TCG能力《創世札典》を手に入れた俺、一日一マナから現代社会を攻略する~治療、未来予知、若返り。マナが足りないので山を買います~ 作:パラレル・ゲーマー
月曜日。
霞が関の、国の中枢機能に近い非公開の執務室。
久世のデスクへ、藤堂が一つの厳重に暗号化された記録媒体を持参した。
「旧資材保管施設で土曜日に実施された、門倉啓介の新しい魔法の検証について、正式な報告とデータを持ってきた」
久世は、手渡された紙のサマリー資料に目を通した。
今回、行政・医療の検証チームの立ち会いのもとで確認された事実。
・門倉啓介が新しい術式を発動。
・半径約十メートルの範囲で、啓介以外の『すべての物体の時間が約六秒間停止』した。
・範囲外の機器は、正常に動作を継続。
・範囲外からのカメラ映像に、完全停止した領域の中で、啓介本人だけが正常に動いている様子が記録された。
・使用直後の医療検査において、顕著な身体的・精神的な異常は確認されず。
・他者(生命体)への干渉や、同日中の再現試験は未実施。
久世は、資料に躍る『時間停止』という字面を見ても、驚いて声を上げたり、慌てふためいたりするような素振りは一切見せなかった。
「確認ですが」久世は静かに聞いた。
「これは、何かを一時的に麻痺させたとか、急速に凍結させたといった、別の物理現象の『比喩』ではないのですね?」
藤堂は首を横に振った。
「比喩ではありません。文字通りの、局所的な時間の停止です」
「……分かりました」
久世は、自席のセキュアな専用端末に記録媒体を接続し、映像の再生を指示した。
画面に、旧資材保管施設の広い荷捌き場が映し出された。
これは、15メートル以上離れた『効果範囲外』のカメラが撮影した映像だ。
中央に啓介が立っている。
周囲には、扇風機、ペットボトルから滴る水、傾斜を転がるボール、そして点滅するLEDライト。
次の瞬間。
映像の中の、啓介の周囲半径10メートルの空間だけが。
完全に、ピタリと静止した。
扇風機の羽根が、空中でブレたまま止まっている。
落ちる途中だった水滴が、重力を無視して空中で固定されている。
ボールが、坂の途中でピタリと止まる。
その、時間が完全に凍りついた空間の中で。
啓介だけが、ゆっくりと右手を上げ、首を左右に動かし、そして手を下ろした。
約六秒後。
扇風機が回り、水滴が落ち、ボールが転がり始めた。
久世は、無言のままマウスを操作し、その六秒間の映像を最初からもう一度、食い入るように見た。
そして、小さく息を吐いた。
「……なるほど」
藤堂が、久世の顔を覗き込んだ。
「それだけですか?」
「今、行政官として何という言葉を絞り出せばいいのか、真剣に考えているところです」
藤堂は、少しだけ笑った。
だが、すぐに二人の顔は真面目なものに戻った。
これまで、政府が啓介の能力に関して主に対応してきた大きな案件は、『癌の治療』だった。
人を治療する。医療機関へカードという形で供給する。そのための安全な保管、流通、管理の制度(システム)を構築する。
それは、既存の「薬剤」や「高度医療機器」の取り扱いの延長線上で、行政としてなんとか対応の枠組みを被せることが可能な領域だった。
ところが。
今回、啓介がやってみせたのは、『周囲の物理現象を局所的に完全に停止させる』という、次元の違う超常現象だった。
「これは」久世が言った。「医療チームの中だけで『効果の確認が取れましたね』で終わらせてよい能力ではありませんね」
「はい。当然ですが、保安・警備の担当部署にも、この脅威度を評価させるべきだと思います」
「ええ。ただし……」
無制限に、この映像を政府内にばら撒くわけにはいかない。
「情報共有の範囲は、極限まで限定します。検証データの技術確認に必要な少人数と、警備運用の『統括責任者』のみとします」
現在、旧校舎等で常駐している一般の警備員たちには、「小型の特殊動物がいる」「重要物品がある」ということしか教えられていない。その方針は維持する。現場の警備員全員に「実は彼は時間を止められます」などと教えても、パニックや情報漏洩のリスクを生むだけで、現場の警備力は一ミリも向上しないからだ。
