午後8時を回って、夕食を終えた私は旅館の醍醐味とも言える大浴場に足を運んでいた。
ここの旅館は屋内に大きな内湯が2つ、屋外には岩で囲まれた大きな露天風呂がある。
行くのなら京都が良かったけれど、北海道の冷えた外気にあたりながら温かいお湯に浸かるのも風情があっていい。
別に私だって何も楽しみが無いわけじゃない。
今回は他クラスとの競争などは無いわけだし、存分に楽しませてもらおうと脱衣所に向かう。
私は比較的、他の生徒たちよりも早く食事を終えた方だけれど、脱衣所には既に3人の生徒が服を脱ぎ始めていた。
恐らく、裸を見られるのが嫌で早々に食事を切り上げて、手早く入浴を済ませてしまおうという考えなのだろう。
異性に見られるのであればまだしも、同性に裸を見られることに対して嫌悪感や羞恥心なんてものは浮かんでこないと思うけれど。
ただ、そんな私でもある種のマナーのような形でフェイスタオルを広げて前身を隠して大浴場への引き戸を開ける。
40度を超える温泉から漂う湯気が素肌を駆け抜けて、想定していたよりも大きな大浴場が視界に飛び込んでくる。
なるほど、これなら部屋にシャワーもないのは納得がいく。
けれど、こうした温泉が苦手という生徒もいるかもしれない。
お湯で軽く身体を流してから、私は早速岩風呂へと続く戸を開ける。
すると、岩風呂には思いがけない2人の先客がいて私の視界に飛び込んでくる。
そのうちの1人はクラスメイトの櫛田さんで、グループ決めの班が発表されてからピリピリした様子だったけれど、今はそうでもないらしく私に気づくと笑顔で手を振ってくる。
「あ、堀北さん」
あれが本心ではない、というのは分かっているけれど裏と表を使い分けられる彼女には感心する他ない。
まぁそれもBクラスの六角さんがいるのなら納得もいく。
他クラスの生徒がいる前で本性を見せるということはしないでしょう。
私は邪魔しないように櫛田さんたちから離れて湯船に浸かる。
誰にも声をかけられずにのんびりとした時間を過ごしつつ、5分、10分と温泉を堪能していると、いつの間にか六角さんはいなくなっていて櫛田さんだけが残っていた。
その顔には先程までの笑顔はないけれど、ゆっくりと温泉に浸ってリラックスする姿があった。
「随分とご機嫌ね。六角さんといい話でもできた?」
「別に〜、大した話はしてないよ〜」
ぐで〜と蕩けるように身体を伸ばした櫛田さんの間抜けな姿に驚きつつも、どうして六角さんと出なかったのか尋ねる。
「スキーで疲れたしもうちょっとね。私温泉大好きだし。あ、斉木も好きらしいよ。温泉」
「別に聞いていないけれど……」
スイーツ以外にも好きなものがあったのね。
意外ではあるけれど、別に興味を抱くほどでもない。
「貴方は本当に交友関係が広いのね。私は六角さんと話したこともないわ」
「一緒に来て欲しいって泣きついて来たの。身体が貧相だからなんとか。別に気にしなくてもいいのにね」
誰かが聞いているからなるべく穏やかな言葉を使っているというわけでもなく、櫛田さんは本気でそう思っているらしい。
彼女ならもう少し、いえ中々に強烈な毒を吐きそうなものだけれど。
「堀北は、まぁ整ってるね。今の私には負けるだろうけど」
値踏みするような視線で観察してきたかと思えば、櫛田さんは少しこちらに寄ってくる。
それが不気味で怪訝な顔をしてしまう。
「何……? 私にどうしてもらいたいの?」
「は? 何言ってんの? 同じクラスメイトなのに距離が空いてるのも変でしょ? 外から見られたり中に誰か入ってきた時に違和感を抱かれるでしょ」
六角さんがいる状況なら、知り合いの少ない私が離れていても違和感はない。
けれど、この広い露天風呂で露骨に離れていたら新しくやってくる入浴者が疑問を抱く可能性はある。
「相変わらずの苦労ね。心中お察しするわ」
「どうも。そう思うなら内風呂に行って欲しいんだけどな」
「断るわ」
それとこれとは話が別よとため息をつくと、櫛田さんはお湯から両腕を出して大きく伸びをする。
そういえば櫛田さんと2人きりになったのは体育祭の前以来。
お弁当の作り方を教えて欲しいと頼まれて彼女の部屋に呼ばれたけれど、体育祭でMVPを取ってクラス移動の話が出てしまったりであまり話す機会はなかった。
「そういえば、1つ聞いていいかしら」
「質問によるけど、いいよ」
周りにいつ見られてもいいようにとにこやかな表情を浮かべる櫛田さんに、私は単刀直入に尋ねた。
