歴史改変能力者は世界の裏を日本に生やしたい   作:無異常世界

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第十話

田代の診療所へ行った翌朝、文子は家の前で待っていた。

 

いつもなら戸が開いた時点で中へ顔を突っ込み、澄江の支度が遅ければ勝手に急かす。

 

今日は道の端に立ったままだった。

 

「おはよう」

 

「おはよう」

 

澄江が鞄を持って出る。

 

文子は歩き出しかけて、止まった。

 

「今日、手は?」

 

澄江も止まる。

 

昨日までは、そんなことを聞かれたことがなかった。

 

「何」

 

「触っていいの」

 

文子は少し不満そうに言った。

 

「この前、急に掴んだら怒ったでしょ。だから聞いてる」

 

「怒ったんじゃない」

 

「大声だった」

 

「……ごめん」

 

「それはもういい」

 

文子は右手を上げた。

 

差し出すわけではない。

 

ただ、見えるところへ置いた。

 

「で?」

 

澄江は少し考えた。

 

朝から誰にも触れていない。

 

昨日、田代のところで何度か確かめた後に残っていた重い感じも、眠ったらほとんど消えていた。

 

それでも、何かを確かめるために文子へ触りたいわけではない。

 

「今日は平気」

 

「じゃあ、いい?」

 

「急に掴まなければ」

 

「面倒くさい」

 

「聞いたの文子じゃん」

 

「聞けって言ったの澄江でしょ」

 

文子はそう言ってから、澄江の袖の端だけをつまんだ。

 

皮膚には触れない。

 

そのまま引っ張る。

 

「遅れる」

 

「自分で歩ける」

 

「じゃあ早く」

 

二人は学校へ向かった。

 

手をつながなくても、並んで歩く速さは前と同じだった。

 

その確認は、次の日も、その次の日も少し形を変えて続いた。

 

文子の方から聞く日もあれば、澄江が先に「今日は触らない」と言う日もある。

 

何も起きない日は、二人とも途中でそのことを忘れた。

 

* * *

 

困ったのは、触れないことだけではなかった。

 

触れても、何も分からない時がある。

 

分かる時も、何なのかは分からない。

 

そして一度入ってきた感覚が、しばらく残る。

 

それだけなら、自分が我慢すれば済むと澄江は思っていた。

 

学校では、そう簡単ではなかった。

 

教科書を二人で持つ。

 

掃除で机を動かす。

 

廊下ですれ違う。

 

遊んでいて肩が当たる。

 

今までなら何も考えなかったことの一つ一つに、触れるかもしれない、が混じった。

 

昼前。

 

教室の後ろへ机を寄せている時、隣の子と手が重なった。

 

一瞬だけだった。

 

何も来ない。

 

澄江はほっとした。

 

その直後、その子が笑った。

 

「何、その顔」

 

「何でもない」

 

「私、手汚れてた?」

 

「違うよ」

 

何でもないことを、何でもない顔でやるのが難しくなっていた。

 

昼休みには、別の子が澄江のところへ来た。

 

「ねえ」

 

「何」

 

「澄江、人の痛いところ分かるの?」

 

箸が止まった。

 

文子も止まった。

 

「誰が言ったの」

 

「下の組の子。転んだ時、腕の痛いところ分かったって」

 

「あれは転んだところ見てたから」

 

「でも文子の指も分かったんでしょ」

 

今度は文子が顔を上げた。

 

「何でそれ知ってるの」

 

「この前、木のとげ抜いてたじゃん」

 

「それだけじゃん」

 

「じゃあ違うの?」

 

文子が澄江を見る。

 

答えていいのか、と聞かれているのが分かった。

 

澄江にも分からない。

 

田代は、誰に話していいかまでは決めていない。

 

和枝も、学校で何を言うかまでは話していなかった。

 

自分のことなのに、答えを持っていない。

 

「分からない」

 

澄江は言った。

 

「分かる時もあるけど、何が分かってるのか分からない」

 

相手の子は、もっと面白い答えを期待していたらしい。

 

「何それ」

 

「だから、何それなの」

 

文子が横から言った。

 

「変なこと聞かないでよ」

 

「文子も聞いてたじゃん」

 

「私は友達だからいいの」

 

「それ関係ある?」

 

二人が言い合い始める。

 

澄江は弁当を食べながら、自分の手を膝の上へ置いた。

 

秘密にする、と決めたわけではない。

 

全部話す、と決めたわけでもない。

 

