前回より文字数多めとなっております。
「初音…… ミク……」
少女が名乗った名をケイは無意識に反芻した。
ケイの眼前には超絶美少女が立っている。街中を歩けば十人中九人は振り返って二度見するだろう。その容姿はそれほどまで見る者を釘付けにした。
グレーを基調とした袖無しのブラウスにグリーンに縁取りされた黒のミニスカート。黒のアームカバーに黒のニーハイソックス、グリーンのネクタイと、決して明るい色使いのコスチュームではないが、一度見たら忘れられそうにないほどのイメージが脳裏に焼き付く。
そしてケイが際立って目を引いたのが彼女のヘアスタイルだった。
膝まで届くログヘアーは美しいエメラルドグリーンで彩られ、頭部2カ所で束ねられている。いわゆるツインテールである。そのツインテールの根元は正方形の髪飾り?のようなもので留められており、青いラインが淡く光っている。
ユウの言う語彙力に少々難のある表現「すごく可愛い」はお世辞や社交辞令ではなく、端的にまとめられた正真正銘の事実だった。彼女のルックスとファッション全てが相まって可憐な美少女が組成されていた。
だが同時にケイは頭の片隅に引っかかるものを感じた。
どこかで見たような気がする。その昔、過去にも同じように『神秘的なエメラルドグリーンのロングヘア』と表した覚えがある。だが、どうしても思い出せない。
しばしの間、必死に記憶の断片を探っていると、
「ではリビングへ行きましょう」
そうユウが切り出した。
昼の日差しが舞い込む音無家のリビング。
タワマンの最上階とあって、床から天井まで届く巨大な一枚ガラスの窓からは眼下の風景を一望のもとに見渡せる。
リビングにはユウの選んだセンスの良いソファーセットが置かれている。北欧調のデザインはシンプルながらも温かみがあり、この高級マンションの一室に相応しいインテリアとなっている。
ユウは客人二人を上座へと着席を促す。二人は「失礼します」と一礼してから着席した。両者とも姿勢を正し、膝元に手を添えている。
音無家の二人はその対面に着座した。無意識だがケイはミクを見つめたままでいる。
ケイの熱視線がミクにロックオンしていることを察したユウは
「ケイ君、ミクちゃんがそんなに気になる?」
「ち、違う! 気になるって、そういうことじゃ無くて……」
母親に恥ずかしい指摘を受けいち早くかぶりを振ったが、ガン見していたことは事実だったため、ケイの言葉尻は弱まってしまう。
思春期盛りな我が息子の健やかな成長を確認したユウはクスクスと笑みをこぼした。
「じゃあカイト君、説明をお願いね?」
「かしこまりました。ではケイ君にご説明します」
カイトはケイに視線を向け話しかける。
説明? 『紹介』ではなくて? 説明とは何のことなのか。ケイは身構える。
「実はこの子はアンドロイドです」
「は? え? マジで……?」
ケイは軽く衝撃を覚えた。
この時代、アンドロイドは労働力として既に稼働している。実際ケイも幾度か実物を目にしたことがあり、特に珍しいものではない。だが、そこにいるアンドロイドはケイの知るアンドロイドとは別次元の代物だった。
ケイは改めてミクを凝視する。
人間との違いを見つけられない。人としての立ち振る舞い、肌の質感、呼吸まで見て取れる様は「実はアンドロイドです」と言われてもにわかに信じがたい。
カイトは説明を続ける。
「こちらは当社で開発中の次世代型アンドロイドです。名前は仮称ですが『初音ミク』と言います」
「アンドロイドってもっとこう…… ロボットみたいな……」
ケイの知るアンドロイドの造形は無骨そのものだった。人型ではあるものの、所々に特殊パーツが備え付けられ所定の業務をこなしていた。『働くマシン』と呼ぶに相応しかった。
「ええ、それは第一世代のアンドロイドですね。第一次第二次産業用のアンドロイドです。用途柄、機能重視で作られていますのでどちらかというとロボットに近いですね。しかし第三次産業用となりますとより人間に近づける必要があります。この初音ミクはそのプロトタイプになります」
黙々と単純作業を繰り返すなら、その工程に特化した装備になるのは理にかなっている。
だが人間同士のコミュニケーションを求められる職場なら確かに見た目も重要視されるだろう。
「今後は介護や医療現場、オフィスでのデスクワークなどを想定してます。そのため人間と同じ見た目や所作となるようなアーキテクチャとなっています」
ケイも初見でミクのことを本物の人間と誤認した。ここまで精巧なアンドロイドならオフィスにいても違和感は全く無い。
「ハードウェアはほぼ完成していますが、ソフトウェアがまだ未完でして、よりブラッシュアップさせる必要があります。我々はより人間味が出るよう『豊かな感情』目指しております。
そのためケイ君には実際にこの初音ミクと共に生活していただき、ラボやネットだけでは学習できない実生活でのデータ収集にご協力願いたいのです」
なるほど、経緯は理解した。だがケイは心の奥底でモヤるものがあった。
実はユウの「女の子を紹介する」にちょっとだけ期待した自分がいた。
