とあるイベントの後日、人類最後のマスターこと藤丸立香が日課である英霊召喚、通称ガチャを行っていたところ、それは銅色のセイントグラフとともに顕現した。
濡れ鴉を想起させる、黒々と艶めいた髪。かつてのドイツで着用されていた、黒を基調とする制服。腰には業物と思しき刀を携え、織田の木瓜紋をあつらえた軍帽がきらりと光るその姿は、カルデアに馴染み深い、とある英霊に酷似している。
だが、両者は決定的に違っていた。
「⋯⋯む? なんか呼ばれたので応じてみたが、懐かしい気配がするな。まぁいい、せっかくなので名乗るとしよう。おれは茶筅丸、もとい織田信雄! 気軽に“のぶお”と呼んでもいいぞ!」
その英霊には、これっぽっちも英霊らしい覇気がなかったのである。
「おっす、父上。親子で勤務先が一緒とかやりにくい事この上ないけど、これからよろしく」
「うげ~」
「やだ、ゴミを見るような目で息子を見てくる⋯⋯」
挨拶回りの最後として、ぐだぐだ勢が適当に陣取るボイラー室までやってきた織田信雄を目にした瞬間、第六天魔王こと織田信長は心底ガッカリした様子でうなだれた。それまでの八頭身のキリッとした姿から、だらけきった二頭身のボディに変化してまでの不満表明である。のぶおは泣いた。
「だってのぅ、他にもおったろうに。権六とか米五郎左とか犬千代とか、息子扱いなら奇妙とか蒲生の鶴千代も候補じゃろ。なーんでよりによってお前が来るの? 褒められるような武功とかあったか?」
「ないです⋯⋯あ、いちおうあった! ありまーす!」
「ほーん。いうてみ?」
「父上が乙った後に安土城を落としました! 町ごと消炭にしたっぽいけど!」
信長のグーパンがみぞおちに炸裂した。のぶおは土下座した。
「お前なー! 人がなー! 苦労してこさえた城下町をなー! 大枚はたいて造らせた三層天守をなー! なぁぁぁぁぁ!」
「痛いいたいいたい! ギブ、ギブです父上! あれです、焼かなきゃいけなかった理由があったんです、たぶん! きっと! おそらく!!」
「ぬがああああ!」
ゲシゲシと足蹴にしてなお怒りが収まらず、とうとう零距離から火縄銃を連射して畳を穴だらけにする始末である。召喚されて間もないレベル1の信雄が耐えられるわけもなく、末端からキラキラと粒子になって消えかけたところで、ようやくノッブがストンピングを止める。奇跡的に無事だった茶釜から湯を汲み、優美な所作でもって茶を点てると、
横たわる信雄の口に流し込むのだった。
「ごばっ、ごばばばっ! 熱っ! あっつぁ!!」
「おうおう、父自ら点ててやった極上の茶じゃ。涙を流して味わうが良いわ」
「ぐえーっ! ⋯⋯あ、物はいいなこれ。宇治の初摘みと見たが、いかに?」
「なんでわかるのこいつ、こわっ⋯⋯利き茶しろとか言うとらんのに」
この不覚人、なにげに戦国時代でも上位にランクインする文化人である。若い頃は能楽にかまけ過ぎてノッブから道具を取り上げられるほど没頭し、小田原征伐・関ケ原と二度の改易をくらってからは吹っ切れたのか、侘び茶の祖・村田珠光が愛した井戸水『柳の水』の流れる地に居を構え、茶人達の通うサロンとして提供したという。
上等な茶葉を味わったおかげか、消えたはずの粒子が大気中から逆流するかのように信雄の身体へと注がれていき、一分もしない内に全快する。これにはノッブもドン引きである。ばっちいものに触れたような気がして、足蹴にしていた靴を和紙で拭くほどに。
「結構なお点前でした。それにしても父上はアレですな、迷いなく火縄銃をぶっ放す雑さと生まれつきのセンスの良さが絶妙な塩梅でマッチしておられる。茶葉にも手を抜かないあたり、生来の真面目さが隠せぬご様子。そうした人間性が茶々達にも慕われる理由でしょう」
「息子に評されるとか不本意にも程があるんじゃが~? もう一発くらっとくか、ん?」
