歴史改変能力者は世界の裏を日本に生やしたい 作:無異常世界
田代の机には、いつの間にか紙が増えていた。
増えた、というより、分かれていた。
患者の診察を書く紙。
澄江が触れた時だけ使う紙。
澄江自身が今日は何人までにするか、何か残っているかを書いておく小さな紙。
一か所へまとめようとした跡はない。
拓真は三枚を順に見て、最後に小さな紙を持ち上げた。
「これ、別々のままなんですね」
田代が薬瓶を棚へ戻しながら答えた。
「一緒にする理由がない」
「後で比べにくくないですか」
「何を比べる」
「患者の状態と、澄江がどれくらい使ったかとか」
「必要なら日付で見る」
田代は振り返った。
「患者の具合と、この子が疲れたかどうかを同じ欄へ書いたら、どっちの記録か分からなくなる」
澄江が長椅子から口を挟む。
「先生、前は一枚に書こうとしてたよ」
「やめた」
「何で」
「使いにくかったからだ」
それだけだった。
拓真は紙を机へ戻した。
最初に見た時より、線の引き方も違う。
前に自分が覚えていた形とも違う。
誰かが会議をして完成させたわけではない。
使って、困って、書き直しただけだ。
拓真の鞄には、自分で作ったメモが入っている。
本人が断れること。
通常の診察を止めないこと。
能力で分かったことと病名を同じにしないこと。
疲労を別に見ること。
ここ数日、それをもう一度整理していた。
この町を離れる前に、抜けがないか確認するつもりだった。
けれど、目の前の紙は、拓真のメモと同じ形ではなかった。
同じでなくても、動いていた。
「相良さん」
澄江が呼ぶ。
「何」
「それ、ずっと見てるけど、直したいの?」
「いや」
答えた後で、拓真は少し考えた。
「直したくなる」
澄江が笑った。
「じゃあ直すの?」
拓真は田代を見る。
田代は先に言った。
「俺は嫌だぞ」
「まだ何も言ってないです」
「顔が言ってる」
「そんな顔してました?」
「点検屋の顔だ」
意味が分からず、澄江が二人を見る。
拓真は笑った。
「仕事で、変な音がしてたら原因探すんですよ。緩んでたら締めるし、使いにくかったら直す」
「これも?」
澄江が紙を指す。
「やりたくなる」
「でも先生が使うんだよ」
「そうなんだよな」
拓真は自分のメモを鞄から出しかけて、やめた。
田代がそれを見ていた。
「何か書いたのか」
「一応」
「見せろ」
「嫌です」
「何でだ」
「見せたら使うかもしれないから」
田代の眉が上がる。
澄江が吹き出した。
「先生、信用されてない」
「お前に言われたくない」
和枝が戸口から入ってきた。
手には包みを持っている。
「何の話」
「相良さんが先生に紙見せないって」
「見せなくていいよ」
「即答だな」
拓真が言うと、和枝は包みを長椅子へ置いた。
「この人、細かいところまで決めたがるから」
「俺ですか」
「他に誰がいるの」
否定しようとして、やめた。
その通りだった。
能力が本当に生まれた。
二人目もいた。
使えば人を助けることもある。
使いすぎれば嫌になる。
断る日もいる。
一つ分かるたび、次に決めることが見えた。
もっと安全に。
もっと記録を残して。
もっと比べられるように。
そう考えるのは悪くない。
けれど、全部を自分の紙へ並べ始めると、いつの間にか、この町で起きることの正解を自分が持っているような気になる。
拓真は鞄の口を閉じた。
「しばらく、町を離れます」
三人の顔が止まった。
最初に反応したのは澄江だった。
「どこ行くの」
「遠く」
「どこ」
「ちょっと言いにくい」
「またそれ」
和枝の声が低くなる。
「いつ戻るの」
「分からないです」
「仕事は」
「今やってる分は片づけます」
「部屋は」
「出ます」
和枝はしばらく拓真を見た。
「最初から決めてたの」
「いつかは」
「澄江のことが片づいたから?」
拓真はすぐ首を振った。
「片づいてないです」
澄江が少しむっとする。
「私、片づけるものじゃないし」
「そういう意味じゃない」
「今言った」
「和枝さんが」
「人のせいにするな」
田代が机の向こうで笑った。
拓真も笑う。
それから、少しだけ真面目に言った。
「だからです」
「何が」
和枝が聞く。
「俺がいなくても、続くか見たい」
田代が目を細めた。
「何を」
拓真は答えかけて止まった。
能力のある人間たちの生活。
異常を扱うやり方。
この先、ここから何が増えるのか。