自分も来月からは高等部へ進学する。高等部と言えば、人生の中でも多感でアオハルな時代に他ならない。異性の存在はこれからの生活に彩りを添えるというものだ。もしかしたら、友人から次のステップへ進化するかもしれない。ケイにもそんな甘酸っぱい希望もないわけではなかった。
しかし、そんな淡い期待も霧散した。
『女の子を紹介する』は建前であり、目の前に現れたのは生身の女の子ではなかった。「なんだよ……」と少し落胆もした。だがそれを母親に悟られるわけにはいかなかった。妙なところで思春期男子のプライドが発動した。
なのであえてここは殊勝な面持ちで「俺で良ければ協力しましょう」という体を貫き通す。
「それで俺は何をすればいいの?」
「特に何もありません。データは自動的に本社ラボへ送信されますし、単体でも記憶・学習は行えます。要はこの子と一緒に生活するだけです。ケイ君のご友人と同様に接していただければありがたいですね」
「そうか、それなら……」
つまりはデータ収集の被験者になると言うことか。もしやこれから毎日レポートや感想文的な物を書かされ提出しなければならないのではと危惧したが杞憂だったようだ。
「OSと各種ドライバーのインストール、初期設定も完了してますが、サンプリングのための操作は本社のラボにて行わなければなりません。私はこれから社に戻り準備に取りかかります。準備ができましたらご連絡致しますので。もし分からないところがありましたら、こちらにご連絡ください」
カイトは洒落たデザインの名刺を差し出した。そこには『始音カイト』の名とともに、役職は『主幹研究員』となっていた。
名刺入れをポケットにしまうとカイトはすっと立ち上がり、
「ケイ君、ミクのことよろしくお願いいたします」
と、一回りほども歳の違うケイに深々と頭を下げた。
カイトのだし抜けな行動に一瞬フリーズしたケイは呆けたまま「は、はい」と短く答えただけだった。
結果的に情けない返答となってしまったが、カイトは満足したのか笑みを浮かべ安堵の表情を浮かべた。
「では私はラボに戻ります」
一通り説明を終えたカイトは再び一礼した。手ぶらでの来訪だったゆえ、帰り支度もなくそのまま玄関へと向かう。ユウも見送りのためカイトに続く。
ミクはというと指示がないと行動できないのか、微動だにせず座ったままでいる。
ケイも母親に追従するように後を追おうとするが、
「カイト君のお見送りはわたしがするので……」
ケイの自室を指さしながら、ユウはこう言った。
「ミクちゃんにケイ君の部屋を案内してあげたら?」
十四畳と割と広めのケイの自室。学習に使うデスクとは別にパソコン用のデスクも設置されている。反対側にはベッドと独りくつろぐためか簡易なソファーとテーブルが置いてある。そして部屋の片隅にはもう使われていないのかキーボードが寂しげに立てかけられていた。
「まあ、入ってくれ」
「はい、失礼します」
ミクはドアの前で律儀に断りを入れてから入室した。
ケイはミクの所作をマジマジと見定める。
おそらくあらゆる動作に何らかの駆動装置を使っているのだろうが、静音なこの部屋でも一切動作音が聞こえない。聞こえるのは衣装の擦れる音だけである。つまり人と同じであった。
加えて一挙手一投足がデジタルな正確な動作でなく、一々アナログなヒトの動きだった。喋らず佇んでいれば人間と見分けが付かない。それだけに目の前にいるのは本当にアンドロイドなのかと疑惑の念が浮かぶほどだった。
ただ一つだけ人間とは異なる点があった。
感情である。
このアンドロイド――ミクには感情がなかった。
このミク、先ほどから1ミリも表情が変わっていない。まるで静止画を見ているようだった。
「とりあえずそのソファーに座ってくれ」
「はい、ありがとうございます。ですがその前に……」
ミクはすっと姿勢を正し、
「改めてご挨拶をさせて頂きます」
律儀な性格 ――と言うより、初めて電源を入れたときの初期画面みたいなものか。ミクはケイを見据え正式に挨拶し始める。
「わたくしはクリプトン・エレクトロニクス社製アンドロイド、型番01、初音ミクです。これからよろしくお願いいたします、マスター」
よどみなく挨拶すると深々と頭を下げた。
「マスター?」
最後の言葉の意味が分からずケイは聞き直した。
「初期設定ではユーザー様を『マスター』とお呼びするようになっております。ですが変更も可能です。変更いたしますか?」
人に使われることを前提に作られたアンドロイドであるが、主従関係というより所有者を明確にするための設定なのだろう。
「マスターなんて柄じゃないし、俺のことはケイでいいよ。友達もそう呼んでいるし」
「ではケイ様でよろしいですか」
「いや『様』はいらないよ」
「差し出がましいようですが、わたくしどもアンドロイドは人間様にお仕えすることを使命とされています。ユーザー様のアシスタントとしての立場をわきまえ、ユーザー様の尊厳を遵守し、馴れ合いは慎むべきと教え込まれています。よって『君・ちゃん付け』はもちろんのこと『呼び捨て』のように本名を敬称なしで呼称することは推奨されないとプログラムされております」
