三介殿のなさる事だから(諦め) 作:数寄にあらず
織田家は美男美女の家系である。当主の信長と弟・信勝は言わずもがな、妹のお市の方は戦国一の美女と評されるほどの美貌を持ち、嫁ぎ先の浅井長政との間に産まれた三姉妹もまた美人揃いときている。茶々姫にいたっては、後に淀君として日本三大悪女のひとりにまで数えられるのだから、もはや遺伝子レベルで織田家の美形は保証されているといっても過言ではない。
戦国大名の一族として多忙な日々を送っているため、全員が顔を会わせる事は滅多にないが、年始の挨拶だけは勢揃いとなる。身だしなみを整え、正装に着飾った彼らが大広間にずらりと並ぶ姿を見れば、現代人の藤丸立香なら無意識にこう洩らすだろう。
「どっちを向いても美し過ぎてしんどい」
なんかもう、骨格からして常人とは違う。男も女も年を重ねればアヴェンジャー三臨の信長の面影に似たものを感じさせ、歳の若い子女は二臨の吉法師が基準になってそれぞれの個性に準じた姿になる。一人ひとりの覇気こそ本物には遠く及ばずとも、数を揃えれば美の暴力となる。織田一族の正月行事は、家臣の目が潰れそうな眩しさの中で執り行われるのだった。
「新春の御慶、謹んで申し上げ奉りまする。旧年中は格別の御慈愛を賜り、誠にありがたく、深く御礼申し上げ候。本年も、父上様の御威光ますます輝かしきものとなり、御家の御安泰、万々歳ならんことを、心より祈念仕り候。我ら末席の身ながら、誠心誠意努め、微力ながら御力添え仕る覚悟に御座候。何卒、本年も変わらぬ御指導と御鞭撻、賜りますよう、伏してお願い申し上げ奉りまする」
親類縁者を代表しての堅苦しい挨拶を苦もなくやってのけたのは、長男の奇妙丸こと信忠。すでに大人顔負けの教養を身につけており、武にも優れていると評判の英才である。いかにも優等生といった面持ちを崩さず、上座の父へ頭を垂れる。
「デ、アルカ」
信長の態度は日頃とまったく変わらない。退屈そうに肘掛けへもたれかかり、やや高めの宙を見据えたまま、不機嫌そうに一言だけ呟くだけである。息子の成長など気にも留めていない様子に数人が眉をひそめるものの、いつもの事だと受け流して進行する。
(そうだ。父上ならこの程度では満足されまい。わかっていたではないか)
同年代よりも優れた知性を持つ奇妙丸にも、父の心を察するのは不可能だった。周囲が何をしても無感情にふるまうのが父である。薄情極まりない相手に昔は子供らしく憤ったものだが、齢も十を数える頃には諦めてしまった。
(生きている内に、せめて一度くらい、この人に褒められてみたいものだな)
後の天下人の正統後継者にしては、ずいぶんと可愛らしい野望を胸に秘めて、奇妙丸は静かにため息を漏らした。
(かっこいい)
三七丸、後の信孝は、うっとりとした心地で目の前に君臨する存在を見つめていた。父からはいまだに親しい言葉ひとつ掛けられた覚えはない。それが当然だろうと思う。
なぜなら、自分の父は支配者だからだ。何者にもへりくだらず、膝を屈さず、傲岸不遜にふるまっても許される。それだけの力を持っているからだ。たとえ親族だろうと特別扱いはしない。それもまた許される。同じ血を引いているだけの自分達が束になったところでかなわない、絶対的な力の持ち主だからだ。
覇者という概念が人の形をとってこの世に顕れた存在。それこそ我が父、織田信長なのだ!
(自分もこの人のようになりたい! いや、なってみせる!)
