を使えば、この不快な疲労感も一瞬で消え去る。
しかし、今日——正確には日付が変わって土曜日になった今日——は、五日間の苦行の末に手に入れた、《五彩の魔石》が初めて起動できる日なのだ。
つまり、啓介の魔法使いとしての人生において、初めて「2マナ」という潤沢なリソースを自由に行使できる記念すべき日。
(寝れば治る疲れに、せっかくの2マナを使うのは勿体ないな)
限界に近い肉体を引きずりながらも、啓介の意識はどこまでも前向きだった。
スマートフォンの目覚ましを午前九時半にセットし、寝室のベッドへ倒れ込む。
泥のような眠りに落ちる直前、啓介の頭の中にあったのは、仕事の安堵ではなく、これから呼び出す小さな奇跡の姿だった。
午前九時半。
アラームの電子音に叩き起こされ、啓介は重い瞼を開けた。
睡眠時間は五時間弱。まだ関節の端々に疲労は残っているが、徹夜明けの最悪のコンディションというほどではない。
顔を洗い、少し熱めのシャワーを浴びて強引に交感神経を叩き起こす。
トーストを一枚焼き、目玉焼きを作り、コーヒーメーカーでいつもより少し多めのコーヒーを淹れた。
朝食の乗ったプレートとマグカップをリビングのローテーブルに運び、座る前に、啓介は部屋の遮光カーテンをピシャリと閉め切った。
朝の光を遮断したのには理由がある。
万が一、これから呼び出す存在が窓際へ飛んでいき、外から誰かに目撃されるような事態を未然に防ぐためだ。
準備は整った。
啓介は仕事机の引き出しから、クッションケースに入った《五彩の魔石》を取り出し、ローテーブルの真ん中に置いた。
透明な水晶の内部では、生命、知識、熱量、物資、境界の五色の光が、小さな銀河のように静かに巡っている。
「バインダー」
声に出して呼ぶと、膝の上に重厚な《創世札典》が顕現した。
ページを開く。
最初の枠に収められた《借宿》と、そのすぐ下に新しく定着した《五彩の魔石》。
二枚のカードが、どちらも日次起動が可能であることを示す、静かで力強い光を宿している。
今日使うカードは、完成した日からずっと決めていた。
《掌乗りの小竜/Palm-Sized Drake》
生物・竜
必要マナ:生命1・境界1
手のひらに乗る大きさの従順な小竜一体を、十分間召喚する。
小竜は飛行できるが、攻撃能力を持たない。
世界を焼くには小さすぎる。
カーテンを破るには十分だった。
啓介はまず、《借宿》のカードに触れ、「生命」のマナを1点引き出す。
淡い緑色の光球がふわりと浮かび上がる。
続けて、《五彩の魔石》に触れ、「境界」のマナを1点引き出す。
神秘的な紫色の光球が緑の光と並んで浮かび、ゆっくりと旋回を始める。
「……これが、2マナ出るってことか」
これまで、どれほど魅力的なカードを思いついても、手札には1マナしかなかった。
常に選択と妥協を強いられてきた啓介にとって、二つの光が同時にバインダーの上に浮かんでいる光景は、ただそれだけで圧倒的な豊かさの証明だった。
啓介は《掌乗りの小竜》のカードに手を置き、呼吸を整えた。
「《掌乗りの小竜》、使用!」
宣言と同時に、緑と紫、二つのマナの光球が弾け、混ざり合いながらローテーブルの何もない空間へと降り注いだ。
光の粒子が収束し、直径三十センチほどの小さな魔法陣のような幾何学模様を空中に描き出す。
その光の渦の中心から、まず、赤銅色の小さな頭がヌルリと現れた。
次に、華奢だが力強そうな前脚、丸みを帯びた胴体、細くしなやかな尻尾、そして、薄い皮膜で覆われた小さな翼。
ポンッ。
軽いポップ音とともに光が霧散し、ローテーブルの木目の上に『それ』が着地した。
頭から尻尾の先までの全長は、およそ二十五センチほど。
翼を広げれば四十センチ前後になるだろうか。
全身は深みのある赤銅色の硬そうな鱗で覆われているが、腹側だけは薄いクリーム色の柔らかそうな皮膚になっている。
小さな額には、まだ丸みを帯びた短い角が二本ちょこんと生えており、猫のように縦に細い瞳孔を持った金色の瞳が、キョロキョロと周囲を見回している。
小竜は自分のいる場所を確認すると、すぐ目の前に座っている啓介を見上げた。
