TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~ 作:パラレル・ゲーマー
日曜日の朝。
啓介は、いつものように三崎が勤務する健診センターの裏口から入り、ひっそりとした廊下を歩いていた。
休日のため、当然ながら一般の患者や受診者の姿はない。蛍光灯の明かりだけが、無機質なリノリウムの床を白く照らしている。
アカネはマンションで留守番だ。医療機関の施設内に、いくら隠せるとはいえ得体の知れない生物を頻繁に持ち込むリスクは避けるべきだという、三崎からの強い要請もあった。
指定された診察室のドアを開けると、白衣姿の三崎がすでにデスクでPCのモニターに向かっていた。
啓介がパイプ椅子に腰を下ろすと、三崎はデスクの上にドサリと分厚いファイルを置いた。
表紙には、几帳面な字でこう書かれている。
《一年若く・自己使用第一例 三ヶ月追跡》
啓介は、そのファイルの厚みを見て少し呆れたように言った。
「……まだ、そのファイル使ってたのか」
三崎が冷たい視線を向けてくる。
「当たり前だ。最初に『三ヶ月追跡する』って言っただろ。俺は自分が言った医学的スケジュールを途中で放り出すような真似はしない」
一か月時点での検査は、すでに啓介が仕事帰りに立ち寄って済ませていた。
三崎が、その時の記録のページをパラパラと捲りながら確認する。
「一か月時点。……自覚症状なし。一般血液検査で異常なし。ホルモン系に明確な異常なし。体組成、大きな変化なし。心肺機能、大きな変化なし。皮膚および毛髪に明確な変化なし。視力・聴力、変化なし。身体機能、変化なし」
三崎は、淡々とした声で読み上げ、ファイルを閉じた。
「つまり、『一か月時点では特記事項は一切なし』だった」
魔法という超常現象を自らの身体に行使したにもかかわらず、医学的な検査結果の欄に並ぶのは、ひたすら「異常なし」という文字ばかりだった。
一か月目は、その結果を記録して終わっている。
「そして」
三崎が、改めて啓介の顔を真っ直ぐに見た。
「今日で、一回目の使用から丸三ヶ月だ。……最初の中期追跡の区切りになる」
啓介は、少し肩の力を抜いて息を吐いた。
「ようやくか」
三ヶ月。
啓介自身としては、その間、自分の身体に何か劇的な変化が起きたという感覚は全くなかった。
普通に会社へ行き、休日は青梅の山林を巡回し、新しい廃校の土地を借り、癌の治療カードを作り、政府の人間たちと額を突き合わせて重い会議をした。
普通に生活し、普通に疲れ、普通に眠った。身体の不調はどこにもない。
「じゃあ、いつものやつからいくぞ」
三崎が立ち上がり、診察室の隅にある撮影用のスペースを指差した。
初回と全く同じ条件での写真撮影だ。
同じ無地の壁を背景に。同じ光量の照明。同じデジタル一眼カメラ。同じ焦点距離のレンズ。カメラから啓介までの距離も、ミリ単位で同じ位置にテープで印が付けてある。
正面。左右四十五度。真横。髪が輪郭を隠さないように、同じようにヘアピンで固定する。
啓介は、指示通りに顎の角度を調整されながらぼやいた。
「これ、まだ毎回やるの?」
「比較検査で、毎回照明や距離の条件を変えてどうする。SNSの自撮りアプリじゃないんだから、盛っても意味がないだろ」
パシャ、パシャ、とシャッター音が響く。
撮影が終わると、三崎はすぐに画像データをPCへ取り込み、大きなモニターに並べて表示した。
左:三ヶ月前の、魔法を使用する前の啓介。
中央:一回目の魔法を使用した直後の啓介。
右:そして、今日の啓介。
啓介は、モニターの前に立ち、腕を組んで自分の顔をじっと見つめた。
三崎も、隣で無言のままモニターを凝視している。
じーっ。
長い沈黙。
啓介が、たまらず口を開いた。
「……これ、一緒じゃない?」
三崎が即答する。
「ほぼな」
三崎はマウスを操作し、画像の細部をズームアップした。
目尻の小じわ。額の質感。ほうれい線の深さ。肌の張り。毛穴の開き具合。髪の生え際。もみあげ付近の数本の白髪。
並べて比較する。
三十六歳の、ごく平均的な健康な日本人男性。それが一歳若返った後、三ヶ月間、普通に社会生活を送って加齢した状態。
当然といえば当然だが、肉眼でパッと見て分かるような露骨な差は、どこにもなかった。
啓介が、画面を指差して言った。
「いや、でもほら。この目尻のシワ、一本くらい消えてないか?」