「修学旅行が終わったらクラス移動すると聞いたけれど、本当なの?」
「何それ。誰が言ってるの? ……まぁ大体察しはつくけどね」
一瞬だけ素の顔に戻った櫛田さんだったけれど、直ぐに外向きの顔になると口を開く。
「貰えるプライベートポイントも変わってくるし11月中には決めたかったんだけど、修学旅行が12月跨ぐからさ、保留にしてるんだ」
「じゃあ、やっぱり……」
櫛田さんはクラス移動するつもり、なのね。
当然と言えば当然だから、私に引き止める資格はない。
理由はあるけれど、それは私がAクラスに上がりたいというエゴのため。
私の個人的な目的に櫛田のエゴを押し殺させるのは気が引けた。
それに、彼女には想い人がいるし、その人がいるクラスに行きたいという気持ちを……友人としては邪魔してはいけないと思った。
「ま、分かんないけどね。ちょっと考えてることがあってさ」
「考えてること?」
「……今Aクラスに移動するのは他人の褌で相撲取ってるっていうか、実力でなったかって言えるかは微妙じゃないかと思って」
「そんなことないでしょう。体育祭でMVPを取れたのは紛れもなく櫛田さんの実力よ」
「そうかな? 私はそう思ってないんだよ。あれは全部、斉木のおかげ。相手に斉木がいるから、あんたと綾小路、そして須藤くんと小野寺さんのペアは同じクラスの人間が出てる種目に出場した。斉木がいたから私は1位の得点を貰って女子のMVPになった」
「それはそうかもしれないけれど……私とのラリーで貴方は私に勝ったわ」
「あれも斉木が私にテニスを教えてくれたからだよ。そもそも去年の体育祭からそう。学力試験でもあんたに勝てるようになったのも斉木のおかげ」
そんなにすごいのかと言いたくもなるが、彼は実際すごい。
兄さんよりもすごい人なんて高校生にはいないと思っていた。
けれど、その兄さんが認めるような人が私の同学年にはいた。
「他人の褌ね……つまり今Aクラスに行っても不相応だと?」
「いや、今の私にAクラスに値する実力はあると思ってるよ。けど、これが本当に自分の実力で掴んだものかが分からないだけ。斉木に言われた通りの事をやってきただけだからさ。Aクラスで卒業して、私の望む進学先に進んだとして、斉木のいない先で私はやっていけるのか不安になったんだよ」
斉木くんという指導者がいるから今の櫛田さんはAクラス相応の実力があるけれど、斉木くんがいない未来を考えると不相応になるのではと櫛田さんは危惧しているらしい。
「もちろん、あんたに負けないようになったのは私自身の努力の結果だけどさ、頑張れたのはあいつと、癪だけどあんたがいたからだからさ。そのどちらも欠けた2年後を想像した時に、私は今のままでいられるのかなって」
他にも何か言おうとしたのであろう櫛田さんだったけど、内風呂から露天風呂に繋がる引き戸に視線をやってから言葉を止める。
直後勢いよく音を立てて戸が開くと、肩にフェイスタオルをかけた伊吹さんが入ってくる。
伊吹さんはまだ櫛田さんの本性を知らないけど、櫛田さんと伊吹さんはさして仲がいい訳じゃない。
そもそも、伊吹さんと仲のいい女子があまり思いつかないけれど。
「堀北!」
当たり前だけど全裸のまま岩風呂へと近づいてきた伊吹さんは飛び跳ねて露天風呂に入った。
飛沫が盛大に上がって、私と櫛田さんにお湯が飛び散る。
「盛大にマナー違反ね」
「知らないし! そんなことより勝負よ勝負!」
「こんなところで? 一体何をするつもり?」
「はぁ? こんなに広い風呂があるんだからやることはひとつに決まってるでしょ。どっちが早く端から端まで泳げるか勝負!」
「泳ぐのは飛び込む以上にマナー違反じゃないかな」
我関せずを貫こうとしていた櫛田さんだったけれど、伊吹さんの傍若無人ぷりには口を挟まずにはいられなかったようね。
「別にいいでしょ。一般客がいるわけでもないし、誰も見てないって」
「えーっと、私は離れてるね……」
「ちょっと、櫛田さんは止める立場でしょう?」
「一応止めたけど聞かないし……先生には言わないから巻き込まないでね……」
「しないわよ」
私がキッパリと断ると「せっかく勝負できると思ってこっちに来たのに損した」とさっさと湯船から出ていく。
それだけのために来たとは呆れるを通り越して軽蔑するわ。
勝負ができないなら長湯は出来ないと露天風呂から内風呂へと戻っていく。
「伊吹さんって馬鹿なのかな」
「馬鹿よ。クレイジーだわ」
異常なまでに私との勝負にこだわってくる。