「この映像には厳重な複製制限をかけ、閲覧ログもすべて残してください」
「承知しました」
午後。
政府の別の非公開会議室。
そこに呼ばれたのは、一人の男だった。
警備・保安運用の統括責任者、篠原。
五十代前半。白髪交じりの短髪で、現場の警備や重要施設の保安経験が極めて長い、ベテランの専門家だ。
国家の重要施設へのテロ、高度な不正侵入、内部の人間による機密情報の持ち出しなど、ありとあらゆる『人間の悪意』を想定した警備計画を立案・運用してきた人物である。
篠原は、性格も極めて冷静だった。
彼はすでに、職務上必要な範囲で「超常現象(魔法)が存在し、それを扱う対象者がいる」という事実は聞かされている。
だが、実際にその能力が使われている決定的な映像を見るのは、これが初めてだった。
篠原は、席に座り、久世と藤堂を前にしても、すぐには映像を見ようとしなかった。
まずは、淡々と質問を重ねる。
「確認ですが、この映像の編集履歴は?」
「専門の技術チームが、カメラの原本データと複製データを照合し、改ざんやCG処理がないことを確認済みです」
「時計の同期はどうなっていますか?」
「範囲の内外に配置した複数の機器で、発動前と発動後のタイムスタンプのズレを正確に比較・確認しています」
「別角度からの映像は?」
「あります」
藤堂が、確認を終えた篠原の前のモニターで、映像を再生した。
六秒間。
映像が、終了した。
篠原は、モニターを見つめたまま、完全に沈黙した。
顔の筋肉一つ動かさない。
やがて。
「……もう一度、再生をお願いします」
藤堂が、黙って映像を巻き戻して再生した。
篠原は、今度は中央で動いている啓介ではなく、その周囲で『停止している物体』の方を注意深く観察した。
空中に固定された水滴。止まった扇風機。動かない時計の秒針。
映像が終わり、篠原が口を開いた。
「この六秒間。……映像内の中央にいる人物だけが、この空間の中で動いているのですね?」
「そのように、記録されています」藤堂が答える。
篠原が、警備の専門家として、立て続けに質問を投げた。
「この停止している間、対象者は、停止している他の人間(例えば警備員)に触れることは可能なのですか?」
「接触自体は未検証です。ただ、カードには『停止中の生命および重量物へ強く干渉した場合、術式は終了する』という制約があります。どこからが『強い干渉』なのかも、まだ分かっていません」
「停止時間内に、厳重にロックされた扉の鍵を開けたり、破壊したりすることは?」
「未検証です」
「この十メートルの停止範囲から、発動者が逃げ出す(移動する)ことは?」
「本人の申告によれば、カードの仕様上、領域外へは出られない制約があるとのことです」
篠原は、そこでピタリと質問を止め、藤堂の目を見た。
「では。……もし、同じ能力を持つ『別人』がいた場合、その人物も、彼と全く同じ制約(範囲や時間)に縛られていると断言できますか?」
藤堂は、わずかに言葉に詰まった。
「……そこまでは、分かりません」
篠原が、久世の方へ向き直った。
「久世さん。一つ、先に確認しておきたい根本的なことがあります」
「どうぞ」
「この、時間を停止させるという現象。……これを起こせる人間は、世界でこの門倉啓介さん『ただ一人だけ』であると、完全に確認されていますか?」
久世は、正確に事実だけを答えた。
「現在、我々政府が把握し、確認している能力保有者は、門倉さんだけです」
篠原は、表情を変えずに言った。
「それは、私の質問への回答になっていません」
会議室が、シンと静まり返った。
「いいですか」篠原が論理的に詰める。
「我々が今ここで共有しているのは、『門倉啓介という特定の人物が、通常の科学技術では実現できない現象を起こせる』という、ただ一つの事実です」