そして、コテン、と小首を傾げた。
「あぎゃー?」
高く、どこか甘えたような鳴き声。
啓介は、手にしたコーヒーカップを口に運ぶことも忘れ、完全にフリーズしていた。
数秒間、人と竜が見つめ合う沈黙が流れる。
「……っく、可愛いな、こいつ……!」
思わず漏れた啓介の第一声は、三十六歳の男らしからぬ、完全にデレ切ったものだった。
恐る恐る、啓介は右手を差し出す。
小竜は警戒する様子もなく、啓介の指先の匂いを確かめるように鼻をクンクンと近づけ、それから自分からすりすりと頭を擦りつけてきた。
触れた鱗は、見た目ほど硬くなく、爬虫類のような冷たさもなかった。むしろ、哺乳類のような確かな体温が指先から伝わってくる。
喉元に指を当てて撫でてやると、小竜の身体の奥から小さな振動が伝わってきた。
クルルルル……。
猫が喉を鳴らすのと全く同じ、機嫌の良い時に出す音だ。
啓介が少し力を入れて頭を撫でてやると、小竜は気持ちよさそうに目を細め、細い尻尾をパタパタと左右に振った。
「すげえ……本当に、生きてるみたいだな」
厳密に言えば、これは《創世札典》によって召喚された存在だ。どこから来たのか、何によって身体が構成されているのかは、まだ分からない。
それでも、触れた感触、伝わってくる体温、啓介の行動に対する反応、そのすべてが「本物の生き物」と区別がつかなかった。
小竜は啓介の指から離れると、ローテーブルの上をテトテトと歩き回る探検を始めた。
そして、啓介のマグカップから立ち昇る湯気に興味を持ったのか、カップの縁に前脚を掛けようとする。
「おっと、待て待て!」
啓介は慌ててマグカップを遠ざけた。
「それは俺のだし、熱いから近づくな。火傷するぞ」
「あぎゃ?」
理解しているのかいないのか、小竜はまた首を傾げた。
諦めたのか、次は翼をバサッと広げた。
ぱた、ぱたぱたぱた。
小さな羽ばたきの音とともに、小竜の身体がふわりと空中に浮かび上がる。
最初はローテーブルから十センチほどの高さを、少しふらつきながら一周した。
飛ぶ感覚を掴んだのか、徐々に高度を上げ、啓介の頭のすぐ上を通過し、ソファの背もたれへと器用に着地する。
「おー、飛んだ飛んだ」
感心して見上げていると、小竜はさらに高く飛び上がり、今度は窓際のカーテンレールへと向かっていった。
そして、鋭い小さな爪をレールに引っ掛けようとした瞬間。
「ああっ! そこは駄目だ!!」
啓介は思わず立ち上がって叫んだ。
「フレーバーテキストを実証しようとするな! 賃貸のカーテン破ったら退去時に面倒なんだよ!」
大声に驚いたのか、小竜はバサバサと慌てて軌道を変え、Uターンして啓介の肩へと不時着した。
「あぎゃー……」
なぜ怒られたのか分からない、といった風な、少し不満げな声。
啓介は肩に張り付いた小竜の顎の下を、指の腹で優しく撫でた。
「怒ってない。怒ってないから。ただ、カーテンと壁紙だけはやめてくれ。大家さんに敷金引かれる」
ひとしきり小竜の挙動を観察したところで、啓介はふと、食べかけのトーストに目をやった。
肩に乗った小竜も、同じようにトーストを見つめている。
「……そういえば、お前って何を食べるんだ?」
肉食なのか。昆虫なのか。それとも、小さくてもドラゴンなのだから「新鮮な生肉を持ってこい」とか言い出すのだろうか。
手のひらサイズとはいえ、生き物を飼うとなれば、食費や排泄物の処理、臭いの問題など、現実的な飼育コストが発生する。今後も日常的に召喚するつもりなら、ここは明確にしておかなければならない。
啓介は《創世札典》のシステムに向けて問いかけた。
「システム。この召喚した生物には、食事や水分補給が必要なのか?」
視界の端に、無機質な文字が浮かび上がる。
『召喚生物は、カード効果に明記されていない限り、食事および飲水を必要とせず、維持に必要なエネルギーは使用されたマナによって賄われます』
『ただし、安全な物品を嗜好行動として摂食することは可能です』
『排泄その他の生物学的代謝は発生しません』
「……ああ、そうなんだ」
妙に現実的な心配をして損をしたような気分になる。
