歴史改変能力者は世界の裏を日本に生やしたい 作:無異常世界
拓真は、その問いにすぐ答えなかった。
これからどうする。
数分前までなら、答えはいくらでもあった。
もっと試す。
もっと調べる。
過去へ行く。
未来を変える。
言葉にするだけなら簡単だった。
けれど今は、同じ顔をした人間が目の前に立っている。
ほんの少し前へ移動した。
それだけで二人になった。
自分が持っていた物も増えた。
過去に残った自分は、元の自分と同じ行動を繰り返さなかった。
それでも、こちらは消えなかった。
試験だから元に戻る。
失敗したからやり直す。
そういう話ではない。
「……まず」
拓真はスマートフォンを開いた。
「何ができるのか、もう一回考える」
「時間移動以外?」
「ああ」
向こうの拓真が黙った。
拓真も画面を見たまま、意識を自分の中へ向ける。
過去へ行ける。
それはもう確認した。
日時を意識すれば、届くか届かないかが分かる。
では、それ以外は。
最初に能力へ気づいた時から、うまく言葉にできない感覚があった。
時間を選ぶ感覚とは違う。
何かを直接出す感じでもない。
火を出す。
物を浮かせる。
誰かを超人にする。
そういうものではなかった。
もっと手前。
今までなら絶対に起こらなかった種類のことを、起こり得る側へ動かす。
そのための入り口だけを、世界へ作るような。
「……三つ、ある」
「三つ?」
「たぶん」
「また、たぶんか」
「分かったふりするよりいいだろ」
「それはそう」
拓真はメモへ指を置いた。
何と書けばいいのか迷う。
正式な名前があるわけではない。
誰かが説明してくれるわけでもない。
だから、今の自分が分かる範囲だけを書く。
『人・生き物』
一行目。
『物・場所』
二行目。
三つ目で、少し止まった。
「あと何?」
「形がないやつ」
「雑」
「俺だって困ってる」
人と人。
誰と誰が結びついているか。
名前。
約束。
記録。
役割。
そういう、物そのものではないもの。
拓真は考えてから、
『人と人の間。名前、記録、役割みたいなもの』
と書いた。
向こうの拓真が横から画面を見る。
「それで何ができる」
「そこが問題なんだよ」
拓真は、一つずつ考えた。
人。
なら、特定の誰かを思い浮かべてみる。
この人間に、こういう能力を持たせる。
何も返ってこない。
できるという感覚がない。
次に、物。
この石を呪物にする。
この場所に怪異を出す。
違う。
それも、自分ができることではない。
秘密組織を作る。
なおさら違った。
「完成したものは作れない」
拓真は言った。
「能力者とか?」
「たぶん。誰か一人を選んで、こいつにこの能力、みたいなのは無理」
「怪異は」
「無理だと思う」
「組織」
「それは普通に人間が作るものだろ」
「ああ、まあ」
「でも」
拓真は画面へ視線を戻した。
できないことばかり考えていると、逆に輪郭が見えてくる。
「人間に、今までなかった何かが起きても、それが最初からあり得ないことにはならないようにする」
「……ん?」
「俺も言ってて分かりにくい」
「だろうな」
「物とか場所も同じ。今までなら絶対に普通の物で終わるところに、普通じゃないものが成立する余地を作る」
「三つ目は」
「関係とか、記録とか。そういうところにも、普通じゃないものが成立できるようにする」
向こうの拓真がしばらく黙った。
「つまり」
「うん」
「お前が幽霊を置くんじゃなくて」
「そう」
「幽霊みたいなものが、本当に生まれ得る世界にする?」
拓真は顔を上げた。
「それ」
言われて、初めて言葉がはまった。
自分が欲しかったものとも、ぴたりと重なる。
完成品ではない。
誰か一人の人生を指定するわけでもない。
誰が能力者になるか。
何が怪異になるか。
どんな物が変わるか。
誰が最初に気づくのか。
それを使って金を稼ぐのか。
人を助けるのか。
犯罪に使うのか。
怖がって隠すのか。
調べるのか。
名前をつけるのか。
何十年後に、それを扱う仕事ができているのか。
そこまでは、自分が決められない。
拓真はメモへ新しく書いた。
『完成品を作る能力ではない』
少し考える。
『起こり得るようにする』
さらに一行。
『その後は分からない』
「……これ、俺が欲しかったやつじゃん」
思わず口から出た。
向こうの拓真が苦笑する。
「嬉しそうだな」