「ですが。この人物が『世界で唯一の存在』であるのか。それとも、単に『我々がたまたま初めて確認できただけの存在』であるのか。……その二つは、警備の前提としては、全く別の話です」
久世も、その理屈を否定できなかった。
藤堂が、一応のフォローを入れた。
「これまでに、門倉以外の能力保有者の存在を示すような、確かな証拠や事件の報告は、どこからも上がってきていない」
「それは理解しています」篠原は頷いた。
そして、一呼吸置いてから言った。
「では。もし、他にも存在した場合。……我々はそれを、どうやって事前に認識し、防ぐんですか?」
再び、重い沈黙が落ちた。
なぜ、これまで彼らは無意識に「門倉一人だけだろう」と考えていたのか。
世間では、魔法や超能力などというものは、アニメや映画の中の創作上の存在だと思われている。当然、政府もそれを前提に社会制度を作ってきた。
だが今、目の前にある映像の事実によって、その前提は『少なくとも門倉啓介一人については』完全に崩れ去っているのだ。
「『一人存在すること』が確認された以上」篠原は厳しい口調で言った。
「『他にも存在しないだろう』という従来の常識だけでは、我々防護担当の警備上の判断材料(根拠)としては弱すぎます」
篠原が、さらに嫌な仮定を口にした。
「仮に。……この門倉さんが、最初から我々政府へ相談してこなかったら、どうなっていましたか?」
藤堂が眉をひそめる。
「……何が言いたい?」
「門倉さんが黙っていたら、我々は今この瞬間も、超常的な能力の存在など夢にも知らなかったのではありませんか?」
久世が静かに答える。
「……その可能性は、極めて高いでしょう」
篠原は、淡々と告げた。
「では。我々に相談してこない、未知の能力者が、他にもひっそりと社会に存在していた場合は?」
誰も、即答できなかった。
さらに、警備担当者としての恐怖は『時間停止』だけではなかった。
「それに、我々が警戒すべきは、同じ時間停止能力とは限りませんよね?」
「……それはそうだ」藤堂が認める。
「監視カメラに一切映らずに移動できる能力かもしれない。遠くから触れずに物理的なロックを破壊する能力かもしれない。他人の記憶を改ざんする能力かもしれない。……あるいは、我々の乏しい想像力では到底思いつかないような、凶悪な能力かもしれません」
篠原自身も、すぐに補足した。
「もちろん、そうした人物が現在実在するという証拠は、どこにもありません。ただの机上の空論です」
久世が、ここで静かに釘を刺した。
「篠原さん。その『仮定』を無制限に広げてしまえば、いかなる強固な警備計画も、予算も、絶対に成立しなくなりますよ」
「承知しています」篠原は深く頷いた。
「ですから、私が必要としているのは『全国の怪しい能力者を探し出せ』という命令ではありません。……まず、我々の構築している警備計画が、『一体何を前提として作られているのか』を、もう一度正確に整理することです」
篠原は、手元の資料にある、旧校舎の外部カード一時保管庫の警備体制を確認した。
現行の対策には、物理的な施錠、ICカードと生体認証、二名の職員による同時アクセス、厳格な搬出記録、外周の警戒、死角のない監視カメラなどがある。
これらは、現在確認済みの『通常の人間による脅威』に対しては、十分に意味があり、極めて強固だ。
しかし、問題はその有効性を『どこまで保証できるか』だ。
「我々のすべての警備計画は」篠原が言った。「侵入者が、我々と同じ『通常の時間の流れの中で動くこと』を、絶対の前提にしています」
「普通はそうだろ」藤堂が言う。
「ええ、そうです。普通は」
篠原は、モニターの実験映像を巻き戻し、一時停止させた。
啓介が、時間停止空間の中で右手を上げた瞬間の映像だ。
「この六秒間。……もし、我々の配置した優秀な警備員が、この対象範囲の中に立っていたら、一体どうなっていたのでしょう?」
藤堂は答えた。
「それは、まだ未検証だ」
「つまり、分からない、ということですね」
