歴史改変能力者は世界の裏を日本に生やしたい   作:無異常世界

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読みたいものの型を一から考えるってのは難しいよな

いつまで経っても
趣味全開の狂った願望で現実世界を振り回す構造がつかめない

だから

先にそれを形にしていた先駆者の遊び方を
そのまま俺の作品へ転用する


第二話

土の感触が戻るより先に、拓真は息を止めた。

 

足元が崩れていない。水の中でもない。何かと重なっている感覚もなかった。

 

膝を曲げた姿勢のまま、しばらく動かずに周囲を確かめる。

 

川の音がする。

 

風に混じるのは、湿った土と煙の匂いだった。河川敷の向こうにあるはずの街明かりはなく、堤防の上へ低い家並みの影が続いている。遠くで犬が吠えたが、車の音は聞こえなかった。

 

拓真はゆっくり立ち上がった。

 

肩のバッグを下ろし、まず手足と荷物を確認する。出血はない。工具も、着替えも、紙の地図もある。スマートフォンは圏外だった。画面の時刻には意味がない。電源を切り、布で包んでバッグの底へ戻した。

 

一九四八年へ来たつもりではいる。

 

だが、数十年の移動には誤差が出る感覚があった。年も、場所も、指定どおりとは限らない。

 

暗い中で歩き回る理由はなかった。

 

拓真は堤防の陰へ移り、夜が薄くなるまで待った。

 

空が白み始めると、町の輪郭が見えてきた。

 

川沿いの道は舗装されていない。家の壁には新しい板と古い板が混じり、空き地には焼けたものを片づけた跡のような黒ずみが残っていた。作業着姿の男が自転車を押し、頭に荷を載せた女が早足で通り過ぎる。

 

拓真は、自分の服へ視線を落とした。

 

調べて用意した上着とズボンは、形だけなら大きく外れていない。それでも生地が妙に揃い、縫い目も傷んでいない。靴も、履き慣らしてきたつもりだったが、周囲のものよりきれいだった。

 

資料で見た服装と、朝の道を歩く人間の服装は同じではない。

 

同じ年代でも、仕事と暮らしで違う。

 

拓真は帽子を深くかぶり、まず駅を探した。

 

線路を見つけるまでに二度道を聞いた。一人目には言葉が聞き取りにくく、二人目には逆に聞き返された。古い言い回しを真似して不自然になるより、地方から出てきた若者と思われる方がましだった。

 

駅前の売店に並んだ新聞で、年を確かめた。

 

昭和二十三年。

 

そこだけは合っていた。

 

安堵しかけて、拓真は新聞の値段を見た。用意してきた金が本当に使えることと、どれだけ保つかは別だった。

 

最初に入った宿では、帳場の男が拓真より先にバッグを見た。

 

「何日だ」

 

「まず二日お願いします」

 

「どこから来た」

 

「遠くから。仕事を探しに来ました」

 

「遠くってどこだ」

 

拓真は一拍置いた。

 

「西の方です」

 

嘘ではないとも、本当ではないとも言い切れない答えだった。

 

男は気に入らない顔をした。

 

「紹介は」

 

「ありません」

 

「勤め先も」

 

「これから探します」

 

「長くは置けんぞ」

 

代金を先に払うことで、その晩の寝床だけは取れた。食事はつかなかった。部屋は薄い壁で仕切られ、畳には前の客が置いた荷の跡が残っていた。

 

それでも、夜露を避けられる。

 

拓真は荷物を置き、町へ戻った。

 

金さえ出せば食べられると思っていたわけではない。そう思っていないつもりだった。

 

だが、昼を過ぎてから入った店で、もう出せるものはないと言われた時、自分がまだ二〇二六年の感覚で動いていたと分かった。

 

次の店で、残っていた汁と芋を買った。腹は満ちなかったが、値段だけは手帳へ書いた。

 

宿。

 

食事。

 

働き口。

 

町の診療所。

 

駅までの道。

 

異常を世界へ置く前に確認しなければならないものが、次々に増えていった。

 

翌朝、駅の裏で荷運びを募集している場所を見つけた。

 

拓真は列の最後に並んだ。名前を聞かれ、相良拓真と答えた。身元を証明するものを求められなかった代わりに、信用もなかった。

 