「お前が今日、少しだけ顎を引いてるせいで生じた照明の角度の差だ」
「じゃあ、こっちの髪の生え際、少し増えてない?」
「最初からそこは禿げてない。願望を検査結果に混ぜるな」
三崎は次の検査へ移った。
身体検査。
初回と全く同じ項目を、同じ手順でこなしていく。
血圧。安静時の心拍数。呼吸状態。体組成計による筋肉量と脂肪量の測定。握力。各関節の可動域。視力。聴力。皮膚の弾力テスト。
結果は、すべて「大きな異常なし」。
続いて、静脈からの採血。
一般血液検査の項目に加え、若返りの指標となり得る必要なホルモン値などを測定する。
すぐに出る結果を、三崎が過去のデータとExcelで比較する。
数値は、多少上下していた。
しかし、それは魔法による劇的な変化ではなく。
「前日の食事の内容、睡眠時間、直前の運動量、採血した時刻、水分摂取量。……その程度の日常的な要因で、普通に変動する誤差の範囲内だ」
啓介が、袖を下ろしながら聞いた。
「つまり?」
三崎が、カルテに視線を落としたまま答える。
「普通だ」
第一回目の術式後、システムからは『術式適用後の身体状態を基準として、通常の加齢が再開する』と回答を得ていた。
三崎が確認したかったのは、そこだった。
「少なくとも」
三崎が言った。
「『魔法の効果が三ヶ月で突然切れて、急激に元の状態へ老化が戻った』ような、異常な数値の変動や現象はどこにも見えていない」
「じゃあ、一歳若い状態のまま維持されてるってことか?」
「システム上はそうだろうな。医学側からは、『それを否定する材料が見つからない』というところまでだ」
三崎は、PCのキーボードを叩き、三ヶ月追跡のまとめを入力した。
《一年若く・自己第一例 三ヶ月追跡》
・急性、および亜急性の有害事象:確認なし。
・新規の自覚症状:なし。
・主要検査値:臨床的に明確な異常は認めず。
・外見:一歳分の差異を、肉眼で独立して識別することは不能。
・身体機能:明確な変化なし。
・効果消失を示唆する所見:確認できず。
・長期安全性:依然として不明。
入力が終わると、啓介は三崎の机の上にある分厚いファイルを開いた。
そして、一番最初のページに、三崎が赤い太字のペンで書いていた注意書きを指差した。
【反復使用禁止】
「これ」
啓介が言った。
「何だ」
「三ヶ月、終わったぞ」
診察室に、再び沈黙が落ちた。
あの時、三崎が出した条件は、「少なくとも一回目の三ヶ月追跡が終わるまで」だった。
啓介が、三崎の目を見て聞いた。
「二回目、やるか?」
三崎は、キーボードの上に置いた手を見つめたまま、長く沈黙した。
やがて。
「……やる」
三崎は、静かに答えた。
「ただし」
三崎が顔を上げる。
「今回から、検証の目的が変わるぞ」
一回目は、人間の身体へ一歳分の若年化を適用した時に何が起きるのかを見るものだった。
二回目は、すでに一度適用を受けた同じ身体へ、再び《一年若く》を重ねた時に何が起きるのかを見る。
単回使用では、三ヶ月間大きな問題は起きなかった。
だが、二回目は初めてだ。
効果が正常に重なるのか。
急性の副作用は出ないか。
一回目と二回目の処理が干渉しないか。
反復使用に特有の異常が出ないか。
全部、まだ分からない。
「『一回目が平気だったから、二回目も絶対に平気だ』なんていうのは、医学的には何の証明にもならんからな」
「分かってる」
啓介が、少しだけ空気を軽くしようと口を開いた。
「じゃあ、今日二回目使って、問題なかったら明日は三回目を――」
「殺すぞ」
「……冗談です」
三崎は、先に条件を出した。
「二回目を使った後も、一週間、一ヶ月、三ヶ月と追う。その三ヶ月が終わるまで、三回目は禁止だ」
「また三ヶ月?」
「当たり前だ」
三回目については、これで話が終わった。
三崎がカルテの画面を操作する。
「今日やるのには都合がいい。さっき取った三ヶ月追跡のデータが、そのまま二回目の術前データになる」
「なるほど」
先ほど撮った写真も、そのまま二回目使用前の基準として記録へ紐付けられる。
啓介は、空中に《創世札典》のバインダーを呼び出した。
現在の日次マナは8。
《一年若く》。
生命3。
知識1。
境界1。
合計5。
初回に使用した時は、マナ総量がまだ6だった。
あの時は、一日のほぼ全マナを使う重い術式だった。
だが今は8ある。
啓介は、支払いを組み立てた。