あくまで未検証だ。
六秒間止まったからといって、侵入や盗難が必ず100%成功するわけではない。分厚い壁や二重の電子ロックが、時間停止の前では完全に無意味になると判明したわけでもない。
それでも、防護を担当する責任者としては、この『六秒の空白』を無視することは絶対にできない。
篠原が、さらに追い打ちをかけるように言った。
「今回の門倉さんの魔法には、『半径十メートル』『六秒間』『外へは出られない』という制約があります。……ですが。仮に、見知らぬ別の能力者が存在して、ここへ侵入しようとしたとして。その人物も、門倉さんと全く同じ都合の良い制約に縛られているという保証はありますか?」
久世が、静かに首を横に振った。
「ありません」
「……ですよね」
そこでようやく。
鉄面皮だった篠原が、少しだけ疲れたような、人間らしい顔を見せた。
完璧な対策など、考えられるはずがなかった。
警備責任者として最も嫌なのは、『想定の枠組みが定まらないこと』だ。
泥棒なら、物理的な侵入経路を塞ぐ。
内部不正なら、アクセス権限を絞り、記録を徹底的に監視する。
施設破壊なら、物理的な防護の強度を上げる。
しかし、超常現象という『何でもあり』のルールを持ち込まれたら、どこまで対策を考えても永遠に終わらないのだ。
篠原は、大きくため息をついた。
「透明になれる人間への対策をやっと考えたと思ったら、次は『壁を通り抜ける人間』を想定しろと言われる。……そんなモグラ叩きみたいなことを繰り返していたら、警備計画なんか、百年経っても完成しませんよ」
藤堂が少し気まずそうに言う。
「まだ、そんな奴が実際にいるとは決まってないぞ」
「だから、余計に困るんですよ」
篠原は、手元の分厚い資料をバサリと机に置き。
両手で、自分の眉間を強く押さえた。
「……これまで、私は『不審者がどうやって侵入するか』を、必死に考えてきました」
篠原は、一拍置いてから、心底頭が痛そうに言った。
「今日からは。……そもそも不審者が、我々と同じ『普通の物理法則で動いてくれるかどうか』まで、考えなきゃならないんですか……」
久世が、しばらくして、極めて現実的な質問を投げた。
「篠原さん。それで、現時点で、我々の警備運用に『何を変える必要』がありますか?」
篠原は、ゆっくりと顔を上げた。
「現時点での設備(ハードウェア)を、今すぐすべて作り直す必要はありません」
藤堂が意外そうな顔をした。「意外だな。もっとトンデモない予算を要求してくるかと思ったが」
「何をしてくるのか全く分からない相手に合わせて、際限なく闇雲に設備を追加しても、意味がありませんから」
篠原が提案したのは、ごく現実的で地味な『運用(ソフトウェア)』の見直しだった。
・監視カメラの映像ログ、入退室の認証記録、物品の在庫記録を、これまで以上に厳密に『相互確認』する。(映像に空白があっても、記録で異常を検知する)。
・一つのセンサーや認証装置のデータだけを絶対に過信しない。
・機器のネットワーク切断や映像の乱れを、単なる「故障」と、不審な「異常」とに区別して詳細に記録する。
・保管物の搬出時は、既存の『複数人確認』の運用を意地でも維持する。(一人を無力化されても防ぐため)。
・警備上で、説明のつかない超常的な異常が発見された場合の、特別な報告経路(エスカレーションルール)を整理する。
「これなら」篠原が言う。「仮に未知の能力者など一人も存在しなかったとしても、ただの通常のセキュリティ強化として、決して無駄にはなりません」
「未知の能力を検知する装置は考えられますか?」久世が尋ねた。
「まず、何をどう検出(センシング)すればよいのかが、全く分かりません」と篠原。
久世も頷いた。「存在するかどうかも不明な対象のために、根拠のない装置を開発するわけにはいきませんからね」
会議後。
藤堂から、啓介のスマートフォンに電話が入った。
「門倉。少しだけ聞きたいことがある」
「何ですか?」啓介は会社からの帰り道だった。