渡された仕事は木箱運びだった。

 

設備点検の経験があっても、重い箱が軽くなるわけではない。午前の終わりには肩と腰が痛み、手のひらが熱を持った。

 

休憩中、倉庫の引き戸が途中で止まった。

 

男たちが二人で押しても動かない。管理している男が舌打ちし、棒を差し込もうとした。

 

拓真は戸の下へ目をやった。

 

「下、見てもいいですか」

 

「直せるのか」

 

「見ないと分かりません」

 

返事を待ってからしゃがみ込む。戸車そのものより、片側の金具が緩み、戸がわずかに下がっていた。持っていた工具だけでは完全には直せない。拓真はそう説明し、今動かすための応急処置と、後で交換した方がいい部品を分けて伝えた。

 

戸は最後まで開いた。

 

それで日雇いが定職へ変わることはなかった。

 

ただ、翌日も来ていいと言われた。

 

拓真には、それで十分だった。

 

三日目には、町の大きさが少し分かってきた。

 

駅と川の間には店が集まり、外れへ行けば畑と空き地が増える。診療所は駅から歩ける場所に一つ、別方向にもう一つあった。仕事は毎日同じ場所にあるわけではないが、倉庫で顔を覚えられれば、別の荷運びへ回してもらえることがある。

 

宿の男は、三日目の代金を受け取る時に言った。

 

「いつまでいる」

 

「働く場所が決まるまでは」

 

「決まってから言え」

 

順番が逆だった。

 

住む場所がなければ仕事を続けにくい。仕事が決まらなければ、住む場所を借りにくい。

 

手帳には書けても、その間を埋めるのは人間関係だった。拓真には、まだそれがない。

 

四日目の夕方、拓真は町外れの低い丘へ上がった。

 

ここまでに見た範囲を思い返す。

 

人が暮らしている。

 

働く場所がある。

 

怪我や病気を診る場所がある。

 

人の出入りがあり、町の外へ続く道もある。

 

安全な場所ではない。完全に管理できる場所でもない。

 

それでも、完成した能力者を一人作るのではなく、長い時間の中で何かが生まれ得る余地を薄く置くなら、閉じた実験室より、こういう町の方がよかった。

 

拓真は目を閉じた。

 

時点を掴む感覚とは違う。

 

人間や生き物の側へ、今までなら残らなかった性質が残れるようにする。

 

誰かを選ばない。

 

能力の形も決めない。

 

町とその周辺へ、できる限り薄く。

 

強く押し込むのではなく、条件が揃った時にだけ何かが成立できる程度にする。

 

意識を定めると、抵抗らしい抵抗はなかった。

 

音も、光も出ない。

 

ただ、何もなかった場所へ、ごく細い余地が残ったと分かった。

 

拓真は目を開けた。

 

坂道を上がってくる女が一人いた。畑の向こうでは男が鍬を振るっている。町では夕方の煙が上がり始めていた。

 

誰も倒れない。

 

誰も炎を出さない。

 

頭の中へ人の位置が浮かぶこともなかった。

 

拓真は十分ほど待った。

 

さらに十分待った。

 

変化は見えなかった。

 

見えないだけかもしれない。

 

何も起きていないのかもしれない。

 

今日ではなく、何日も後かもしれない。

 

そもそも、発現した本人が気づかない程度のものかもしれない。

 

確認する方法がなかった。

 

町へ戻る途中、すれ違う人間を一人ずつ見そうになり、拓真はやめた。

 

顔を見ても分からない。

 

能力者を探していると声をかけるわけにもいかない。

 

もし何かが起きても、見知らぬ若者へ教える理由は相手の側にない。

 

宿へ帰ると、帳場の男から明日までだと言われた。

 

世界の根本へ手を入れた日も、寝床の期限は延びなかった。

 

     * * *

 

瀬尾和枝は、店の裏口がまた閉まらなくなったと聞いて、先に帳面を閉じた。

 

店主は朝から仕入れのことで機嫌が悪い。客は足りない品を和枝へ言っても増えると思っている。家へ帰れば、預かった縫い物が三つ残っていた。

 