「嬉しいよ」
「さっきまで危ないって顔してたのに」
「危ないのは変わらない」
そこは別だった。
むしろ、今の方が危ない。
自分が完成品を作れないなら。
一度始めた後、何ができるかを全部決められないなら。
それはつまり。
本当に、自分の手を離れる。
第一話で考えていた。
自分が知らない場所で。
自分が名前も知らない人間が。
勝手に失敗して。
勝手に決まりを作って。
勝手に仕事へして。
自分の見ていないところでも続いている。
そんな裏側がほしい。
もし今の感覚がその通りなら。
できるかもしれない。
本当に。
想像の中ではなく。
小説やゲームの中でもなく。
この現実そのものに。
胸が高鳴った。
その直後だった。
「犯罪にも使われるな」
向こうの拓真が言った。
拓真の気持ちが少し冷える。
「ああ」
「事故も起きる」
「ああ」
「死人も出るかもしれない」
「……そうだな」
否定できない。
能力が本当にあるなら、便利な使い方だけが生まれる理由はない。
危険なものが本当にあるなら、誰も失敗しない理由もない。
自分が善人だけを選んで能力を渡せるわけでもない。
そもそも、誰に何が起きるかを選べない。
「それだけじゃないな」
拓真は言った。
「俺が過去へ行くだけでも、誰かの人生が変わる」
「もう変えた」
「そうだった」
二人で一瞬黙った。
今ここに二人いる時点で、実例だった。
大きなことをしなくても。
たった一人、人間が増えるだけで。
その人間が誰かと話せば。
何かを買えば。
道を塞げば。
仕事をすれば。
そこから先は、元とまったく同じだとは言えない。
まして。
世界に今まで存在しなかったものを成立できるようにするなら。
影響が小さいはずがない。
「金だけ取る道もあるけどな」
向こうの拓真が言った。
「金?」
「過去へ行けるなら。相場でも、結果が分かってる何かでも。探せばあるだろ」
「ああ」
拓真も考えていなかったわけではない。
未来を知っている。
過去へ行ける。
それだけ聞けば、まず金儲けを考える人間もいるだろう。
自分だって、金がいらないわけではない。
「できるかもしれないな」
「やる?」
「それだけのために?」
「うん」
拓真は少し考えた。
「やらない」
「即答だな」
「金が欲しくないわけじゃないぞ」
「知ってる」
「でも、今ので分かっただろ。一回戻るだけでも、俺が増えた。起きたことも変わった。金の答え合わせで何回も行ったり来たりしたくない」
「それもあるか」
「それに」
拓真は一度言葉を切った。
「せっかく、これができるのに」
画面の三行を見る。
人や生き物。
物や場所。
人同士の関わりや、名前や記録。
そこへ、今まで存在できなかったものが成立する余地を作る。
「金に使って終わりは、もったいない」
向こうの拓真が吹き出した。
「そっちかよ」
「そっちだよ」
「人類のためとか言わないんだ」
「言うわけないだろ」
そんな理由ではなかった。
世界を良くしたいからではない。
人類を救いたいからでもない。
今の世界が間違っていると思っているわけでもない。
普通の生活は普通に好きだ。
家族もいる。
仕事もある。
犯罪が増えてほしいわけではない。
事故が起きてほしいわけでもない。
それでも。
本当にできる可能性がある。
自分がずっと欲しかったものを。
この世界にはないと認めたうえで、それでも一つくらいあってほしいと思い続けたものを。
現実にできる。
そこまで来て。
「じゃあ、やめる?」
向こうの拓真が聞いた。
拓真は川を見る。
暗くなった水面に、対岸の明かりが揺れている。
この街も。
家も。
仕事も。
今日までの世界も。
何も悪くない。
何もしなければ。
たぶん、このままだ。
能力者はいない。
本物の怪異もない。
何十年も異常を扱ってきた人間たちもいない。
それで困る人間はいない。
困っているのは。
物足りないと思っているのは。
自分だけだ。
「……やめない」
拓真は答えた。
声にすると、思ったより静かだった。
「やる」
向こうの拓真は笑わなかった。
「本当に?」
「ああ」
「危ないぞ」
「分かってる」
「全部は管理できない」
「それが分かった上で」
「人が死ぬかもしれない」
拓真は少し黙った。
そこで軽く答えたくはなかった。
「それも含めて、俺が始めることになる」
「うん」
「だから、好き勝手に何でもやるつもりはない」
