TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~ 作:パラレル・ゲーマー
月曜日の夜。
啓介はマンションの自室で、《創世札典》のバインダーを開いていた。
新しく作った魔力源の遺物《守庫の鍵》が正式に稼働したことで、現在の日次マナは『11』体制となっている。
境界マナの不足も解消された。
啓介の視線は、ずっと手の届かなかった強力なカードに釘付けになっていた。
《時間停止》。
コスト:知識2、境界3、任意1。
計6マナ。
「……今なら、払える」
昨夜のグループLINEでのやり取りを思い出す。
相馬は無責任に「撃とう」と煽り、三崎と藤堂は「撃つな」と即座に止めた。
そして今日、三崎から医療および安全管理の観点として、明確な指示が飛んできた。
『もしどうしても撃つというのなら、事前に最低限の検証計画書を作って出せ』
啓介は、デスクでノートを開きながらため息をついた。
「……自分の持ってる魔法を一発試し撃ちするだけなのに、検証計画書(プロトコル)の提出が要るのかよ……」
仕事で設計書を書かされているのと変わらない。
だが、三崎の言うことももっともだった。
「この世界の時間を止める魔法を撃とうとしている奴が、準備もなしに雑に動くな」と。
啓介は、ペンを取った。
まず、場所選びだ。
マンションの自室。当然、却下だ。
壁一枚隔てた隣や上下の部屋に住民がいる。半径10mの球形の効果範囲の中に、他人が入ってしまう可能性が高すぎる。
第一の国有地である《静かな旧校舎》。これも却下。
敷地が広くても、常駐の警備員がおり、保管庫の担当職員がいつ出入りするか分からない。
青梅の山。論外だ。
人間はいなくても、鳥や虫、土の中の小動物など、無数の『生命体』が存在している。《時間停止》のカードには「生命体への強い干渉で効果が終了する」という制約がある。それ以前に、自分以外の生物が停止した空間に取り残された時、何が起こるか全く検証されていない。
そこで白羽の矢が立ったのが、先日借りたばかりの第三の国有地、《眠れる資材倉庫》だった。
広く、平坦にアスファルトで舗装された巨大な荷捌き場。
建物の中も空っぽ。外周は高いフェンスに囲まれ、出入り口はゲートと監視カメラで管理されている。啓介に正式な管理権があり、一時的に人を排除しやすい。
「……なんか、ここ」
啓介はノートに書き込みながら呟いた。
「俺の『魔法実験場』として、都合良すぎないか?」
後でその話を藤堂にしたところ、「勝手に用途を増やすな。今回は一時的な検証利用として許可するだけだ」と釘を刺された。
そして、もう一つ。明確に決めたことがあった。
出かける前の土曜日の朝。
啓介が準備をしていると、アカネがトテトテ歩いてきて、啓介の顔を見上げた。
「あぎゃ?」
だが、啓介はいつものお出かけ用キャリーケースを出さなかった。
「今日は、お前は絶対連れて行かない。留守番だ」
「あぎゃ……」
アカネが理解したかは不明だが、短く鳴いて、しばらく啓介の足元に留まっていた。
理由は単純だった。
生物が時間停止の範囲に巻き込まれた時、呼吸や血流などの生理現象にどういう影響が出るのか、医学的にも物理学的にも全く不明だからだ。
三崎からも、「小さい小竜だから巻き込んでも安全だろう、という安易な結論には絶対にならないからな」と念を押されていた。「分かってる」と啓介も答えていた。
土曜日。
《眠れる資材倉庫》(旧資材保管施設)。
参加者は、啓介、三崎、相馬、藤堂の四人のみ。必要最小限だ。
さらに、施設管理側の政府担当者には、「今日はこの時間帯、この荷捌き場の区画へは人間を入れないでくれ」と事前連絡を済ませてある。
ゲートは施錠。予定外の工事業者も来ない。
啓介たちは、広大な舗装スペースの中央に立った。
まず、時間停止の中心位置(発動位置)を決める。
アスファルトの真ん中に、マーキング用のテープでバツ印をつけて『中心点』を作る。