全部を言えば、自分が何者なのかまで話が近づく。
今はまだ、その必要はない。
「澄江が、使うか使わないか決めること」
拓真は言った。
「先生が、分からない時に分からないって言うこと。和枝さんが、飯とか学校とか先に考えること」
和枝の眉が寄る。
「それ、あんたが決めたことじゃないよ」
「はい」
拓真は頷いた。
「だから、見たいんです」
澄江が首を傾げた。
「いなくなったら見られないじゃん」
「そうなんだよ」
言ってから、自分でも少し笑った。
「見られない間に続くか、後で見たい」
田代が机の紙を一枚持ち上げる。
「続かなかったらどうする」
拓真は少し考えた。
前なら、戻って直す、と答えたかもしれない。
今は違った。
「その時に、何で続かなかったか聞きます」
「直すんじゃなく?」
「必要なら手伝います。でも、俺のやり方に戻すとは限らない」
田代は返事をしなかった。
ただ、机の紙を元の位置へ戻した。
澄江が小さな紙を自分の前へ引き寄せる。
「じゃあ、今日のところ書いて」
「俺が?」
「最後だから」
「何を」
澄江は鉛筆を渡した。
「相良さん、今日は何人までって聞いたでしょ」
「聞いた」
「一人って答えた」
「うん」
「だから一人って書いて」
拓真は紙を見る。
書こうとして、止まった。
「自分で書けば?」
「最後なのに?」
「だから」
澄江は少しだけ考えた。
それから鉛筆を取り返した。
今日。
一人。
残りなし。
自分で書く。
「これでいい?」
「俺に聞くなよ」
今度は四人で笑った。
* * *
数日後。
拓真は借りていた部屋を出た。
持ってきた物より、現地で増えた物の方が多くなっていた。
服。
仕事道具。
紙。
鉛筆。
使い込んだ鞄。
全部を持っていく必要はない。
世話になった人へ返せるものは返した。
置いていくものは置いた。
最初にこの時代へ来た時、未来の物をどこまで持ち込むかで悩んだ。
今度は逆だった。
一九四八年で手に入れた物を、何年も先へどこまで持っていくか。
拓真は結局、鞄一つに収まる分だけにした。
手帳は入れた。
中には、澄江のことも、河原で見た二人目のこともある。
ただし、名前のないところは名前のないまま。
自分が見ていないところは空白のまま。
町外れまで歩く。
誰かの家の裏や、建物の中へ出ない場所を選ぶ。
数年先を意識した。
届く。
最初の頃より、時点を掴む感覚には慣れていた。
けれど、正確な日付を能力が教えてくれるわけではない。
拓真は一度、町の方を振り返った。
田代の診療所はここから見えない。
瀬尾家も見えない。
河原も見えない。
それでいい。
「じゃあ」
誰もいないところで、小さく言う。
「勝手にやっててくれ」
少し違うと思った。
勝手に、という言い方では、自分に許可を出す権利があるみたいだった。
言い直す相手もいない。
拓真は能力を使った。
* * *
空気が変わった。
同じ場所のはずなのに、最初に目へ入った道が違った。
土が削れていた場所がならされている。
見覚えのあった塀がなくなり、その奥に別の建物がある。
遠くの屋根も、記憶と少しずつ合わない。
拓真は立ったまま、何度か周囲を見た。
「……来たか」
町へ入る。
新聞の日付を確かめる。
狙った通り、数年が経っていた。
一九五〇年代の前半。
自分にとっては、ほんの少し前まで一九四八年だった。
ここでは、その間を全員が普通に生きている。
歩き出してすぐ、その事実を思い知らされた。
知っていた店がなくなっている。
残っている店も看板が変わっている。
前は空き地だった場所に家がある。
道を聞こうとして、知っている角を曲がった方が早いと気づく。
その角を曲がると、今度は知らない道が続いていた。
「そりゃそうか」
数年分を、自分は歩いていない。
手帳にも書いていない。
瀬尾家へ行く前に、田代の診療所へ向かった。
残っているか確かめたかった。
建物を見つけた時、まず安心した。
次に、記憶のままではないことへ気づいた。
中へ入る。
待合には三人いた。
田代は診察室の奥にいるらしい。
声が聞こえる。
拓真は戸口で少し迷った。
自分がいない間に時間の積もった場所へ、昔と同じ顔で入っていいのか。
「相良さん?」
横から声がした。
振り向く。
すぐには分からなかった。
数年前に見た時とは、少し雰囲気が変わっている。
手には本と紙の束を抱えている。