それでも、少し前まで自分だけが困っていたことが、少しずつ他の人の話題になり始めていた。

 

それが嫌だった。

 

力があることより。

 

自分の知らないところで、自分の手の話が歩いていくことの方が嫌だった。

 

* * *

 

夕方、和枝は食料品店の帳場で小銭を数えていた。

 

客が途切れたところで、帳面の端へ数字を写す。

 

家へ入れる分。

 

糸と針に使う分。

 

少しだけ、別にしておく分。

 

自分の店を持つための金だった。

 

まだ、店と呼べる額ではない。

 

それでも、前の月より減っていないことを確認すると、和枝は帳面を閉じた。

 

「和枝ちゃん」

 

呼ばれて顔を上げる。

 

近所の女が、買い物籠を抱えて立っていた。

 

さっきまで味噌を見ていたはずだった。

 

「何?」

 

女は周りを見てから、声を落とした。

 

「澄江ちゃんのことなんだけど」

 

和枝の手が止まった。

 

「学校で、変なことがあったって聞いたよ」

 

「子どもの話でしょう」

 

「そうなんだけどさ。触ると痛いところが分かるって」

 

和枝は答えなかった。

 

女はそれを否定とは取らなかったらしい。

 

少し身を乗り出した。

 

「うちの母親が、ここ何日か膝を痛がってるんだよ」

 

「田代先生には?」

 

「歩けないほどじゃないから行きたがらなくて」

 

「なら、歩けるうちに行った方がいい」

 

「それは言ってる。でも、澄江ちゃんが一回触って、悪いって言えば行くかもしれない」

 

和枝の腹の奥が重くなった。

 

田代の診療所で言われた言葉を思い出す。

 

触ってから、使う理由を作るな。

 

必要なら考える。

 

澄江が嫌ならやらない。

 

正しいと思う。

 

それでも。

 

この女の母親が本当に悪いなら。

 

一度触れるだけで医者へ行くなら。

 

そう考える自分もいた。

 

「分かるわけじゃないよ」

 

和枝は言った。

 

「何も感じないこともある。感じても、それが病気かどうかは分からない」

 

「それでもいいんだよ」

 

すぐ返ってきた。

 

「本人が嫌なら無理には言わない。聞くだけ聞いてくれない?」

 

聞くだけ。

 

その言葉が一番厄介だった。

 

病人がいると先に知らせる。

 

困っている人の顔を見せる。

 

その後で、嫌なら断っていいと言う。

 

断る側に何も残らない頼み方ではない。

 

和枝はしばらく黙った。

 

「今日は聞かない」

 

「今日は?」

 

「澄江が帰ってきたばかりの時間に、人の具合を見る話はしない」

 

自分で言ってから、和枝は少し驚いた。

 

そんな決まりを、その日まで持っていなかった。

 

「じゃあ明日?」

 

「明日のことも約束しない。膝が痛いなら、先に先生へ行って」

 

女は不満そうだった。

 

「ちょっと触るだけなんだけどねえ」

 

「ちょっとで済むかは、澄江の方にしか分からないから」

 

それで話を切った。

 

女が帰った後、和枝は閉じた帳面へ手を置いた。

 

断った。

 

それなのに、胸のどこかへ惜しいという気持ちが残っていた。

 

もし澄江が何か感じたら。

 

もし、それで病院へ行くなら。

 

役に立つ。

 

その考え自体は消えなかった。

 

消えないから、扱い方を決めなければならないのだと思った。

 

* * *

 

その頃、澄江は学校から帰る途中で何度も右手を開いていた。

 

午後の掃除で、机を運ぶ時に一人。

 

雑巾を取り替える時に一人。

 

帰り際、走ってきた子を避けきれずに一人。

 

どれも一瞬だった。

 

一人目からは何も来なかった。

 

二人目からは、手の甲の奥に小さな熱が一つ。

 

三人目からは、左の足首の辺りに鈍い重さがあった。

 

何なのかは分からない。

 

場所も、しばらくすると曖昧になる。

 

それでも二つの感覚が重なった頃から、頭の奥が少し重くなった。

 

田代のところで何度か続けた時と似ていた。

 

「今日はもう駄目?」

 

隣を歩いていた文子が聞いた。

 

「何が」

 

「触るの」

 

澄江は右手を握った。

 

「たぶん嫌」

 

「たぶんって何」

 

「今は、誰にも触りたくない」

 

「分かった」

 

文子はそれ以上近づかなかった。

 