小竜が啓介を見上げて鳴く。
「あぎゃー?」
「お前、飯食わなくていいし、トイレも行かなくていいらしいぞ。エコな生き物だな」
小竜は意味が分かっているのかいないのか、トーストを見つめたまま「あぎゃ」と小さく鳴き、啓介の腕を器用によじ登り始めた。
食事が不要なら、仕事で留守にしている間に餓死する心配もない。
餌代もかからないし、帰宅して部屋中に排泄物が散乱している絶望を味わうこともない。
現代の狭い賃貸住宅で飼うペットとしては、これ以上ないほど理想的すぎる条件だった。
啓介は、小竜の知能テストを兼ねて遊んでみることにした。
ローテーブルの上に転がっていた、ペットボトルのプラスチック製キャップを手に取る。
小竜の金色の瞳が、キャップの動きをピタリと追う。
啓介は、部屋の何もないスペースに向けて、キャップを軽く放り投げた。
「持ってこい」
小竜は一瞬だけ啓介の顔を見上げ、次に床に落ちたキャップを見た。
翼を広げて床へと滑空し、小さな口でキャップをカプッと咥える。
そのままぱたぱたと羽ばたいて戻ってくると、啓介の膝の上にポトリとキャップを落とした。
「おおっ、できるじゃないか!」
「あぎゃ!」
褒められたことは理解しているらしく、得意げに胸を張り、尻尾を勢いよく振る。
啓介はもう一度、今度は少し高くキャップを投げた。
小竜は空中でキャッチしようとダイブしたが、目測を誤り、床の上でゴロゴロと二回転した。
しかしすぐに立ち上がり、何事もなかったかのようにすまし顔でキャップを咥えて戻ってくる。
三回目。四回目。
徐々に空間認識に慣れてきたのか、小竜は空中で器用に前脚を使ってキャップを受け止めるようになった。
ボトルキャップに飽きると、今度は小さな消しゴム。丸めたティッシュペーパー。柔らかい布製のキーホルダー。
啓介は危険のない小物を次々と投げ、小竜に持ってこさせる遊びを繰り返した。
観察していると、小竜の挙動は「従順な犬」というよりは、「気まぐれな猫」と「賢い鳥」を混ぜ合わせたようなものだった。
気に入った物は素直に啓介に返さず、咥えたままソファの後ろの隙間へ持っていって隠そうとする。
啓介が低めの声で、
「こら、それは俺のだ。返せ」
と言うと、小竜は少しだけ考えてから、渋々といった様子で啓介の足元にポイッと落とす。
完全に人間の言葉を理解しているわけではないだろうが、声のトーンや雰囲気から、簡単な指示は汲み取れるらしい。
少なくとも、「来い」「待て」「持ってこい」「返せ」「駄目」くらいの基本的なコマンドは通じるようだ。
ふと、啓介は壁の時計に目をやった。
召喚したのが午前十時過ぎ。遊び始めてから、すでに三十分近くが経過している。現在は十時半近い。
「……あれ?」
啓介は首を傾げた。
《掌乗りの小竜》のカードテキストには、明確に「十分間召喚する」と書かれていたはずだ。
だが、小竜は消滅する気配もなく、啓介の肩の上で満足そうに翼を畳んで丸くなっている。
「……十分、とっくに過ぎてるよな?」
バインダーを開き、《掌乗りの小竜》のカードを確認する。
カードは使用済みを示すように暗くなっているのではなく、これまで見たことのない特殊な表示状態になっていた。
イラストの枠からは小竜の姿だけがすっぽりと抜け落ち、背景の部屋の風景だけが残っている。
そして、カードの下部には、新たなテキストが追記されていた。
【召喚中】
【状態:非戦闘】
【高負荷活動可能時間:10分00秒】
「なんだこれ。三十分も経ってるのに、十分のまま減ってないぞ?」
啓介が困惑の声を上げると、システムが補足説明を表示した。
『初回召喚により、召喚生物の共通規則が開示されました』
『カード記載の「十分間」は、戦闘状態または高負荷な能力行使中に活動できる累計時間を示します』
『非戦闘状態では、召喚維持に活動可能時間は消費されません』
ここで、啓介の視界に《創世札典》における『召喚生物共通規則』の詳細が流れてきた。
【召喚生物共通規則】
・非戦闘状態(日常的な移動、遊び、警戒、休息など)では、活動可能時間を消費しない。