「マジか……」
様付けである。家庭内、つまり他人の目の無い場所はともかく、外出時に連れ立って歩く女の子に「ケイ様」など呼ばれよう物なら世間からあらぬ目で見られかねない。
今まで周りから「ケイ」と呼び捨てされることにすっかり慣れており、また目上の人物から「ケイ君」と呼ばれるのはさほど抵抗はないが、同世代からの「ケイ様」呼びは痛すぎる。
どうしたものか。他にマシな敬称はないか思案していると、
「よろしければわたくしの開発中にラボの職員に登録された履歴が残っておりますのでこちらを参考になさいますか」
ミクがそう提案してきた。
世界に名だたるクリプトン・エレクトロニクス。中でも研究開発部門はまさに社の頭脳である。その研究員となればいずれも天才秀才であることは間違いない。彼らが名付けたならばきっと良いお手本となるべき呼び方があるだろう。
「そりゃいい。聞かせてくれ」
渡りに船と、ケイはミクの提案に飛び乗った。
では、とミクは今までの無表情な顔つきを一転させ柔和な表情を見せた。目尻が下がりなんとなく幼い感じがする。
なんだこんな表情もできるんじゃないかと感心した矢先、
「パパー」
「……………………は?」
瞬時にケイは固まった。
甘い感じのやや舌っ足らずな、有り体に言えば幼女のような口調だった。
フリーズしたケイに気づいたのか、急に無表情モードに切り替わり、ミクは今の発言について補足する。
「呼称する際は『やや上目遣いで』という表現指示があり、これは絶対厳守するようにと……」
「いや、そういうことではなくて……」
「研究員の娘さんが反抗期で相手にしてもらえないと。なのでまだ可愛い盛りの幼女期に思いを馳せ、再びそう呼ばれたいと渇望しておられました。ラボで一番要望の多かった呼称です」
――やめろ、そんな哀愁を帯びた家庭事情を語るな。
「最初に呼称した際には感涙する研究員もいました」
そんなバックグラウンドのある呼称は使いたくない。いや、そもそもパパでは無い。
「……それは……パスで……」
「では次点の「ブタ野郎」で登録致しましょうか? こちらは主に独身男性からの要望でして、必ず『蔑んだ感じで』との表現指示がありました。この呼称でお呼びした際には恍惚の表情をされてお喜びになりましたので、わたくしとしてもこちらを強くお勧めいたします。試しに表現付きでお呼び致しましょうか?」
「いやちょっと待て、さっきユーザーの尊厳を遵守するって言わなかったっけ? 最下層に落とし込んでるぞ?」
「最高位の敬称であり、むしろ『ご褒美』だと教わりました」
――誰だ、変なこと学習させたのは。確かに一部のマニアの方にはそうかもしれないが、こんな特殊性癖を標準装備させたアンドロイドを世に放つな。
「……もうケイ様でいいよ」
ケイは諦めた。街中で「パパー」や「ブタ野郎」と呼ばれるよりマシだ。そんな呼ばれ方をクラスメイトに目撃されようものなら、これからの高校生活に支障が生じかねない。
「かしこまりました。では『ケイ様』で登録致します…… 登録完了しました」
表情を変えずに淡々と受け答えするミクにケイは疲労感を覚えた。色々な意味で。
ミクを見てケイは嘆息する。
見た目は完璧に人間に見えても感情がない。
これからこの機械と生活を共にするのか、そう思うと暗々たる気分になる。
先ほど見せた幼女のような表情も機械的に作られた笑顔なのだろう。
確かに普通の人間にも無愛想だったり塩対応する者もいる。だがそれはまさしく感情の表れだ。
ここにいるミクはそのような次元とは根本的に異なっている。受け答えはしてくれるがAIによる最適解を口にしてるだけだ。
カイトが「ソフトウェアが未完」だと言った意味が分かった気がする。
このミクもこれから学んでヒトの感情を学習し理解し、少しずつ表情豊かになるのだろうか。
そう思いを巡らせていると、ケイの携帯が着信音を奏でる。カイトからだった。
「はい、ケイです」
「ケイ君、こちらの準備が整いました。まずはミクを何かに座らせてください。再起動後にバランスを失う可能性がありますので」
「わかりました。……座ってくれってさ」
一旦ケータイを耳から離し、ミクに指示を出す。直立不動のままだったミクだが、素直にソファに腰掛けた。
「ありがとうございます。では次にミクの頭部にある正方形の髪飾り、我々は『スクエア・インターフェイス』と呼んでいますが、そのラインのLEDは青色になっていますか?」
「正方形の髪飾り…… ああこれか。はい、青です」
ミクの頭部を見回し件の髪飾りを確認する。ツインテールの根元近くに髪を束ね固定するように着けられている。約十センチ角の正方形で幅は二センチ程か。その中央に幅五ミリ程のラインLEDが青く光っていた。
「了解しました。あとはこちらで遠隔操作を行います。その後、一旦ミクは再起動となります。その間は受け答えはできませんがご心配なく。再起動後からが『本番』となります。ではケイ君、ミクをよろしくお願いいたします」
と、カイトとの通話は切れた。
――本番?