そこから、巻尺を使って正確に半径10mを測り、チョークで大きな円形のマーキングを描く。
さらに、安全のための境界線として、半径12m、15mの線も引いておく。
三崎、相馬、藤堂の三人は、その『15m以上離れた安全圏』から観察することになった。
中心点に立つのは、啓介ただ一人だ。
相馬が、遠くから少し楽しそうに声を張った。
「なんか、白線引いてると急に小学校の体育祭みたいだな」
啓介が叫び返す。
「体育祭のプログラムに、時間止める競技はねえよ!」
「無駄口叩いてないで、手を動かせ」藤堂が指示を飛ばす。
10mの円の内側(ただし啓介の中心からは数mほど離した位置)に、いくつかの『実験機材』が配置された。
A:デジタル時計(ネット接続なし。秒表示あり)。外側の15mラインにも比較用として同型機を一台置く。
B:機械式のアナログストップウォッチ。これも内側と外側に一台ずつ。
C:小型の扇風機。バッテリー駆動で、一定の速度で首を振らずに回し続ける。
D:水滴落下装置。ペットボトルの底に小さな穴を開け、一定間隔でポタ、ポタと水滴が下の容器に落ちるようにしたもの。
E:ボールとレール。緩い傾斜をつけたレールの上を、発動の直前にボールが転がるよう、遠隔操作で固定具を解除できる装置を取り付ける。
F:LED点滅装置。一定周期でチカチカと点滅を繰り返す。
G:デジタルビデオカメラ。停止範囲の内側に一台。15m以上離れた外側にも、内側全体を映すように一台。
相馬がノリノリで提案してきた。
「おい、もっと色々置こうぜ。ドローン飛ばしておくとかさ」
三崎が冷たく却下する。
「初回だぞ。余計なものを増やすな」
「じゃあラジコン車走らせる」
「要らん」
「振り子くらい置いても……」
「それは時計と役割が完全に被る」
啓介が呆れた。
「お前、完全に夏休みの自由研究楽しんでる小学生だろ」
「当たり前だろ。世界で初めての『時間停止の自由研究』とか、小学生の時の俺に見せてやりたいわ」
三崎が、医療側の責任者として試験範囲を厳格に絞り込んだ。
「いいか。今回の初回の目的は、ただ『本当に止まること』だけを確認することだ」
啓介に念を押す。
「停止中に、止まっている物体に絶対に『触るな』よ」
「分かってる」
相馬が口を挟む。
「ボールくらい触っても――」
「触るな」
「軽いぞ?」
「初回で変数を増やすなと言っている」
相馬は渋々黙った。
発動の直前。
三崎が啓介の元へ来て、事前チェックを行った。
血圧。脈拍。酸素飽和度。瞳孔の反応。簡単な平衡感覚テスト。意識状態。頭痛やめまい、吐き気がないことの問診。
基準値がすべて記録される。
「なんか、普通の健康診断みたいだな」
「時間停止後に、明確に比較するためだ。脈拍や意識状態に異常が出ないか、発動前の状態を知っておく必要がある」
その時、相馬が少し離れた場所から、ふと気になったように言った。
「そういやさ」
全員が相馬を見た。
「周りの時間が本当に止まったら。……啓介の周りの『空気(酸素)』の動きも、止まるんじゃね?」
沈黙が落ちた。
啓介の顔が、少しだけ引きつった。
「……」
三崎が、啓介を睨んだ。
「お前、今気づいたのか?」
「……いや。カードのコスト計算ばっかりしてて、そこまでの物理学的な影響までは正直考えてなかった……」
初回は、たったの6秒だ。
啓介が安全策を提案した。
「発動の直前に大きく息を吸って。……停止している六秒間は、完全に息を止めることにする」
歩き回らない。中心位置から一歩も動かない。
停止中に行う動作も、事前に明確に決めた。
・発動の瞬間(0秒目):息を止める。
・1秒目:周囲の状況(機材)を見る。
・2秒目:右手をゆっくりと上げる。
・3秒目:首を左へ向ける。
・4秒目:首を右へ向ける。
・5秒目:右手を下ろす。
・6秒目:そのままの姿勢で、解除を待つ。
一歩も動かない。何にも触らない。息も吸わない。
これなら、周囲の空気が止まっているかどうかの検証は、ひとまず後回しにできる。