それでも、顔を見れば分かる。
「澄江?」
澄江は数秒、拓真の顔を見た。
それから最初に言った。
「遅い」
「ただいま」
「何年だと思ってるの」
「ごめん」
「和枝叔母さん、絶対怒るよ」
「それは覚悟してる」
澄江はまだ拓真を見ていた。
それから聞いた。
「何しに来たの」
「見に」
「何を」
拓真は待合を見る。
「続いてるか」
澄江は一拍置いた。
「何が?」
「いろいろ」
「また分かりにくい」
奥から田代の声が飛ぶ。
「澄江、次の紙」
「はい」
澄江は拓真へ言った。
「そこ座ってて」
昔なら、再会した相手にもう少し何か言ったかもしれない。
けれど澄江は先に診療所の用を済ませた。
紙を持って診察室へ入る。
拓真は長椅子へ座った。
少しして患者が出てきた。
次の人が呼ばれる。
田代の声。
患者の声。
澄江は中にいるが、最初から触ってはいないらしい。
しばらくして戸が少し開いた。
「澄江」
田代が呼ぶ。
「今、平気か」
「一人なら」
「今日はもう使ったか」
「まだ」
「じゃあ、本人に聞け」
澄江が患者へ向く。
拓真からは顔が見えない。
「触って見てもいい?」
返事が聞こえる。
「嫌だったらやめる。分からないこともあるよ」
また返事。
澄江が中へ入る。
数分もしないうちに出てきた。
「ここ。前より少し広い気がする。でも、前と同じかは分からない」
田代が聞く。
「熱い方か」
「熱いっていうより、周りと違う」
「硬さは」
「分からない」
「もういい」
澄江は待合へ戻った。
自分の紙へ何か書く。
拓真は横から見なかった。
「何人まで?」
聞くと、澄江が顔を上げる。
「今日は二人」
「今ので一人?」
「うん」
「誰が決めたの」
「私」
「毎日?」
「その日に決める時もあるし、前の日に決める時もある」
「先生は」
「多いって言う時はある」
「和枝さんは」
「休めって言う」
「揉める?」
「揉める」
即答だった。
拓真は笑った。
「何がおかしいの」
「続いてるなと思って」
「揉めてるのが?」
「それも」
澄江は呆れた顔をした。
診察室から田代が出てきた。
拓真を見る。
一度止まる。
「……お前、生きてたのか」
「生きてます」
「手紙くらい寄越せ」
「すみません」
「で、何しに来た」
「同じこと聞かれました」
「答えろ」
「見に来ました」
田代は澄江を見る。
「こいつ、前より面倒になってないか」
「なってる」
「二人ともひどくないですか」
田代は鼻で笑い、机へ戻った。
拓真も後を追う。
机の上を見る。
昔の紙は残っていなかった。
正確には、何枚かは束の奥に古い形のものがある。
今使っている紙は、また違っていた。
「変えました?」
「何回も」
「これ、俺がいなくなった後に?」
「当たり前だ」
田代がペンを置く。
「お前がいなくなったら紙を変えちゃいかんのか」
「いや」
拓真は笑った。
「その方がいいです」
「気持ち悪いな」
「褒めてます」
「褒めるな」
田代は患者の記録を閉じた。
「何を心配して戻ってきた」
拓真は少し考えた。
「俺がいないと止まるかもって」
田代は本気で分からない顔をした。
「何で止まる」
「最初に、いろいろ聞いて回ってたから」
「お前が診察したことはない」
「そうですけど」
「澄江の手を使うか決めたこともない」
「最初は、俺が見つけたから」
田代が少し黙った。
「だから何だ」
その言葉は、思っていたより強く拓真へ入った。
だから何だ。
自分が種を置いた。
最初の発現を追った。
二人目を見つけた。
それは事実だ。
けれど、田代が患者を診る理由にはならない。
澄江が今日二人までと決める理由にもならない。
和枝が休めと言う理由にもならない。
その間の数年を、拓真は一日も生きていない。
田代は続けた。
「お前がいなくなった後に、困らなかったとは言わん」
拓真が顔を上げる。
「困ったんですか」
「そりゃ困る」
「何が」
「分からんことが増えた」
「それで?」
「分からんままやった」
「危なくないですか」
「危ないから、分からんものを分かったことにしなかった」
田代は古い紙の束を指した。
「失敗もした。無駄に呼んだ日もある。呼ばなくて後悔した日もある。澄江と揉めた日もある」
「先生が休めって言ったのに私がやった日もある」
待合から澄江が言う。
「今言わなくていい」
「本当じゃん」
「その後寝込んだだろ」