・戦闘、救助、追跡、限界飛行などの高負荷行動中のみ、カードに記載された活動可能時間を消費する。
・消費した活動可能時間は、召喚状態を維持している間は回復しない。
・非戦闘状態であれば、日次更新を跨いでも、召喚者が任意で送還するまで召喚状態を維持できる。
・活動可能時間の枯渇、任意送還、撃破、またはカード破壊によって退場した場合、再召喚には改めてマナが必要となる。
・同一のカードから同時に二体以上の生物を召喚することはできない。
啓介は、システムの表示をゆっくりと二度読み返した。
「……ってことは。誰かと戦わせたり、無茶な飛び方をさせて負荷をかけたりしない限り、こいつはずっと出しっぱなしにしておけるのか?」
『肯定』
「一度召喚したら、俺が戻すって言うまで、何日でもこの部屋にいて平気なのか?」
『肯定』
啓介は、肩の上で丸くなっている小竜を見た。
小竜も、気配を感じて金色の瞳で啓介を見上げた。
「あぎゃー?」
「……お前、うちの番犬として飼うか」
攻撃能力はないとカードに明記されている以上、泥棒と戦うようなことはできないだろう。
だが、人の気配に気づいて鳴いて知らせたり、知らない人間を警戒したりすることはできる。
番犬というよりは、文字通りの番竜だ。
何より、留守番をさせても食事がいらず、部屋を汚さないというのが最高だ。
啓介は小竜を手のひらに乗せ、真剣な顔で言い聞かせた。
「いいか。俺が会社に行ってる間、誰か知らない奴が入ってきたら、絶対に隠れろ。戦わなくていい。でも、もし無理やり入られそうになったら、大声で鳴いて威嚇しろ。分かったな?」
小竜は啓介の言葉の意味が分かっているのかいないのか、ピシッと胸を張った。
「あぎゃ!」
少なくとも、返事の威勢だけは一人前だった。
昼近くになり、小竜はソファの背もたれの一番高いところで丸くなっていた。
システムの説明によれば睡眠は必要ないはずだが、生物としての本能の再現なのか、休むような仕草はするらしい。細い尻尾を鼻先に巻きつけ、時折、寝言でも言うように小さく翼をピクッと動かしている。
その平和な光景を眺めながら、啓介はコーヒーを淹れ直し、《創世札典》をローテーブルに広げた。
《五彩の魔石》が完成し、小竜というペットも召喚できた。
ひとしきり遊んで満足した啓介の思考は、システムエンジニアとしての本来の「構築」のフェーズへと移行していた。
「さて。一通り遊んだし、次はマナを増やす手段、マナ加速のルートを考えないとな」
《五彩の魔石》のテキストには【唯一】とある。
つまり、同じような万能の魔石を二つ、三つと量産して並べることはシステム的に不可能なのだ。
だが、第3話で《五彩の種石》を設計した際、異なる構造や維持条件を持つ魔力源なら作成可能であることは確認している。
啓介は、システムに対して具体的な要求を投げた。
「システム。《五彩の魔石》は唯一属性だけど、どれか一種類のマナだけを出すような遺物なら、別枠として作れるのか?」
『肯定』
「たとえば、毎日『生命マナ』だけを一点出す遺物とか?」
『作成可能です。試作例を提示します』
空白の枠に、次々とカードの試案が浮かんでは消えていく。
《生命樹の苗床/Cradle of Vitality》
遺物・魔力源・生命
必要マナ:生命3
生きた植物を核として作成する。
【日次起動】生命マナ1点を得る。
【生育】核となった植物が枯死した場合、このカードは破壊される。
《思索の文鎮/Scholar’s Weight》
遺物・魔力源・知識
必要マナ:知識3
長期間、読み書きに使用された机上の物品を核として作成する。
【日次起動】知識マナ1点を得る。
【習慣】七日間、核の置かれた場所で知的活動を行わなかった場合、起動不能になる。
《小さな蓄熱炉/Ember Reservoir》
遺物・魔力源・熱量
必要マナ:熱量3
継続的に熱を発生させる器具を核として作成する。
【日次起動】熱量マナ1点を得る。
【燃料】一日一回以上、現実の熱源として使用する必要がある。
「なるほどな……」
単一属性に絞れば、万能な《五彩の魔石》の5マナよりも作成コストが3マナと少し軽い。