それは、やらない理由にはならなかった。
やるなら。
少なくとも、自分が避けられるものは避ける。
拓真は新しいメモを作った。
『やらないこと』
「急に仕事っぽくなったな」
「こういう時こそだろ」
まず一つ。
『自分の家系へ近づかない』
自分の先祖へ会いに行く必要はない。
家族をわざわざ歴史改変の中心へ巻き込む理由もない。
二つ目。
『戦争の結果を変えようとしない』
三つ目。
『大きな政治事件へ近づかない』
向こうの拓真が言う。
「避けたら絶対影響しない、とは言えないけどな」
「分かってる。これは保証じゃなくて、俺がわざわざ触らないってだけ」
「ならいい」
四つ目。
『特定の人間を選んで完成品を作ろうとしない』
五つ目。
『最初は狭く、少なく』
六つ目。
拓真は少し考えた。
『自分の欲しい結果へ無理に寄せ続けない』
「それ、できる?」
「俺に聞くなよ」
「同じ人間だから聞いてる」
「だから書くんだろ」
何かが生まれた。
気に入らない。
もっと格好いい能力がよかった。
もっと怪異らしいものがよかった。
もっと秘密組織らしい組織がほしい。
そうやって過去へ戻り、気に入るまで手を入れ始めたら。
それはもう、自分が欲しかったものではない。
自分の知らないところでも続く世界ではなくなる。
巨大な箱庭だ。
「最後」
『明らかに危険なら止まる』
書き終える。
向こうの拓真が画面を覗いた。
「歴史改変する人間のメモに見えないな」
「何に見える」
「作業前の危険予知」
「やめろ」
「設備屋だな」
「俺もお前もな」
そこで初めて、二人とも少し笑った。
笑いが収まる。
拓真はメモの一番下へ指を置いた。
今までなら。
『やるかもしれない』
くらいにしていたかもしれない。
候補。
検討。
未試験。
分からないことは、分からないままにする。
それは必要だ。
けれど、今決めたことまで曖昧にする必要はない。
『歴史を変える』
打った。
その下。
『世界の裏側を、本当に成立させる』
指を離す。
何も起きなかった。
空が光ることもない。
声も聞こえない。
画面に承認の文字が出るわけでもない。
川は流れたままだった。
それでよかった。
決めたのは、自分だった。
* * *
「で、いつ行く?」
向こうの拓真が聞いた。
「そこなんだよな」
拓真は河川敷の斜面へ座った。
向こうも少し離れて座る。
二人で一つのスマートフォンを覗くのは妙だったので、それぞれの端末を持った。
「古ければ古いほどいいわけじゃない」
「そりゃな」
「江戸時代とか行っても、俺が生活できる気がしない」
「できないとは言わないけど、最初に選ぶ理由はない」
「戦争中も避けたい」
「結果へ触らないって今書いたしな」
なら、戦後。
逆に新しすぎれば、人間が勝手に積み重ねる時間が短くなる。
自分が完成品を作れないなら。
欲しいのは、条件を置いた翌日に秘密組織が完成することではない。
人が生きる時間だった。
最初は誰にも意味が分からない。
誰かが見つける。
失敗する。
別の誰かが使う。
記録する。
嫌う。
助けられる。
悪用する。
それを見た次の人間が何かを変える。
そういうものが積み重なるには、長い方がいい。
「一九四八」
拓真が言った。
向こうが顔を上げる。
「理由は」
「戦争は終わってる。古すぎない。社会も人の移動も、病院も記録もある」
「お前が暮らせるかは別だけど」
「それは現地で何とかするしかない」
「雑になってない?」
「逆だよ」
拓真は首を振った。
「調べれば調べるほど、今ここで全部分かるのは無理だろ」
七十年以上前の生活を、二〇二六年から完全に再現できるはずがない。
物価を調べられる。
写真も見られる。
地図もある。
当時の制度も、服装も、交通も調べられる。
けれど。
知らない若者が突然そこへ行って、どこで寝るのか。
どうやって食うのか。
誰へ何を聞けばいいのか。
何を言えば不自然なのか。
そこまでを、検索だけで現地生活と同じ精度にはできない。
「一九四八なら、二〇二六まで七十年以上ある」
拓真は続けた。
「俺が全部作らなくていいくらい、長い」
「というか、作れない」
「そうだった」
「大事なところ忘れるなよ」
「うるさい」
それでも、その制限は嫌ではなかった。
むしろ。
誰に何が起きるかまで選べないことが。
今は少し嬉しかった。
* * *