少し歩いてから、道の端の石を蹴る。

 

「でも、それって学校にいるだけでも大変じゃない?」

 

澄江は答えなかった。

 

大変だと言えば、学校へ行かなくていいことになるような気がした。

 

それは嫌だった。

 

「明日は平気かもしれない」

 

代わりにそう言う。

 

「じゃあ明日また聞く」

 

「毎日?」

 

「聞かないで掴んだら怒るじゃん」

 

「怒らないって」

 

「大声は出す」

 

「……出すかも」

 

文子が笑った。

 

その声を聞いて、澄江も少し笑った。

 

家の前で別れる。

 

戸を開けた瞬間、いつもなら先に水を汲んでおく時間だと気づいた。

 

けれど今日は、桶を持つ気になれなかった。

 

頭が痛いほどではない。

 

寝込むほどでもない。

 

ただ、人の身体の感覚が自分の手の中へ残っている状態で、次のことをしたくなかった。

 

澄江は鞄を置き、畳へ横になった。

 

少しだけ休むつもりだった。

 

目を閉じると、そのまま眠ってしまった。

 

* * *

 

和枝が家へ帰った時、汲まれていない水より先に、横になっている澄江が目に入った。

 

「澄江」

 

呼ぶと、すぐ目を開けた。

 

「寝てた?」

 

「見れば分かる」

 

「具合悪い?」

 

澄江は起き上がり、自分の額へ手を当てた。

 

「熱はないと思う」

 

「続くなら、自分で決めないで田代先生に見てもらう」

 

「そこまでじゃない」

 

「何があったの」

 

「今日、三人くらい触った」

 

「自分から?」

 

「違う。学校で当たっただけ」

 

和枝は返事をせず、澄江の顔を見る。

 

田代のところで聞かれたのと同じ順番で確かめた。

 

吐き気はない。

 

熱っぽくもない。

 

残っている感覚は薄くなっている。

 

ただ、頭が重い。

 

「今日は何もしなくていい」

 

「水、まだ」

 

「汲める」

 

「宿題はする」

 

「それは好きにしな」

 

「晩ご飯は?」

 

「食べられるなら食べる」

 

澄江がむっとした。

 

「何もしなくていいって何」

 

和枝も言ってから気づいた。

 

触らないことと、生活を全部止めることを一緒にしていた。

 

「訂正。人を見るのはなし。いつものことは、具合を見ながら」

 

「最初からそう言って」

 

「細かいね」

 

「叔母さんが雑なんだよ」

 

いつもの言い合いができる程度には元気らしい。

 

和枝は少し安心した。

 

同時に、店で断ったことを思い出した。

 

もし、あの女へ『帰って澄江に聞いてみる』と答えていたら。

 

今ここで、頭が重い澄江へ、人が困っているからどうする、と聞くことになっていた。

 

断ってよかった。

 

それだけでは足りない。

 

次も同じように断れる形が要る。

 

少し休んだ後、澄江は机へ紙を広げた。

 

宿題ではなかった。

 

「何書いてるの」

 

「書いてない」

 

「じゃあ何してるの」

 

「考えてる」

 

和枝は荷を下ろした。

 

澄江は紙の端へ鉛筆で丸を一つ描き、すぐ消した。

 

「今日、学校で聞かれた」

 

「何を」

 

「触ると悪いところが分かるのかって」

 

和枝は手を止めた。

 

「誰に」

 

「同じ組の子。下の子から聞いたって」

 

「文子ちゃんは?」

 

「何も言ってない。たぶん」

 

最後だけ少し弱くなる。

 

和枝は澄江の向かいへ座った。

 

「何て答えたの」

 

「分からないって」

 

「それでいい」

 

「でも、ずっとそれでいいの?」

 

「ずっと、って?」

 

「誰かに聞かれるたび、分からないって言うの」

 

和枝はすぐには答えられなかった。

 

隠す。

 

話す。

 

その二つだけなら簡単だった。

 

けれど、学校を変えるつもりはない。

 

文子と遊ぶなとも言いたくない。

 

田代のところへ行けば、いつか誰かには見られる。

 

逆に、誰にでも話せば、今日みたいな頼みが家へ来る。

 

「分からないところは、分からないでいい」

 

和枝は言った。

 

「でも、全部一人で決めさせるのは違うね」

 

「叔母さんが決めるの?」

 

「私だけでもない」

 

澄江が眉を寄せる。

 

「じゃあ誰」

 