「寝込んでない。ずっと眠かっただけ」
「それを寝込んだと言うんだ」
拓真は二人を見た。
綺麗には続いていない。
間違いなく、失敗もしている。
それでも続いている。
自分の不在を埋めるように同じ形を保存したのではない。
変えて、揉めて、残した。
その方が、ずっとよかった。
* * *
和枝には、その日の夕方に怒られた。
予想通りだった。
「何年も何も言わないで、急に帰ってくる人がある?」
「すみません」
「死んだと思ってないだけましだよ。あんたならどっかで勝手に生きてそうだったから」
「信用されてるのかされてないのか分からないですね」
「されてない」
「そこは即答なんだ」
澄江が横で笑う。
文子も来た。
拓真は、最初、誰だか分からなかった。
向こうも一瞬分からなかったらしい。
「相良さん?」
「文子?」
「ほんとに?」
「何が」
「変わってない」
「そんなに?」
「ちょっとは変わってるけど」
文子は澄江を見る。
「でも澄江の方が変わった」
「何で比べるの」
二人が言い合う。
文子は、澄江の能力について何も聞かなかった。
学校のこと。
昔の同級生のこと。
和枝が最近忙しいこと。
自分の家のこと。
拓真はその話を聞いた。
途中で何度も知らない名前が出た。
知らない出来事も出た。
澄江の話なのに、自分が知らない。
当たり前だった。
数年分の生活を、自分は飛ばした。
夜になって文子が帰る。
和枝が片づけを始めた頃、戸を叩く音がした。
田代だった。
紙を一枚持っている。
「何ですか」
和枝が聞く。
「隣町の医者からだ」
田代が紙を広げる。
名前のところは指で隠したまま、必要なところだけ読む。
腹の具合が長く悪い患者がいる。
診察はしている。
すぐに大きな病院へ送るほどではないが、触って分かる範囲がいつも一定ではなく、もう一つ観察材料があれば助かる。
澄江のことを、どこかで聞いたらしい。
「連れてくるの?」
澄江が聞いた。
「まだだ」
田代が答える。
「向こうも、まず聞いてきただけだ」
和枝が紙を見る。
「本人には何て話してるんです」
「そこが書いてない」
「じゃあ先に聞けば」
「俺もそう思う」
澄江が言う。
「私が行くの?」
「それもまだ決めてない」
「ここに来てもらう?」
「向こうの診察をやめて、こっちへ全部持ってくる気はない」
田代は紙を畳んだ。
「必要なら、向こうの先生が診たことを送ってもらう。その上で、本人が嫌じゃなくて、お前もやるなら考える」
澄江は少し考えた。
「会ってから決めてもいい?」
「いい」
「会って、やらないって言っても?」
「いい」
和枝が横から口を挟む。
「学校のある日に勝手に予定を入れないでください」
「分かってる」
「先生の分かってるは」
「分かってる」
澄江が笑った。
拓真も笑った。
そのうち、田代が拓真を見る。
「お前はどう思う」
反射的に、答えがいくつも浮かんだ。
本人の意思を先に確認する。
能力で分かったことは向こうの診断と分ける。
何も分からなかった場合も、そのまま残す。
澄江に無理をさせない。
どれも、たぶん間違ってはいない。
拓真は口を開いた。
「まず――」
そこで止まった。
三人が見る。
田代はもう、本人へどう説明したかが書かれていないことに気づいた。
和枝は学校の予定を先に聞いた。
澄江は、会ってから断ってもいいかを自分で確認した。
自分が言う前に、必要なことは出ている。
「俺に聞かなくていいと思います」
田代の顔がしかめられる。
「聞いたんだが」
「相談ならします。でも、決めるのは俺じゃない」
「誰だ」
拓真は紙を指した。
「患者のことは本人と向こうの先生。澄江が見るかは澄江。こっちへ来るなら先生も診る。家のことは家の人もいる」
和枝が腕を組む。
「当たり前じゃない」
「はい」
拓真は笑った。
「当たり前になってるなら、それでいいです」
田代はまだ納得していない顔だった。
「お前、前はもう少し口を出しただろ」
「出したくはあります」
「じゃあ出せ」
「嫌です」
澄江が笑う。
「また先生、紙見せてもらえない時と同じ顔してる」
「うるさい」
田代は紙を畳んだ。
「なら明日、返事を書く」
和枝が言う。
「本人にちゃんと話してから、必要ならまた連絡してって書いてください」
「分かってる」
「先生の分かってるは」
「さっきやっただろ、そのやり取り」