問題は、その前だった。
「今日、このまま行くのは?」
「無理」
「だよな」
二人の声が重なった。
今の拓真が持っているのは、短時間試験用の荷物だけだ。
スマートフォン。
財布。
鍵。
最低限のもの。
一九四八年で暮らす準備ではない。
「まず服」
「今の格好のままは嫌だな」
「衛生用品」
「救急」
「紙の地図」
「現金」
「使えるか確認できる範囲でな」
「工具も少し」
そこで向こうの拓真が言った。
「持ちすぎるなよ」
「ああ」
短時間試験とは違う。
何十年も離れた場所へ行く。
同じ精度で着く保証はない。
そもそも、何を持てるかも限界まで試していない。
自分で背負えない量を持っていけるとは思わない方がいい。
「未来の便利道具を山ほど持っていけば?」
「やらない」
「何で」
「壊れたら終わるものに生活全部預けたくない」
「電池も充電もいるしな」
「あと、俺が未来の物を大量に持ち込んで、それで歴史を変える話じゃない」
「超常を生やしに行くのに?」
「だからこそだよ」
拓真が欲しいのは。
二〇二六年の便利な道具で一九四八年を圧倒することではない。
未来知識で現地の人間より何でも知っている顔をすることでもない。
むしろ。
自分の知らないことを、自分の知らない人間がやる世界を作りたい。
なら、最初から全部を持っていくのは違う。
「最低限で行く」
「で、向こうで困る」
「絶対困るな」
「分かってるならもう少し持てよ」
「限度の話だよ」
また少し笑った。
その後。
二人は、もっと現実的な問題へ行き着いた。
「俺ら、どっちが家帰る?」
向こうの拓真が言った。
拓真は黙った。
家。
真由美。
浩一。
理央。
今朝までなら、自分の家だった。
今も、その感覚は変わらない。
けれど。
二人で玄関を開けるわけにはいかない。
「仕事もある」
「ああ」
「明日の」
向こうが言う。
「俺が行く」
拓真は相手を見た。
「……そうだな」
「頼まれたからじゃないぞ」
「分かってる」
「俺の仕事だから」
その言い方で。
初めて少しだけ、二人になった実感が別の形で来た。
数分前までは同じだった。
同じ家から出た。
同じ仕事をしていた。
同じ家族を家族だと思っている。
けれど、今から先は違う。
向こうの拓真は家へ帰る。
明日の朝起きる。
仕事へ行く。
真吾と顔を合わせる。
いつもの設備を点検する。
自分は。
一九四八年へ行く準備をする。
「家も」
向こうが言った。
「俺が帰る」
「ああ」
「悪い」
「何で謝るんだよ」
「いや」
拓真は少し考えた。
「俺も帰りたいから」
向こうの拓真は、すぐには何も言わなかった。
同じ気持ちなのだろう。
当たり前だった。
「でも」
拓真は続けた。
「今夜、二人で帰るわけにはいかない」
「母さん倒れるな」
「理央は写真撮りそう」
「絶対撮る」
「父さんは最初に黙る」
「そのあと面倒な質問する」
二人とも笑った。
家族の反応まで、同じように想像できた。
それが少しだけ寂しかった。
「じゃあ」
向こうの拓真が立ち上がる。
「俺は帰る」
「ああ」
「そっちは?」
「今夜は適当に場所探す。明日、準備する」
「金」
「持ってる」
「同じ財布が二つあるからって調子乗るなよ」
「それ、今言う?」
「増えた金じゃなくて、増えた財布だからな」
「分かってるよ」
拓真も立ち上がった。
別れる前に、一つだけ確認する。
「明日、ここで」
「仕事終わってからな」
「分かった」
向こうの拓真は数歩歩き。
止まった。
振り返る。
「本当に行くんだな」
「ああ」
「一九四八」
「ああ」
「……じゃあ、また明日」
「また明日」
同じ顔の人間が、いつもの家へ帰っていく。
拓真はその背中をしばらく見ていた。
自分が家を失った。
そう思うのは違う気がした。
家族が他人になったわけではない。
けれど。
あちらには、明日も続く生活がある。
こちらには。
今から作るしかない生活がある。
数分前へ飛んだだけで。
もう、二人の予定は別になった。
* * *
翌日。
拓真は一九四八年を調べた。
写真を見る。
映像を見る。
当時の街並み。
服装。
交通。
生活用品。
地図。
戦争が終わったからといって、二〇二六年の生活をそのまま持っていけるわけではない。
当たり前のことだった。
調べるほど。
「これ、全然足りないな……」
声が出た。