「そこから考える」

 

「大人も分からないじゃん」

 

「分からないよ」

 

和枝は認めた。

 

「だから、分かったふりして決めない」

 

田代の言い方に似ていると思った。

 

少し嫌だった。

 

けれど、使えるものは使う。

 

「それと」

 

和枝は続けた。

 

「今日、店で頼まれた」

 

澄江の手が止まった。

 

「何を」

 

「近所のおばあさんの膝。触ってほしいって」

 

「叔母さん、何て言ったの」

 

「今日は聞かないって断った」

 

「今日は?」

 

同じところを突かれた。

 

和枝は苦笑した。

 

「そこ、あの人にも聞かれた」

 

「明日は?」

 

「約束してない」

 

澄江は少し黙った。

 

「叔母さんは、やってほしい?」

 

和枝は答えを急がなかった。

 

ここで、やってほしくない、と言えば簡単だった。

 

澄江を守りたいのは本当だ。

 

でも、それだけではない。

 

「少しは」

 

澄江が顔を上げた。

 

「何か分かって、その人が先生のところへ行くなら、やってほしいって思う」

 

「じゃあ、やった方がいい?」

 

「それは別」

 

「何で」

 

「私が助かるかもって思うのと、お前が触るかどうかは別だから」

 

澄江は自分の指を見た。

 

「私がいいって言ったら?」

 

「それでも、その場で病人を連れてきて聞くのはやめる」

 

「何で?」

 

「断りにくくなるから」

 

田代の診療所で、自分は大丈夫だと言った澄江の顔を思い出す。

 

一回なら。

 

何回か分からないなら、一回ずつ。

 

子どもだから何も決められないわけではない。

 

子どもがいいと言ったから、全部やらせていいわけでもない。

 

その間に立つのが、自分の役目なのだと思った。

 

澄江はしばらく黙っていた。

 

「今日は嫌」

 

小さく言った。

 

和枝の中で、また一瞬だけ惜しい気持ちが動いた。

 

店の女へ、明日は聞いてみるくらいなら、と言わなくてよかったと思った。

 

「分かった」

 

「明日は分からない」

 

「明日のことは明日でいい」

 

「明日、学校で聞かれたら?」

 

「学校では、人の身体を見るために触らない」

 

「田代先生のところは?」

 

「先生と決めてから」

 

「文子は?」

 

「それは文子ちゃんと決めな」

 

澄江は少し笑った。

 

「叔母さんは?」

 

和枝は右手を見た。

 

今日も帳面と針で、親指の付け根が重かった。

 

前なら、確かめてみるか、と軽く手を出していたかもしれない。

 

今日は出さなかった。

 

「私も、嫌なら嫌でいい」

 

「叔母さんが?」

 

「お前が」

 

「叔母さんの手なのに?」

 

「私の手が痛いのと、お前の手を使うのは別だよ」

 

澄江は少し考えた後、鉛筆を持った。

 

さっきまで何も書いていなかった紙へ、まず一行書く。

 

家へ頼みに来ても、その場では決めない。

 

和枝が覗き込む。

 

「それ、決まりにするの?」

 

「叔母さんが今言った」

 

「言ったけど」

 

「忘れるかもしれないじゃん」

 

田代と同じことを言われた。

 

和枝は何も返せなかった。

 

澄江は次へ書く。

 

嫌と言った日は、もう聞かない。

 

そこで鉛筆が止まる。

 

「『何で嫌なの』も聞かないで」

 

「具合が悪いのかは聞くよ」

 

「それはいい」

 

「眠れてないとか、熱があるとかなら田代先生に行くから」

 

「じゃあ、『使いたくない理由』は聞かない」

 

書き直す。

 

三行目は、和枝が言った。

 

「具合が悪い人は、澄江が触るかどうかと別に田代先生へ行く」

 

澄江が長い、と文句を言った。

 

「短くすると意味変わるから」

 

「先生みたい」

 

「それはやめて」

 

「何で」

 

「何でも」

 

二人で少し笑った。

 

紙の下はまだ空いている。

 

完成した決まりではない。

 

今後困れば、また増えるかもしれない。

 

守れなかったら、書き直すかもしれない。

 

それでも、今夜から家の中で何をしないかは、前より分かった。

 

和枝は紙を店の帳面へ挟もうとして、やめた。

 

「そこじゃないの?」

 

澄江が聞く。

 

「店の金と、お前の手を一緒にするのは嫌」

 