澄江が吹き出した。
拓真も笑った。
それで話は終わった。
誰も、相良拓真の許可を取らなかった。
* * *
翌日、拓真は河原へ行った。
二人目を最初に見つけた場所だった。
会うつもりがあったわけではない。
まだいるか、少し見たかっただけだ。
斜面には、昔使っていた板はなかった。
代わりに、少し離れたところで二人が荷を動かしていた。
顔を見て、たぶん同じ二人だと分かった。
数年前に見た時とは、二人とも少し雰囲気が変わっている。
拓真は声をかけなかった。
一人が箱へ手を置く。
もう一人が横で言った。
「離す前に言えよ」
「分かってる」
箱が少し滑る。
「離すぞ」
「待って。足どける」
「いい?」
「いい」
手が離れる。
箱が止まる。
それだけだった。
昔、河原で遊んでいた時は、手を離して板が急に滑り、二人で慌てていた。
その後、自分たちで声をかけるようになった。
数年経っても残っている。
拓真は少し遠い場所から見た。
近づけば、もっと聞ける。
今どこまでできるのか。
何に使っているのか。
疲れるのか。
失敗したことはあるのか。
聞きたい。
ものすごく聞きたい。
けれど、今日はやめた。
自分がいない数年間にも、二人は試していた。
なら、その続きへ戻ってきたからといって、すぐ自分を入れる必要はない。
二人が箱を持ち上げる。
拓真は背を向けた。
少し歩いてから、笑いが出た。
「本当に勝手にやってる」
今度は、その言い方を直さなかった。
誰も聞いていない。
そして、少なくとも今の拓真にとっては、それが一番嬉しい意味だった。
* * *
町を離れる前の夜。
拓真は宿で手帳を開いた。
一九四八年のページ。
最初の頃の字は細かい。
確認すること。
危険。
仮説。
次に試すこと。
途中から、人の名前より、名前を書かない理由が増えている。
澄江。
田代。
和枝。
文子。
河原の二人。
その後に、空白がある。
拓真は新しいページへ書いた。
数年後。
田代の診療は継続。
澄江は使用回数を自分で決める。
記録様式は複数回変更。
本人・家族・医療側で判断が分かれたまま運用継続。
別地域から人づての相談あり。
河原の安全確認、継続。
そこで一度、鉛筆を止めた。
最後に一行だけ足す。
自分がいなくても続いた。
しばらく見た。
その下へ、もう一行書きかける。
今後の標準手順――
止めた。
消す。
代わりに書いた。
次に見る時、同じ形である必要はない。
手帳を閉じる。
最初に欲しかったのは、自分の秘密組織ではなかった。
自分が全部知っている能力体系でもない。
こちらが見ていなくても、知らなくても、勝手に続く何かだった。
今、ほんの小さな範囲では、それが本当に起きている。
しかも、綺麗ではない。
揉める。
失敗する。
紙の形も変わる。
本人が周りの期待どおりに動かない日もある。
医者が間違えることもある。
家族が口を出す。
友達は普通に別の人生を続ける。
それでも消えない。
拓真は布団へ横になった。
明日は、さらに先へ行く。
一九六〇年代。
そこで何があるかは、もう自分にも分からない。
分からないから行く。
* * *
翌朝。
澄江は診療所で紙を一枚受け取った。
昨日の返事だった。
「何て書いたの」
「本人がどうしたいか聞け。それから必要ならまた連絡しろ」
田代が答える。
「それだけ?」
「それだけでいい」
澄江は紙を見た。
「相良さんは?」
「朝から見てない」
「また?」
「まただろうな」
澄江は少しだけ口を尖らせた。
それでも、戸口を見に行かなかった。
待合には人がいる。
田代が次の名を呼ぶ。
澄江は自分の小さな紙を見る。
今日は、まだ何人までにするか決めていない。
「先生」
「何だ」
「今日は一人にする」
「分かった」
「まだ使うって決めたわけじゃないよ」
「分かってる」
「本当に?」
「うるさい」
澄江は笑った。
その頃、町の外では、拓真が誰もいない場所に立っていた。
鞄を肩へ掛け直す。
今度は、一九六〇年代の時点を意識する。
届く。
後ろを振り返らない。
自分がいない間に続くかどうかは、もう一度見た。
次は、その続きがどこまで自分の知らないものになっているかを見る。
拓真は能力を使った。
改稿前verだけ見て切られたら困るんですが、消した方が伸びると思いますかね?
-
消した方が伸びる
-
消さない方が伸びる
-
どっちでも良い