三崎が言った。
「まず、生きて帰ってこい」
「たった六秒なんだけどな」啓介が苦笑する。
「六秒だからといって、未知の事象に対する安全管理を雑にしていい理由にはならない」
さらに緊急時のルールも定めた。
もし発動した瞬間に、強烈な痛み、呼吸困難、視覚異常、意識障害などの異常が起きた場合。
カードには任意解除の方法が記載されていないため、余計な行動を一切せず、六秒間の終了を待つことにした。
そして、もう一つ重要なこと。
「今日は、一回しか試せないからな」
現在、啓介の総マナは11。
《時間停止》のコストは、知識2、境界3、任意1の、計6マナ。
実際の支払いはこうなる。
・知識2 = 固定知識マナ2を消費。
・境界3 = 固定境界マナ2を消費。さらに任意マナ1を境界に変換して消費。
・任意1 = 残った最後の任意マナ1を消費。
これで、ちょうど6マナだ。
残りは、生命2、物資2、生命または物資1の、計5マナ。
総量は5残っているが、知識と境界と任意をすべて使い切ってしまうため、同じ日に『二発目』の《時間停止》は絶対に撃てないのだ。
「一発勝負か」相馬が言う。
「だから、こうやって準備に時間をかけてるんだよ」
すべての準備が整った。
外側のカメラの録画開始。内側のカメラの録画開始。
時計の同期確認。ストップウォッチの開始。
扇風機のスイッチを入れる。LEDを点滅させる。水滴の落下を開始する。
最後に、相馬が傾斜レールの頂上にボールをセットし、遠隔操作用の固定具で留めた。
「全員、下がれ」藤堂の指示で、三人は15m線の外側へと退避した。
静かになった。
舗装された広い荷捌き場の中央。
啓介が一人、ぽつんと立っている。
周囲の半径10m以内には、啓介以外の人間や目に見える動物はいない。
啓介は、大きく、深く息を吸い込んだ。
そして、呼吸を止める。
右手を空中に翳し、《創世札典》のバインダーを開いた。
《時間停止》。
マナの支払いを指定する。
知識2。境界2。任意から境界へ1。残りの任意を1。
すべて指定。
システムからの無機質な表示。
『支払い条件を満たしました』
これまで、一マナしかなかった時から何度も一覧の中で見てきた、あの《時間停止》。
初めて。
本当に、使用可能状態になった。
啓介が外側の三人へ合図を送る。
相馬がリモコンを操作し、レールの固定具を解除した。
ボールが、緩い傾斜をゆっくりと転がり始める。
啓介は、心の中で呟いた。
(……《時間停止》)
発動。
世界が、止まった。
派手な爆発の音も、光の柱が天を貫くような演出もなかった。
啓介の主観としての最初の感覚は。
『音が、突然消え去った』。
数メートル先に置かれた扇風機。
モーターの低い駆動音が消え、回転していた羽根が、空中でブレたような角度のまま完全にピタリと固定されている。
チカチカと点滅していたLED。
点灯した瞬間の眩しい状態のまま、一切明滅せずに固まっている。
そして、水滴。
これが一番、視覚的に異様だった。
ペットボトルから落ちる途中だった一滴の水が。
空中に、不自然に浮いているのだ。
重力に従って落ちることもなく、空中で形を崩して飛沫になることもなく。ただそこにある。
啓介は、心の中で叫んだ。
(……マジか)
だが、声には出さない。息も止めたままだ。
傾斜を転がっていたボール。
坂の途中で、完全に停止している。宙には浮いていない。ただ、転がる運動エネルギーを完全に無視して、ピタリと止まっている。
デジタル時計の秒表示は変わらない。機械式ストップウォッチの針も動かない。
啓介は、予定されていた動作を始めた。
(1秒目:周囲確認)。
(2秒目)。右手を、ゆっくりと上げる。
普通に動く。指も動く。身体に抵抗感はない。痛みもない。めまいもない。
(3秒目)。首を左へ向ける。
(4秒目)。首を右へ向ける。正常だ。
(5秒目)。右手を下ろす。
(6秒目)。そのままの姿勢で、待つ。
啓介は、自分の主観の時間(秒数)で数えていた。
