歴史改変能力者は世界の裏を日本に生やしたい 作:無異常世界
翌朝、牧田廉は作業表を見てから、右手を一度だけ握った。
開く。
もう一度握る。
普通に動く。
少なくとも、工具を持てない感じはない。
「何してる」
後ろから先輩に言われた。
「別に」
「手ぇ見てただろ」
「見てただけです」
作業表には昨日と同じように、午前の仕事と午後の仕事が並んでいる。
午後には、あの細長い品物の加工が入っていた。
昨日はうまくいった。
機械は回った。
品物も仕上がった。
自分の手も使えた。
なら今日もやればいい。
持ち場へ向かおうとすると、班長が呼んだ。
「牧田。午後のやつ、手ぇ使う前に一回診てもらってこい」
「何でですか」
「昨日、帰る前に何回か手ぇ開いたり閉じたりしてただろ」
牧田は黙った。
見られていたらしい。
「動きますよ」
「それは見りゃ分かる」
「じゃあ仕事できます」
「それを今から決めるんだよ」
「俺が平気だって言ってるのに?」
班長は牧田を見た。
「お前が使うかどうかは、お前の話だ」
「俺の手ですから」
「そうだよ。だから俺が勝手に使えとは言わん」
班長は旋盤の方へ顎を向けた。
「でも機械を回すかどうかは、お前一人の話じゃない」
牧田は言い返しかけて、やめた。
昨日までは、能力が仕事に使えるかを見ていた。
今日は、その後の話になっている。
「午前は普通にやっていいんですよね」
「いい」
「じゃあ昼前に行きます」
先輩が横で笑った。
「特別扱い嫌いなくせに、止められると腹立つんだな」
「止められるのが嫌なんじゃないです」
「じゃあ何」
牧田は工具箱を開けた。
「仕事から外されるのが嫌なんです」
先輩は少しだけ真顔になった。
「まだ外されてないだろ」
「だから確認してるんです」
「細かいな」
「細かくないです」
昨日と同じやり取りになって、二人とも少し笑った。
* * *
午前は能力を使わなかった。
材料を固定する。
寸法を取る。
刃を当てる。
音を聞く。
表面を見る。
一つ終われば次へ移る。
途中で一度、牧田は右手を開いた。
普通に動く。
ただ、意識し始めると、いつも通りなのかどうかが逆に分からない。
「気になる?」
先輩が聞いた。
「分かんないです」
「じゃあ、それ言えよ」
「何を」
「分かんないって」
牧田は顔をしかめた。
「役に立たないでしょう、それ」
「変に平気ですって言うよりは、医者には役に立つんじゃないか」
先輩は加工した品物を光へかざした。
「こっちは分かる。これは駄目」
表面に小さな傷がある。
「やり直します」
「それは俺らで決められる」
何でも同じ人間が決めるわけではない。
能力が絡む前なら、当たり前のことだった。
* * *
昼前、牧田は工場から少し離れた診療所へ行った。
昨日、工場へ来ていたらしい医師が奥にいた。
「手、どうですか」
「動きます」
「昨日と違う感じは」
「分かりません」
「分からない?」
「朝は普通だと思ったんですけど、気にしてたら変な気もしてきて」
医師はそれを紙へ書いた。
「今ので何が分かるんですか」
「今のところ、あなたがそう感じていることだけです」
「それだけ?」
「それ以上にしたら嘘になります」
両手を見比べる。
指を曲げる。
開く。
物を持つ。
触られた場所が分かるか答える。
どれも普通の診察だった。
能力を測るような機械は出てこない。
一通り終わると、牧田は聞いた。
「午後も使っていいですか」
医師の手が止まった。
「能力を?」
「そうです」
「それを私が決めるんですか」
牧田は少し黙った。
「医者でしょう」
「身体については意見を言います」
「じゃあ」
「機械を回していいかは決められません」
「機械は工場で見ます」
「なら、そこは工場が決めることです」
牧田は苛立った。
「じゃあ俺は何を決めるんですか」
「使うかどうかです」
「それなら使います」
「それはあなたの希望として分かりました」
「でも止めることもある?」
「身体の状態から止めるべきだと判断したら、そう言います」
「今日は?」
医師は少し考えた。
「今見た範囲では、明らかな異常があるとは言えません」
牧田は息を吐いた。
「じゃあ使える」
「そこまでは言っていません」
また止められた。
「何でですか」
「今ここで異常を確認できないことと、午後の作業が安全だと保証することは別だからです」
牧田は医師を見る。
「便利ですね、その言い方」
「便利じゃないです。こっちも困ります」
医師は少し苦い顔をした。
「会社には働かせていいか聞かれる。現場には何なら安全か聞かれる。あなたには使っていいか聞かれる」
「答えないんですか」
「答えられるところだけ答えます」