後年、織田家と深く関わる宣教師ルイス・フロイスが信孝を評するにいわく。
「思慮深く、礼儀正しく、非常に勇敢である。五畿内(大和・山城・摂津・河内・和泉)において彼ほど善き教育を受けた者を他に知らない」
父の姿に憧れを抱いた少年の前途は、明るくも苦難に満ちている。
(この人いっつも空見てんな)
後にフロイスから「頭おかしいんじゃねーのかこいつ(ほぼ原文)」とボロクソにいわれた不覚人にしては、珍しくも冷静に目の前の人物を観察する。さっきから足の痺れが限界を迎えつつあり、現実逃避のつもりで父親を見ているのだが、はてなと疑問が浮かんだ。
(おれも同じようにすれば、父の見ているものが見えるのかな)
茶筅丸には小難しい事がわからない。大名の嫡子としてのふるまいなら長兄の方が様になるし、やたらと自分に突っかかってくる兄だか弟だかの三七丸の方が自分よりも上手くやるだろう。人には出来る事と出来ない事があるのだから、出来ない自分に求められても困る。
であるからにして、まずは自分の出来そうな事からやってみようと思ったのは、いつもの気まぐれだった。
(こんな感じか?)
足はとっくに痺れて動かないので放置。片肘に体重をかけようとしたが、肘掛けがないので体幹がやや崩れる。顔を上向きにする都合上、あごを突き出して首の重心を気持ち後ろに。目線は父の冷たい目線よりも高く、濡れ烏のように艶めく髪よりも上へ、なにもない虚空へ向けたところで、
地獄の業火に焼かれる女を見た。
それはどこかの寺の本堂か。燃え盛る炎に包まれながら、魔王が高らかに笑っている。その手には業物らしき刀が握られており、床一面は武者達の白骨死体でくるぶしまで埋まっていた。あろうことか、何体かは骨になってもなおカタカタと震えながら得物を突き出そうと動き、紙よりもあっけなく踏み潰される。
魑魅魍魎どものふがいなさに耳まで裂けんばかりに嘲笑った女は、やがて凝視するこちらの存在に気づいたように視線を向けるや、血と脂に濡れる刀を振りかざし───
「たわけ」
ガツン! と脳に響く衝撃とともに、茶筅丸は幻視から目覚めた。気づけばそこは本堂ではなく大広間であり、織田一族の年始参りの真っ最中。周囲の親類が顔面を蒼白にして自分を見つめている。普段はキイキイやかましい三七丸はおろか、あの優等生然とした長兄まで、信じられないものを見るように硬直していた。
ひっくり返った自分を呆れた顔で見下ろすのが、さっきまで人間味のかけらも感じさせなかった父であると気づいたのは、労わりには程遠い言葉をかけられてからだった。
「見ないで済むものを見ようとするでないわ。相応の力を得てからにせよ、大たわけめ」
そう言い残した父がくるりと背を向け、足早に大広間を去っていく。心なしか嬉しげな後ろ姿をぼんやりと見送りながら起き上がった茶筅丸は、乱れた御髪をガリガリと掻いて唸った。
「さっきの女、もしかしなくても父上……いや待て、おれは何を見た? あれが父上の見ている景色なのか、あるいは何の関係もないまぼろし? わからん、何がなんだかさっぱりわからんぞ!」
うがー! と叫ぶ茶筅丸を遠巻きに眺める親類一同。主不在の中、誰も収拾をつけられないままに年始参りは終了し、御膳の支度を終えた料理人がやってくるまで混乱は続くのだった。
☆三兄弟の外見
奇妙丸:真面目な吉法師。万能タイプ。
三七丸:苛烈な吉法師。猛将タイプ。
茶筅丸:たわけな吉法師。うつけタイプ。
信長:自分以外の誰も何をいってるのか聞き取れない中で退屈していたら、跡継ぎどころか武士としてもアカンやっちゃなと思っていた息子がいきなり不完全な未来視で死にそうになったので慌ててゲンコツを落とした。予想を斜め上に越えてきた息子にちょっとだけウキウキ。