ただし、それが正確な6秒間だったかどうかは、後で計測しなければ分からない。
そして。
停止終了。
突然。
周囲の「音」が、ドッと一斉に押し寄せてきた。
ブゥゥン、と扇風機のモーター音が鳴る。
ピッ、ピッ、とLEDが点滅を再開する。
ポチャッ。空中に浮いていた水滴が、下の容器へと落ちる。
ボールが、再び坂を転がり始める。
時計の秒数表示が、再び進み出す。
15m線の外側から、相馬が口をポカンと開けてこちらを見ていた。
「……」
三崎が叫ぶ。
「門倉!」
三崎が真っ先に、啓介の元へ駆け寄ってきた。藤堂も続く。
「動くな。気分は?」三崎が即座にチェックを始める。
「普通だ」啓介は大きく息を吐き出して答えた。
「頭痛は?」
「なし」
「吐き気は?」
「なし」
「めまい、視覚異常は?」
「なしだ。全部正常」
一通りの問診に答えてから。
啓介は、自分の手を見て、ゆっくりと言った。
「……止まったぞ」
相馬が、興奮を隠しきれない声で聞いた。
「マジで?」
「ああ。マジで」
「時間が?」
「時間が、完全に止まった」
相馬が、めちゃくちゃに笑い出した。
「すげえ!! お前、三十六歳にして、ついに世界の時間止めたのかよ!!」
三崎が、冷たく相馬の興奮を止めた。
「喜ぶのは、機材のデータを全部確認してからだ」
「医者って本当に夢がねえな」
「『人間が時間停止という未知の物理現象を体験した直後』だから、厳しく言ってるんだ」
直後の医療検査が再開された。
血圧、心拍、酸素飽和度、瞳孔、握力の簡易確認、指鼻試験、立位、歩行テスト。短期記憶の確認。
すべて、大きな異常はなし。
三崎は、その結果を記録したが、一回の試験だけで安全性まで判断することはしなかった。
次に、時計の比較だ。
10mの内側に置かれたデジタル時計と、15mの外側に置かれた時計。
発動前は、完全に同期していた。
だが、終了後。
内側の時計だけが、外側の時計に比べて『約6秒遅れている』。
外側は、普通に現実の時間を刻み続けている。
相馬が声を漏らした。「うわ……」
啓介も驚いた。「本当に、この範囲の空間から、六秒間だけ時間を盗み取ったみたいになってるな」
機械式ストップウォッチも同様だった。
内側は、約6秒少ない時間を示して止めてある。外側は、発動から終了までの経過時間通りに動いている。
これで、『単なる啓介の脳の知覚が六秒間だけ異常に加速した(主観時間が延びた)だけ』という仮説の可能性は、ほぼ消えた。
次に、カメラの録画データを確認する。
内側に置かれたカメラ。
発動直前。
次の瞬間。発動終了後。
カメラの機械そのものが『時間停止』の影響を受けて記録を止めていたため、その6秒間の映像データは存在しなかった。動画上では、ほぼ連続した場面(少しだけ飛んだような映像)に見える。
しかし、外部側の基準時刻と比較すると、やはり約6秒の差が生じている。
そして。一番面白い結果が出たのは。
15mの外側から、内側全体を映していたカメラだった。
このカメラは、10mの範囲外にあるため、時間は普通に流れている。
その映像を、四人でタブレットで確認する。
時間停止の開始の瞬間。
映像の中の、10m圏内のすべてのもの。扇風機、落ちる水滴、転がるボール、点滅するLED。
それらが、ピタリと一斉に『完全停止』した。
しかし。
映像の中央に立つ啓介だけが、その静止した空間の中で、一人だけ普通に動いているのだ。
右手を上げる。
首を左へ。
首を右へ。
右手を下ろす。
約六秒。
そして、周囲のすべてのものが、一斉に動き(再開し)始めた。
映像を見終わった四人は、しばらく無言だった。
相馬が、ポツリと言った。
「……これ、映像として見ると、めちゃくちゃヤバくないか?」
藤堂が即座に釘を刺す。
「絶対に外に出すなよ。最高機密だぞ」
「分かってるって」
三崎が冷静に言う。
「消す必要はない。現象の証拠として、厳重に暗号化して保管だ」
「当然だ」
啓介自身が、その映像をもう一度再生して見た。