「お前以外に。……この世界で、魔法が使える人間がいるかどうか、お前は分かるか?」
啓介は、困惑して立ち止まった。
「……はい?」
「いや、システム的にそういう感知能力があるかということだ」
啓介は苦笑した。
「一つだけ。昔、他人の魔法を打ち消すカードを考えたとき、システムから『現在この世界に確認可能な外部魔法体系が存在しません』って返されたことはあります」
「……確認可能な、か」
「そうです。それで俺以外に能力者が絶対いないと証明できるわけじゃないですし、そういう探知機能があるかも分かりません。……何で急にそんなファンタジーなことを?」
「さっき、お前が時間を止める映像を、うちの警備担当の責任者に見せたらな」
「はい」
「『世界に、他の能力者が存在しないことを、政府はどうやって確認したのか?』と、真っ当な顔で聞かれた」
啓介は、思わず声を出した。
「……え?」
少し笑ってしまった。
啓介は、歩きながら少し考えた。
自分がこの《創世札典》の能力を得る以前、魔法や超能力なんてものは、絶対に存在しないと信じ切っていた。
ところが実際には、自分が使えるようになってしまった。その時点で、彼の個人的な常識はすでに一つひっくり返っているのだ。
「……俺自身、こんな魔法みたいな能力がこの世に存在するってこと、自分が手に入れるまで、全く知らなかったんですよね」
「そうだな」
「だからといって、他に魔法使いがゴロゴロいるとは、全く思いませんけど……」
「『いないと証明すること』もできない、か」
「……ああ、そういう話ですか。悪魔の証明ですね」
藤堂が、会議室での経緯を短く説明した。
警備担当の責任者が、未知の超常能力者を仮定した場合のセキュリティリスクについて、本気で頭を抱えて悩んでいること。
啓介は、少し引いた。
「ちょっと待ってください。俺が、誰もいない倉庫で、安全のために時間を六秒止めただけで。……何で政府が、『見えない魔法使いとの未知の戦いに備える!』みたいな深刻な話になってるんですか?」
「警備担当というのは、そういうあり得ない可能性の穴まで塞ぐ(考える)のが仕事なんだよ」
「嫌な仕事ですね……」啓介は同情した。
啓介が、システムエンジニアとして一つ提案をした。
「だったら。最初から全部の未知の魔法に完璧に対策しようとするんじゃなくて。……実際に俺が使って『確認したもの』だけをベースにして、一つずつ記録して対応していけばいいんじゃないですか?」
藤堂が、少し驚いたように言った。
「……我々の会議でも、全く同じ結論になった」
「ですよね。仕様(ルール)が全く分からないシステムの、起こるかも分からない障害の対策を全部先回りして作れって言われても、絶対に無理ですし」
翌日。
久世が、篠原に最終の確認を行った。
「検討結果は、まとまりましたか?」
「はい」篠原が答える。「現時点で、我々が具体的に確認している能力は、門倉さんのものだけです」
「それ以外は?」
「存在未確認です」
「では、警備計画において、それが『存在することを前提』として扱いますか?」
「いいえ。存在を断定する確たる証拠は、どこにもありません」
篠原は、プロとしてきちんと線を引いた。
篠原の提出した報告書のリスク分類。
【確認済み】門倉啓介による、局所的な時間停止。
【未確認】他の超常能力者の存在。
【仮想リスク】未知の方法による、重要施設・保管物への不当な干渉。
【当面の対応】既存警備の点検、記録の整合性確認、異常発生時の報告手順の整理。
対応は、この程度に留められた。
久世が、少しだけ意地悪な質問をした。
「では、篠原さん。……仮に、この世界に、そのような未知の能力者がただの一人も存在しなかった場合は?」
「何も起きません」篠原が即答する。
「では、今回見直した対策の手間が、すべて無駄になるのでは?」
「いえ。実施するのは、もともと通常の防犯として必要な『保安管理の強化』ですから。無駄にはなりません」
久世が、満足そうに頷いた。