服を揃えれば終わりではない。
現金を持てば終わりでもない。
寝る場所。
食事。
風呂。
洗濯。
仕事。
身元。
知らない町で、知らない人間が生活を始める。
しかも、自分が知っているのは何十年も後から整理された情報だ。
現地の人間が、その日どこで何を買うか。
困った時に誰へ聞くか。
そういうことまでは、画面を眺めているだけでは分からない。
拓真はメモへ書いた。
『完全に馴染むのは無理』
その下。
『分からないことは現地で聞く』
さらに。
『まず生活』
超常を生やしに行く人間の最初の目標としては、ひどく普通だった。
けれど。
その方がいい。
着いた直後から世界を変えることだけ考えて、食事も寝床もない人間が何かを始めても、まともに続く気がしない。
午後。
拓真は荷物を減らした。
増やすのではなく、減らした。
これは使う。
これはなくてもいい。
これは現地で手に入れる。
これは未来の物だと分かりやすすぎる。
これは重い割に役に立つ場面が限られる。
服。
衛生用品。
救急用の最低限。
紙の資料。
地図。
小さな工具。
現金として使える可能性を確認できたもの。
それでも、現地で長く生活できる量にはならない。
だから。
到着してから何とかするしかない。
リュックを背負う。
少し歩く。
重い。
「……減らすか」
もう一度下ろした。
世界の歴史を変えに行く荷物としては、妙に地味だった。
それでも。
一度決めたからといって、急に無茶をする必要はない。
自分で背負って歩ける。
転んでもすぐ起きられる。
それくらいにはしておく。
夕方。
河川敷へ向かう前に、拓真は一度だけ自宅の近くまで行った。
帰るつもりはなかった。
道路の向こうから見る。
いつもの家だった。
当たり前だった。
昨日まで毎日帰っていた家。
窓。
門。
玄関。
見慣れたものしかない。
少しして、理央が帰ってきた。
遠くからでも分かる。
スマートフォンを見ながら歩いている。
拓真は思わず、
「前見ろよ」
と小さく呟いた。
届くはずもない。
理央はそのまま家へ入った。
何も起きない。
それでいい。
拓真は背を向けた。
今から自分がやろうとしていることが。
いつかこの家へ影響するのかもしれない。
しないのかもしれない。
分からない。
だから。
家族のため。
そんな言い訳はしない。
家族が頼んだことでもない。
自分がやりたいからやる。
その責任だけは、他へ渡したくなかった。
* * *
昨日と同じ河川敷。
向こうの拓真は、もう来ていた。
仕事帰りだった。
見慣れた作業着の上着を持っている。
「遅い」
「まだ時間決めてなかっただろ」
「気分」
「最悪だな」
拓真はリュックを下ろした。
向こうが見る。
「それだけ?」
「これ以上重いと嫌」
「歴史変える荷物に見えない」
「俺もそう思う」
向こうがしゃがみ、開いたリュックの中を見た。
「スマホ持ってく?」
「ああ。ただ、向こうでそのまま使えるわけじゃない」
「資料用か」
「写真とか、調べたものとか」
「電池切れたら?」
「その時は紙」
「用意いいのか悪いのか分からんな」
「完璧に用意できるなら苦労しない」
拓真は荷物を閉じた。
向こうの拓真が立ち上がる。
「一九四八で決定?」
「ああ」
「場所は」
「家系から離す。生活できそうな地方都市の周辺を狙う」
「狙う」
「狙うだけ。長距離で同じ場所に着ける保証はない」
「昨日の試験じゃ分からなかったしな」
「だから、到着したら最初に周り見る」
「川の真ん中とかやめろよ」
「やめたいけど、俺に言われてもな」
「能力だろ、お前の」
「まだ二回目だぞ」
「そうだった」
二人とも黙った。
日が落ちかけている。
昨日までなら。
ここへ来た目的は、能力が本物か確かめることだった。
今日は違う。
拓真はスマートフォンを出した。
最後のメモを見る。
『人・生き物』
『物・場所』
『人と人の間。名前、記録、役割みたいなもの』
『完成品を作る能力ではない』
『起こり得るようにする』
『その後は分からない』
その下には、自分で決めたことが並んでいる。
『自分の家系へ近づかない』
『戦争の結果を変えようとしない』
『大きな政治事件へ近づかない』
『特定の人間を選んで完成品を作ろうとしない』
『最初は狭く、少なく』
『自分の欲しい結果へ無理に寄せ続けない』
『明らかに危険なら止まる』
そして。