そこへ戸まで動かないとなれば、腹も立つ。

 

裏へ回ると、数日前から荷運びに来ている若い男がしゃがんでいた。

 

相良と名乗った男だった。

 

上着はこの辺りで見かける形に近いが、どこか馴染んでいない。仕事の手つきは遅くない。だからといって、この町の人間には見えなかった。

 

「壊したの?」

 

和枝が聞くと、相良は振り返った。

 

「俺が触る前からです」

 

「みんなそう言う」

 

「じゃあ、直らなかったら俺のせいでいいです」

 

「よくないよ。余計に面倒になる」

 

相良は少し考え、素直にうなずいた。

 

「それもそうですね」

 

威勢だけで押し切らないところは、悪くなかった。

 

戸の金具を外す間、和枝は横で見ていた。相良は古い部品を馬鹿にせず、分からない呼び方は店主へ聞いた。使えるものと交換が必要なものも分けていた。

 

しばらくすると、裏口は引っかからずに閉まった。

 

店主が満足そうに何度も開け閉めする。

 

和枝は相良の右袖を見た。

 

縫い目がほどけ、腕を上げるたびに裂け目が広がっている。

 

「その上着、明日には袖が取れるよ」

 

相良は肩越しに見ようとして、当然見えなかった。

 

「どこですか」

 

「背中側。自分じゃ無理」

 

「縫い物を頼める店、知ってますか」

 

「私がやってる。金は取るけど」

 

相良はすぐ頼もうとしてから、口を止めた。

 

「いくらですか」

 

和枝は金額を言った。

 

相良は財布の中を確かめ、今日払えば夕食が減る顔をした。

 

「明日でもいいですか」

 

見栄を張らないところも、悪くなかった。

 

「今夜預かる。明日の朝じゃ間に合わないから、家へ持ってきな」

 

「家に?」

 

「店じゃミシンを置けない。嫌なら他を探して」

 

「行きます」

 

「先に泊まってる場所を言いな。知らない男を家へ上げるんだから」

 

相良が答えた宿を聞き、和枝は眉を寄せた。

 

「あそこ、長く置かないでしょう」

 

「明日までです」

 

「それからは」

 

「まだ決まってません」

 

「仕事も?」

 

「ここへ来れば、何かあるとは言われました」

 

「それは仕事が決まったとは言わない」

 

相良は反論しなかった。

 

「身内は」

 

今度だけ、返事が遅れた。

 

「遠いです」

 

何か隠している。

 

和枝には分かった。

 

ただ、追い出される前に寝床を決めなければならないことと、その隠し事が同じ問題かは分からなかった。

 

「夕方、店を閉めた後に来な。遅れるなら来なくていい」

 

「分かりました」

 

「あと、手ぶらで来ない。ミシンも見てもらうから」

 

相良は初めて困った顔をした。

 

「直せるかは、見ないと分かりません」

 

「それでいいよ」

 

     * * *

 

瀬尾家の一室には、布と糸と食事の匂いが混じっていた。

 

和枝は相良の上着を裏返し、裂け目へ当て布をした。相良は部屋の隅に置かれた足踏み式のミシンの前へしゃがんでいる。

 

「踏むと抜ける時がある」

 

和枝が言うと、相良は足元の動きを確かめた。

 

「いつからですか」

 

「前から少し。昨日からひどい」

 

「音は」

 

「音より、足だけ動いて針が遅れる」

 

相良は一度、自分で踏んだ。

 

「帯が滑ってるかもしれません。張りすぎても駄目なので、少しずつ見ます」

 

説明しながら勝手に分解しない。その点は信用できた。

 

和枝は針を進めた。

 

「この町に何しに来たの」

 

相良の手が止まった。

 

「仕事を探しに」

 

「仕事だけなら、もっと近い町でもいいでしょう」

 

「ここなら、しばらく暮らせると思ったんです」

 

「思っただけ?」

 

「来てみたら、先に暮らせるようにしないと何もできないと分かりました」

 

妙な言い方だった。

 

何をするつもりかは答えていない。

 

和枝がもう一度聞こうとした時、襖が少し開いた。

 

「何してるの?」

 

女の子が顔を出した。

 