「いやいや、ご勘弁を! これから利休居士に御指南いただくので」
「芸事にかまけるのも程々にせんか⋯⋯なぁ、茶筅」
ぺこりと一礼してボイラー室に背を向ける息子に、父親が問いかける。
「───お前の一生は、楽しいものであったか?」
織田三介信雄。幼名を茶筅丸、出家してからは常真。
織田家の伊勢攻略の要として、国司である北畠家に養子として送られる。後に『三瀬の変』にて北畠一族を抹殺し、南伊勢を支配下に置いた。続いて隣接する伊賀に侵略を企てるも『天正伊賀の乱』にて初戦をしくじり、父である信長から「親子の縁を切る」とまで叱責される。彼の生涯で初の『不覚』であった。
本能寺の変においては蒲生氏郷と行動を共にしていたが、伊勢の一揆を抑えきれずに停滞、山崎の決戦には間に合わなかった。またこの時、明智家の武将・明智秀満が安土城を町もろともに焦土と化したが、ルイス・フロイスはこれを「信雄が痴愚のために焼いたのだ」とイエズス会に報告している。真偽は明らかではない。
信長亡き後は清須会議を経て弟の信孝と敵対。自身は秀吉とともに柴田勝家・織田信孝と賤ヶ岳の合戦を挑み、これに勝利する。越前の北ノ庄城にて勝家とお市が果てた翌年には、信孝の籠もる岐阜城を包囲。助命を約束して開城させたが、尾張に落ち延びた先で切腹させている。
さらに翌年。かりそめの主従から悪化しつつあった秀吉との関係が決裂した事で徳川家康と同盟を結び、小牧・長久手の合戦に挑む。戦場では勝利したものの、徳川を抜きにして秀吉との和睦を結んだことで、なしくずしに双方停戦となった。家康の了解あっての和睦との説もあるが、こちらも真偽は不明である。
豊臣政権下においては約80万石を有する大々名として厚遇されていたが、小田原征伐による配置換えで関東入殖が決まった徳川家の旧領120万石への移封を断ったために改易。東北の秋田(旧安東)家預かりとなる。
家を失った信雄だが、文化人としての才能はここから花開いていく。秀吉の勘気が解かれたとして1591年に近畿へと戻ったのをきっかけに、頭を丸めて常真と名乗り、大阪城にて秀吉の御伽衆として仕える。同僚となった叔父の有楽斎(長益)から茶道を習い、名護屋での瓜畑遊び、吉野の花見参りでは得意の歌詠みと能楽を披露する。とくに能楽は達者であり、公家の近衛信伊から「常真御能比類無し。扇あつかい殊勝なり」と評されるほどだった。
秀吉の死後、豊臣政権内での水面下の争いが激化し、五大老の徳川家康が東軍を、毛利輝元の代理として石田三成が西軍を率いて関ケ原にて衝突。およそ二十万の兵による合戦は、わずか数刻で東軍の勝利となった。東西入り乱れての争いの中、西軍についた信雄は改易となり、大阪の天満にて隠居生活を送り出す。なお、東軍についた有楽斎は戦功を上げており、信雄とともに大阪城にて宿老級の扱いを受ける事となった。
それから14年。もはや徳川家との戦が避けられなくなったと見た信雄は大阪城を脱出し、家康の庇護を受ける。やがて泰平の世を迎えてからは京都北野第の住居を終の棲家とし、大阪の陣で与えられた領地には死ぬまで足を踏み入れなかったという。
享年73歳。多くの悪名と失敗を重ねながら、それでも大名として織田の血と家を遺した彼の人生は、カルデアのデータベースにも記録されている。
「こっちは頭を丸めた世捨て人だぞ? なんで還暦越えの老人が快適な暮らしを捨てにゃならんのだ」
「ええ、まぁ。殿はそういう人ですな。わかっておりました」
「お前はお前でポックリ逝っておるし(1610年逝去)。またこき使ってやろうと思っていたのに、主に寂しい思いをさせるでないわ。二度目はないと肝に銘じておけよ?」
「───はっ。この雄利、どこまでもお仕えいたしまする」
親子の再会をもって本作は完結となります。あとは生前のエピソードを書け次第追加していく形になる予定。なお、現状ストックは切れました