『歴史を変える』
『世界の裏側を、本当に成立させる』
拓真は画面を閉じた。
「そっちは」
向こうが言った。
「これからどうする?」
「まず生きる」
「何それ」
「一九四八で」
「ああ」
「寝る場所と飯と、何とかする」
「そこから?」
「そこから」
「超能力者が?」
「超能力者でも腹減るだろ」
「それはそう」
向こうの拓真が笑う。
「そのあと、世界を変える?」
「生活できたらな」
「順番、地味だな」
「いきなり知らない時代で倒れたら、もっと地味だろ」
また笑った。
昨日から。
自分と話してばかりだった。
当然、考え方が似ている。
笑う場所も似ている。
けれど。
もう同じではない。
向こうは今日、仕事へ行った。
拓真は行っていない。
向こうは家へ帰った。
拓真は帰っていない。
一日しか経っていない。
それだけでも。
もう相手には、自分が経験していない一日がある。
「なあ」
拓真は言った。
「今日、真吾何か言ってた?」
「お前……じゃない、俺が昨日より眠そうじゃないから、考え事終わったのかって」
「何て答えた」
「だいたい」
「何がだよ」
「言えないだろ」
「まあな」
「昼にまた怪奇動画見せられた」
「本物?」
「偽物」
「そっか」
拓真は笑った。
「じゃあ、まだ何もないな」
「今のところな」
今のところ。
その言葉が妙に残った。
今日まで。
この世界には本当に何もない。
拓真の能力を除けば。
誰かが火を出すこともない。
触れただけで人の身体の異常が分かる人間もいない。
使い方を間違えると危険な物品もない。
近づいてはいけない場所もない。
怪異を扱う仕事もない。
何十年前の事故を理由に続いている妙な手順もない。
それを知っている人間同士だけで通じる言葉もない。
全部、まだない。
もし成功しても。
明日いきなり全部が現れるわけではない。
自分が作れるのは、始まりだけだ。
その先を作るのは。
自分ではない。
そこまで考えたところで。
拓真は、自分が笑っていることに気づいた。
「また笑ってる」
向こうが言った。
「うるさい」
「昨日も言ったな、それ」
「楽しいんだから仕方ないだろ」
「怖いんじゃなかった?」
「怖いよ」
拓真は答えた。
「でも、やりたい」
それだけだった。
十分だった。
リュックを背負う。
肩へ重さがかかる。
昨日よりずっと重い。
世界を変える重さにしては、やはり軽い。
「じゃあ」
向こうの拓真が言った。
「ああ」
「行ってらっしゃい、でいいのか?」
「俺に言うの変じゃない?」
「じゃあ何て言うんだよ」
「知らん」
「お前が行くんだろ」
「俺だから困ってるんだよ」
二人で少し笑った。
笑ったあと。
拓真は向こうを見る。
「家、頼む」
言ってから。
向こうの表情が少し変わった。
「頼まれなくても」
「分かってる」
「俺の家だから」
「ああ」
「仕事も」
「ああ」
「父さんも母さんも理央も」
「ああ」
拓真は頷いた。
「分かってる」
それでいい。
自分の代わりを頼むのではない。
向こうには、向こうの続きがある。
自分にも。
これから、自分の続きができる。
向こうの拓真が手を上げた。
「じゃあな」
「じゃあ」
拓真も手を上げる。
一九四八年。
まだ自分が生まれるより、ずっと前。
家族も。
仕事も。
今までの生活もない時代。
そこを意識する。
昨日、近い過去へ触れた時とは違った。
遠い。
けれど。
届く。
その感覚だけはあった。
拓真は一度、河川敷を見る。
川。
街灯。
遠くの建物。
走る車の明かり。
スマートフォンを持った、もう一人の自分。
二〇二六年。
何もない世界。
自分がずっと物足りないと思っていた。
けれど。
嫌いではなかった世界。
「行ってくる」
今度は、向こうも何も言わなかった。
拓真は能力を使った。
一瞬。
景色の並びが崩れた。
川の音が途切れる。
足元がなくなったような感覚が来る。
昨日より強い。
身体の内側をまとめて引かれたような気持ち悪さに、拓真は歯を食いしばった。
それでも。
止めなかった。
今度は。
確かめるためではない。
願っているだけでもない。
自分が欲しかったものを。
本当に、この世界の歴史へ生やすためだった。
改稿前verだけ見て切られたら困るんですが、消した方が伸びると思いますかね?
-
消した方が伸びる
-
消さない方が伸びる
-
どっちでも良い