「それなら、進めてください」
それでも、篠原の胸の中には、警備責任者としての拭いきれない心配が残っていた。
篠原は最後に、久世に向かって少しだけ本音を漏らした。
「私は。……門倉さんが、こうして自ら我々の方へ相談してきてくださったことを、本当に幸運だったと思いますよ」
「どうしてです?」
「我々には、悪意を持って隠れている能力者を、自力で見つけ出せるような仕組み(センサー)なんて、一つもありませんから」
篠原は、少し間を置いて言った。
「もし、門倉さんが黙って能力を使っていたら。……我々は今でも、誰も何も知らないままだったでしょう」
久世も、その言葉に静かに頷いた。
「知らない」ことは、増えてしまった。
時間停止の映像を見たことで、政府は確かに「時間が止まる」という一つの新しい事実を知った。
だが同時に、これまで疑問としてさえ認識していなかった、無数の「仮定の恐怖」が増えてしまったのだ。
「……超常現象について、我々が何も知らなかった頃の方が。ある意味では、気楽でしたね」
「そうかもしれません」久世が答えた。
数日後。
旧資材保管施設の監視設備について、現場の管理担当から篠原の元へ、短い報告が上がってきた。
「篠原室長。監視カメラの記録データに、数秒間の欠落があります」
篠原が、即座に反応した。
「……何秒ですか?」
「四秒ほどです」
「原因は?」
「現在、確認中です」
篠原の脳裏に、一瞬だけ。あの時間停止の映像がよぎった。(まさか、未知の能力者が……)。
だが、数十分後の調査結果。
結局、ただの普通の設備トラブルだった。録画装置の定期再起動に伴う、一時的なデータの欠落。
他の角度のカメラや、ゲートの入退室記録との照合でも、不審な人物の出入りや物理的な異常は一切確認されなかった。
「通常の、機器の不具合でした」と担当者が報告する。
篠原は、深く、大きく息を吐き出した。
「……そうですか」
担当者が、不思議そうに聞く。
「何か、特別な問題がありましたか?」
「いや。原因が分かったのなら、問題ありません」
しかし、担当者が退出した後。
篠原は、自分の机の上に置かれた『時間停止の検証報告書』の分厚いファイルを見て、一人で呟いた。
「……これから。ただの普通の監視カメラの故障報告が上がるだけでも、いちいち肝を冷やすことになるのか」
その日の夜。
啓介はマンションへ帰宅していた。
アカネは、いつものように古いパーカーの上でくつろいでいる。
啓介のスマートフォンに、藤堂からメッセージが入った。
『警備側の初回検討が終了した。既存の保安体制を一部見直すことで決着した』
啓介が返信する。
『俺が時間止めただけで、そんなに大ごとになったんですか?』
藤堂から返ってくる。
『お前は、誰もいないところで六秒間手を上げただけのつもりでも。……警備を担当する人間にとっては、見えている世界が違うらしい』
啓介は、スマートフォンを置いて呟いた。
「……俺、誰にも迷惑かけないように、安全に気を配って六秒止まっただけなのになあ」
啓介が、ソファのアカネを見た。
「あぎゃ」
「なあ、アカネ。……この世界に、俺の他にも魔法使いが隠れてると思うか?」
アカネは、前脚で木製リングをコロッと転がした。
「あぎゃ」
「……お前に聞いた俺が悪かったよ」
啓介は、少しだけ笑った。
自分は、ただ魔法のカードを使って時間を六秒止めただけだ。
それなのに、国の優秀な警備担当者は、まだ見たこともない「未知の能力者の襲撃」の存在まで勝手に想定して、真面目に頭を抱えているらしい。
「……まあ、何を考えるのも自由だけどさ」
アカネが転がした木製リングが、啓介の足元までコロンと転がってきた。
啓介はそれを拾い上げ、アカネの方へ軽く投げ返してやりながら、呟いた。
「本当にそんな奴がいるんなら、俺の方が一回会って話を聞いてみたいよ」
「あぎゃ!」
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