生命3は、《生命樹の苗床》から生命1、《名もなき雑木地》から生命1、任意マナから生命へ1。
知識1は、《思索の計数盤》から1。
境界1は、《アカネの守り巣》から1。
使用後に残るのは。
任意1。
知識1。
物資1。
計3マナ。
啓介が言った。
「……前はこれ一発使ったら、物資一個しか残らなかったんだよな。今は三つ残るのか」
三崎がすぐに釘を刺した。
「残った三マナも、今日は別の魔法に使うなよ」
「原因の切り分けのためだろ?」
「そう。今日何か異常が起きた時に、二回目の《一年若く》が原因なのか、別の魔法が原因なのか分からなくなる」
「了解」
三崎が最終確認を行った。
「反復使用二回目。効果とリスクが完全には分かっていないことを理解しているか」
「理解してる」
「自分の意思で受けるか」
「受ける」
啓介は、バインダーへ確認した。
「《一年若く》を同じ対象へ二回目として使った場合、前回の一歳分をやり直すんじゃなくて、現在の身体から、さらに一暦年分の加齢変化を差し引くんだな?」
『肯定』
『対象の現在の身体状態を基準として、さらに一暦年分の加齢状態を若年側へ調整します』
今回の二回目が正常に重なれば、魔法を一度も使っていない同日の啓介と比べて、加齢状態は累積二暦年分だけ若年側になる。
平均的な三十四歳の人間へ作り替えられるわけではない。
啓介本人から、二年分の加齢による変化が差し引かれる。
啓介が、バインダーに右手をかざした。
「《一年若く》、使用」
バインダーのページから、生命の緑、知識の青、境界の紫の光が立ち上がる。
三色の光が混ざり合いながら、パイプ椅子に座る啓介の身体全体を包み込んだ。
痛くない。
熱くない。
苦しくもない。
身体のずっと奥で、カチリと何かをわずかに巻き戻されたような感覚。
数秒後。
光が消えた。
『対象への術式適用、正常に完了しました』
『記憶、人格、保有する技能、および対象の暦年齢に変更はありません』
『身体状態は安定しています』
啓介はバインダーを閉じた。
三崎が啓介の全身を見ながら聞く。
「何か変わったか?」
啓介は、自分の両手を開いたり閉じたりしてみた。
顔を触る。
首を回す。
肩を上下させる。
「……分からん」
三崎が息を吐く。
「だろうな」
啓介は診察室の洗面台へ向かい、鏡を覗き込んだ。
そこに映っているのは、いつもの自分だった。
昨日まで見慣れていた顔と、何が変わったのか分からない。
啓介は、鏡越しに三崎を見る。
「……俺、若返った?」
「俺に聞くな。お前の顔だろ」
再び、同じ条件で写真を撮る。
正面。
左右四十五度。
真横。
大きなモニターへ画像を並べた。
左から。
一回目使用前。
一回目使用直後。
三ヶ月後、つまり今日の二回目使用前。
今日の二回目使用直後。
四系列。
啓介と三崎は、並んで画面を見る。
じーっ。
啓介が自信なさそうに聞いた。
「……どれが一番若いと思う?」
三崎が腕を組む。
「日付を隠されたら分からん」
「総合内科医の観察眼でも?」
「俺は総合内科医だ。顔年齢の鑑定士じゃない」
三崎がPCを操作し、ファイル名を隠して四枚の画像をランダムに並べた。
「じゃあ、お前が当てろ。どれが今日の二回目使用後だ?」
啓介は、モニターへ顔を近づける。
「……これ」
「外れ。それは三ヶ月前の術前」
「じゃあ、これ?」
「それも違う。一回目使用直後」
啓介は両手を挙げた。
「……駄目だ。自分の顔なのに全然分からん」
「じゃあ次、お前もやれよ」
「何で俺がやるんだよ」
文句を言いながら、今度は三崎が挑戦した。
啓介が画像をシャッフルする。
結果。
三崎も、当たったり外れたりだった。
二人とも黙って画面を見る。
「……分からんな」
「分からん」
即時の身体検査へ移る。
まず握力。
啓介が握力計を強く握り込んだ。
結果。
前回より少し低い。
三崎が言う。
「測定誤差だな」
「二歳若返ったパワーは?」
「出てないな」
「残念」
皮膚の水分量。
弾力。
わずかに数値は動くが、明確な傾向はない。
啓介が自分の頬を触る。
「なんか今日、肌のツヤ良くない?」
「今朝ちゃんと顔洗って保湿してきたからだろ」
「あ、それか」
視力。
聴力。
変化なし。
関節可動域。
元々健康なため、変化を拾えない。
採血。
術前と術後の血液を、すぐに確認できる範囲で比較する。
大きな異常なし。