それは櫛田さんも一緒だったけれど……。
「そういえば、貴方はどうやって斉木くんと仲良くなったの?」
「は? 何、いきなり」
「いえ、私と同じで彼は人との関わりはなるべく避けてそうだったから。なのに、他クラスで人気者の貴方と知り合いになるのは……彼の性格からしたら変だと思ってたのよ」
近づくとしたら櫛田さんからだろうけど、櫛田さんは伊吹さんみたいに自分に興味なかったり近づいてこない人間には適切な距離を保つ。
なのに、斉木くんには自分から積極的に絡みに行っている。
「あんたに勝つために斉木の力が必要だっただけ。船上試験で一緒だったでしょ? そん時からだよ。関わり始めたのは」
「その時なら私もいたけれど……」
「何? 斉木のこと狙ってるの? やめてよね。本気で戦っても、今更堀北が私に勝てるわけないんだから」
別に狙ってるわけじゃないけど。
興味はある。
綾小路くんもそうだけど、ぬぼーっとした感じなのに頭脳明晰でスポーツ万能。
それも綾小路くんと高円寺くんを楽々捻れるほどに。
そんな人間に興味を持たない方がおかしいと思う。
「私も斉木くんに色々教えてもらおうかしら」
「綾小路くんにしときなよ。あいつも斉木ほどじゃないけど頭良いし、運動できるし、多分教えるのも上手いでしょ。あの感じなら」
斉木くんと競争することに夢中になっていて、綾小路くんは隠すと言っていたはずの実力を惜しげも無く出し始めている。
学力テストは抑えているけれど、身体能力は高円寺くんに並ぶほどと周囲に明かしている。
そのせいで幸村くんや池くんからは距離を置かれているけれど、彼は気にしている様子はない。
斉木軍団と呼ばれる斉木くんを中心とした問題はあまり起こしていないけど問題児に見える斉木くんのグループに入りたそうにしているし、あの2人とはソリが合わなかったのかもしれない。
いえ、斉木軍団の方が一般的な感性を持っていたらソリが合わないと思うけれど。
「また今度頼んでみなよ。意外と"オレと斉木、どちらの方が指導者として優れているか比べてみるのも悪くない"とか言って教えてくれるかもよ」
「そんなこと言うかしら……」
でも、なんだか言っていても違和感はないのよね。
不思議だわと会話が止まると再び露天風呂の戸が開かれる。
「ありゃ、お邪魔だったかな……?」
2人きりの時間が終わりを告げたのは、伊吹さんが去ってからそう経っていない。
一之瀬さんは遠慮がちに露天風呂に姿を見せる。
「帆波ちゃん1人? クラスの子か有栖ちゃんとかと一緒じゃないんだね」
「うん、クラスの子は後から来るって。有栖ちゃんとひよりちゃんも一緒」
夕食の時は周りの大勢から話しかけられているように見えたけれど、今は1人になりたいということかしら。
誰にでもそういう時間は必要よね。
邪魔なら行くわと、火照りも強くなっていた私にとってはここが切り上げ時と判断してお湯から身体を出すと一之瀬さんは止めてくる。
「そういうのじゃないから気にしないでいいよっ!」
「帆波ちゃんもこう言っているし、もう少し浸かってようよ」
もう十分話したような気もするけれど、まあ外気浴というのも悪くないし、火照った身体を冷ますために岩の上に腰を下ろすことにする。
雪が降っているため、湯船の外は少し寒いけれど、それが逆に心地いい。
「帆波ちゃんってさ、斉木くんに告白とかしないの?」
「ぶッ!」
「んん!!? え、えぇぇっ!?」
思ってもみなかった話題に思わず息を吹き出す私と、一之瀬さんに櫛田さんは「変な事聞いたかな?」と首を傾げる。
「あ、貴方ね……いきなり何を……」
「いや、あんなに好き好きってオーラ出してるけど告白はしたのかなって……」
半分くらい素の出てる櫛田さんは興味本位という様子で私に言ってくる。
「それは、その……まだ、です……はい……」
一之瀬さんは湯船に顔を沈めてしまう。
恥ずかしさと気まずさから赤くなった顔を隠すためだろう。
そんな一之瀬さんに同情したからではないけれど、他人にそういう話をするのであれば櫛田さんもされる覚悟はあるのだろうと尋ねてみる。
「そういう貴方はしたの?」
どうせしてないんでしょう。
学生のうちに恋愛なんて〜とか言いそうだ。
「したよ? 春休みくらいだったかな」
「ほら、そうでしょう………………え?」
「ぇっ」
予想外の答えに私と一之瀬さんは櫛田さんの顔を見る。
「でも、付き合わなくていいって言ったよ? 私も斉木くんも男女交際ってガラじゃないし」