一点、理解できない単語が出てきた。『本番』 ――つまり、再起動後からが本格的なデータ収集、サンプリングの開始と言うことか。
などケイが考えを巡らせていると、
「システム再起動します」
唐突にミクがアナウンスした。
ミクは目が閉じられ、うなだれるような格好となった。再起動が始まったようだ。
傍から見た限りでは疲労困憊で動けないでいる人のようだ。思わず「大丈夫?」と声を掛けたくなる。
ふとミクの頭部を見ると、例の髪飾り――スクエア・インターフェイスのLEDが赤く光っている。
「あれ、さっきは青かったよな?」
そうケイが疑問を抱いたとき、
「再起動、完了しました、システム正常です」
と、ミクは自らシステムの診断結果を報告した。
その直後だった。ミクは一瞬、身体をビクッと震わせた。
そしてうなだれた体勢のまま、ミクの目がゆっくり開かれた。目に生気が宿ったように見える。
何度か瞬きをし、じっと正面を見据えた。相変わらず無表情だが、先ほどと違って何となく寝起きのようにも見える。
今度は自分の手を見つめる。おぼろげな表情で手を握ったり広げたりしている。
次に立ち上がって足踏みを始めた。
いわゆる動作確認だろうか?
ケイは一連の仕草をつぶさに眺めている。
するとミクの顔がみるみる驚愕の表情になり、
「すごい! ホントに動いてる! 感覚もある!」
と、いきなり驚嘆の声を発した。
「すごい!すごい!!すごい!!!」
再起動前とは打って変わってやたらとテンションが高い。
ミクが何やら感動しているのは理解できたが、ケイは何が起きたのかが理解できない。と言うか、ちょっと引き気味になっている。
唐突な状況変化に狼狽えつつもケイはとりあえず声を掛ける。
「お、おい」
「え?」
まさか人がいるとは思わなかったのか、はたまた感動のるつぼと化していて周囲に全く気づかなかったのか、突然視界に現れた人物を前にミクは顔を強ばらせた。
「だ、誰?」
ミクがケイの存在に警戒したのか一歩後ずさった。
「誰って、さっき登録したじゃないか。というかさっきからずっといただろう?」
「え…… と、登録?」
「なんだよ、データ消えちゃったのか?」
再起動した際のデータ消失。登録が正しく完了されていなかったのか、アップデータに問題があったのか、いずれにせよあり得ない話しではない。
だがここでふと気がついた。
ミクの表情や仕草が明らかに人間ぽくなった。
カイトの言葉ではないが、再起動後のミクはやたらと『表情豊か』になっている。
ミクは眼前の人物に危険性は無いと判断したのか、先ほどまでの警戒心を解くとこう質問してきた。
「ねえ、ここがユウ先生の家なの?」
「……そうだけど」
母さんならつい三十分前まで一緒にいたじゃないか、と言葉が喉元まで出掛かった。
続けてミクはまたもやイミフな言葉を発する。
「ってことは、もしかしてあなたがケイ君?」
「だから、さっき登録しただろ」
イマイチ話しが噛み合わない。やはり再起動の際、データが消失したのか、それとも何かしらの不具合があったのだろうか。
早速カイトさんに連絡かな、と先ほどもらった名刺とケータイを出そうとする。
一方のミクは「そっか」と独り納得すると、ケイの正面に立ち姿勢を正す。
そして「では、改めて」と前置きして
「初めまして! 初音ミクです!」
と、三度目の自己紹介を行った。
満面の笑みとともに元気あふれる発声。
それはまぎれもなく感情のある『人』の挨拶だった。
2話をお読みいただきありがとうございました。
次話よりコメディ成分多めでお送りいたします。