外部カメラの視点。すべてが停止した世界の中、自分だけが普通に動いている映像。
「……自分が体験したことだけど。客観的に第三者視点で見ると、なんかすごく気持ち悪いな」
10mの範囲外の設備は、一切止まっていなかった。
少なくとも「施設全体」や「世界中すべての時間」が停止したわけではない。局所的な効果だ。
啓介は、ホワイトボードに今回の確認結果を書き込んだ。
【確認事項】
・発動:成功。
・継続時間:主観および客観時計上で、約6秒。
・影響:内部設備(物体)は完全停止。外部設備は継続。
・行動:使用者(啓介)のみ、停止空間内で行動可能。
・健康:発動後の即時の身体的・精神的異常はなし。
・コスト:6マナの正常消費を確認。
【未確認事項】
・生物への影響。
・停止している軽量物・重量物への接触時の挙動。
・10mの境界線の厳密な挙動。
・停止領域の外へ出ようとした場合の挙動。
・発動中の電子機器等の操作。
・発動中の音声(外へ届くか)。
・長期的健康影響。
相馬が、ワクワクした顔で言った。
「よし。じゃあ次は、あの止まってるボールに触ってみようぜ」
三崎がピシャリと言った。
「今日はこれで終わりだ」
「えっ、早くない?」
「一発しか撃てないんだから当たり前だろ」
「あ、そっか」
啓介がため息をつく。
「マナの問題以前に、今日取ったデータをもっと詳細に分析してからじゃないと、次のテストなんかできないよ」
藤堂も終了を宣言した。
「今日取った動画や医療データを整理して、それから次の検証項目を詰める。解散だ」
相馬が残念そうに言う。
「せっかく時間停止できるようになったのに、一回だけかよ」
啓介も、少し損した気分で言った。
「俺だって、貴重なマナを六マナも全ツッパして……ただ六秒間、突っ立ってただけだからな」
相馬が笑う。
「お前、世界の時間止めておいて、やったことが『右手上げただけ』って」
「安全試験なんだから仕方ねえだろ!」
片付けを終え、帰る前。
啓介は、もぬけの殻になった広い荷捌き場を振り返った。
少し前まで。
《時間停止》は、ただバインダーのカード一覧の奥底にあるだけの、コストが高すぎて払えない『ただの夢』だった。
だが今は違う。
一度、現実世界で発動させ、その力を確認した。
啓介は、ただ短く一言だけ呟いた。
「……本当に、使えたな」
夜。
マンションへ帰宅した。
玄関を開けると、アカネがいつものように歩いてきた。
「あぎゃ」
「ただいま」
啓介は、しゃがみ込んでアカネの頭を軽く撫でながら思った。
今日、生物を一切巻き込まずに済んで良かった。未知の現象に、この小さな竜を付き合わせるわけにはいかない。
「お前で時間停止を試そうなんて絶対思わないから、安心しろ」
「あぎゃ?」
アカネは首を傾げた。
啓介は、デスクでノートを開き、本日の検証記録をまとめた。
《時間停止》初回使用
・発動成功。
・範囲中心:旧資材保管施設・荷捌き場。
・時間:約6秒。
・使用者:門倉啓介のみ例外として行動可能。
・生命体:使用者以外の人間・動物は確認範囲内になし。直接干渉なし。
・即時副作用:確認されず。
・外部カメラ:使用者のみ行動継続を確認。
・内部時計:約6秒の遅延。
次回の候補として、いくつかの項目を書き出す。
・軽量物への接触。
・持ち物(服のポケットの中身等)の扱い。
・停止領域の境界の確認。
・発動中の通信テスト。
・再使用時の再現性。
だが、まだ具体的な日程は決めない。
啓介は、ノートの文字を見つめて苦笑した。
「時間を止められるようになったのに」
ペンを置く。
「最初にやったことが、『六秒間、何にも触らずに息を止めて立ってるだけ』か……」
ソファの上から、アカネが「あぎゃ」と短く鳴いた。
啓介はバインダーを閉じた。
「まあ、調子に乗って事故るよりは、よっぽどいいか」
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