今の啓介は一日2マナしか出せないため一括では作れないが、これも魔石の時と同じように、数日かけて分割でマナを注入する設計にすれば手が届く。
ただし、出せるマナの種類が固定され、「植物を枯らさない」「知的活動を続ける」「熱源として使う」といった、面倒な維持条件がセットになる。
「こういう単一マナ遺物は、同じ設計のものを何個も作れるのか?」
『同一設計または実質的に同一の魔力源は、同時に一つまで作成できます』
『異なる核、維持条件、機能を持つ魔力源は、別個の遺物として作成可能です』
「同じ鉢植えを部屋いっぱいに並べるのは無理で、同じ生命マナでも別の仕組みを考えろってことか」工夫次第で増やせるのは分かったが、狭い1LDKへ遺物を並べ続けるより、もっと根本的な基盤の拡張が欲しかった。
啓介の視線が、自然とバインダーの最初のページ、《借宿》のカードへと向かった。
啓介の現在の生活基盤。ただの賃貸マンションでありながら、毎日好きなマナを1点生み出す、非常に優秀な「土地」カード。
そこで、啓介は極めて単純で資本主義的なアイデアを思いついた。
「ああ、そうだ。この《借宿》みたいにさ、適当な安い賃貸物件をもう一つ借りたら、それだけで『土地カード』も増えるのか?」
都内から少し離れれば、家賃数万円の安いワンルームや、レンタルオフィス、トランクルームなどいくらでもある。
もし、そういった場所を契約するだけで毎日1マナずつ増える仕様なら、貯金を家賃という経費に回すだけで、あっという間にマナ長者になれる。
システムからの回答は、極めて冷ややかだった。
『肯定であり、否定です』
「どっちだよ」
『単純に複数の賃貸物件を契約するだけでは、《借宿》のカードを複数生成することはできません』
『同一人物が生活基盤として利用する複数の借用空間は、一つの生活圏として統合評価されます』
『実態のない契約、利用されない空室、名義のみの占有は、独立した「土地」としてシステムに認識されません』
「……やっぱり、家賃を払うだけで土地カードを量産するバグ技は塞がれてるか」
だが、システムの言い回しには続きがあった。
『ただし、独立した用途、継続的な利用、明確な管理実績を持つ借用地であれば、異なる土地カードとして認定される場合があります』
『また、所有権を取得し、継続的に管理する土地は、借用契約の終了に左右されない安定した土地カードとして定着しますが、所有権または正当な管理権限を失った場合は消滅します』
「所有地……」
啓介は顎に手を当てた。
「土地を買え、ってことか」
現在のマナ基盤である《借宿》には、「この場所を居住地として使用する権利を失った場合、消滅する」という明確な弱点がある。大家から退去を命じられたり、家賃が払えなくなったりすれば、一瞬でマナ源を失う。
だが、自分で購入して管理する土地であれば、賃貸契約の終了によってカードを失うリスクはない。売却や差し押さえなどで所有権を失えば消えるとしても、現在の《借宿》よりはずっと安定する。
さらに、その場所を自らの手で開拓し、設備を置き、機能を追加していけば、土地カード自体の能力を成長させられる可能性もある。
啓介は、そのままローテーブルのノートパソコンを開き、不動産情報の検索ポータルサイトへアクセスした。
キーボードを叩く音に反応して、ソファで丸まっていた小竜が目を覚まし、パタパタと飛んできてノートPCのモニターの裏側にしがみつき、ひょっこりと顔を出して画面を覗き込んできた。
「土地、ねえ……。都内でまともな宅地を買うのは、さすがに貯金じゃ足りないし、ローンなんか組みたくない」
別に、住むための住宅地やマンションを追加購入する必要はないのだ。
《創世札典》の拠点として求める条件は明確だった。
自分が完全に所有できること。
固定資産税などの維持費が安いこと。
魔法の実験をしても怪しまれないよう、周囲の人目が少ないこと。
将来的に、マナを生む遺物や設備を自由に置けること。
小竜を飛ばし、周囲を気にせず小規模な魔法実験を行える空間があること。