「同じ紙でもいいじゃん」

 

「私が嫌なの」

 

「じゃあ嫌でいいね」

 

返されて、和枝は笑った。

 

紙は、台所の棚の横へ挟んだ。

 

飯の支度をする時も。

 

学校へ出る時も。

 

内職を始める時も目に入る場所だった。

 

* * *

 

次の日。

 

澄江が学校へ行く支度をしていると、文子がまた家の前へ来た。

 

今日は戸口から顔を出す。

 

「もういい?」

 

「何が」

 

「入って」

 

「それは手と関係ないでしょ」

 

「この前は外で待ったから」

 

澄江は和枝を見る。

 

和枝は針へ糸を通しながら言った。

 

「家へ入るくらい自分で決めな」

 

「入っていいよ」

 

文子はすぐ上がった。

 

いつものように澄江の机の紙へ手を伸ばしかける。

 

途中で止まる。

 

棚の横に挟まれた紙が目に入ったらしい。

 

「何これ」

 

「見るな」

 

澄江が先に取った。

 

「余計見たくなる」

 

「駄目」

 

「手のこと?」

 

澄江は黙った。

 

文子は少しだけ口を尖らせた。

 

「また言えないやつ?」

 

「全部は」

 

「じゃあ、言えるところは?」

 

昨日までなら、澄江はまた困ったと思っただろう。

 

今日は少し違った。

 

紙に書いたことの全部を、文子へ見せる必要はない。

 

田代の診療所で何を調べたかも。

 

和枝が店で誰に頼まれたかも。

 

言わなくていい。

 

でも。

 

「急に触らないで」

 

「それは知ってる」

 

「私が嫌って言ったら、その日はやめて」

 

「それもこの前からやってる」

 

「何で嫌か言わない時もある」

 

文子は少し考えた。

 

「私が嫌だからじゃない?」

 

「違う」

 

「そこだけは言える?」

 

「言える」

 

「じゃあいい」

 

文子はあっさり言った。

 

澄江は拍子抜けした。

 

「それだけ?」

 

「何が」

 

「もっと聞かないの」

 

「聞いても言わないんでしょ」

 

「……うん」

 

「じゃあ後で聞く」

 

「後で聞くんだ」

 

「いつか言えるかもしれないじゃん」

 

文子はそう言って、机の上の消しゴムを指した。

 

「それ取って」

 

「自分で取れるじゃん」

 

「今、澄江の方が近い」

 

澄江は消しゴムを拾った。

 

手渡そうとして、少し止まる。

 

文子は手のひらを出した。

 

「今日は?」

 

澄江は自分の身体を確かめた。

 

頭は重くない。

 

昨日の感覚も残っていない。

 

今は、文子へ触れることが嫌でもない。

 

「平気」

 

消しゴムを置く。

 

指先が一瞬だけ触れた。

 

何も来なかった。

 

ただの手だった。

 

それだけで、澄江は少し嬉しかった。

 

「行くよ」

 

和枝に言われ、二人は鞄を持つ。

 

「帰り、糸買ってきて」

 

「何色?」

 

「白。今度こそ忘れないで」

 

「昨日も言ってた?」

 

「言ってない。今日言った」

 

「じゃあ忘れたら叔母さんのせいじゃん」

 

「何でそうなるの」

 

文子が笑う。

 

二人は外へ出た。

 

和枝は戸を閉める前に、棚の横の紙を見た。

 

家へ頼みに来ても、その場では決めない。

 

使いたくない理由は聞かない。

 

具合の悪い人は、澄江が触るかどうかとは別に医者へ行く。

 

その横には、今日買う白糸のことを書いた紙がある。

 

下には、店のために分けている金の帳面が置いてある。

 

どれも同じ家の中にあった。

 

澄江の手だけを中心に回る家にはならない。

 

けれど、澄江の手に起きたことを、なかったことにして暮らす家にも戻れない。

 

朝は学校へ行く。

 

和枝は店へ出る。

 

帰れば宿題がある。

 

内職がある。

 

文子と遊ぶ約束がある。

 

田代のところへ行く日もある。

 

そして、使わないと決める日もある。

 

本物の超常は、まだ誰かを救う仕事にも、立派な制度にもなっていなかった。

 

先に家の予定へ入り込んだ。

 

使う予定だけではない。

 

使わない予定としても。

改稿前verだけ見て切られたら困るんですが、消した方が伸びると思いますかね?

  • 消した方が伸びる
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