詳細項目は後日。
一通り終わり、啓介はパイプ椅子へ深く座った。
「……一歳じゃ分からなくても、二歳分なら、少しくらい見た目で分かると思ってたんだけどな」
三崎がカルテを整理しながら言った。
「お前、街ですれ違った人間の顔を見ただけで、『あの人は三十四歳』『こっちは三十六歳』って絶対に見分けられるか?」
啓介は少し考えた。
「……無理だな」
しかも、単純に三十四歳の平均的な人間と三十六歳の平均的な人間を比較しているわけではない。
若返ったのは啓介本人だ。
元々の身体構造も、体質も、顔立ちもそのまま。
さらに啓介は《健全なる肉体》を使っており、若返り前から身体状態は良好だった。
違いが分かりにくいのも当然だった。
三崎が、二回目直後の結果を入力していく。
《一年若く・自己使用第二回》
・反復回数:2
・累積加齢調整:同時点未使用状態より、二暦年分若年側。
・システム判定:正常適用。
・急性自覚症状:なし。
・外見:二回使用後においても、明確な識別は不能。
・身体機能:明確な変化なし。
・即時検査:重大な異常なし。
・反復三回目:禁止。
・次回:一週間、一か月、三か月追跡。
三崎が画面を見ながら言った。
「いいか。今日分かったのは、『二回使ったら若く見えた』って話じゃない」
「じゃあ何だ?」
「同じ人間に二回目を使って、術式が正常に終了した。今のところ急性の異常も起きていない。それだけだ」
啓介が聞いた。
「これで、二回重ねられたなら。……不老に一歩近づいた?」
三崎は少し考えた。
「一ミリくらいはな」
一回が、二回になった。
それ以上は、まだ分からない。
片付けをしている途中、啓介がふと思い出した。
「そういえば、三ヶ月終わったぞ」
「だから、お前の追跡はまた今日から始まるんだよ」
「いや、俺じゃなくて。お前」
三崎の手が止まる。
啓介が続けた。
「三ヶ月前、『欲しくないと言えば嘘になる』って言ってたよな。《一年若く》」
少しの沈黙。
三崎はカルテの束をトントンと揃えた。
「……俺が使うのは、まだだ」
「何で? 一回目の三ヶ月は終わっただろ」
「お前の二回目を見る」
「そこまで待つの?」
「一回だけなら三ヶ月問題なかった。今日、二回目も少なくとも直後は問題なかった。なら次に知りたいのは、二回重ねた後に時間が経ってどうなるかだ」
啓介はため息をつく。
「……お前、慎重すぎない?」
「お前が雑すぎる」
午後。
すべての検査が終わり、啓介は健診センターを後にした。
バインダーには、任意1、知識1、物資1の計3マナが残っている。
だが今日は使わない。
このまま午前零時の日次更新で失効させる。
マンションへ帰宅する。
玄関を開けると、アカネが「あぎゃ」とトテトテ歩いて出迎えてきた。
啓介は、その場でしゃがみ込んだ。
「おい、アカネ。俺、また一歳若くなったぞ」
アカネは、金色の目で啓介の顔をじっと見る。
三ヶ月前の一回目でも、反応はほとんど同じだった。
アカネが顔の近くまで鼻先を寄せる。
フンフン。
匂いを嗅ぐ。
それから。
特に何もなかったように、くるりと背を向けて、リビングの古いパーカーへ戻っていった。
啓介は苦笑した。
「……二回目なんだけどなあ」
夜。
啓介はソファに座り、ノートへ記録する。
《一年若く・自己使用》
・第一回:三ヶ月追跡終了。重大な異常なし。
・第二回:本日使用。正常終了。急性異常なし。
・外見変化:判別不能。
・累積適用回数:2。
・三回目使用:追跡終了まで禁止。
スマートフォンを開く。
三崎から送られてきた四枚の写真を、もう一度並べる。
三ヶ月前の術前。
一回目直後。
今日の二回目前。
今日の二回目後。
日付表示を指で隠す。
数秒間、じっと見る。
「……本当に、どれが一番若いんだ?」
本人にも分からない。
システム上では、累積二暦年分だけ加齢状態が若年側へ動いている。
それでも、画面に並んでいるのは、どれもほとんど同じ啓介の顔だった。
啓介はしばらく写真を見比べてから、スマートフォンをテーブルへ置いた。
「……全然、分からんな」
ソファの上から、アカネが「あぎゃ」と短く鳴いた。
「お前もそう思うか?」
アカネは短い尻尾をパタパタと動かし、そのままパーカーの上で丸くなった。
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