「…………? どういうことかしら」
何を言っているのか全くわからないわ。
けれど、一之瀬さんは何か思い出したのは「そういうことかぁ……」と頭を抱えたかと思うと、顔を上げて櫛田さんに言う。
「えっと……つまり桔梗ちゃんは、楠雄くんに……好きだとは言ったけど、付き合ってとは言ってない……ってことだよね?」
「うん。だって学生の恋愛ってほとんど実らないって聞くから。10~30%くらい? 半分にも満たないらしいし。それに斉木くん、付き合うってなったら最後まで責任取れるような相手しか選ばなさそうだし」
「えっ!? その話桔梗ちゃんともしたの!?」
「え? え…………? うん…………? どの話?」
「えっと……楠雄くん……僕は重いから付き合うなら結婚までいくタイプだって……だからそんな簡単には付き合えない……みたいな話を春休みに……」
つまりは櫛田さんに告白されて間もない頃に一之瀬さんに話していたということかしら。
だから、一之瀬さんは直ぐに櫛田さんの話を飲み込むことができた。
「そうなんだ……へ、へぇ……」
恋愛のことはよく分からないけれど、斉木くんは去年の体育祭以降告白されることが増えたとは聞いている。
櫛田さんと一之瀬さんも学年問わずに告白されていると聞くけれど、斉木も同じだ。
そんな3人だから通じ合うものがあるのかもしれないわねと私には理解の及ばない話を自分の中で決着させて露天風呂から出ようとする。
すると、今度は櫛田さんに引き止められた。
「あれ? 堀北さんもう行っちゃうの?」
「えぇ……その、恋愛のことは分からないから」
「そう? 堀北さんも少なからずモテてるんだし、聞いておいて損は無いと思うけど」
「誰も彼もが斉木くんのように重いとは限らないでしょう」
私なら学生のうちから結婚を考える相手とは付き合えないわね。
まあ櫛田さんに同意する訳では無いけれど、学生のうちに恋愛する気にもなれないけれど。
「じゃあ別の話ならいい?」
「別の話? たとえば?」
「どうやって私の学力と運動能力が上がったのか、とか」
それは興味深い話ではあるけれど……。
「いいの? 私がそれを聞いて貴方をまた突き放すかもしれないけど」
「その方がうちのクラスとしてはAクラスに近づくしいいんじゃないかな……って、Aクラスの帆波ちゃんの前で言うことじゃないかもだけど……」
「いいよ全然。私も知ってることだし」
櫛田さんの提案は悪くないし、一之瀬さんが了承しているのなら聞く価値はあると思って、私は浮かしかけてきた腰を戻す。
岩の上に座っているだけなら逆上せることはないでしょうし、寒くなったらまたお湯に浸かればいい。
それから私は2人から斉木くんが作ってくれたプランに沿ってトレーニングを重ねたことや、勉強をしたことを聞く。
一之瀬さんの方は勉強は見てもらっていないようだけれど、櫛田さんからやり方を聞いてうんうんと頷いている。
その後、一之瀬さんは食事を終えてやってきた小橋さんたちに呼ばれて屋内に戻り、坂柳さんと椎名さんもやってきたことで櫛田さんはそちらと話し始めた。
ようやく1人になった私は少しふらつきそうになりつつも、露天風呂をあとにするのだった。
男子風呂では露天風呂でゆっくりしてたくーちゃんのところに橋本、龍園、高円寺が来て
「俺は一之瀬とは何にもないからな?姫さんに何か言われても気にしないでくれよ?な?」
『気にしない気にしない』
「混合合宿でも思ったが、お前メガネかけっぱなしで前見えてんのか?」
『見える。僕にも敵が見える(ハイドロ凡夫)』
「ブっ!?誰が敵だてめぇ!」
「どうだい楠雄、私の広背筋……広背筋?ん??」
『湯船に浸かろうな』
とくだらない話をしてる。
《これなら秘湯を探して逃げればよかったな……》とくーちゃんからは煙たがられてるけど、なんだかんだで喋りかけられたら対応してる。
綾小路くんは混ざりたかったけど須藤とかに絡まれて近づけてない。
やっと話にいけると思ったら柴田とか渡辺、神崎と話してて近づけない。
彼女さん「清隆おまた……だ、大丈夫?のぼせた?」
綾小路「( ´•ω•` )」
櫛田さんとか一之瀬さんの身体のこと書こうとしたけど堀北ネキ興味無さそー(1年の夏に一之瀬の胸の大きさにビビってはいたけど)ということで描写はカット。
櫛田さんも一之瀬さんも斉木塾でかなり仕上がってますが誰かさんのマインドコントロールが効いているので筋肉質な体型とかにはなっていないです