「それで仕事回るんですか」
「回すのは私じゃない」
即答だった。
牧田は思わず笑った。
「そこまで言います?」
「言わないと、全部こっちで決めたことにされますから」
医師も少し笑った。
「次に使った前後で、何か違うと感じたら言ってください。分からないなら、分からないでいい」
「それも記録するんですか」
「します」
「役に立つんですか」
「役に立つかどうかを、これから見るんです」
診察室を出る前に、医師が言った。
「働きたいんですよね」
「そうです」
「それは会社にも、自分で言ってください」
「医者から言ってくれないんですか」
「あなたが言えることまで私が代わりに決めたら、今度は私があなたの話を取ります」
牧田は振り返った。
面倒な医者だった。
嫌いではなかった。
* * *
工場へ戻ると、班長と事務の人間が一人待っていた。
昨日の見学者、拓真も壁際にいる。
「何で相良さんまでいるんですか」
「俺も分かりません」
拓真が答えた。
「帰ればいいでしょう」
「それはそう」
本当に帰りそうになって、班長が止めた。
「お前はそこで聞いてろ。口出すなよ」
「はい」
牧田はますます何の人なのか分からなくなった。
事務の男が聞く。
「診てもらった?」
「はい」
「使っていいって?」
「そういう言い方はしてません」
「じゃあ駄目?」
「それも言ってません」
事務の男が困った顔をした。
班長は作業表を机へ置いた。
「昨日までは、鳴いたら牧田を呼ぶで済んでた。でもこれを仕事として続けるなら、それじゃ駄目だ」
「何でですか」
「お前が休みの日どうする」
「普通にやるでしょう」
「お前がいる日に、今日は使いたくないって言ったら」
「使いません」
「会社が急いでるから使えって言ったら」
牧田の顔が固くなった。
「それは嫌です」
「だろ」
班長は事務の男を見る。
「逆もある。こいつが使うって言っても、機械側で止めることがある」
「じゃあ誰が最終的に決めるんです」
事務の男が聞いた。
班長は眉を上げた。
「何を?」
「使うかどうかを」
班長は指を折った。
「牧田の手を使うか。機械を回すか。身体に問題があるか。その仕事を会社がどう扱うか」
「全部つながってるでしょう」
「つながってるけど、同じじゃない」
班長は言った。
「一人に全部決めさせるからおかしくなる」
牧田は事務の男へ向いた。
「会社には、俺がこれやった時、手伝いなのか仕事なのか決めてほしいです」
「手伝い?」
「必要な時だけ呼ばれて、手を使って、終わったら元の持ち場へ戻る。それが毎回なら、俺の仕事でしょう」
事務の男は少し考えた。
「まあ、そうなるな」
「なら仕事として扱ってください」
牧田は言った。
「でも、仕事にしたからって、毎回使えって命令されるのは嫌です」
「仕事なのに?」
「使った後どうなるか、まだ誰も分かってないんでしょう」
班長が頷く。
「なら、会社が仕事にするのと、俺が毎回使うのは別にしてください」
事務の男は腕を組んだ。
「使わなかったら、その仕事は?」
「普通のやり方に戻す。条件を変える。無理なら止める」
班長が答えた。
「納期は?」
「それはそっちの仕事だろ」
今度は事務の男が嫌そうな顔をした。
牧田は少し笑った。
誰か一人だけが楽になる決まりではないらしい。
壁際を見ると、拓真がものすごく嬉しそうな顔をしている。
「何ですか」
「いや」
「笑ってますよね」
「すみません」
「何が面白いんですか」
拓真は班長を見る。
「口出すなって言われてるので」
「分かってるなら黙ってろ」
「はい」
* * *
午後の作業は、紙を一枚作ってから始めることになった。
立派な規程ではない。
班長が鉛筆で書き、事務の男が直し、牧田が嫌なところへ線を引く。
最初に班長が書いた。
《牧田の判断で使用》
「それだけだと駄目です」
「何が」
「俺が使うって言ったら、機械も回すみたいに見える」
班長は後ろへ書き足した。
《本人が希望しても、現場判断で作業停止あり》
「逆も」
「逆?」
「現場が使ってほしくても、俺が嫌なら使わない」
事務の男が顔をしかめる。
「仕事なのに?」
「今それ分けたでしょう」
もう一行増えた。
《本人が拒否した場合、能力使用を行わない》
紙の上に「能力」と書かれると、妙に大げさに見えた。
けれど、消してほしいとは思わなかった。
班長はさらに書く。
《異常時は使用前に通常確認。使用後も原因確認を省略しない》
牧田がそこを指した。
「それ、昨日もやってます」
「だから書くんだよ」
「当たり前でしょう」
「当たり前なら守れるだろ」
班長は鉛筆を置いた。
「音が消えたからって、直ったわけじゃない」
牧田は自分の掌を見た。
回転は止まらない。
