三介殿のなさる事だから(諦め) 作:数寄にあらず
ゆく水の はやくの事も 思ひ出でて
袖をぞひたす 花の滝なみ
流れ去る水のように過ぎた昔を思い出し、花の散る滝の流れを見て、涙で袖を濡らしてしまう。
おさめしる 君がこころや あふがまし
風ふかぬ世の 花につけても
世を治める君の徳をこそ仰ぎたい。風の吹かない、穏やかな世に咲く花を見るたびに、そのありがたさを思う。
出典:続々群書類従 詠み人:織田信雄、あるいは常真
後世にて、自らの主との出会いについて聞かれたら、
「あれはパワハラならぬお茶ハラであった」
家老・滝川雄利はそのように語るのだった。
「そこのお前。暇つぶしにおれの相手をせよ」
「えっ」
そんじょそこらの武士はおろか、生半可な商人でも手の届かない高級反物であつらえた衣類をだらしなく着崩した少年が、年季の入った白壁に向かって話しかけている。その光景を見る者がいれば、こいつは気でも狂ったか、あるいは頭が足りないのかと目を背けるだろう。
しかし少年は正気である。後に元服してもその奇怪な振る舞いを改めなかったので、周囲からの評価は底辺に等しいのだが、本人なりには真面目だった。あるいは正気で狂っていたのかもしれない。
「仕事中だろうと構わん。誰に叱られようと、おれの名を出せば許されるからな。ほれ、茶でも飲むといい。堺の利休が寄こしてきた品だ、そこらの大名でもおいそれと口にできん甘露だぞ。熱田の富くじが当たるよりも幸運な奴よのう、はっはっは!」
良くいえば大らかに、悪くいえば能天気にまくし立てる様子は、生まれながらに貴種の血と教育を受ける者にふさわしい貫禄があった。元服前らしく幼さの残る顔立ちは中性的であり、町を出歩けば人攫いに遭いかねないほどに整っている。まぎれもなく父譲りの美貌であった。
「ちょ、あの、その」
「今日は寒いからな、熱い内に飲むのだ。そーれぐいっと」
「いや拙者は当家の者ではなあっつっっっ!!」
忍法・隠れ身の術で壁と同化していた曲者をひっぺがすやいなや、茶釜から煮えたぎった湯をぶち込んで点てた茶を一気呑みさせ、のたうち回る姿を見てゲラゲラ笑う少年がひとり。
その名は茶筅丸、後の織田三介信雄である。
「読みが信勝叔父上と同じなのがまぎらわしいのよな。父上に呼ばれるたびにメンドくさそうな顔をされる」
「研究では”のぶお”と読まれた記録があるとかないとか」
「マジ? ちょっと座の履歴書修正してくる」
「⋯⋯信勝に改名していた時期もあるのですが、忘れてるんだろうなぁ、あの人」