そして、都内の自宅から週末に通える距離であること。
条件を絞り込んでいくうちに、啓介は一つのジャンルに行き着いた。
「……安い山でも買って、少しずつ開拓するか?」
昔、ネットのニュースか動画サイトで、個人向けの山林売買や、自分だけのキャンプ用地を買うのが流行っているという特集を見た記憶があった。
検索ワードを「山林」「雑種地」「格安」などに切り替えて調べる。
候補地として出てくるのは、奥多摩町、檜原村、青梅市、八王子市の山間部など。
都心から車や電車を使って、一時間から一時間半ほどでアクセスできるエリアだ。
価格を安い順にソートすると、数十万円台の小さな山林や、放置された雑種地がポロポロと出てくる。
「三十万円前後で三十坪とか五十坪……本格的な拠点には小さいけど、最初の土地カード実験用なら十分な広さだな」
さらに詳しく探していくと、面積は広くても「公道に接していない(車が入らない)」「電気も水道も通っていない」「境界線が曖昧で隣人トラブルのリスクがある」「急斜面すぎて実質的に何も建てられない」といった、安いものにはそれなりの理由があることも分かってきた。
啓介は、自分の求める拠点の条件をさらに具体化していく。
・車、あるいは徒歩で現地までスムーズに入れること。
・公道、または通行権が明確に確保された道に接していること。
・土地の境界が杭などで確認できること。
・電線が近くまで来ており、電気の引き込みが可能なこと。
・水道の引き込みが可能、あるいは井戸の採掘が検討できること。
・土砂災害などの危険性が極端に高くないこと。
・将来的に、小規模な物置やプレハブ小屋などを設置できる平坦なスペースがあること。
啓介は、パソコンの画面を見つめたまま、《創世札典》に質問を投げた。
「システム。土地カードにするだけなら、電気や水道みたいな公共設備は必須なのか?」
『土地カードの生成に、電気、水道、ガスなどの公共設備は必須ではありません。未開の自然環境も土地として認識されます』
『ただし、土地の利用実績、配置された設備、開発状況は、その土地カードが生成できるマナの種類、および付与される特殊能力に大きな影響を与えます』
「なるほどな。カードにするだけなら、ただの荒れた山でもいい。でも、マナ基盤や開拓拠点として育てるなら、やっぱり電気と水は欲しいな」
ただの自然の山林なら、「生命マナ」や木材などの「物資マナ」を生みやすいだろう。
そこに作業小屋を建てれば、「住居」や「工房」としての性質が加わる。
発電設備や電気が通れば「熱量マナ」。
書庫や魔法の実験設備を置けば「知識マナ」。
周囲に柵や結界、門を設置すれば「境界マナ」。
ただ土地を買うだけではない。
一つの土地を、自分の手で少しずつ開拓し、育て、複数の機能を持たせた拠点へとカスタマイズしていく。
啓介の中で、単なる「マナ源の追加」だった山林購入の計画が、ゲームの箱庭作りのようなワクワクする「拠点作り」へと変わっていった。
現実問題として、安い土地とはいえ、購入費以外にも金はかかる。
登記費用。不動産屋への仲介手数料。毎年の固定資産税。
木を伐採して整地する費用。物置や小屋の購入費。電気や水の引き込み工事費。現地に通うための車の維持費(あるいはレンタカー代)。
だが、啓介は三十六歳になるまで独身を貫き、大きな浪費もせず、手取りの給料から毎月コツコツと自動で貯蓄を続けてきた。
数十万円から、せいぜい二百万、三百万円程度の初期投資なら、生活防衛資金を十分に確保した上でも、キャッシュでポンと払えるだけの蓄えはある。
「今の収入と貯金なら、三十万や五十万の山を一つ買ったところで、生活が破綻するような負担にはならないな」
それに、将来的には《一歩先の未来》や《二者択一》といった未来予知系のカードを利用して、収入を劇的に増やすこともできるはずだ。
宝くじ、競馬、株式投資、あるいは安く仕入れて高く売れる商品の選定。
ただし、宝くじ以外の利益には必ず税金や、「なぜそんなに儲かったのか」という出所の説明が必要になる。
「まあ、税金はきっちり払って、合法的に稼げばいいだけだ。やりようはいくらでもある」