摩耗が戻るわけでもない。
ずれたものが直るわけでもない。
ただ、震えが弱くなる。
本当に弱くなる。
だから役に立つ。
だから、間違えればややこしい。
「医者のところは?」
牧田が聞く。
「身体のことは医者へ。機械のことはこっち。会社は仕事としてどう扱うかを決める」
事務の男が紙を見た。
「誰が責任者って書けばいいんだ」
班長が笑った。
「また一人に戻すのか」
事務の男も笑った。
「面倒だな」
「そういう話してたんだろ」
牧田は紙を見た。
誰も全部を決めない。
会社だけが「仕事だから」で終わらせることもできない。
牧田だけが「俺の手だから」で機械を回すこともできない。
医師が一言で機械まで保証することもできない。
班長が機械だけ見て、牧田の身体まで決めることもできない。
不便だった。
でも、牧田はその紙を嫌いではなかった。
「じゃあ、やるか」
班長が言う。
「はい」
「手は?」
昨日までなら、使えるか、と聞かれていた。
今日は違う。
牧田は一度、指を開閉した。
「今はやります」
「分かった」
* * *
機械が回る。
最初は普通に削る。
しばらくして、あの高い音が出た。
キィ、と細く伸びる。
牧田は反射的に手を出しかけた。
「先に止めろ」
班長の声が飛ぶ。
送りを止める。
刃を見る。
固定を見る。
材料を見る。
一度、条件を変える。
少しましになる。
それでも途中からまた鳴った。
班長が聞く。
「どうする」
牧田は答えた。
「俺は使います」
班長は機械と品物を見た。
「こっちもやる。昨日と同じ位置。回ってるところへ近づくな」
「はい」
牧田は手袋を外した。
袖口を確かめる。
回転部から距離を取る。
固定された側面へ掌を置く。
細かな震えが来る。
その反復へ意識を向ける。
掌の下で、震えだけが少しずつ小さくなる。
高い音が細くなる。
消えた。
回転音だけが残る。
「やっぱり効くな」
先輩が言った。
「はい」
何度見ても、そこは気持ちがいい。
自分の手を置くだけで、機械の振る舞いが変わる。
昨日だけの偶然ではない。
今日もできる。
仕事の中で使える。
紙が一枚増えても、その事実は少しも小さくならなかった。
むしろ、本当に効くから紙が必要になった。
班長が言う。
「一回止める」
牧田はすぐ手を離した。
機械が止まる。
材料を外す。
表面を見る。
寸法を取る。
先輩が頷いた。
「悪くない」
班長は機械側を見たまま言った。
「じゃあ次も同じ、じゃないからな」
「分かってます」
「毎回見る」
「はい」
「面倒でも」
「それはもう分かりました」
班長が笑った。
牧田も少し笑った。
* * *
終業前、拓真が紙の前に立っていた。
「見すぎじゃないですか」
牧田が言うと、拓真は振り返った。
「すみません」
「何がそんなに面白いんです」
拓真は紙を見る。
「昨日、能力が仕事になってるのを見たでしょう」
「はい」
「今日は、その仕事に決まりができた」
「そうですね」
「誰かが最初から用意したんじゃなくて」
牧田は眉を寄せた。
「班長と事務の人と俺で書いただけですよ」
「それがいいんです」
「相良さんは何も決めてませんけど」
「はい」
拓真は嬉しそうに答えた。
「そこが一番いい」
やっぱり変な男だった。
牧田は作業表へ目を戻した。
明日の持ち場もある。
能力を使うかもしれない仕事もある。
使わない仕事もある。
使いたいと自分が言っても、機械を止められることがある。
会社が使ってほしいと思っても、自分が断ることがある。
医師は身体を見るが、機械の安全までは決めない。
班長は機械を止めるが、牧田の手を会社の部品にはできない。
どれも少しずつ不自由だった。
その代わり、牧田の仕事は誰か一人の都合だけでは決まらない。
紙の端には、何度も消して書き直した跡が残っていた。
立派な制度でも、名前のついた規則でもない。
ただ、明日この工場で機械を回すための決まりだった。
本物の能力が、本物の仕事になったから必要になった決まりだった。
牧田は自分の名前がある作業表を確認し、工具箱を閉じた。
明日も働く。
そのことだけは、誰か一人に決めてもらうつもりはなかった。
改稿前verだけ見て切られたら困るんですが、消した方が伸びると思いますかね?
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消した方が伸びる
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消さない方が伸びる
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どっちでも良い