十歳の姪、澄江だった。相良を見つけると、襖をもう少し開ける。

 

「誰?」

 

「店の手伝いに来てる相良さん」

 

「店の人じゃないでしょ」

 

「今は店で働いてる」

 

「何屋さん?」

 

相良はミシンの下から顔を上げた。

 

「まだ決まってない」

 

澄江は、そんな大人がいるのかという顔をした。

 

「仕事してるのに?」

 

「仕事はしてるけど、何屋かは決まってない」

 

「変なの」

 

「俺もそう思う」

 

澄江は部屋へ入り、和枝の横へ座った。学校で使ったらしい紙を持っている。見せに来たのだろうが、ミシンの方が気になっている。

 

「それ、直る?」

 

「たぶん」

 

「たぶんなんだ」

 

「直してみる前に絶対って言う人よりは、ましだよ」

 

和枝が言うと、澄江は納得したように相良の手元を見た。

 

相良は帯の位置を調整し、緩んでいた箇所を締めた。和枝が試しに踏むと、足の動きに針が遅れずついてくる。

 

「これでしばらく使えます。ただ、帯が傷んでるので、また滑ると思います」

 

「替えはすぐない」

 

「なら、次に滑った時の直し方を見せます」

 

相良はもう一度動かし、どこを確認するか説明した。

 

和枝は上着の糸を切った。

 

「はい。こっちも終わり」

 

相良が袖を通す。腕を上げても裂け目は開かなかった。

 

「助かりました」

 

「代金から、ミシンを見た分は引く」

 

「全部でいいですよ」

 

「よくない。仕事は別」

 

和枝は受け取る分だけ受け取った。

 

相良は何か言いかけたが、黙って財布をしまった。

 

「明日の朝、店の裏へ来な」

 

「仕事がありますか」

 

「店主が倉を片づけるって。今日の戸を見て、道具を使えるなら続けて来いってさ」

 

相良の顔から、分かりやすく力が抜けた。

 

「ありがとうございます」

 

「私に言うのは早い。働いて駄目なら終わり」

 

「はい」

 

「泊まるところも、店主の知り合いに一間空いてる家がある。あんたが何日か真面目に来るなら、話だけはしてもらえる」

 

相良は今度こそ言葉を失った。

 

和枝は少し警戒した。

 

親切へ感動した顔ではない。

 

大きな仕事が決まった時より、明日の荷運びと一間の話の方が重大だと、今になって知った顔だった。

 

「勘違いしないで。保証するんじゃないよ」

 

「分かってます」

 

「分かってる顔じゃない」

 

相良は息を吐き、ようやく普通の若者らしく笑った。

 

「寝る場所が決まりそうなのが、思ったより嬉しくて」

 

「そりゃそうでしょう」

 

和枝には、それ以外の何があるのか分からなかった。

 

     * * *

 

宿へ戻った拓真は、手帳を開いた。

 

第一領域。

 

低密度で定着させた感覚あり。

 

発現の有無、不明。

 

発現者の位置、不明。

 

確認方法、なし。

 

そこまで書き、頁の下へ線を引いた。

 

宿は明日まで。

 

朝、瀬尾の店へ行く。

 

仕事が続けば、部屋を借りられる可能性あり。

 

上着、修繕済み。

 

ミシン、応急調整。

 

瀬尾和枝。

 

瀬尾澄江。

 

二つの名前を書いたところで、拓真は手を止めた。

 

能力者を探すために知り合った人間ではない。

 

寝床と仕事に困り、戸を直し、服を縫ってもらい、ミシンを調整した結果として、明日も顔を合わせることになった。

 

世界へ余地を置けば、すぐに答えが出ると思っていたわけではない。

 

それでも心のどこかで、何かが起きれば自分には分かると思っていた。

 

実際には、何も見えない。

 

この町で誰かに異常が起きても、本人が気づき、誰かへ話し、その話が自分まで届かなければ知ることもできない。

 

なら、待つしかない。

 

ただ待つのではなく、ここで働き、食べ、名前を覚えてもらう。

 

拓真は手帳の最後に、明日の予定を書いた。

 

朝、店の裏口。

 

一九四八年へ来てから初めて、翌日の行き先が決まっていた。

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