能力を手に入れたからといって、今すぐ不正や犯罪的な一攫千金に走る必要はない。
まずは今ある自分自身の貯蓄を使い、身の丈にあった無理のない範囲で土地を買う。
それが、社会人として一番安全で確実なアプローチだった。
啓介は、タブをいくつも開き、数十件の物件情報を見比べた。
その中から、条件に合いそうな三件を「お気に入り」に登録する。
第一候補は、青梅市の山間部。
価格は三十八万円。面積は約四十坪。
公道に接しており、電気の引き込みは「相談可能」。水道は近隣の本管から延長工事をすれば引けるらしい。
駅からは遠いが、車なら自宅から一時間程度で着く。
写真を見る限り、雑木が多いが、車を停めたり小屋を建てたりできそうな平坦な部分が少しある。
第二候補は、八王子市。
価格六十万円。約三十坪。
電気と水道がすでに近くまで来ており、整備の手間は少ない。
ただ、住宅地に比較的近く、人目が多いのがネックだ。
第三候補は、檜原村。
価格は二十五万円と最安。面積も広い。
しかし、電気も水道もなく、車を停める道路から獣道のような場所を少し歩かなければならない。周囲に人家はほとんどない完全な秘境だ。
啓介としては、完全なサバイバルをしたいわけではない。最初は管理や開拓のハードルが低い、青梅市か八王子市がいい。
特に、青梅市の第一候補の物件が気になっていた。
掲載されている写真には、木漏れ日が差し込む、木々に囲まれた小さな平坦地が写っている。
小型の物置やプレハブ小屋なら、十分に置けそうなスペースだ。
モニターの裏から顔を出していた小竜が、画面の森の写真をじっと見つめている。
「どうだ? ネットの写真だけで、この土地をカード化したらどんな性能になるか、分かるか?」
小竜ではなく、システムが答える。
『土地のカード化および正確なマナ評価には、所有権または正当な利用権の確認、および所有者本人による現地での境界、状態、環境の直接観測が必要です』
「だよな。やっぱり、一度現地を見に行かないと駄目か」
啓介は、第一候補である青梅市の物件の問い合わせフォームを開いた。
『こちらの物件について、現地を見学させていただきたいです。
以下の点についても確認を希望します。
・境界線の状況
・車両での敷地内への接近可否
・電気、水道の引き込みに関する概算費用
・小規模な物置等の建築・設置可否
・年間の維持費や、独自の制限等の有無』
必要事項を入力し、送信ボタンを押す。
すぐに購入を決めるわけではない。だが、これからの自分の方向性はハッキリと決まった。
「よし。とりあえず、マナ加速のために山を買う方向で行こう」
ノートパソコンをパタンと閉じる。
それを合図にしたように、小竜がモニターから飛び立ち、リビングの空間をバサバサと一周した。
狭い1LDKでは、翼を大きく広げて飛ぼうとするたびに、壁やシーリングライト、本棚の角などにぶつかりそうになる。
啓介は、窮屈そうに飛ぶ小さな赤銅色の影を見上げた。
この部屋でも飼うことはできる。だが、決して自由に空を飛ばせてやれる場所ではない。
山林を買えば、人目を気にせず、思う存分飛ばせてやることができる。
それに、この小さな土地でカード化や開拓の仕組みを確かめられれば、将来もっと大きな召喚生物を呼ぶための広い土地へ進む足掛かりにもなる。
マナを生み、遺物を置き、設備を増やし、奇跡を育てるための最初の拠点。
啓介は右腕を水平に伸ばした。
小竜が旋回し、ストン、と啓介の腕に止まる。
「なあ。お前も、こんな狭い部屋より、もっと広い場所で飛びたいだろ?」
小竜はコテンと首を傾げた。
「あぎゃー?」
問いかけの意味は理解していないらしい。
それでも、小竜は嬉しそうに翼を大きく広げ、再び啓介の腕を蹴って飛び立った。
狭いリビングの中を、小さな奇跡がぱたぱたと舞う。
啓介は、不動産会社からの返信を待つためスマートフォンのメール画面を開きながら、期待に満ちた笑みを浮かべた。
「次は——土地カード、だな」
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